はてなキーワード: お花見とは
そもそも、女性側が「無害な男性」をお断りするにも、色々なパターンがあると思うんだ。
観測してると、女性でもさすがに30超えると内心焦りが出てくるパターンは多いとは思うけど、20代だとお独り様を満喫してて、という人って多いようにも思う。そういう時に、なんとなく仲良くしてた男性にアプローチかけられても「別に今そういうの求めてないんだけどなあ」というのは見たことがある。
男性側からすると、友達枠に置かれることは、下位互換というか「所詮友達か……」という感情になることが多いんだけど、「友達だと思ってたんだけどなあ」みたいな愚痴を友人の女性から聞いたこともあるし、某癒し系を銘打ったSNSで「男女の友情を信じてたけど、結局何度も告白されて幻想だと感じた」と書いてる人もいた。
実のところ「異性との真の友情」というある種の美しい物語の成立を(実際にどうかは知らないけど)本気で信じてる女性は少なからずいるわけで、そういう向きからすると「裏切られた」とは感じるっぽいのよね。昔、漫画かなんかで「友達だと思ってたのに」と告白に対して内心愚痴るシーン見た覚えがあるけど、実情に即してるような気もする。つか、俺は男で配偶者いるけど、それはそれとしてこの物語は実際成立してると信じてる側でもあるので、それを恋愛でぶっ壊されたくないって気持ち自体は結構わかる。
「生理的嫌悪感」という意味ではこのパターンも多いんじゃないかな。俺自身が(たぶん)これやらかした覚えがあるんだけど、慎重に距離を詰めていた相手にアプローチかけるときって、緊張もあって挙動不審になりやすい自覚があるし、そのタイミングで急速に「えー?」てなることもあるような気もする。ちなみに、具体的には昔なじみの女性と深夜まで二人でお花見しながら昔話やらしてて、なんかいい雰囲気だなと帰ってから感じたんで、LINEで今更服を褒めるみたいなことやらかしちゃったんっだけど、以降は既読のみになったのよね。普通に会ったときにさらっと褒めとけよとこの件では後悔した覚えがある。
これがまさに議論したい本体なんだと思うけど、1 or 2 or 3のケースを4と誤認してるケースも多そう。
1.と2.以外は実際に女友達やらから直接聞いたことがないんで推測が多分に入るけど、友人枠の男性がお断りされたケースを全てぬいペニ問題で括ろうとする向きにはなんだか違和感がある。特に増田とかTwitterとかの非モテ界隈で顕著だからか、当事者の意見がそっちになってることもあるように感じるし、もうちょっと精密な議論をした方がいい案件でないかな。
お寺の境内で花見。子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある。山桜は葉が出始めで、花はまだたった。
去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。
お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。
境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。
ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。
両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。
ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街に引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。
あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉が路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者が下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社に押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初で最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わず、しかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭りは廃止になった。
運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元の少年野球チームやサッカーチームが練習試合をしにやって来るからだ。
広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場と野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。
ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場がしっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。
コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンドを団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球やサッカーチームの侵入を禁止します。練習やウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。
桜の木の下を通ると、ヒヨドリが金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。
公園の事務所とラウンジから死角となる場所の桜の木の下で、お爺さん達のグループが酒盛りをしていた。
毎年花見に来るスポット。子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。
昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームやデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りがいるかどうかは知らない。
家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。
満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅を手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島桜なのだ。つまり、挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。
たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園の植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。
ジェイアールが春先に神戸へ行こうキャンペーンを慣行して行われるように、
盛んにキャンペーンすればするほど
私は春先神戸へは、
いやそんなにグイグイこられてもなんだか逆に行きたくなくなるわ!ってあまのじゃくよね。
1度か2度行ったっきりなので、
そんなに印象的な街ではないんだけどね。
そんなジェイアルールの春先神戸へキャンペーンをやってるころ、
なんだか電車の車内にはいつものこの時間帯のメンバーとは明らかに違う新人フレッシャーズの新入社員とおぼしき人たちがフレッシュな佇まいを漂わせながら電車に乗っていたわよ。
私クラスの気持ちだけはフレッシャーズに負けない意気込みの電車の乗り込み方は
もちろん!飛び込み前転で乗車!
これができるようになれば、
ペキカン!
朝のオフィス街を歩いていると、
明らかにこのビルの会社に初めて勤める新人フレッシャーズの新入社員とおぼしき人が
ビルの前でいや9時よりだいぶ前に早すぎるくらいに着ちゃったけど、
このまま初出社を飾るにはやる気アピールだと思われるのもあれなので
ちょっと遅くもなく早くもない5分か10分ぐらい前にと調整して
初出社を飾ろうとしているのかな?って私は思っちゃったわ。
私クラスなら初出社を飾るなら、
もう分かるわね?
その社屋のビルに飛び込み前転で出社して猛アピールを猛アピールするのよ。
まあ実際にしたら
かなり浮くと思うから、
飛び込み前転してもいい時といけない時が
何か新しいことにチャレンジしたいっていつも毎月1日には思いがちじゃない?
今年の初めはもう諦めたから
言わばこっちが本当の年明け!って言っても結局そこで重い腰が上がらず
気が付いたらもう4月1日よね。
だから毎月訪れる1日は
新しい意気込みを唱えるだけでも十分じゃない?って真理に気付いてしまったわ。
新しい月は1日から!
そんなフレッシュな気分の新人のフレッシャーズ新入社員を見ると
そう思ってやまないわ。
うふふ。
先日牛乳ワンパック買ってきたのを忘れておいたままにして置いたのが
事務所の下駄箱に置いてたままになったのを発見して買ってきたのを思いだしたわ。
まあ1日ぐらい置きっぱなしにしても
賞味には影響ないと思うわ。
すっかり忘れていたことを忘れていたわ。
桜茶ホッツウォーラーよ。
桜の花は塩漬けになって塩の味がキツかったら、
少しぬるま湯に入れて塩抜きしたらいいわよ。
ちなみにもう私お花見は終わったわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
うむ。🐈お花見行ってお団子食べてきなよー。
こないだ書いたBL感想文についた id:anmin7さんのブコメで小池定路先生を知った。支部で読めるだけしか読んでいない。けどこれ結構好み。4コマ漫画と思ったらちがうんだなあ。
これもほのぼの日常系BL。シーモアで分冊版一冊無料だったので。
以前、試し読みでお花見回を読んだ時に、なんかあんまり好きになれなさそうな気がするなと思ったのだが、やっぱり微妙だ。日常系BLは好きだけど、何かが違う気がする。ほのぼのの内側に、男に対する怨念を感ずる。
朝田ねむい先生がこの本の続刊発売のお知らせツイートをRTしておられたのを見て知った。シーモアで期間限定一巻まるごと無料で読めた。
すごいハチャメチャだ! アメリカのスクカー最上位のアルファ男(オメガバースじゃないよ!)と、スクカー最底辺のオタクっぽい虚弱男子が付き合う話。果てしなくセックスしてる漫画だなぁ、という印象。座裏屋蘭丸先生のBLを愛読する身で言うのもなんだけど、想像を上回るほどにセックスしまくりな漫画で、若干引いた。自分、セックスばかりしてる漫画ってあまり好きではないんだよね……。いや本当に。
でも主人公(受けの虚弱男子)の自己肯定感の低さが突き抜けているあまりに攻めをジャイアントスイングで振り回す様が面白くて良かった。恋心が極まるあまりに攻めに銃口を突きつける(←そのままの意味。アメリカだから。)受けとは。
『日々、君』と『スイートハート・トリガー』は、単行本買いだなぁ。しかし、Canna十周年記念冊子の電子版が出たし、小説『天官賜福』の日本発売が決まったらしいので、お小遣いが追いつかない。いつか買うけど、いつになることやら。
シーモア期間限定無料が出てるので良いBL本は、のばらあいこ先生の『秋山くん』(分冊一巻が無料なのかな?)と、浅井西先生の『あなたを殺す旅』(試し読み増量だったかも)
2020年末に大阪に引っ越してきたがニュースで見てた数字の深刻さとは違い、目に見える景色は大変そうではなかった。
団地に住んでるが、ここ数ヶ月で敷地内に入ってくる救急車を3回見た。
少し位置が違ったので、3回とも違う人。そのうち2回は1時間以上動くことないのも見て、今大阪で見てくれる病院がないっていうのを実感した(結局どれくらいで救急車が行ったのかは見届けなかった)
幹線道路近くだからか、非常事態だからかはわからないが救急車は1日何台もサイレンが聞こえる。
子どもの通う小学校の先生方は感染対策をとてもよくやってくださってると感じる。連絡も早い。しかしすぐ隣の市内小学校でも、入学式の形式などが違い、自治体単位でなく学校単位で対策の仕方が違うことを知った。
親たちは目に見える範囲では穏やかに過ごしている。習い事(プールとか体操教室)が緊急事態宣言出ても中止にならないので自主的に休むか、月謝払ってもったいないから危険承知で行くか悩んでた。
保育園では中止になる行事もあったが、選択式でフェイスシールドつけて親も参加の発表会してたり、結構杜撰だと感じた。クラスターが出て休校になる小学校に通う子どもの親が、クラス全体ラインに「自由参加でお花見しよう☆」と連絡を入れてクラス半数の親子が参加してた。自分含めやんわりでも咎めてる人はいなかった。
吉村知事に関しては、自分の周りでその評価を口にする人はいない(という人付き合いしてない、近所のママさんくらいしか会話しない)自分と自分の親は否定的な評価をしている。
買い物は9時から開いてた店が、まん防を受けた時から10時からしか開かなくなってちょっと不便というくらい。でかい公園は体感4割くらい減ったけど子どもは遊んでる。
自分は完全リモートワークで休日も公園行くくらいで外食ゼロだけど、ちょっと調子悪いって時に熱測ると38度前後なのが数日続いたのが今まで2回ほどあった。PCR受けられる気がしないのでどこにも連絡していない…。
そんな感じ。
2020年末に大阪に引っ越してきたがニュースで見てた数字の深刻さとは違い、目に見える景色は大変そうではなかった。
団地に住んでるが、ここ数ヶ月で敷地内に入ってくる救急車を3回見た。
少し位置が違ったので、3回とも違う人。そのうち2回は1時間以上動くことないのも見て、今大阪で見てくれる病院がないっていうのを実感した(結局どれくらいで救急車が行ったのかは見届けなかった)
幹線道路近くだからか、非常事態だからかはわからないが救急車は1日何台もサイレンが聞こえる。
子どもの通う小学校の先生方は感染対策をとてもよくやってくださってると感じる。連絡も早い。しかしすぐ隣の市内小学校でも、入学式の形式などが違い、自治体単位でなく学校単位で対策の仕方が違うことを知った。
親たちは目に見える範囲では穏やかに過ごしている。習い事(プールとか体操教室)が緊急事態宣言出ても中止にならないので自主的に休むか、月謝払ってもったいないから危険承知で行くか悩んでた。
保育園では中止になる行事もあったが、選択式でフェイスシールドつけて親も参加の発表会してたり、結構杜撰だと感じた。クラスターが出て休校になる小学校に通う子どもの親が、クラス全体ラインに「自由参加でお花見しよう☆」と連絡を入れてクラス半数の親子が参加してた。自分含めやんわりでも咎めてる人はいなかった。
吉村知事に関しては、自分の周りでその評価を口にする人はいない(という人付き合いしてない、近所のママさんくらいしか会話しない)自分と自分の親は否定的な評価をしている。
買い物は9時から開いてた店が、まん防を受けた時から10時からしか開かなくなってちょっと不便というくらい。でかい公園は体感4割くらい減ったけど子どもは遊んでる。
自分は完全リモートワークで休日も公園行くくらいで外食ゼロだけど、ちょっと調子悪いって時に熱測ると38度前後なのが数日続いたのが今まで2回ほどあった。PCR受けられる気がしないのでどこにも連絡していない…。
そんな感じ。
スタイルの癖を隠すために再翻訳され、さらにテキストの意味を復元する程度に修正されています。
私は大阪に住んでいるのですが、3月末、仕事が終わって買い物をしていると、近所の人に会い、「今日、公園にお花見に行くんだけど、一緒に行かない?」と言われ、思わず「えっ!」と思いました。吉村だって第4波だと認めているのに、何を言っているんだ?非常識だと思いましたが、近所の人たちもみんな来ると言っていましたし、お世話になっていたので、断るとややこしいことになると思いました。ジャイアンのリサイタルの誘いを断る勇気のある人はそういないだろう。今思えば、「今日は友人と電話の約束があるので、......」というのがベストな答えだったと思います。当時はそんなこと考えもしませんでしたが。また、正直なところ、私は料理上手な彼の美味しい料理を久しぶりに楽しめることを期待していました。
とにかく、私は愚かにも彼に付き合ってしまったのである。彼の言うとおり、近所の人たちがほとんど集まっていて、予想通り、食べ物はたくさんあった。桜は満開ではなかったが、ちゃんと咲いていたし、我々のような馬鹿な集団は他にいなかった。公園の椅子が空いていたので、せめて距離をとって静かに食べようと安心していたのですが、いつの間にかマスクを外した主催者が桜の近くにブルーシートを敷き始めていました。そうそう、そうなんですよ。こんな時期に近所の人たちを招いて花見をする人は、コロナ対策をちゃんとしていないのだ。
しかし、それにしても、近所の人たちのほとんどが本当にそこにいるのだ。どことは言いませんが、近所に大学があって、若者がたくさんいます。無名のお笑い芸人、お騒がせな自称映画監督、ユニバのスタッフもいる。最近は特にお金に困っているらしいので、彼らは食事をするチャンスを逃したくない。医師国家試験に合格したばかりの幼馴染とその両親(医師と看護師)を見つけたときは、勘弁してくださいと思ったが、今さらコロナを理由に断るのはもっと大変だと思い、すべてを諦めた。自称監督が撮った集合写真には、4人どころか10人以上が写っており、料理を前にしてマスクをしている人はほとんどいない。料理をつまむ箸がないので、直箸で食べることになる。
それでも、ほんの少しだけだが抵抗してみた。マスクをして、黙々と逆さ箸で料理を皿に盛り、小さなブルーシートを出て、公園のベンチで(つまりブルーシートに出入りするたびに靴を脱いだり履いたりしなければならない)、口元に持っていくとき以外はずっとマスクをして、静かに食事をしました。こんなことをしていたのは私だけだったが、喫煙者の中にはタバコを口実に距離を取ろうとしている人もいたようだ。前述の医師とその家族は、全員がアルコールスプレーを常時携帯しており、その習慣を知っている私も常時携帯し、動くたびにスプレーをした。
すべての料理を一通り食べ終わった後、一人が帰ることになったので、私も一緒に帰ることにしました。それでも1時間半ほど滞在しました。帰宅後すぐに、手洗い、うがい、スプレー、シャワーなどをして、まるで風邪を引いたかのような格好でベッドに入りました。
幸い、私は4月から自宅で仕事をしているので、まだ一人で家にこもっています。その気になれば、すでにあと3週間は持ちこたえられるだけの物資を持っているし、食料品をオーダーすれば、さらに長く居座ることができるだろう。昨年から続けているように、滋養強壮の薬をおまじないのように飲み、毎朝体温を測り、花粉症の症状をコロナの可能性を気にしながら過ごしています。今のところ、参加者が感染したという報告はありませんが、もし感染していたら私も感染しているだろう。そんなことを考えています。先日の集合写真では、桜の木の幹に何かが巻き付いていました。よく見ると、「ブルーシートの下で飲食しないでください」と書いてあるんです。もう、大阪バッシングに何か言い返す権利はありません。皆さんも、急なお誘いに断れるかどうかシミュレーションしてみてください。私と同じ轍を踏まないようにしてほしいものです。