はてなキーワード: おかあさんといっしょとは
もうやだ
数年前にNHKの取り立ての人が来たんで「うち受信料払ってます(事実)」って言ったら、「ありがとうございます」って深々とお辞儀されたし、ポコポッテイト(当時の「おかあさんといっしょ」のぬいぐるみ劇)のシールもくれた。
・丘陵専門
確実に優越を誇示できる状況にだけ現れる人
・知恵遅れ100%
中途半端ではない知恵遅れ。明確な基準はないが、一般的な知恵遅れと一線を画す知能水準を持つ人に対して用いる言葉。頻繁に使ってしまうと効果が半減するので、適切なタイミングで用いるべし。
「知的障碍者には人権が必要ない」という理由で知的障碍者の殺害を企てたり実行する人のこと。本人は正義の立場でいるつもりだそうなので、天使ちゃん。
術学者や詭弁家が誤った知識を披露したときや、無知をあざ笑う人に対する横やり。
「門外漢ですので、的外れだったら申し訳ないのですが」は別ジャンル。
はてなブックマークのコメント欄やツイッターのツイート機能の文字数制限。十分な情報量を込められない。扇動、拡散、共感のために単純化され、過激化した文言が飛び交っている。鳴き声。
様々なWebサービスに存在するカテゴリ。臭いものには蓋をする、を実行するために存在する隔離所。たいていの場合他カテゴリの利用者から忌み嫌われているが、当の政治カテゴリ利用者はさほど気にしていない。
貧乏化した中流階級を揶揄するための言葉。経済的に価値がないため意見を無視されがち。
危険。指を食いちぎられる可能性があるので、むやみに手を出すのは控えたほうがいい。
古代から各地方で存在が確認されている、付和雷同権威主義ザウルス。長い物には巻かれろ。
・股ゆる主義
またが緩い。
・ひろゆきズム(Hiroyukism)
西村博之が開祖した宗教。またはそれに類似するイデオロギー。開宗時に信奉者はほとんどおらず、西村博之の2ch追放により完全に消滅。
「詭弁」「論点ずらし」「枝葉末節にこだわる」という2ちゃんねる三大論法で相手の戦意を奪う。近年Youtubeへの進出をきっかけに若年層の信者を多数獲得。
・すくすく育てなかった子供たち
いわゆる発達障害のこと。
・嫌なこと全部後回し政策
・おかあさんといっしょ おとうさんはどこ?
・末代まで恥
親の代を含め、恥であるということ。
・フォーマルな頭の悪さ
奇をてらった頭の悪さではなく、ただただ頭が悪い様子を指す。
・二度目の朝ごはん
痴呆の老人。
『おとうさんといっしょ』があるからOKってわけあるか 『おとうさん...』は『おかあさん...』の言い訳だろうが 腹切れ
娘が見たいと言うので連れて行った。
EXILE系列の事務所の女の子達がガールズ戦士になって戦うシリーズ物だ。日曜の朝にテレ東で放送している。
女の子達のダンスを見るのは好きだがストーリーは子供向けなので全く興味は無い。
映画も5分の1くらいはダンスミュージックビデオみたいになっててそこは好きだったんだけど、元々おそらく演劇志望の子達ではない&幼児向けなので演技がまぁ酷いのだ。おかあさんといっしょのお兄さんお姉さんくらい大袈裟というかなんというか、演出自体がそんな風に付けてあるので演技力の問題ではないのかもしれない。
何かに驚く場面では全員が綺麗に斜めに並んで一斉に同じポーズで「え〜!!」と叫ぶような、そんな演出がされている。
会話の合間にいちいち決めポーズしながら決め台詞挟むし。「完っ全にラブってる!」とか1人1人決め台詞がある。
で、映画なんだけど、ゲストキャラとしてインターポールの刑事役に柳沢慎吾ともう1人イケメン?風の若い男の子が出てきた。ラブパトと一緒に悪役を捕まえようとする役。
柳沢慎吾はいつもの1人パトカー&無線芸で保護者を笑わせ、大袈裟芝居もなんだか上手いことこなしていて流石だった。
話の途中で若い男の子は悪役に操られてラブパトと戦うことになってしまう。
その後ラブパトが守っていたレインボーダイヤをその男の子が食べてしまい、呻きながらレインボーダイヤを脱糞する場面が大写しになる。ズボンは履いたままだけど肛門付近からキラキラしたウンコ状の物がメリメリ音を立てて出てくるのだ。
イケメン?がしゃがんできばって「う〜ん!う〜ん!」とか言ってて見てらんない感じだった。FUJIWARAの原西とかがやったら笑えたかもしれない。
他にも臭い靴下を振り回してラブパトを撃退するとかほんとクレヨンしんちゃんみたいなことを実写でやるから見てらんない。
このイケメン?役の子はどういう気持ちでこの役をやることになったんだろう、とか思いつつ途中で寝ちゃったりしたんだけど。
で、エンドロール見てたら、あの若い男の子、加藤清史郎君だったから仰天した。
たしかによく見たらそんな顔だった。
加藤清史郎君だと知って見てたら良くやるもんだと感心してたかもしれないけど、後から知ったもんでとにかくびっくりしてしまった。
子供部屋おじさんだけどおかあさんといっしょ観る
記憶がある限りもっとも古い記憶は幼稚園まで遡る。幼稚園から苦手だったので、きっとこれは持って生まれた性質だろう。
バブル経済が崩壊するかしないかぐらいの頃に生まれ、幼稚園児の頃から『ヨッシーのクッキー』で製菓業を営み、日々の『おかあさんといっしょ』と『カクレンジャー』を生き甲斐としてきたものの運動が苦手だった幼稚園の頃の自分は、その頃から体操教室やら何やらに通わされていた。
理由としては幼稚園に入って早速いじめに遭って陰キャ+ADHD+オタク君の片鱗を見せていたこともあるが、一番の要因は小学校受験を見据えていたことだ。
小学校受験では学校によっては体操もあるからだろうか、幼稚園の頃からマット運動や鉄棒や跳び箱やらをやらされていたし、小学校に上がってからは従来の体操教室に併せ更にスイミングスクール、高学年になれば更にアイスホッケー、日曜日になればいつも父親にキャッチボールに誘われ、近所の校庭開放されている区立の小学校へしぶしぶついていき、キャッチボールさせられていた。
とにかく、親は、とにかく子供の将来を願い、その家の経済的、立地的な『太さ』を100%活かして子供への投資を惜しまない親だった。
しかしながら、運動が苦手だった自分がそこに通うことでできなかったことができるようになるかというとそう甘くはいかず、マットは前転後転が精一杯、三点倒立だのブリッジだの側転だのは全くできなかった。多分今もできないと思う。走り回ればあらゆるところで頭をぶつけ尻もちをつき、跳び箱はもはや何段飛べたかなんて覚えていないが、とにかくある程度高さが出てくるとジャンプ板から思いっきり頭をぶつけていた覚えしか無い。
まともに運動ができないどころか、口を開けばトンチンカンなことしか喋らず、他の子と違うことをしだしたり、体育館の隅っこに居た蟻を眺めてたり、当時からすでに「悪目立ち」してADHDの片鱗を見せていた。
そういう感じに「恥」となるようなことがあると、別室で見守っていた母親は帰りの車で常に自分を「みっともない」と怒っていたので、とにかくこの体操教室が苦痛でしかなかった。自分にとっては怒られに行くようなものだった。
毎回後半になると、3,4人ぐらいで横並びでスタートし、体育館の中で走ってマットで前転したり側転したりした後に跳び箱を飛んだり、平均台を渡ったりしてゴールを目指す実践パートのようなものがあった。要は競争である。
大抵、最下位の子は跳び箱やら平均台やらで詰まっている間に大差をつけられて取り残されているのだが、この時先生が主導して全員で応援する。
「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」という掛け声と拍手をするのだ。
これは先生側は全くそのような意図はしていなかっただろうが、自分にとってはこれが本当に苦痛だった。
この応援、常に
「お前は劣っている、劣っているから最下位だ」と言われているように聞こえたのだ。
それ故に、途中で泣き出してそのままリタイアすることもあった。周りは不思議に思っていた。(もちろん、それも悪目立ちして怒られた)
「お前は劣っている」という呪いをかけられていた自分は、将来あらゆることを諦めるようになった。
幼稚園や後の小学校では「どうせ取れない」とサッカーボールやドッジボールを奪いに行く姿勢を一切見せなかったし、クラスから浮きたくないから無理やり参加している感が強かった。(とっくに浮いてたけど)
体操教室に対しても熱心に取り組もうとする姿勢は見えてこなくなり、できない中でも比較的マシだった水泳もそんな感じになた。小学校高学年のときにやってたアイスホッケーは最初こそ好奇心で真剣にやっていたが、練習試合になると「どうせパックの奪い合いにに勝てない」と考え、試合を放棄してゴール裏で氷を引っ掻いて雪集めに興じるようになった。
当然、莫大な投資をしてきた親からしてみれば激怒し、失望するのは当然で、あらゆる習い事は終了し、中学受験を見据えたサピックスのみになった。
サピックスでは毎回算数の授業の頭で10分間のテストをするが、全く無気力で白紙で提出、常に0点だった。
両親はそういった無気力さに対して親としての無力さを大いに嘆きながら、いつからか「みっともない」は「お金をドブに捨てた」という言葉に変わっていった。
そういうわけで、幼稚園で常にかけっこすれば最下位、体操教室でも最下位、小中高で運動会やら体育祭やらで短距離走を走っても最下位、マラソンで流石に最下位はなかったが後ろから数えて何番目だった自分は、常にその後も「最下位」という劣等感がついてまわってしまい、競争に参加することができなくなってしまった。
「自分はトップにはなれない、真ん中にもなれない。最下位であることを常に運命づけられている」と潜在的に意識に刷り込まれてしまった自分は、幼少期から今に至るまであらゆることを途中で投げ出すようになってしまった。大学は「卒業しないと死ぬ」と危機感を持っていたので、大学を出るだけはできたが。
同時に、莫大な投資をしてきた結果今の自分が出来上がってしまったことに対して、毎日のように両親に対して申し訳無さを感じる。若干リソースのかけかたを間違えていたんじゃないだろうかと思ってはいるし、自分が幼稚園児や小学生だったら「親が悪い」と言えばなんとかなるが、流石に30近い今になって親のせいにするのはあまりに情けなさすぎる。
eスポーツ、楽しそうじゃん。そう思って気軽に買って始めてみたものの、当然不慣れ故にネット対戦で最下位。
徐々に、幼少期の記憶が掘り起こされてきて、ゲームが苦痛になってきてしまった。
そうだった、自分は人と争って勝てたことがないから、人と争うゲームが本当に苦痛だったんだった。
FPSでもレースゲームでも、自分が最下位で大幅に負けていると、脳内で「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」がフラッシュバックし、それに「お前は劣っている」と同時通訳されて耳に入ってくる。
ああ、そうか。勝つための努力が必要だし、必ずしもそれでも勝てないのはわかっている、だがその勝つための努力が自分の経験則上時間をかける効果が見込めないので、勝つための努力をする気が起きないんだった。
大した努力をせずに勝てる最弱設定のCPUをこちらのルールで一方的にボコボコにすることでしか楽しめないんだった。
そう考えながら、幼稚園児の頃の記憶を思い返しながら、自分は今日も試合を初っ端でリタイアした。
オンリーワンではなくナンバーワンになりたい。二番手や隙間産業ではなく、競り勝って一番になりたい。
何かの分野でナンバーワンになることはできるんだろうか。
実際は最下位ではないことは多いが、それより何かで一番を取りたい。ゲームでも、仕事でも、なんでもいい。でもその努力が苦痛だ。もう頑張れない。