はてなキーワード: いらすとやとは
hdwdgfva そういや、いらすとやって女性は若干茶髪め、服は暖色系、って感じで割と性固定的(だからこそ統一感があるメリットもあるんだけど)なんだけど、批判されることってほとんどないよね。
医療従事者には女性もいるのに、イラストは男性だけ!配慮が足りない!→右側は女性のイラストなんだけど?
https://togetter.com/li/1597602
女性の医療従事者のイラストを女性と判別できなかったため男性しか描かれていないけしからんと難癖
これ女性ですよと指摘されると、これは女性に見えない、いらすとやが決めたら女性なんですか!などと供述し……
嫌な事件がありました
この事件からは、性固定的であると捉えるかどうかは見る側に依存すること、女性男性のイラストを他の性別に使用することも可能であることがわかります
批判者側は、これは女性に見えない女性らしくない、と逆に性規範を押し付けるような言い方をしており
いらすとやに強力な影響を受けて私もいらすとやのように髪に縦メッシュ入れなければならない、と内面化する様子はありませんでした
男性しか描かれていなくてけしからん、という意識で見る人の方が白衣の医療従事者なら男性、ナース服ではないから女性でないという
性固定的な見方で目が曇っていなかったでしょうか
いらすとやが女性として描いたイラストなら女性なのか、という抗弁は非常に見苦しい様でありましたが
女性イラストを異性装の男性として使ったり、中性的な男性として使ったり、またその逆も(いらすとやの規約に反しない限り)
最後にいらすとや本体の絵の固定観念については、次の増田の引用で締めさせていただきます
https://anond.hatelabo.jp/20210930113253
ただしあらゆる表現はそうしたステレオタイプ無しに創る事はほぼ不可能、という原理論を意識出来て居ない点は甘い。
例えばこのページのイラストの人物の性別をあなたは判別できると思うが、それは性別を固定化したステレオタイプのおかげである、
ステレオタイプを完全に抹消すれば、本来どのイラストの性別も判別する事は不可能である筈なのだ。(スカートを履いた髪の長い人物は女性だと思ったかな?何故?)
ステレオタイプは無くしていくべきだが、しかし私たちの認識は多くのステレオタイプの助けを借りても居る、という困難を引き受けない限り、あらゆる思考は表面的で浅薄である。
長々書いてるけどブコメのこのやりとりで話終わるな
nikakuinikaku id:nanamino 「人格を持った多様な姿」がモノ化を受けていない事を指すなら、いらすとやさんは対象の機能を抽出しているので道具性と代替可能性に引っかかりそう、増田と同様にイラストに適用不可、で回避できるけどね
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【追記はじめ】
air77et1980 "俺らの方が先進的であるとすら言える"くっさ。きっも。こういうアホな文言さえなければ国語力増田さんっぽい書き味なんだけどなぁ。一応、リストに加えとくか
俺はくさくてきもいのはご存知の通りで別に言われたって気にはしないが
おまけ : これは俺は書いてない
【追記おわり】
「人格を持った多様な姿」じゃないと駄目ってどういうこと?
確かにこの文は違和感ある。ガイド内に散々登場してるいらすとやのアイコンには多様な人格なんて感じないのに
こんな文言が入ってしまった原因を紐解くために、ラディカルフェミニズムの用語「性的モノ化」について調べたので今回書いてみる
おそらくこの理論が半端に入ってしまったことが今回の問題の原因だ
sexual objectificationの訳語で性的対象化、性的客体化とも訳す
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E7%9A%84%E5%AF%BE%E8%B1%A1%E5%8C%96
性的じゃないモノ化も当然あって、上記wikiでは「企業が従業員を交換可能な機械として扱う」ことなども事例に上がっている
マッキノン・ドウォーキンなどラディカルフェミニズムの提唱者にとって、ポルノがなぜ悪いかというと不道徳・風紀を損なうからではなく
価値が肉体の魅力などのパーツに還元されてしまうことにあるとした
ヌスバウヌがこれを具体化して、下のような例を上げている
1.道具性 : ある対象をある目的のための手段あるいは道具として使う。
2.自律性の否定 : その対象が自律的であること、自己決定能力を持つことを否定する。
3.不活性 : 対象に自発的な行為者性(agency)や能動性(activity)を認めない。
4.代替可能性 : (a)同じタイプの別のもの、あるいは(b)別のタイプのもの、と交換可能であるとみなす。
5.毀損許容性 : 対象を境界をもった(身体的・心理的)統一性(boundary-integrity)を持たないものとみなし、したがって壊したり、侵入してもよいものとみなす。
6.所有可能性 : 他者によってなんらかのしかたで所有され、売買されうるものとみなす。
7.主観の否定 : 対象の主観的な経験や感情に配慮する必要がないと考える。
この理論がガイドライン「人格を持った多様な姿」という文の根底にあると考えられる
要はモノのように交換可能なパーツとして魅力を描くのでなく、被写体でしか得られない魅力を表現してほしいと言っているのだ
女性をアイキャッチに使うなと言う要望もこの理論から派生していて
実際は広告にはアイキャッチ自体は不可欠で(そうじゃなきゃみんなに見てはもらえないでしょう)
アイキャッチの内容に人格を無視したモノとしての価値しかないところが問題になっている
それゆえ、スポーツ選手などの有名人のスポーツしている姿などはアイキャッチにしても問題ない
この理論は本来人格を持った対象がモデルになった絵や写真の人格を剥奪する行為には適用できるけど
無から創造された絵にはそもそも剥奪する人格がないんだから適用できなさそうに思える
実際、いらすとやの絵には元々の人格がないし、それが代替可能だったり主観が否定されたりしても問題はなさそうだ
実は今回の問題はさっきまで議論していた性的モノ化とは別の議論で、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E8%AB%96
府のガイドラインは萌え絵以外はずっとこれのことを言っていて、メディアに男女不平等な描写が盛りこまれていると
人々も釣られて男女不平等な行動をしてしまうのでよくない、という事を言っている
じゃあ素直に萌え絵禁止の条文にも「ふしだらで不道徳な姿を描写してはいけない」とか書けばよかったんだろうけど
男女不平等と違ってふしだら・不道徳はなぜそれが悪なのか理論立てが不明瞭なんで
しょうがなく既存の理論で構築に問題がなさそうな性的モノ化の理論を元に注意書きを付随させたんだろう
ただこの理論は非実在のキャラには使えないのだが、そこはあまり考えてなかったんではないか
とはいえ、中の人がいるVTuberみたいに人格が備わっている存在の場合、いらすとやの絵や文字だけのロゴのように人格のないものと扱うわけにもいかない
男女共同参画ちゃんみたいに元々人格がない存在にも人格を見出してしまうのが俺らオタの習性だ
https://togetter.com/li/1781336
であれば、そもそもの最初の議論に戻って「あくまで俺らはアイキャッチになった事物を交換可能なパーツとは考えていない」と表明し続けるのが正面突破の道だと思う
例えば宇崎ちゃんの献血ポスターは乳袋さえあれば顔やセリフは別のものに差し替えても効果は変わらなかっただろうか
そんなことはなく、あれは宇崎ちゃんだからファンが注目したんだ
碧志摩メグもキズナアイも戸定梨香も、それぞれ背景があってそのキャラは他とは交換できない魅力があるという声が多くなれば
また、隠された動機である「ふしだら・不道徳ではないか」という異議立てに関しては
それを隠した理由をもって堂々と反対を主張すればよいと思う
すなわち、「人をふしだらと断定するのは失礼なのではないか」という反論だ
この反論を避けたいためにガイドラインでは性的モノ化の理論を持ってきたと思われる
道徳・不道徳という価値判断は旧来からある価値観を保存しようという動きであり
本来男女共同参画という旧来の価値観を是正する方向の運動とは相性の悪いものである