はてなキーワード: いであとは
父親にしろ母親にしろ、「子供が何よりも愛おしくて、何よりも大事」ということについてはあまり反論も無いかと思う。
もちろん自分の子供をないがしろにしてネグレクトするような親もいるが、圧倒的多数の家庭では男親にとっても女親にとってもやはり自分の子供が1番可愛いし、特別な存在なのである。なんなら「子供が救われるのであれば、自分の命もいらない」みたいな人も沢山いる。
つまり、
この条件は大多数の家庭で成立するはずだ。
そして次。
2.離婚したら今の日本では特別な事情がない限り女親が親権を持つ
これも事実である。ネグレクトや何かしらの障害など特別な事情がない限りほぼ女親が親権を持つのが今の日本である。母親が不倫して離婚騒動になったのに、親権まで持っていかれて父親が自殺してしまうような事例もある。
この、1.2の条件が組み合わさるとどうなるかと言うと、「どんなにヤバい嫁でも離婚できない」という状況が産まれるのである。
増田の奥さんは結婚と同時に退職しその後専業主婦という名のニートを2年続け妊娠・出産。
出産後働かないのは良いとしても、朝は低血圧を口実に起きてこず、子供の送り出しを増田が行い、午前中いっぱいは昼寝しているかNetflixを見ているかである。自分の昼ごはんはウーバーイーツで全部済ませ、家事といえば晩御飯を作るくらいであとは全て増田と近所に住む実母と家事代行任せ。
実家が近いため、増田が出張会食その他で夜居ない日にはこれ幸いとばかりに実家に子供を預けて友達と飲みに出たり、そこそこの頻度で独身の友人と海外旅行に行くなどし、習い事も送り迎えは全て増田。
苦言を言うとすぐ喧嘩になり、子供を連れて実家に立て篭もることを繰り返している。
でも、こんな状況でも離婚するとなると母親に親権を持っていかれてしまうのが日本なのだ。「そんなこと言うなら離婚しよう。親権は渡さないからね」の一言で、父親はもう、何も言い返せなくなるんだよね。だって、離婚したら親権を取られちゃうから。子供と離れたくないのであれば、どんな母親であろうと我慢して結婚生活を続けるしかないのだ。
増田の会社はいわゆる大手企業で平均年収1,000万を越えるような会社なのだけど、同僚は専業主婦の奥さんに財布を握られていて、月の小遣いがランチ代込みで3万円である。
新入社員が入ってくる今頃の時期は頻繁に飲み会も発生するし、そういう場合は大抵どこの会社でも新入社員から会費を取らないのが普通だと思うが、その同僚は「言っておくけど、俺はお前ら新入社員より貧乏なんだからな。月の小遣い3万円だぞ」と言って笑いを取っている。
そんな風に見かけ上は明るく振る舞っているけど、実際のところは何度も何度も離婚を考えているらしい。ただし話し合いになると相手がヒステリーを起こし、「離婚」と言うカードを見せびらかしてくるのでもう何も言えない関係になってしまったそうだ。「嫁にはもう何の感情もないけど、子供が大きくなるまでは諦めてる。中学生くらいになったら離婚しようかな」と自嘲気味に笑う。
「ヤバい旦那」のエピソードはSNSに頻繁に流れてくるけど、「ヤバい嫁」のエピソードがそれほど流れてこないのは、単純に「旦那」側は仕事その他で忙しく、発信してる暇すら無いからである。可視化されていない「ヤバい嫁」は相当数存在するはずだし、増田のように「離婚したいけど子供を人質に取られてて離婚できない」と言う世帯が日本には何十万、何百万とあるのではないかと思っているのだけど、共同親権が一般化し、「離婚後の親子関係がどうなるかは全て母親のさじ加減」という現状が改善されたら嬉々として離婚を選択する家庭が爆増するのではないかと思っているし、早くそうなって欲しいと願っている。
現状では子供を人質に取れる母親にパワーバランスが偏りすぎてるんだよ。こんなのめちゃくちゃだよ。
【追記】
「なぜ父親単独親権ではなく共同親権を求めるのか」という部分について。
そりゃあ増田ひとりで育てあげられるなら自分ひとりで育てたいよ。
でも仕事がある。増田の会社は書いた通りそれなりの大企業で収入も高めとはいえ、仕事はそこそこハードだ。
時短勤務にしたら収入が激減するだろうし、収入の低下を受け入れて時間の融通がきく仕事に転職したとしても子どもに相当な我慢と負担が発生するのは目に見えている。
そしてこれも本文に書いた内容で少し読み取れるかもしれないが、奥さんは実家が太いのだ。
義理の父親は経営者で現役で働いており、専業主婦の義母は甲斐甲斐しく奥さんの世話を焼いている。
増田が奥さんと喧嘩して実家に転がり込むのを喜んでいるフシもある。
奥さんが気軽に「じゃあ離婚ね」という言葉を口にするのは「離婚しても自分は大丈夫」という自信があるからだろうし、それは事実そうなのだ。
子どもの面倒は義母が見るし、お金は義父からいくらでも出て来る。都内に、夫婦では持てあますサイズの一戸建てがある。
問題があるとすれば父親のいない家庭で母親は留守がち、義父と義母に育てられるような環境で子どもがちゃんと育つのか、という部分で、
それが増田を離婚に踏み切らせないひとつの大きな問題なのだけど(もうひとつは増田が子どもから離れたくないこと)、
すごく読みやすくて要点を得ている。
アンチ側は何はともあれ借金玉が悪いという流れに持っていきたいが故、事実を捻じ曲げたり誇張させて表現し、エリゾ側の不適切な言動には大きく触れずにいる。
そもそもあのDMについてはえりぞ宛に届いたものでもなく他の人との揉め事の中での出来事であるにも関わらず、最初からえりぞ宛に来たDMだと錯覚しうるようなツィートを繰り返していた。(実際最初は錯覚している人も多かったと思う)自分とは無関係の出来事を拡散して回り印象操作を測るという汚い手口を使ってきた。
借金玉の取引先であるダイアモンド社や角川にも「問い合わせ」と称する嫌がらせの電話かリプをしていた記憶があるし、担当の編集者の方のツィートにまで嫌がらせのようなリプライをし続けていた。
つい最近も編集者の方と借金玉の弟にはきっちりカタを取ってもらうというような物騒なツィートをしていたし、借金玉の業務に差し支えるような嫌がらせを繰り返していた(いる)というのは事実である。
えりぞの目に余る凶行には無反応もしくは
「えりぞさん、やる時はやりますね」といった称賛のリプなどを送り
基本的にこの手の賞は作家の為ではあるものの、普段手に取らない”賞を取ったんなら触れてみる”層がメインターゲットになっている。となると、売れている=大半の人が楽しめるであろう作品に票が集まるのはごく自然で、むしろマイナーな作品は票が分散して埋もれる。
票数が増えれば増えるほど最大公約数的な作品に収束していく。本だけでなく全てのランキングで行われる現象とも言うべき着地点。こればっかりは致し方ない。
言いたいことは分かる「その埋もれた作品をフィーチャーしろ」と。ただ、こう言うのもアレだが売れない作品は所詮売れない作品なんだ。いくら「俺は好き」と言っても人気の無いアニメは注目されねえし、売れねえ映画は誰も見ない。トートロジーになってしまうが売れるから売れるのだ。
じゃあどうするか。上記の通り票数が増えればその分個人の意見は埋もれ、所謂世間の意見に収束してしまう。ならばその影響を受けにくい比較的小規模なサンプル数の少ない個人が選ぶ偏ったランキングを片っ端から見るしか無い。
つまり書店が選ぶベスト作品!や年間ランキングを発表している個人ブログだ。個人でも仲間内でも構わないが自分達で作るしか無いしそうやって今ある賞は出来上がっていった。
ただし、その個人が好きで大量に見て読んで「これ良い」とする分には問題ないが、作品数が増えればその分負担がかかり、やはり人気作に回帰する現象が起きてしまう。我々の時間は有限でその全てを把握するのは不可能だからだ。だから他人の選評に頼る。おおよそ外れのないであろう方へ行く。そしてまた同じ様にループする。
ある一定の基準を設ける選択肢もある。ただ、毎年必ず売れてないが面白い作品が生まれるという前提のもとに成り立っているので恐らく大した作品を挙げない変なランキングとして世間からはそっぽを向かれるだろう。参考にする者からしたらそんなランキングなんてアテにならないのは言うまでもない。
裕福ではないが、食うのにはあまり困っていない。自分で言うのもなんだが、俺はなかなかの「インターネット絵師様」なのだろう。フォロワー5桁だし。
オリジナルも描くが、二次創作もたくさん描く。その中には当然、版権元から許可が出ていないものも沢山混ざっている。
そして、そんな自分のことが嫌いであり、二次創作の収益化など今すぐやめたいと思っている。
分かっている。俺の言っていることは既に支離滅裂で、こんなことをインターネットで口にしようものなら炎上して総叩きに遭うだろう。
だが、まずは知って欲しい。こんな人間がどうして生まれてしまったのかを。
そもそも、そんな奴がなぜ二次創作での稼ぎなどしているのだろう。
話が逸れるのであまり細かくは書かないが、数年前の俺はとにかく生活に困っていた。社会に適合できず、頼れる親もおらず、このままでは生活保護か死しかないなあと思っていた時期がある。
まあ言ってしまうと、「金に困って版権エロに手を出した」ということになるだろうか。
もともと絵だけはそこそこ得意だったので、ためしにエロ絵を描いてみた。そしたら、子供の小遣い程度だが、金になった。
とても嬉しく、「もしかしたら俺はこの道で食っていけるかもしれない」と思った。この頃はまだオリジナルばかり描いていたはずだ。お題箱にはたくさん版権のリクエストが来ていたので、応える形で二次創作も描いていたと思う。
すると二次創作のリクエストが来た。俺に断る選択肢はなかった。生まれて初めて、「お金を払うからあなたに絵を描いて欲しい」という人が現れたのだ。当時の俺の喜びようたるや、凄まじいものだったろう。そのときは、エロ二次創作への罪悪感なんて一切感じていなかった。
なぜなら、周りの絵師が全員やっているからだ。クライアントも当然のように二次創作のリクエストを送ってくるからだ。なんなら、有名な版権の公式イラストを手がけているような人間もどしどしfanboxに二次創作を上げている。世の中は狂っている。
そうして俺は、二次創作で稼ぐインターネットエロ絵師になった。skebで描いた作品の差分をfanboxで限定公開した。さすがにこれはいくらか抵抗があったが、周りが全員やっていたので、そうした。また金になった。
「今の俺、かつての俺がめちゃくちゃ嫌いだったタイプの絵師様じゃないか?」
skebもfanboxも二次創作まみれ。ポ〇モンとか、かなりモラル的に怪しい作品もある。
生活に余裕のないときは、「余裕が出てから一次創作に以降すればいいや」と思っていた。だがskebの過去作品は消えない。fanboxの今までの記事も、今更非公開にするわけにはいかない。そこまで余裕はない。金に執着するあさましい自分が醜い。
一次創作だけで食っていく自信は全然ある。でもそれは、「周りの人間が全員ズルして二次創作で食ってても俺だけは一次創作で食っていく自信」じゃない。生活が苦しくても守れるような誇りじゃない。
いっそ二次創作なんて全部禁止になってしまえばいい。そうしたら俺は一次創作だけで他の奴らと渡り合える。
俺の言ってることは滅茶苦茶か?
滅茶苦茶だろうな。
もう二次創作で稼ぎたくない。
世の中にはそれほど多くの人には読まれずに放置されている論文が山ほどあるのではないかと思う今日この頃です。
研究者の論文ですら読まれないのですから、私がブログやホームページを作ってみたところで、誰も気にしないでしょう。
もしブログを書くなら「見られることを前提としない備忘録」ぐらいの気持ちでないとやってられません。
しかし数学的に吟味したり、プログラムを書いたりするのでない限りは、おそらく黒歴史を積み上げるだけになるでしょう。
この廃人日記も例外ではありません。廃人日記の著者が誰なのか、それがストーカーによって知れ渡ったりしたら、恥を晒すだけです。
「悪名は無名にまさる」と言うのは愚者だけでしょう。聖書の箴言には、何度も舌の罪について書かれていますし、愚か者も何も言わなければまともだとさえ言っているのです。
なぜ私がブログについて気にしているのか。例の「趣味探し」の件です。
簡素なサイトで経済学の講義資料を公開する教授が数人いて「こういう良質なコンテンツであれば、ネットにどんどん載せるべきだけどなぁ」と思ったのです。
そこで私も真似して、数理経済学のブログを書こうと思いましたが、そこで出たのが「誰が見るの?」という話なのです。
単に「誰が見るの」というだけではなく、「その情報に付加価値はあるの?」という点も難しい点です。
私はこういう場合、「自分にはインプットが足りていないのではないか」といって、基本知識を身につけるために書籍を購入したり論文を読みます。
しかしその調子でやっていたら、ブログはもはや趣味ではなく労働になってしまいます。
もちろん「アクセス数を増やして稼ぐ」といった目的の場合は、愚者の戯言こそが注目を浴びます。
この点で、高品質の数理科学に基づいたブログを書こうなどとするのは、誰にも読まれない論文を世に出すのと同じようなものになっていることに気が付きます。
需要があり、誰にでもわかる内容で、知識としても価値がある。そういうブログを書こうとしてしまえば、イ○ハヤのような方向にまっしぐらです。
そういえば、私自身は「インフルエンサー」のような人々が本当に嫌いであることを思い出しました。
知名度・アクセス数・視聴率などを追従してそれを目指せば、愚者ロードを行くことになるでしょう。
アクセス数を目指さない「備忘録」さえ、問題があります。私は備忘録の自然言語処理ブログを書いていたとき「低品質の情報をネットに放流するな」というツイートを目撃して、撃沈しました。
人はいずれ死にます。それまでの間にアウトプットが評価されたとして、なんの意味もないのです。
わたしは二十代後半の女です
男性社員の多い職場で働いていますすがよく「子どもはつくらないの?」と聞かれます 今日も暇そうな会長に散々セクハラじゃないよと予防線を張られながら聞かれました
(弊社の独身男性に女を宛てがい辞めにくくさせるために遠回しに誰かと番えと促しているんでしょう)
わたし 子どもはきっと産めます 血迷って子どもが欲しいと思ってしまった時に妊娠できるか検査を受けたのでそこは断言できます
父は出産の時に「側に居ても何もできないから」と釣りに行く様な人で
母はそんな父に苦しめられてきたカサンドラでありながらも「わたし正直者だから」を口癖に平気で暴言を吐く様な人で(わたしにしたことの一例をあげると 象の足みたい 目がない 太っている等の暴言 センター試験の点数を見て情けないと泣く など)
当然その二人の間に生まれたわたしは社会的常識を教えてもらえず
(たとえば正直者を免罪符にして思ったことを口にしてはいけないとか ハンカチを借りたら洗って返さなければいけないこととか 誰かが大変な時に助けずに自分のやりたいことを優先してはいけないとか)
そんなわたしに常識を叩き込んでくれる友人や先生にも特に恵まれず
けれど自力で努力しても限界があり また幼い頃から親に教えてもらえる子たちとは当然のように差が出来てしまい その差は嘲笑と見下しを呼び
いつのまにかわたしを構成する主成分は60%の水ではなく 98%の惨めさと2%の非常識さになっていました
立派に人でなしです
化け物です
と言うよりきっと親たちも元々が人でなしだったんでしょう
ではこんな人間から生まれた子どもを幸せにできる自信があるかと言われれば 当然ありません
わたしがどれだけ努力しても 生まれた子どもがどれだけ努力しても 子どもは惨めな人でなしになるのです
なぜならわたしは人でなしから産まれた人でなしだからです 人でなしがいくら人間のふりをしようと人間にはなれないからです
そんな不幸になると決まっている子どもを 少子化で労働力が減った国のために 国を存続させる礎にするために産むなんてもっとひとでなしになります そんなのは御免です
寂しいとは思います 人でなしの両親とはとっくに縁を切っています
(同い年+1秒だか1分だかの姉は居ましたが もうわたしの心の中にしかいません)
子どもがいない以上 わたしの人生に残されたライフイベントは死のみであり 考えるべきことといえば「いかに迷惑をかけずに死ぬか 〜安楽死制度導入希望〜」ぐらいです
終わりゆく日々のことだけ考えて死んでいくのはどれほど惨めなんだろうと思います
でもいいのです わたしの体の98%は惨め成分でできているのだから全部今更の話です
それよりもわたし以外の誰かを不幸にしたくない それがわたしの願いであり責任だと思います
もし子どもを産まないわたしを 「労働力へのタダ乗り」「無責任」「他の子どもたちに負担を掛けるだけでしかないどうしようもない存在」だと思っている方がいらっしゃるのなら何も言い返せませんが せめてもの協力として毎年児童養護施設へ寄付をしています そういうサイトがあるので これも一つの子育てです
もしそれでも赦せないと仰るのなら 是非是非安楽死制度の導入へ賛同なさってください
わたしはアルツハイマーとリウマチを発症した元祖母(縁切りしているのでこう呼びます 本当は憎んでいるのでこんな風にさえ呼びたくありませんが)が死ぬまでの壮絶な半年間を見ていて 長生きは地獄だと思っているので 出来ることなら迷惑をかけないうちにさっさと死にたいのです
福州と台北の距離は122kmで、この距離の海峡大橋を建設するとなると、どのくらいの時間がかかるのか。香港珠海マカオ大橋は全長55kmで2009年12月に着工し、2018年2月に完成、およそ8年かけて建設された。この大橋自体、台湾海峡に橋をかけるという野望のための実験的建設であったので、香港珠海マカオ大橋よりは工期が短いであろうといわれている。
写真=iStock.com/GuangyongLiu
台湾海峡の中間線から向こう側の方面の部分だけなら、6〜7年かかるとすれば、35年までに台北福州大橋(トンネル)の完成、開通を実現するなら、遅くとも2028年には着工しなくてはならない。着工前に最短でも1年の準備期間を設け、水紋、地質調査などが必要だとすると2027年が台湾統一のリミットだ、ということになる。
その増田の文章はあまりに乱雑で、優雅で、情緒にあふれ、まるで熟語やことわざのように、ある言葉の並びがそれによって別の意味になるよう自然に仕向けられていた。
その増田の文章は日本語で書かれていながら他の言語と呼べる可能性を秘めていた。
胃はムカムカし始め、目は充血し、その増田のことを少しでも思えば気分が重くなり今にも憎み出すほどだった。
そして「くだらない」とその文章を一蹴する。駄作だ。ブクマだって0じゃないか。
こんな文章の何処がいい?腐ってるよ。糞文。駄文。ブクマが0なのがその証明だ。
増田は気を落ち着かせようと俗な投稿に目を向けた。雑多にブクマを集めている注目エントリに目を向ける。
そこに書かれていることは日常のことであり、自分が自分のままで共感することも説教することも出来た。
そして同情することもでき、自分にも書ける内容であることに気づくと増田はこの増田のことを好きになった。
そしてブクマをつける。ブクマは周りからも集っていき、その増田はどんどんブクマを集めて注目される。
自分の目に狂いはなかったのだなと増田は自分のことのようにブクマが増えていくのを喜んだ。
ブクマがたくさん集まった増田は内容が平易で、世間的で、同情やら共感などの感情を呼び易く、説教用の隙間を開けてある。
そして、ブクマが0のその増田の内容はまさに耽美的で、素晴らしく、言葉から作られたのではなくその文章そのものから言葉が作られているような響きがあった。
文盲はその素晴らしさに気付けず、目利きはそれに対して激しい憤りと憎しみを持って出迎え、誰の手からもブクマがつくようなことは決して起きない。
今日もまた皆が理解することが出来る調和の取れた増田が壇上に上がり、歓声と共にブクマを集め続ける。
それは決して悪いことではない。世の理とはそのようなものだ。
自分の思いの丈を綴る。迎合するものを書こうとしないのではない、それは呼吸なのだ。
しかし忘れないでほしい。
紙使われてんのも嫌。スピーカーのコーンとか。最適解の素材として仕方ないんだろうけど。
使い捨てのものとして認識してるというか、紙ってティッシュとかコピー用紙とかそういうもんじゃん、せいぜい図工で使うやつじゃん。それなりの期間使うであろうプロダクトに使われてんのがなんかやだなあ、って思う。
和紙を使った服もなんか嫌。逆に綿素材を消耗品として使うのもなんか嫌。
防水スマホが接着剤で固定されてんのもなんか嫌。ネジで留めてあって欲しい。
ストラトがブリッジをバネで固定(?)してんのもなんか嫌。これはおれがアーム使わないってのが多分にある。テレキャス欲しい。
ガッチリと固定されてなくて、なんか絶妙なバランスのアレで保たれてる構造の橋も嫌。理屈は分かってもなんか不安になってくる。
でもアーチの石橋とかはセメントとかで固定されてなくてもなんか安心出来る。宮大工の手法とか校倉造り的なのも、釘で固定されてなくともなんか許せる。
この辺は物理の理屈が肌感覚にまで及んでるかそうでないかが問題なのかもしれんけど、紙はなんかマジで許せない。一瞬の付き合いであって長くは頼りたくない。
安物の家具の中身がダンボールとかだと、いくらハニカム構造が凄かろうが暴れ散らかしたくなる。
紙は長期的な劣化には強くとも簡単に引き裂ける。鉄は腐食こそしても捻じ切れない。おれは特殊攻撃耐性よりも物理対策に重きを置いてるっぽい。確かにドラクエも魔法使いより戦士の方が好きだった。
「俺は崩壊3rdをやって幸せになった!」みたいな戯言(著:西尾維新)が話題になってしまったのを見て、俺はそれが『大嘘憑き』であるということを皆に伝えなければいけないという使命感に駆られてこれを書いている。
連日残業続きで死にかけの頭で書いているので文章が滅茶苦茶かも知れないが、「そんな状態であっても、誰かがやらなければいけないことをやらなければ」という俺の使命感の強さを感じ取ってほしい。
俺が単なる売れっ子嫌いのアンチではなく、警鐘を鳴らしに来た正義の使者であること、その心にフェアプレーの精神があることを示すために、まずは崩壊を褒めることにする。
これはもう否定しようがない。
信者でさえこれを批判しているらしいが、そういった「宝具スキップが出来ないのだけが玉に瑕なんだよな~~~」みたいな態度で済ませていい部分ではないと思う。
死ぬほど頑張って「謎が謎を呼び手探りで答が明らかになるナラティブ感を演出」と擁護した所で、それによって失われる真っ当な物語理解の難しさと感情移入機会損失によるマイナスが半端じゃなすぎるのは大問題だ。
これに対して物語読解順序攻略情報を参考にして◯章を読んだら漫画を◯話まで読んで……このコンテンツは◯章まで進めてからにしないとネタバレがーなんてやるのは愚の骨頂だ。
手探りで進めている感さえも失われたらこの導線のクソさはゲームとしての崩壊を意味し、つまりは完全なる死が待っている。
賢いプレイヤーが選択するべき道は唯一つ、「全てのネタバレに体当たりでぶつかり、地雷原を無敵の心で踏み抜きながら、自分のやりたいように読み進めて、全然理解できない話をクエスチョンまみれになりながら眺める」ことだけだ。
は?狂ってんのか?だがそれしか道はない。
頭がイカれている。
俺は正直聞いたことがないぞ、「この作品をちゃんと楽しむには、おまけを読むことが絶対に必要です」なんて形になってるコンテンツ。
俺の話をちゃんと聞かずに崩壊3rdを始めてしまった頭崩壊人への配慮として、俺はネタバレを極力したくないのだが……それでもこれだけは言わせてくれ、本編を進めているのに突然操作がオープンワールドっぽくなる時が来たら「第二次崩壊編」だけでいいから読め。
もともと崩壊3rdは漫画や崩壊学園を通ってないと訳分からん話を平気で続け、通っている人でさえ訳分からんであろう話の連続なのだが、それでもここを意味不明のままゲームをクリアしたらまずいだろうという部分があるわけだ。崩壊している……。
公式に日本語版はないので、中国語に堪能でないなら有志が翻訳して公式が野放しにしている謎の日本語訳を読むしかない。
このゲームには律者という「エヴァの使徒×まどマギの魔女」のような存在がいるのだが、まどマギの魔女よろしく今まで味方だったキャラが突然律者になる展開が存在する。
律者になったキャラクターがどういう状態になってしまうのかについては伏せ・・・あーーーーーーめんどくせーどうせゲーム開始1時間後には分かるんだから言うわ!
プレイアブルになる律者がいるんだよ!
まどマギは魔女になったら終わりと見せかけて劇場版で味方として戦うだろ?!
それと同じ用に、律者になったけど味方として戦う展開があるんだよ!
これかなり重要なネタバレっていうかさ、「魔女になったけどそっから理性を取り戻して一緒に戦うんだぜ?というか魔女モードが本領発揮だぜ?」なんて話をさぁ、そもそも魔法少女が魔女になることさえ知らない状態でいきなり言われたらもう頭が崩壊するだろ?
誰がどの律者になりますよーっていう絶対にネタバレしちゃいけない要素が次々にネタバレされるわけですよ。
公式が用意したチュートリアルミッションを淡々と進めていくだけでですよ。
進めようとしなくてもなんとなくカチカチしてるだけでいくらでもネタバレを踏めるんですよ。
狂ってるだろ?
そうだそのとおりだ。
信長が裏切りにあって討ち取られることを知らずに戦国時代を追いかけていいのは天正10年より前に物心がついた奴だけの権利だからな!
リアルタイムで遊んでいても崩壊しており、ゲームクリア後の世界を描いた後崩壊書が全体の1/3も進んでないうちに始まるぐらい崩壊している。
これをエピローグとしてちゃんと楽しめるのなんて、せいぜい後から入ってきた人間だけだ(とっくの昔に開放されたコンテンツを第一部終了まで鉄の心で塩漬けした艦長を除く。いるのか?そんな奴)
だが、本当にそれでいいのか?
物語の結末の先を知ったうえで、そこにつながるミッシングリンクを追いかけるというデザインを公式は考えているのではないか?
もちろん・・・NOだ!バカ公式はどうせなにも考えていませんよ(真顔でなんてこというのブローニャちゃん
FF7だってそうだったしマリオRPGもそうだったという意見は正しい。
だが、物語が一つのピークを迎える直前に、突然『斑鳩』の偽物が始まったり、『ドラッグオンドラグーン』の偽物が始まったりしたらどう思う?
スタッフの頭が崩壊しているんだろうなという感想以外の感情は漂白されてしまうのではないのか?
本編外ではあるものの編年史ブローニャ編のニセマリオの数々は熱病にうなされた時にみる夢としかいいようがなく本当にもうなんだそのこうマジでキツかったっす。
流石に1秒間に999無量大数ダメージを叩き出したりはしていないのだが初期キャラと現在の一線キャラは100倍ぐらい性能が違う。
ある時を境に猛烈なインフレを迎えたのだろうなとうっすら分かるぐらい、キャラの性能に活断層が生まれている。
なにがヤバイって作中における超重要キャラであるはずの空の律者が今の基準では絶望的に弱すぎて、なんでコイツこんなに調子こいてるんだろう……と不思議になってしまうことだ。
ゲームというのは物語をコントローラー越しに追体験する遊びである以上、物語上で強いキャラは強くあるべきだし、弱いキャラは弱くあるべきだ。
多少の調整ミスはあっても仕方がないが、作中でそれなりにチャンチャンバラバラしてた同士が全くもって比べるべくもないほどに性能差があっては流石に不味いと感じるわけだよ。
まあね、キアナちゃんの精神的な成長をキャラ性能のインフレを通して感じ取らせてくれようという公式の域な計らいであると擁護することは可能ではあるんだけどね。
駄目だ……崩壊エネルギーが溜まってきて俺の頭も崩壊してきた。なぜ俺はこんなクソゲーを擁護しているんだ。
ぶっちゃけキャラ性能に差がありすぎるって以前に、アクション要素やコマンド入力があると言っても基本的にはお手軽本格アクションスマホRPGの域を出てないわけで、ゲーム性あるかって言われるとかなり微妙なんすよ。
強いキャラは強くて弱いキャラは弱いが明白な古のバシーンバシーンポチポチゲーと大差ねーだろと言いたくなる瞬間が多すぎるわけです。
ストーリーモードでお試しキャラ触ってるときなんて本当にもうキャラに性能差がありすぎてビックリするというか、ただ連打してればいくらでも勝てるキャラがいる一方でちゃんと回避しないとザコにもボッコボコにされるキャラがいるバランス感覚どうなってんねん。
ほんまにな、このゲームは強いキャラ使ってバシーンバシーンする以外に正解がないねん。
強いキャラ使って敵をボコってる時のテンポを基準に作られているからなんか弱いキャラ使って遊んでるときは妙に敵が固くてモッサリ感がパナい。
物語自体はまあそれなりだと思うが、ゲームとして面白いかって言われるとぶっちゃけまあ無料だから遊んでいるがーの域を出てないと思う。
美少女ばかりだしスカートひらひらしてるしで、太もものあたりが非常にえちえちなことによって男脳から快楽物質がチョロチョロ出てくるので気づいたら遊んじゃう感じのポルノでしかないよこんなの。
「さんざん他の芸人とかをディスってきて、売れたからって手のひら返しとかしたくない」
苦しいけど芸になるね
つら…
50という本来なら死ぬ年齢になっても、ロックなままでいるのは凄いことだ
これからも貫いて欲しいとは言わない。人は変わるので。それでいいと思う
でも永野とかチャンスとかみたいに割と若い頃と変わらないであろう情熱を持って音楽に対峙している人は
ほんとに死ぬまで変わらないのかもしれんと思いつつ
そりゃあBURRN!でのインタビューも若い時と老いた時では違うもんになってるだろうけど
ふとした疑問です。世の中には色々な方法でお金を稼いでいる人がいますが、パチプロは自分以外の誰も幸せになる要素がない、そのうえ他の人を不幸にして生きているので、他者にとってその人が生きている価値があるのだろうかと思い、この記事を書きます。
そもそもパチプロについて知らない人のために軽く定義を書きます。
この記事においてパチプロとはパチンコ・スロットで生計を立てている人のことを指します。パチンコ・スロット以外に真っ当に仕事をしていない人のことを指します。
台選びや技術介入をうまくやれば、毎日朝から夜まで打ち続けて年間数百万から多くて一千万円くらいは稼げるのではないかと思います。
まあ原理的にはパチンコ・スロットで生計を立てるのは可能だと思ってください。運に左右されて年間百万単位で収入は変わってくると思いますが。
ここからはなぜパチプロが生きている意味がないと思われるのかを書いていきます。
正確にいうと所得税を納めていない、というのが正しいですね。消費税、タバコ税などは否が応でも納めているでしょう。
ちゃんと正しく税金を納めてさえいれば、その税金が巡り巡って国民の元に還元されていくわけです。
パチプロのせいであなたに還元されるはずだったものが無くなっているのです。
この時点でパチプロは他の人間に迷惑をかけて生きているわけです。
パチンコ屋は別に雇っているわけでもない人に勝手に店のお金を持って行かれているわけです。
パチプロによりダイレクトに不幸を受けているのがパチンコ店なのです。
パチンコ屋もトータルで利益を出さなければ経営できるわけがありません。
となるとその利益はどこから出てくるのでしょうか。そうです、他のお客さん(=非パチプロ)なのです。
日中誰かのために必死に働いて得たお給料を持って、ご褒美にパチンコ屋に来たお客さんが負けるのです。
パチプロが存在しなければ、お客さんのお金が減るペースがもっとゆっくりになり、今よりも良い体験をお客さんが受けられ、また仕事頑張ろうってなる予定だったのです。
誰かのために働いているお客さん、そしてそのお客さんを楽しませたいパチンコ屋(店員)が損をし、誰のためにもなっていないパチプロだけが得をしている。
終わってますね。
パパ活女子の方が生きている意味はないのでは?という声が聞こえてきそうです。
パパ活女子も税金を納めていないという意味ではクソなのですが、パチプロよりはマシです。マシなだけですよ。
まずパパ活女子は一応誰かを幸せにしています。ここでいう誰かとは「パパ」のことですね。
パパ活女子に会うために、パパは必死に仕事をします。そしてその仕事がまた他の誰かを幸せにします。
だからパパ活女子の方がまだマシです。何度も言いますけどパチプロよりはマシってだけですよ。
ちゃんと税金納めて、性病さえ流行らせなければだいぶマシになると思います。まあそういうのを考えられる頭を持ってる人はやらないでしょうけど。
富を持ったパパから、貧乏なパパ活女子に富が再分配されています。
これは本来国がやることで褒められたことではないのですが、高いところから低いところにお金が流れる物理法則のような感じがオツですね。
何度も擦られたようなネタを、さもオリジナルであるかのように雄弁に語る情報商材屋は当然クソではあるのですが、プラシーボ効果というか、そんなクソみたいな商材でも誰か一人がポジティブに真に受けて良い行動を起こすかもしれないじゃないですか。
期待値はもちろんマイナスですよ。でもプラスになる可能性はあるわけです。
パチプロがいるから真っ当に仕事している人が頑張れるっていうシナリオが全く思いつきません
唯一パチプロが他の誰かを幸せにできる方法はとにかく金を使うことです。経済を回すこと
そしてできれば国内の会社のものが良いですね。boseのヘッドホンなんて使うなパチプロごときが。
宵越しの金を持つな。ただでさえ他人に迷惑をかけているんだからズル賢く生きるな。
パチンコ屋は勝つところじゃないんだよ。負けるためにあるんだよ。
パチンコは1日中椅子に座って画面を眺めているだけなので、当然ながら社会に通用するスキルは全く身につきません。
近年ではYouTubeなどでのパチンコ攻略法が広がって非パチプロのお客さんでも負けが少なくなってきました。
となると苦しいのはパチンコ業界です。誰も負けてくれなければ潰れていくしかありません。
パチプロが唯一頼りにしているパチンコ店が潰れたら自分の生活も危ういわけです。
頼れるパチンコ店がなくなった場合、そこにはなんのスキルもない右腕の筋肉が少しだけ発達した中肉中背が世に放たれるだけです。
そうなる前にさっさと普通に税金を納めるような仕事を始めた方が良いと思います。
昭和風のコスプレをしてることで有名な若い女性が「男性専用車両のない平等な昭和の電車に乗りたい」と取れる趣旨の発言をしたことにより中年フェミニストが大激怒している
昭和は痴漢が多いから危ないよ、という助言にとどめることなく彼女が男性から乱暴されて「反省」するような展開を強く望むような酷い発言も多く見られる
若くて可愛くて男性からちやほやされているから嫉妬で叩いているのだろうと言われているがそれはちょっと違って
「痴漢に怯えることなく楽しそうに電車に乗ろうとしているのがムカつく」、これだと思う
きっと激怒している中年女性は過去に痴漢に遭ったりモテていた時代にチャラ男と付き合って酷い別れ方をしたり現在は夫と不仲だったりいろいろと痛い目を見てきているからこそ男性と密着する電車を憎むようになったのだろう
だから電車への恐怖を持たない、辛い過去を持っていないであろう彼女の幸福に嫉妬しているんだと思う
夜職アカウントがお嬢様ずんだもんの子を芋女だなんだと馬鹿にしまくった件とも似通っている
ハイブラで着飾るためにはハイブラに詳しくなければならないのでハイブラの良し悪しを学んで審美眼を身に付けなければならない
ハイブラで着飾るためには多額の金銭が必要なのでおじさんのちんぽをしゃぶるという肉体的苦痛や精神的苦痛を味わわなければならない
より多くのおじさんのちんぽをしゃぶるためには指名されるためのコミュ力を磨いたり美容について学び顔面を切り刻んだり男モテするための正解の顔に近づく努力をしなければならない
顔面刻みにも多額の金銭が必要なのでより多くのちんぽしゃぶりが要求される
私はこんなにも苦労と努力を重ねているのにあいつは何の苦労も努力もせず安物の服で楽しそうに往来を歩いているのがムカつく、ということだ
方向性が間違っている努力や若い世代からすれば知らんがなな苦労を下の世代に必死にアピールしたり押し付けたりしようとする
苦労していないように見えたり楽しそうにしているのは昭和のめちゃくちゃな時代を経験していない若い子だったり可愛くて周りに愛されている子であることが多いから結果的に若さやモテに嫉妬しているように見えるが
このような女性が救われて他者を攻撃しなくなるには何が必要なのだろうか
理解あるイケメンに無料で「あなたはよく頑張ってるよ」と労ってもらえれば成仏するんじゃないだろうかと思うが
残念ながらそんな日は訪れないのである
よく飲みに行く友達で一緒にいて時々イラつくもののなんだかんだで憎めない、ちょっと知的なハンデがある女友達がいる。(喩えではない)
で、まあその女はとにかく友達が多い。そんなんだから誘われて飲みに行ったら全く知らない子が一緒にいるとかもよくある、というか毎回ある。
そんな中で、この前おっぱいの大きいリアル童貞を殺す服を着た女がいた。あれ人前で着る人いるんだって思ったし、胸元ばっくり開いててすごくエロかった。というのは置いとくとして、まぁ要は男に飢えてるからエロい格好してるわけだ。
それを不憫に思ったのかなんなのか、例のバカな女友達が、「イケメン集団が近くで飲んでるから行こう」と言い出した。
え、ホストクラブかなんか? とビビる増田だったが、別に普通の友達だった。
だけど、全くイケメンじゃない。10人くらいいたが、全員オッサンで、これだけ男がいて一人もイケメンじゃないってあり得るんか!?と思うほどだった。
しかし、その集団はそれぞれがなんらかの若作りの努力をしてた。髪を派手に染めてたり、チェーン系のアクセをしたり、これみよがしなタトゥーがあったり、グラサンしてたり。
そしてファッションセンスが中学生かいいとこ高校生くらいなレベル。
正直言って、かなりキツイ。関わり合いになりたくない。その上、なんかこうやって書き出すとヤンチャ系っぽいファッションのはずだが、全員がちょっと根暗な感じの人たちだった。
少し話が逸れたのだが、要はバカな女には方向性がズレててもファッションに力を入れてるだけでイケメン扱いであるということ。これは大多数の男どもにとっては朗報なのではないだろうか。
ズレていようがなんだろうが、力を入れればそれだけで評価され得るのだ。大ニュースじゃないか!!
なお、例の童貞殺しは「ブサイクばっかりじゃん……」と辟易していた。口に出しちゃいけません!!と思うが、男紹介してあげると言われてそんな集団に会わされたら、そりゃ毒づきたくもなるわ。
ノートPCのSSDを換装しようとして、2024/3/31時点の状況を誰かのためになるかもと思って書いておく。
元のPC側のSSDメーカーが提供してる場合があるから、そちらも探してみよう。
なお自分はSAMSUNGだったが、SAMSUNG MagicianはOEM版には対応していない(しているのもあるかも)
各ソフト、有償だと3000円くらいからなので、それならクローンソフトバンドルのWDやSAMSUNGやらの1サイズ大きいSSDを買ったほうがオトクである。
と、おもうが…
誰かの役に立てば幸いである。