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はてなキーワード: あやふやとは

2021-11-02

仕事は腹を割って話したい

以前にいた会社の時に,強い負の感情に飲み込まれた話を吐き出そうと思う.

私はとあるITベンダー提供しているサービス導入を検討する際.

ベンダー側はベテラン風のテクニカルコンサルタント担当することになった.

彼は40くらいの年齢で,これまでの経歴的にもずっとテクニカルコンサルとして生きてきたそうだ.

コンテナFWなど一般的IT技術の会話はもちろん,製品仕様そもそも質疑応答すら満足にできず,かつ非を認めない,そんな人材であった.

別に嘘を言ったとかそんなことはどうでもいい.抽象的であやふやな回答を得るくらいなら,できないですって話をすぐ出して欲しい.

シナリオってなんだよ.仕事演出必要な時点で虚の世界に入っているようなもんだろう.

車外への営業活動以外で演出なんて持ち込むな.本気で時間無駄なんだ.

私は事実に基づいているからこそ,会話が生産的になると信じているため,

常に話を盛ったり,煙に巻いたりする彼とは一切噛み合わなかった.

当然プロジェクトは伸びに伸びて,時間お金が失われた最悪のプロジェクトだった.

お互いあまり成長に繋がらないことに多くの費やしたと思う.

今思えば会社間の関係から,彼は腹を割って会話できなかったのかもしれない.

が,コンサルと聞くだけで,虚じゃないよね?と身構えてしまうほど,彼の印象が強くなってしまっている.

今,彼は別の会社に移って同じように技術コンサルをやっているらしい.

今は実のある仕事をしていることを祈るばかりだ.

2021-10-20

次に背が高い?BD問題結論

Twitterで有名なBD問題を知っていますか?

Xの次に背の高い人は誰?という問題で、以下のような内容です。

問題

Aの身長は150cm

Bの身長は155cm

Cの身長は160cm

Dの身長は165cm

Eの身長は170cm

この5人の中で、Cの次に背が高い人は?

選択肢

1.B

2.D

3.どちらとも解釈できる

4.日本語がおかしい、解釈できない

貴方はどう解釈しますか?

結論

 私は、3.どちらとも解釈できる、が正解と思っていて、言い方を変えると「Bの方が確からしいが、問題文として不備があるのでDの可能性が排除できない」と思っています

解説

 さて、まずは日本語認識から合わせましょう。

 これが一番大事なところです。各々の解釈で話を進めるから大変なことになるんです。日本語に関して絶対的に正しい辞書を用いて話しましょう。

 さて、辞書から問題文と関係しそうなところを抜粋すると、

1:すぐあとに続くこと。また、そのもの

2:あるものに続く地位。一段低い地位。また、一段劣ること。

高い

1:基準となる面からの出っ張りが大きい。

2:数値が大きい。また、度合いが大きい

とあります

 答えは"必ずそれぞれの1,2どちらかの表現を用いて表すことができます”。

以上を踏まえて読解していきます

【解がBになる解説

①昇順か降順か書いてないので、問題文に書かれていないことは勝手に推測しない。(問題解釈の基本)

Cの次=160cm次点と変換して、

Cの次に高い→Cより一段劣る背が高い人、なので155cmのBがCよりも一段劣る背が高い人。

 これは劣るのに背が高いと続いて日本語としてやや不自然ではあるが、いったん置いておく。

②5人の一覧をわかりやすくすると、

E170cm 最も高い

D165cm 最も高いものより一段劣る

C160cm 基準

B155cm 基準値より一段劣る

A150cm 最も低い

となり、

この中でCの次に背が高いのは?と聞けばBになることが理解やすい。

身長の数値が大きいという評価基準で、Cのすぐあとに続くものはBで疑いようがない。

【解がDになる解説

 まず、問題文を整理します。

Cの次に背が高いのは?

次に、と聞かれたので、必ずあとに続くか一段劣るものを選ぶため、何かの順番に並べる必要があり、その場合のC(基準値)の次のもの(X)が問われている。つまり

問題基準値のあとに続く順番のXは? とすることができ、

答え.◯◯の順番で基準値のあとに続くものはX、となる。

 そう考えたとき身長が何cmかはただの識別情報なので、数学解釈は使わずに答えが出せる。

まり

A 背が最も低い

B 背が低い

C 背が普通

D 背が高い

E 背が最も高い

ということ。

 背についての比較をする際は、必ず一番低い人間が始点となる。

なぜなら、"背の順″は背が低い順とは言わなくても誰しもが昇順と理解するし、高い順番から並べることは一般的解釈とは言えないので考慮しない。

ゆえに、始点Aから始まる背の順において、Cのすぐあとに続く背が高い人はD。

 答えから問題文を逆算して検証すると、

「背の順でCのすぐあとに並ぶ身長が高い人はD」

→「ある順番でCのすぐあとに続く背が高い人は誰?」

→「Cより順番がすぐあとになる背が高い人は誰?」

→「Cの次に背が高い人は誰?」

となって、この文章を背の順と理解できることに矛盾が生じないと解釈する。

 ここでの争点は「ある順番とは何?」で、そんなもんは知ったこっちゃないのですが、普遍的に背の順番は昇順(背の順)になることを考えて、答えは、"背の順でCのすぐあとに続くD”となります

 背が高い方から並べたB理論は、「ある順番」が何か指定されていないことに気づかずに数値が一段劣る、の意味だけで解釈をしてしまって、数値が最も高いものからの降順以外の可能性を考慮できていません。

 並べ方について問われている問題なので、単純な数値としての160cmと155cm比較だけの「160cmより一段劣る背が高い155cmの人」という表現日本語として不自然です。

【Bの方が確からしいが、問題文として不備があるのでDの可能性が排除できない理由

 これは背の順だから起きてしまたことで、例えば以下の例ではどうでしょう

問題

スカイツリー 634m

東京タワー 333m

あべのハルカス 300m

横浜ランドマークタワー 295.8m

りんくうゲートタワービル 256.1m

この中であべのハルカスの次に全長が高い建造物は?

 このとき、B理論もD理論も答えは横浜ランドマークタワーです。

さらしましょう。

(B理論

①634mが数値として最も高いので、基準あべのハルカスのあとに続く建造物横浜ランドマークタワー

②300mという数値にたいして一段劣る高い建造物は295.8mの横浜ランドマークタワー

(D理論

 256.1mを始点とした低い順は一般的に想定されないので考慮しない。

高い順であべのハルカスのあとに続く全長が高い建物横浜ランドマークタワー

 以上のように、回答としてはどちらも同じ横浜ランドマークタワーで丸く収まっていますが、実際の思考プロセスには隔たりがあります

 他にもいくつか例を挙げて、それぞれの思考を掘り下げてみましょう。

問題

1位 100点

2位 90点

3位 80点

4位 70点

3位の次に点数が高い人は何位?

(B理論

①100点が数値として最も高いので、基準値3位のあとに続く点数が高い人は4位。

②80点という数値にたいして一段劣る高い点数は70点の人で4位。

(D理論

 どう見ても得点が高い順ランキング

順番が3位のすぐあとの点数が高い人は4位。

 ある程度わかったかもしれませんが、大抵のものは降順ランキングになるので、思考プロセスは違っても答えは同じになります

 では、このようにしたらどうでしょう

問題

160cmの次に高いのは161cm、159cmのどちらでしょう?

(B理論

①160cmのあとに続くものを探す場合

161cm 最も高い

160cm 基準値(最も高いものより一段劣る)

159cm 最も低い(基準値より一段劣る)

基準値のあとに続く高いものは159cm

基準値160cmより一段劣る数値は159㎝。

で、どちらも159cmで疑いようがない。

(D理論

 数学解釈考慮しないで比較すると、

159cm 数値が最も低い

160cm 基準

161cm 数値が最も高い

となる。

 問題文を整理すると、

160cmの次に背が高いのは

次に、と聞かれたので、必ずあとに続くか一段劣るものを選ぶため、何かの順番に並べる必要があり、その場合の160(基準値)の次のものが161か159か問われている、つまり

問題.〇〇の順番で基準値のあとに数値が高いのは161と159のどっち?

答え.◯◯の順番で基準値のあとに続く数値が高いものは161 or 159、となる。

整数自然数)は1(0)を基点とした昇順のため、

答えは、160㎝のあとにつづく数値がたかものは161cm

 しかし、「あとにつづく数値がたかもの」という表現日本語としては不自然で、B理論はどちらも自然な結果になっているため、Bと解釈する方が収まりがいい。

 この結果は単純な数値の比較をした際、B理論解釈が常に正しいと言えることを証明しているともとらえられます。そして、その場合の順番は常に降順(高い数値が上)です。

 ようやく輪郭が見えてきましたね。問題になるのは、「単純な数値の比較ではない場合」です。

問題

Sサイズ(数値小)

Mサイズ(数値中)

Lサイズ(数値大)

この場合、Mサイズの次に大きいサイズは何サイズという?

(B理論

①Lサイズが最も数値が大きいので、基準値Mサイズのあとに続く大きいサイズはSサイズ。(大きいサイズはSサイズ、と言っているのでこれは日本語表現としてやや不自然

②数値中に対して一段劣る大きいサイズは数値小のSサイズ

(これも一段劣る大きいサイズ、という言葉日本語表現としてやや不自然

(D理論

服のサイズはSサイズを始点として、S、M、Lと数えるが、L、M、Sとは数えない。

Lサイズから始まる店は存在しないし、サイズについて比較する際は必ず始点にSサイズがある。

ゆえに、Mサイズのあとに続く大きいサイズはLサイズ

自然な結果になったのはD理論ですね。

ここまでの例題からわかったことは、「次に〇〇」で昇順/降順のどちらに動くか判断が付かない場合は、どちらの理論も試してみて、より自然言葉になる方を選べばいいだけです。

 なぜBD理論が論争になっているかというと、このケースではB理論も成立していて、D理論も成立しているからです。(どちらの結果も日本語が不自然にならない)

 B理論支持者は、単純な数値の比較をした際は常にB理論解釈が正しいことを根拠に、問題は数値について問われていると勝手解釈して、答えはBで揺るがないと思っています

 これは、数値の比較なので数値が高い=上のものという認識があるので、降順以外は考えられていないです。

 一般的に「Xの次に高いものはどれ?」という問題は凡そ全て数学問題のため、みんな単純な数値の比較以外の用法は聞いたことがないので、D理論意味の分からない勝手解釈をしている例外だと判断しているのです。

 続いてD理論支持者ですが、まず第一に「背を比較するときの順番は背の順(昇順)である」という解釈が前提にあります

この前提が正しいとみんなが思ってるかはわからないですが、私の中では「大体そう」ってぐらいの認識です。

 ロシアだと背が高い人が前に並ぶし、国内では自衛隊も高い順に並びます

 しかし、「背の順で一番前の人は背が高い?低い?」って聞かれたら真っ先に低い人を想像します。

 また、「複数人の背を一斉に比較するために順番で並んだとき、先頭に並んでいる人の身長は一番後ろの人よりも身長が低い?高い?」って聞かれたら、うっかり低いって断定してしまいそうですが、

この問題についての正解は、「どの順番で並んでいるか知らないので、どっちもありえる」です。

 BD理論に話を戻しましょう。

 まず、問題文は情報が不足しています

一番最初解説でも言いましたが、「次に」と言われてるので、何かの順番になるのですが、問題からそれが確定することができません。

 そのために2つ仮説を立てます

 B派は単純な数値の比較と同じ降順だと想定した場合でも、数値が高いものが上にくると仮定した降順でも結果的に答えはBで、どちらの根拠もある程度正しいと言えます

 D派は背の順だと仮定すれば正しいと言えるし、「背の順かどうかは書かれていないのでどっちもありえる」とも言えます

 比較してみるとD派の方が勝手解釈に見えて根拠としてはやや弱い気がしますが、B派も肝心の前提条件は絞れていないので、降順という仮説が成り立たない限りは、"日本語として不自然表現の答え”に過ぎないので、Dという答えを誤答とは"しづらい”です。

 ゆえに改めて私の結論をより詳細に述べると、「Bの方が仮説を立てる根拠が確からしいが、問題文として不備があるので別解Dの可能性が排除できない」となります

【まとめ】

 BD問題は、大体の場合がどちらも先入観勘違いベースに論争をしているので、全く噛み合わないケースが多い。

 BとDのどちらも根拠がありそうな正解を導き出せるようにしていて、あえて論争を起こそうとしてるのではないかとすら思える。

 また、B理論支持者の方が論理的に正しいと言えそうで、実際は降順の並び替えについての根拠整数の並び順でしかないことについて気づく人はあまりいない。

 D派は背の順、というあやふや根拠理論にして戦ってるので、かなり分が悪いし、どこまで頑張っても前提条件は判明しないので、「Dが間違いとは言えない可能性がある」としか言えないので、屁理屈扱いされる。

 もしも、背の比較をするときは必ず背の順(昇順)に並ぶ、という解釈絶対的になることがあれば(仮に)、D理論はB理論よりも確からしくなるし、BD問題の結果がB、Dどちらかの100%になったとしたら、それは日本語が変化したと言えるのかも知れません。 実際に何%になったら辞書が変わるのかとかは知りませんが、誤用が広まって定着した結果、用法として辞書に載ってしまった例はありますし、時代とともに意味が変化していった言葉はたくさんあります。 いずれ、Xより一段劣る背が高い人、という表現が当たり前に使われる日も来るのかもしれません。

 しかしながら、BD問題は"問題文として”試験に出せるようなシロモノではないと思うし(最初のツイ主さんは、これは問題ではなくアンケートだと仰っていました)、もしも私の解釈おかしいところがあるとしても、表現方法問題があるとは思います

 もしもBかDの2択ならBの方が根拠が強いと思うので、Bを選ぶ方が正しそうです。しかし、BD問題は4択にしてしまっているので、問題文も選択肢も合わせて罠になっています

 問題文とは回答者との誤解なきコミュニケーションであるべきだというのが私の主張です。 つまり、答えに対しての問い方でなくてはいけないし、正しい根拠でのみ正しい答えが導き出せるようにしなくてならないということです。

 (注意力や論理力があれば解けるひっかけ問題まで悪いと言ってる訳ではありませんよ、念のため)

 テストクイズを作る方はもちろん、この問題日常生活でも起こりうることで、誤解なきコミュニケーション大事にしていくべきだと強く思う結果となりました。

【おまけ」

その他のよくある勘違いパターン3選

①次に「高い」か「低い」かで昇順、降順が決まると思ってるパターン

 要は、基準+1が高くて基準値-1が低い、ということです。

やっかいなことに、例題のいくつかの問題はこれでも当てはまっちゃうんです。

 ただし、「300mの次に高い建造物が301m以上のもの」、「160㎝の次に高い身長は161㎝」になってしまって、破綻します。

 この説には根拠がありませんが、ゆえに都合の良いように解釈できてプラス方向にもマイナス方向にも行ったり来たりと便利なので用法としても広まってしまっています

主語/述語、装飾語/被装飾語の関係法則性を見つけようと思っている人

 これもやっかいです。体感ですが、正しく文法などのルールをきちんと勉強したことがある方でここに辿り着いた人はいないと思ってます

専門家である飯間先生ツイートでも言及されていなかったので。もし文法解釈できるならご一報ください)

 私も専門家ではないし、きちんと勉強した人じゃないので触りだけにしますが、

Cの次に背が高いのは?

Cの(修飾語)次に(被修飾語)背が(修飾語)高い(被装飾語)人は(主語)誰(述語)?

となるので、この文章は複文(1つの単文の中に単文が組み込まれている文)です。

複文なのでまとめると、

Cの次に背が高い(修飾語)人は(主語)誰?(述語)

となります

 さて、何か前提条件から変わりましたか

 もう少し粘ってみましょうか。

修飾語意味は明らかなので被修飾語に焦点を当てて、

Cの〇〇に背が〇〇な人は誰?としましょう。

辞書通りに埋めていきます

Cの(あとに続く、または、一段劣る)背が(大きい)人です。

はい、冒頭からずっとこれについて話をしていますね。

あとに続くのか一段劣るのか断定できないので、「背が大きい人」とは、「Cのあとに続く背が大きい人」なのか、「Cより一段劣るけど背が大きい人」なのかの区別がつかないので無意味です。

③「次に背(身長)が高い人」と「次の高さ(身長の度合い)が高い人」を混同してる人

 わかりやす文章にすると、

Cのあとに続く高さが高い人は誰?

〇〇の順番で基準値のあとに続く高さが高いXは誰?

昇順でCのあとに続く高さが高い人はD。

 これはXのあとに続く"高さが高い人”に絞っていて、高さが低い人を排除してしまっているので、文の構造が完全に変わっています

 ちなみにこの解釈をすると、「Xより一段劣る背が高い人」は「Xより一段劣る高さが高い人」になるので、B理論自己矛盾を抱えることになります

 「Xより低いけど身長が180cmある人」なら文として成立するのかもしれないけど、それとこれとは全く別問題です。

2021-10-15

なぜ人は「トップブコメ」という言葉を使い続けてしまうのか

そもそも最初コメントなのか人気コメントを指しているのか不明瞭。

・いずれにしてもコメントは常に削除・編集可能

・人気コメントは星の数等で常に入れかわる。

こんなにもあやふやな「トップブコメ」という言葉を人はなぜ使い続けてしまうのか。

2021-10-04

小学館あやしげコロナ新書シリーズで出しちゃったのか。週刊誌は、まあフィクションですくらいの気持ちで読んでる人が多いだろうけど、新書かあ。図鑑NEOとか出してる出版社なのに大丈夫なんかな。両論あってしかるべきとか逃げだよなとか思ってしまうけど。思想言論自由だけど、それは科学的に未確定なことやあやふやなことをさも事実かのように出版していいってことではないだろうに。なんだかな。

2021-10-03

anond:20211003155659

いやだからそういうとこなんだよね

仲間から論外の危険団体だって言われてるのをフェミ陰謀論だとなるところまでは普通人間感情だよ

しかしそれに対して頭から否定したいか信仰自由とか他の宗教と何が違うんだと噛みつき返す

一回取り入れたら一生搾り取れるだろうなっていうのが目に見えてる

おぎのがどれくらい関係してるかは知らないけど周りに寄ってくる人間をみて統一教会が目をつけたんだとしたら心底恐ろしい集団だなと思う

このエントリだって統一教会はそういう話じゃないってつっこまれまくってるのに「オタク叩き」だと言っておけば統一教会の悪性や危険性の話しはあやふやになって、見も聞きもしない

こんな集団他にいないよ

2021-10-01

anond:20211001164710

から元増田で書いたように

表現の幅は広がるけど表現できる領域は広がらない。

本当はもっといろんなことに思うところがあるからそれも増田投稿したいんだけどなあ。どう書けば伝わるのか分からいから諦めるってことが多い。

ということで、もう言語化できてるものを分かりやすくするという段階じゃなくて、言語化(分節化)の段階における比重の話なんよ。

内言(ないげん)自体あやふやで、しかし確かに言いたいことはあるんだけどそれを成形できてない状態って感じかな。それを言語化できずに諦めること多し。

視覚優位で映像思考してるタイプの人はその内言の役割すらも頭の中で想起される映像が担っているから、最終地点の言語との距離が大きく文字通りより大きなギャップを持っていると思う。

2021-09-29

手巻き寿司海苔

家で恋人手巻き寿司をすることになった。

最後にしたのはいつだったか思い出せないほど久しぶりだった。

さな頃に実家で何回か…、そういえば好きな甘海老いくらも並べてくれていたな…。 今の増田の財布では、まだどちらかひとつしか選べないが。

あやふや記憶を頼りにあれやこれやと準備をしていたら、手巻き寿司したことないの?と冗談交じりに聞いてきた。

遥か昔だが有る、なぜそう聞くのかと尋ねると 海苔は四つ切だ、そんな大きなサイズ海苔おにぎりでも作るのかと彼は笑って答えた。

彼の実家では四つ切で、酢飯一口~二口分ほどだったそう。

一方増田家では半形で、コンビニおにぎり手巻き寿司のひとまわり小さい位の円錐タイプだった。今回出したのも半形だ。

  

手巻き寿司海苔は 1/4、1/2、どのサイズベストなのだろうか。一般的なのだろうか。

  

余談だが、大人になって好きになった具材マグロのたたきとたくあんを混ぜたやつ。

  

脳は脂肪の塊です 脳は電気で動いています

なので 電気で動いてる点ではペッパー君と人間は大して変わりません

ガチャあたり掲示板 親ガチャはずれ掲示板でわけるべき 住む世界が違う

野田が 脳が錯覚すれば それは実在しないことになる つまりこの世界に確実に実在するものは一つもない

認識側があやふやから

ビックニの配信切り忘れ動画 銀魂MAD動画 消えた後悔よりも 山に行けてないほうを後悔したほうがいいんじゃねえの これライフハック

やばい ブロマガ移動しなきゃ ライフハックの踊らされて始祖を見失った

すべての選択なんてわからない だから失敗する覚悟もつこと 最善をつくすけどわからいから 失敗はつきもの

竜の助と 前澤の命はおなじ 無価値 オファーがあるってことは納得がいってないことがあること

オファーがきたから もしかしたら変わるかも 人生 働いたりするかも まあしないかもしれない オファーきたけど

納得いってないこときたけど まあ納得しないまま変わらないか

2021-09-27

フェミ自称モテるな痛いブス

共感力が高いか美人共感する(だから美人と同等の発言をついする)って増田があったが……、

美女が多いグループのブスは、共感しすぎて自己境界あやふやになってくるのか知らんが、自分モテモテだと思い込んでる事が多々あるよね。

モテるが故の辛さに「わかるー」って言ってるブス、共感して分かった気になるのはいいんだ。そこで止めれ友達思いのいいやつだ。

けど口に出したら勘違いブスなんだ。そして口に出さないやつは当たり前のように目立たないから、美女多数グループに属したブスの共感が「私達モテるもんね!」って空気を出しちゃ、美女多数グループブスに悪いイメージを持つ人はたくさん出るよな。

まぁけど、この私達モテるってのは事実なんだ、そういうグループの君たちはモテる

けど、私達を私にした途端に破綻するようなやつが言っていいことではないんだ。現場居合わせる人は内心お前が言うのかと思っていることだろう。

2021-09-25

上司が「?」を多用してきて辛い

anond:20210925020040

40代上司なんだが、チャットメールで「?」をほぼ必ず付けてくるが辛い。

いや、正確にいうと、そのあやふやさをこちらに求められているのが辛い。

 

おはようございます?」に始まり

本日テレワークを開始します??」

お疲れ様です?」

「どうもありがとう??」

OK?」

「お先に失礼します??」

「○○してちょ??」(責任曖昧にする時に使われる)

「ヨロシク??」

と、とにかく常にあやふやさが高い。よくそんなんで仕事回るな。

 

 

私もそれに対して

おはようございます?」

承知しました?」

「ご確認ありがとうございます??」(形式的感謝の時は?が2つ)

確認します?」

ラジャ?です??」

と同じあやふやさで返さなければならず、正直つらい。

暴走族マンガ!?と思ってしまうほど「?」が多く使われている。

 

 

うちの会社テレワーク推奨で自宅勤務がほとんどだから、どうしてもやり取りはテキストになってしまう。

時々なら良いのだが、いつも「?」を付けられるほど疑問があるわけでも無い。

そんなに興味もないし、元気ですかー?(ものまね)みたいなのはしろ寒い

が、「?」を付けないと「なんで言い切るの!ヽ(`Д´)ノ」と言われてしまい、最近は無理矢理謎多き乙女を演じている。

もしくは無意味に「承知しました??」と2回に1回打っている。

あと「?」を多用するのはこの上司とごく僅かの同年代人達なので、

他の「?」をあまり使わない人達と実際会話する時に、半疑問形を治さないといけないのも疲れる。女子高生かよ。

というか、自分より目上の人に「?」は使いづらい。

こちらが使っていて何も言ってこないけど、実は何も知らないヤツだなと思われていても嫌だなと思う。

 

通勤が無くなって楽になったかと思いきや、かなり精神的に疲労する。

今まで「?」をそれなりに使ってきてしまったので、いまさら「?」を使わないキャラになるのも(ポワン ドゥ アンテロガション… ガショーン… (´;ω;`))と思われてしまい、関係性が悪くなるので避けたい。

どうしたものか。はてな大好きのみなさん。

2021-09-23

インフルエンサーダメ評価ダメ評価のみ広まる

最近、世の中こればっかりでうんざりする。

アーティストやら、某区長やら、某政治家やら、

みんな実際に「何をした」についてはあやふや理解してないのに

インフルエンサーが「あいダメだよ」と極端にまとめた情報鵜呑みにし、

またそれを広めてしまう。

実際に何をしたっていう内容が理解できてないなら無理に語るなと言いたい。

俺はわかってるぜ、世の中をズバッと批判してやるぜ〜っていう人の万能感はどっから来てるんですかね。

2021-09-17

anond:20210917123145

陽キャ自分確立してるから他人を人として見ることができる

陰キャ自分あやふやからいつも自分のことしか見えていない

2021-09-16

差別をなくす=平等 ではない

女性差別をなくすことが男女平等じゃないのよね

ネット民感覚での女性差別をなくすというのは

現在虐げられている女性立場をアップさせろということで

その結果にあるもの平等ではないようだ

そこらへん最近どうもあやふやにしている

どうも意図的にそうしているようだ

女性立場はアップしたいけど平等にして責任が多くなるのは嫌だ

そういう本音が透けて見えてきている

というよりむしろ平等を通り越して女性のために男性はかしずいて働けというニュアンスすら感じられる

2021-09-15

anond:20210914162216

他人が言う死にたいなんてのは全部嘘だ

311のときも青葉の時も川崎

ふだん弱者に冷酷な態度を示して、自分が同じ立場になったら自殺するよと嘲っている健常者は、自分が大けがや大損害で苦しい立場になったとしても決して自殺しない

死があやふや現実味がない事だからピンチになったら潔く死ぬなんて寝言が言えるのだろう

2021-09-13

FGOアンチが語るFGO

Fate/Grand Orderには良い部分もあるが悪い部分がありすぎる。

今回はそんな悪い部分を紹介していく。

なお、筆者は型月ファンであるので途中で型月アンチだと思わないように気を付けてほしい。

悪い部分

異常なガチャ確率天井無し

とにかくこのゲームガチャが当たらない。

これは仕方がないにしろ天井が無いのはヤバい

課金額が100万を超える人がかなりいるらしく、

その額からいか確率が低いか分かるだろう。

過去偉人に対する侮辱

実はこのゲーム、かなり人気なのだ

登場人物がかなり可愛い上に、

体のラインが分かるような服装

露出が激しかったりと

オタクを引きずりこむようなことをしている。

このゲームが人気たらしめている理由だろう。

直見ていて不愉快だ。

サロメなどの元の逸話があるならまだしも。

偉人に対して下品な格好をさせるのは如何なものか。(特にイベント礼装とか)

原作ホロウでもアルトリアライダーとのシーンがありましたが、下品さはあまり無く、むしろ要らないとすら思ってました。

原作でもそんなシーンがあるからFGOのことは言えない(偉人に対して侮辱)と言われたらそこまでです。

ただこれだけは言わせてほしい、FGOはあまりにも下品だ。

絵師作風から仕方ないとは割り切れないので、こういった絵を許容した型月かDW、あるいは両方を私は理解できない。

主人公がかなり不愉快

最近ソシャゲあるあるだが、

やたらとチヤホヤされる主人公など、FGO主人公である藤丸立花もそれに該当する。

別にそれは構わない。

そんなものはどこにもあるからだ。

しかしこいつのヤバさは過去偉人に対する、

敬意が欠けている場面が多いのだ。

失言もそうだが、寒いノリなどイラつく要素に塗れている。

イベントから〜なんて言葉で済ますようなものではないとは思います

過去偉人セクハラや貶すような発言

正直やめてほしい。

主人公変えるべきだなと思いました(小並感)

以上がFGOの悪い部分です。

他にもありますが...

良い部分もある

型月ガイジの私としては、FGO過去作品の設定などを大量に使用してくれるそうで嬉しいです。

シナリオに関しては面白く感じるまでかなり長いと思います

(当初はソシャゲ形式に慣れていないから?)

ただそこを乗り越えればかなり面白くなります

ちなみに私は二部一章の怒りの日が好きです。

あの曲はモーツァルト作曲しました。

怒りの日は一人で弾くのは基本無理なので

(一人で弾くことも出来ますがかなり難しい)

あの時、サリエリの隣にモーツァルトがいると考えたら胸熱ですね。

FGOに何を求めていたか

私が何を求めているか

それは今までのFateらしさです。

これまで延々と愚痴を書いてきましたが、最近FGOはとても面白く感じます

メインシナリオも私が求めていたFateらしさが出てきて、システム面での不満こそありはするものの納得いく形になりましたし、

最近では、あやふや藤丸にも自我形成されより一層素晴らしい作品になったと感じました。

もう終わりが近づいてきてはいますが、このまま突っ切ってほしいですね。

コンテンツの売り上げ

どちらかと言えば、我々ユーザーより型月側の良い部分ですね(笑)

DWの取り分やライターなどの費用でどれほど消えているかは定かではありませんが、それでも型月が手に入る収益はかなりのものだと思います

これが何故良い点かと言うと、新作やリメイクだったりの資金になったり(新作出してほしい...)、

ブランド知名度上昇に貢献しているためです。

過去の設定や別作品の影

空の境界、真祖、アルティメットワンなどFGOから知った人も多いのではないでしょうか。

やはりここら辺の月姫、鋼の大地から続く設定や共通世界観などが繋がって楽しいですし、考察するのも醍醐味ですね。

二部ではメルブラ主人公であったシオンが出てきてビックリしました(笑)

ネロ・カオス彷徨出身だったな、とか考えながら、懐かしくてメルブラアーケードを遊びにゲーセンまで行ったほどです。

もしよければFGOを機に、FGOだけプレイしている人は様々な型月作品を遊んでみてください。

からの型月ユーザーも、久しぶりに遊んでみるのも悪くないと思います

ちょうど月姫リメイク発売しまたから。

好きなサーヴァントを強くできる

このゲーム、好きなサーヴァントをずっと育てれます

私は佐々木小次郎が好きなので、冬木からずっとパーティに入れてます

おかげでいつもギリギリの戦いですが......

他のソシャゲだと、レア度によってレベルの上限があったり、上限解放しても高いレア度には最大レベルが劣ったりします。

FGOではステータスが多少劣るものの、基本はレベル最大までレア度問わず上げることが出来ますステータスも上昇させるために必要な素材もありますから良い点ですね。

エミヤ幸せそう

一番良い点はこれです!

エミヤが楽しそうで、これは本当に良かった。

なんならホロウときより楽しそう。

エミヤ衛宮士郎英雄になった姿で、正義の味方というもの絶望

大勢を救うために少数を殺す、それを繰り返してきたため疲れ果てており、そこから抜け出そうとして過去自分を殺そうと考えていました。

しかし本編では凛のサーヴァントになったことや、衛宮士郎自分とは違うことを確信して、凛に過去自分を託して聖杯戦争を終えました。

救いは無いのかと、涙無しには見られないシーンだったために、FGOで羽を伸ばしているエミヤを見て嬉しい気持ちになってます

終わりに

これ以上書くと長くなるのでここまでに。

FGOアンチであることに変わりはないですが、それでもFate、型月作品であるため応援していますFGOユーザーの皆様、育成にイベント、そしてメインシナリオを目一杯楽しんでくださいね

ありがとうございました。

2021-09-10

土着的モラル拒否しきれずに

 大学同期のある女の子の話。


 その子は、とにかく故郷というものが嫌いだった。話を聞く限り、主に家族関係が上手くいっていなかったらしい。

 例えば、その子国立大学学費殆ど奨学金バイトによって賄っていた。恐らく親からの援助が見込めなかったのだろう。

 時折Twitterで、田舎のしがらみや桎梏に悩む人間が描かれた漫画に対していいねリツイートを行っていた。彼女の行動の端々からは、故郷や土着的なモラルに対する拒否感が滲み出ていた。

 とは言え苦労人の彼女も、最終的に修士課程を満了し、そのまま国有系の企業就職した。知的能力が高く、自分自身人生自分で切り盛りする自立性を兼ね揃えた子だったから、その結果を予想することは容易だった。仕事においても、時に人間関係での衝突や様々なトラブルに直面していたようではあったけれど、最終的に本社のある某都市への配属が決まったらしい。単に大学の同期で、多少会話を交わす機会があっただけにも関わらず、そういう話を伺っていると誇らしい気持ちになる。何故だろう。


 とは言え、最近になって事情が変わり始めた。

 いや、彼女自身人生に何らかの大きな転機があったというわけではない。彼女人生に、取り立てて悪いことが起こったというわけではない。

 とは言え、それは明確な変化だった。

 数年ほど前から彼女は裕福な家庭に属する人々に対して、憎悪の念を時折滲ませるようになったのである

 というか、はっきり言えば僕自身に対する憎悪を、Twitterを通して仄めかすようになったのである


 彼女と比べれば、僕は裕福な家庭に生まれた。物心ついた頃には家にグランドピアノが置かれてあり、子供時分には英会話教室やらピアノ教室やら水泳教室にやら通っていた。

 特に金銭面で苦労をしたという記憶はない。取り立てて贅沢をさせてもらったという記憶もないが、かといって吝嗇を旨としていたわけではない。誕生日クリスマスには大抵望んだものが与えられた。

 そんな、特徴のない、ありふれた裕福な家庭に僕は生まれた。

 大学入学後は、仕送りによって生活していた。免許を取るための代金は、家族が捻出してくれた。

 そういったありふれた裕福さを、僕は当たり前のこととして享受してきた。

 きわめつけに、僕は今定職についていない。

 フリーターをしながら日々の生活を送っている。別に収入がたくさんあるわけでもない。それでも、安穏とした日々を送っているのは、要するに実家が太いからだ。仮に、自分の手に負えないような何事かが起こったとして、その時には、まず頼るべき実家存在しているからだ。

 はっきり言って、僕の人生は他の人々に比べれば楽だと思う。

 時々苦痛なのは、そういう生き方をしている僕に対して、露骨軽蔑視線が浴びせられることである。それはある意味、当たり前のコストだ。裕福な人間は、あるいは、人生真剣に生きているとは思えないような人間は、折々に軽蔑視線を浴びせられる。そして、それに対して言い訳をすることができない。その軽蔑視線に対して、「確かにその通りだ」と頷くことしかできない。

 そういうコストに対して、時々僕は疲れてしまうことになる。

 とは言えそれは(繰り返すように)、僕のように中途半端に裕福な家庭に生まれて、ちゃらんぽらん生活をしている人間にとっては当然のコストであり、受け入れるべきコストである苦痛苦痛なのだけれど、かといって、そのような視線を振り払うために定職につきたいかと言われれば、そんなことはないし、僕は雑に生きていたいのだから

 そういう意味で、それを不当なことだと訴えるつもりは僕にはないし、そもそもそんなことをするだけの権利は、僕にはない。


 いや、少しだけ嘘をついた。

 僕は、彼女にだけはそういう立場を取ってほしくはなかったのである


 彼女は僕のことを金持ちだと言う。ここ数年の間、彼女は主にSNSを通して、僕に対する様々な当て擦りを行ってきた。

 僕が察しを付けられるような嫌味、振る舞い、そういうものを、彼女自覚的に行ってきた。

 そういう振る舞いをされることは、ある意味僕には当たり前のことだったけれど、それなりに僕は傷つくことになった。

 他の人間が同じことをするならばともかく、よりによって何故君がそんなことをするのだ? と僕は思ったのである

 勿論、彼女は僕に比べて随分人生において苦労をしてきた。

 彼女彼女の生まれ土地の、土着的なモラルや、あるいはその純粋資本の無さに苦しめられてきた。

 だからこそ、彼女が僕を毛嫌いすることは、ある意味では当たり前のことである。そこに、僕が拒否できるような理由存在していない。

 それどころか、僕は彼女が我が身の理不尽さを、どんな形であれ承服してはならないし、何らかの形で表出するべきであるとさえ思うのである

 例えば、彼女奨学金の返済をする必要があった。例えば、彼女にはちゃらんぽらん暮らしをし、あやふやな夢を唄って生きる暮らしは許されなかった。そう、僕のように、文筆の夢をふらふらと唄い、そのくせその努力を身を削るまでに行っているかと言えばそうではない、そんなちゃらんぽらん人間拒否し、排斥する行為が、彼女には必要だったのではないかとさえ僕には思えるのだ。


 とは言え、彼女行為を僕が受け入れられない理由の一つは、別のところにある。

 つまり、煎じ詰めれば彼女のやっていることは、彼女自身が忌み嫌っているところの、「土着的なモラル」の継承なのではないかと思うのだ。

 恵まれている者に対する敵愾心、その誰かを貶めようとする気持ち

 楽しそうに飛び、楽しそうに歌う鳥に向かって石を投げる行為。そんな鳥が地面に落ちて這いずり回ることを、志向する行為

 そういう行為は、正に土着的なモラル継承ではないだろうか?


 彼女は、彼女故郷でこう言われたことがあったはずである

「県外の大学になんかいかずに、地元学校に通え、あるいは、就職しろ金銭的な支援は期待するな。お前に一人で切り盛りすることは無理だ」

 教育資本によって支えられる生活というものを、イメージすることができない人間に、彼女は囲まれていたはずだ。

 だからこそ、彼女自身の力で自身人生をやりくりしなければならなかったのだから

 優れた人間が、より優れた人間になろうとすることを、阻む力。

 そういう力が、土着的なモラルの中には含まれているし、そのような力が、彼女身の回りには実際に存在していたことと思う。


 もちろん、彼女が僕に対して向けている暴力は、そのような暴力と完全に同種のものではない(というか全然違う)。

 むしろ彼女の受けた暴力とは違って、僕の受けている暴力は、ある意味では正当な暴力ですらある。

 不当に恵まれている者を攻撃すること、それは、ある意味では正しい。僕は不当に恵まれているのだ。それに対して、少々のやっかみが向けられることは、ある意味では当然のコストなのだ。少なくとも、そのようなやっかみを前提とせずに生きることは、不可能なのだ


 とは言え、彼女は周囲から引きずり降ろされそうになり、それを拒否することができた人であるからこそ、僕は、彼女にそんな暴力を(彼女が受けたものとは違った形であれ)継承してほしくなかったのである

 自分より恵まれている人間に対して、石を投げるという行為正当化されるところのモラルは、普遍的モラルではありえない。そのモラルは、ある人の人生から生じたところの、ある人の生育環境から生じたところの、相対的な、つまりは土着的なモラルに他ならない。

 彼女は、そんな土着的モラル拒否することを、生活の旨としていたように、僕には思われるのだ。

 そんな彼女が、何故土着的な、普遍的ではないモラルに身を任せ、自分暴力正当化し、他人を傷つけなくてはならないのだろうか?


 繰り返し述べる通り、僕の人生においてそういう暴力日常茶飯事であり、それが存在することを拒否できる立場に僕はいない。そういう立場には全くない。

 とは言え、彼女がその土着的なモラルある意味継承してしまっていることに、僕は残念な気持ちを覚えてしまうのである

衝撃的な話にするため精神科通いに…とか書くなや

精神科通いが衝撃的で悲劇的で末路!みたいな扱いを受けてるの見ると、そういうの見てうわーってなった人全員精神に異常きたしても精神科にだけはいきなくない!ってゴネ続けて取り返しがつかないところまで行ってほしいと思ってしまうわ。

夜眠れなくても薬には絶対頼らずアロマオイルとか間接照明で何とかしててほしい。

英語圏海外ドラマでよく見るセラピーやらカウンセリングカフェ感覚で気軽に行ってくるワ〜が本来正しいのにね。こればっかりはソースあやふやでも日本sage海外ageさせてもらう。

2021-09-09

anond:20210909093252

メキシコ留学してたけど褒められすぎる&メキシコ人優しいかゆっくりめに話してくれる+文法単語あやふやでも察して理解する能力やばい&俺が甘いか語学力が伸びなかった

2021-09-04

白いパラソル

NHK大瀧詠一特集観てるんだが、松田聖子の「白いパラソル」を宮本浩次弾き語りで歌ってて、

あなた(や)な人ね」のところで、「あやふやな人ね」てテロップが出てるんだが、何かの間違いだよな?

2021-09-03

難しい文章を読むとき対策方法

概要

自分への備忘録用に書いておく。

すべてにとって共通して言えることは、「なぜ難しく感じるのか」という点と、「どう突破するのか」という点だ。

この2点に集約される。

自分バカから文章が難しいわけではない

難しい文章を読むのは、誰にとっても難しい。

もちろん、ある人にとっては難しい文章が、別のある人にとっては簡単だというのはよくある。ただそれは、前提知識の違いや読み方の違い、たまたまその人の感性が筆者の感性フィットしている場合や、筆者に対してどのぐらい信頼感を抱いているかにもよる。もしそこに差がなければ、同じ難しさになるはずだ。

まり、もし自分と似通った能力を持っている人がその難しい文章を読めば、必ず難しいと感じるはずだ。

思考実験として、自分という人間コピーしたあと、その文章の読解に必要能力だけはそのままにして、さまざまな性格・さまざまな外見・さまざまな人生経験・さまざまな年齢に変えたとしよう。そういう人も同じようにその文章は難しいと感じるはずだ。

わかりやすい例を挙げるならば、タイからやってきたレンさんという存在仮定しよう。レンさんは、日本語猛勉強して、自分日本語運用能力と遜色ない能力を身に着けているとする。なので、レンさんは自分が難しいと感じる文章を同じように難しいと感じる。ここで、レンさんは外国語を相当なレベルまで引き上げることができたのでバカではない。つまり自分バカから文章が難しいわけではない、ということだ。

まりそれは、自分バカから難しい/読めないのではなくて、自分現在能力だと単に難しいというだけであり、「単に差があるだけだ」と認識する必要がある。その「差」とは「上下」ではなく、どのぐらい「違うか」というものだ。たとえばファッションに興味がない人が、ファッションの専門誌を読まないといけなくなったときほとんどの言葉は未知語ばかりで難しい。ただ、そのファッション言葉を知らなくても誰も自分バカだとは感じないだろう。それと同じで、難しい文章を読むための知識が不足している可能性があることだけを認識するだけで、難しい文章を読みやすくなっていく。

アーガイルやAラインシルエットという言葉を知っていても「ふーん」と思われるのに対して、ロピタルの定理はさみうちの原理を知っていると「賢そう」と思われるのは、文化ブランディングや前提知識の差によるものであって、バカとか頭いいとかそういう問題ではない。文化圏によっては真逆の扱いを受けることもあるだろう。

興味が無いと難しく感じる

それに対して一切の興味がないとその文章を読むことは難しい。

「知らなくてよい」「自分には不要」と思っていることを知ろうとするのは難しい。「嫌いな食べ物を食え」と言うのに近い。そもそもそれが自分にとってどれぐらい有意義なのか知らなければ読む進めることさえ困難となる。

興味関心の度合いは、難しい文章の難しさをどのぐらいまで我慢して読み進められるかという突破力に密接に関連してくる。興味が薄いと「こんなもの時間を費やす必要があるのか」と思ってしまうからだ。結論、興味とは「どのぐらい理解したいか」なので、興味が薄ければそれ相応の「理解したさ」になる。そして、それぐらいの「理解したさ」では頭打ちになる場所が来たときに、終わってしまうことがわかる。

知るのに費やせる労力が100で、知るのに必要な労力が101ならば、知ることはできないという単純な理屈であるそもそも「どのぐらいそれに投資できるのか?」という興味レベル重要になってくる。こうしたエネルギーをどう人工的に生成できるかは知らないが、自分を誤魔化してあたかパッションがあるかのように振る舞うことはできる。

未知語・未知概念・習熟していない語は難しいことを知る

未知語や未知の概念や、自分にとって慣れ親しんでいない言葉理解語彙ではあるが使用語彙ではない言葉)が文章中に出てきたとき、それを知らないことや習熟していないことは問題ない。また、それを知らないことで読めなくなることも問題ない。

大事なことは、そのときに、どの言葉がわからないせいで文章理解できなくなっているかを知ることだ。その未知語は、実は他の箇所で説明されていることもあるだろうし、本当に初出の言葉かもしれないし、筆者オリジナル言葉かもしれない。ともかく「この言葉を知らないから正確に読めていない」と考える。そうすることで「この言葉が全体の理解を妨げているのだ」ということがわかる。

実はその言葉はそのあと説明されるかもしれないので、いったん「こういう意味なのではないか」と推測して読むことも必要かもしれない。ともかく、文章が難しいのではなく、言葉が難しいだけなら、言葉を知ればいいという話になる。

文章によっては、循環参照になっている言葉もある。循環参照というのは、たとえば「AとはBである」という説明をしているのに、あとから「BとはAである」という説明がされて、結局何の説明にもなっていないような関係のことを言う。そういう循環参照された言葉は「筆者には自明から説明するまでもないこと」または「筆者も実はよくわかってないこと」のどちらかに分類されるのではないかと思う。こうした言葉は、別の場所自分理解せざるを得ない。

また、知らないことだけでなく知っている言葉でも、その理解度次第ではとてつもなく難しく感じる文章進化する。

たとえば、完全に説明できる言葉理解度を100%・未知語の理解度を0%として、理解あやふや言葉理解度を50%としたとする。そうすると、あやふや言葉10個入った文章理解度は、50%10乗で、0.09%まで低下する。理解度が90%の語でも、20個あるだけで12%まで低下する。この数値は、掛け算で雑な計算をしただけなので、実際のところは実験なりなんなりしないとわからないが、ともかく、あやふや理解言葉ばかりが並んでいる文章を読み解くのが困難だということそれ自体には納得していただけるものと思う。

自分では100%理解していると思っている言葉でも、実際には98%程度だということもある。むしろ100%理解している言葉などないと思ったほうがいいかもしれない。相手人生こちらの人生が違う以上、全く同じ意味で使われている言葉などないものだ。未知語うんぬんにとらわれず、どの語が理解を妨げているか検出できれば、あとは調べるだけになる。

厳密・正確に書かれた言葉構成されるものは難しい

事細かく書かれた描写を読み解くのはとても難しい。1つ1つの文も異様に長くなるため、本来平易な概念でも、ひとつ考慮漏れも逃さないようにするために緻密に書かれ、そのせいで難しくなることがある。

厳密にするのは必要なことも多いが、概要を示さないでいきなり厳密な論理展開を始める文章も多い。そうした文章は、読者に対して概要提示を忘れていたり、概要提示が雑だったりすることがある。

そうしたとき「これはとても難しいことを言っているけど、もし単純に捉えるとするとどうなのだ」ということを考えると、急激にわかやすくなることがある。

未知語うんぬんの項でもそうだったが、「わかっている側」からは「わからない側」が何を知らないのか一切つかめないこともあるため、「わかっている側が想像する知らないであろうこと」と「実際自分が知らないこと」に大幅な差があることがある。その差には、どのような手段でもいいから、自分で気づく必要がある。

例示・図示されてないものは難しい

例示・図示などで、二重に説明されていない文章もまた難しい。まず、文単体では理解しがたいものや、直観に反する文があったとき、それが筆者の思った通りのことなのか、筆者が誤って書いたものなのか、自分が間違った理解をしているのか、全然からないものがある。文だけで全く疑問に思わず次に進められれば問題ないが、ひとたび疑問に思うと袋小路に入ってしまう。そうしたときに「例示・図示されていないからわからない」と気づくことが必要になる。

信頼していない筆者の文章を読むのは難しい

興味関心の部分に通じるものでもあるが、信頼していない筆者の文章というのは読めないものだ。「本当にコイツが言ってることは正しいのか?」と思うと、すべての文に対して正しいかどうかの考察を入れることになる。

ほとんどの人は、反ワクチン天動説電波洗脳陰謀宗教団体関連の文章は読むに値しないと考えていると思う。これに関する是非は置いておいて、これらの書物になんら信頼を感じてない人にとって、これらの書物を読むことは大変困難になる。すべてを検証しなければいけないからだ。そういう人よりも、全幅の信頼を置いて読み進める人のほうがスッと「理解」していくことだろう。

基本的に、普通人達にとってこうした書物をたくさん読むのは苦痛しかないはずだ。たくさん読めば「ミイラ取りがミイラになる」ような状態になりかねないし、それを読んでいることで他者から嫌な目を向けられることを避けたいはずだ。興味も信頼も一切ないのに、そうした文章を大量に読むのは難しい。

「その文章を読む価値があるのか」という想いの度合いが薄ければ、それに応じて文章は難しくなってしまう。

TypeScript勉強する

TypeScriptとは、プログラミング言語の1つだ。これを学習することで論理的思考力が養われ、読解力が上がり、難しい文章を読むこともたやすくなる。実際に私もそうだ。

まとめ

実はこれは文章にだけ言えることではない。共通して言えることは「その難しいことをやるだけの価値があるのか」「自分人生の一部という、他にも選択肢がある中での、かけがえのない時間と交換するだけの価値があるのか」というモチベの部分にある。モチベは時間に応じて減衰していくので実際には習慣をつけるという能力必要だが、点火点であるトリガーではモチベは有能な起爆剤になる。習慣化や自分スケジュールに組み込まれることによって、必要モチベの量はだんだん減っていくこともあり、モチベだけがすべてではないが、基本は「価値あるぞ」と思えるかどうかだと思う。

本質的には、難しいことそれ自体は難しくない。難しいものにぶち当たったときに「それを突破する価値がある」と考えられるような自分状態を作り上げることが必要なのだと思う。

これが難しい。自分には突破できるという信念(自信)や、それを裏付けする成功体験や、たとえ無駄になったとしても人生において問題ないという経済状態あなたならできるのだと根拠はなくとも言ってくれる身近な人なども必要になってくる。これが難しいのだが、しかしそうした環境を手に入れるためにどうすればいいかは、ここまで読み進めてこられたみなさんならもうおわかりだろう。

2021-09-02

疑問なんだが皇室っているのか?

GHQの時点で解散で正解だったんではないか

権力を持たない、政治に介入しない、事業をしていない。存在理由あやふや象徴かいう不確実なもので俺には維持コストの方が問題な気がする。

年間いくらかかっているか理解しているのか。

皇室から離脱するにしても皇室から金が出ていたわけで離脱するならこれまでのコストを変換すべきじゃないのか。

俺には分からないよ、日本のやり方

2021-08-31

anond:20210830143129

釣りバカ浜ちゃんってサボり魔だけど営業成績はそんな悪くはなかったんじゃなかったっけ?

だめオヂって言われるほどだめオヂではなかったような気がする。

とはいえむか~しむかしに散髪屋でコミック2冊くらい読んだだけのあやふや記憶から間違ってたら合体する。

補・鴻巣友季子の時評は何が問題なのか:フェアな考察

 「続・鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」(https://anond.hatelabo.jp/20210829124450)の「鴻巣解釈検討」の項だが、Twitter鴻巣自身から、その読み筋についてのツイートは削除したので言及するのはアンフェアだと指摘されたため、これによらない形で検討する。

 なお、その後鴻巣は私のアカウントブロックするアンフェア挙動に出た。「そういうツイートをしていた」ことは紛れもない事実なので、記事の当該箇所を修正するような対応は取らない。

 さて、参照できるのはEvernoteくらいなので、解釈に相当する部分を引用しよう。

 ここで、帰省して初めて、母と二人で話した。

 父が体調を崩してからの二十年、幸せだった、と母は噛みしめるようにしみじみと言った。(わたしは-筆者註)驚いて声を飲みこんだ。

 記憶の中の母は、わたしから見ると、家庭という密室で怒りの発作を抱えており、嵐になるたび、父はこらえていた。

 不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた。p28

母本人の意識記憶と、傍から見た"現実"に齟齬があるのだなと思いました。

じつは、父が体調を崩してから(も)「不仲なころ」はあったということだろうと。

その後に、主人公の母が父を「いじめ」ていたことを父の亡骸に詫びる場面があります

いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。p43

このいじめが二十年間の看護介護中に起きたとは特に書かれていませんが、いつ起きたことなのかの明示もありません。

父が病気になる前にも、看護介護中にもあったのだろう、そういう物語として、わたしは読みました。ここが、作者の意図と違うと指摘されているところです。

鴻巣友季子、「8月の朝日新聞文芸時評について。」https://t.co/x7kg81XQPc?amp=1 強調は原文ママ

 

 二つの問題があるので先に整理しよう。

①「記憶の中の母は、わたしから見ると、家庭という密室で怒りの発作を抱えており、嵐になるたび、父はこらえていた。/不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた」。〈わたし〉がここで思い浮かべている「記憶の中の母」が介護であるか否かという問題

②単純に母が「覚えてない」と言ったことを理由に、記憶全般あやふやになっていると判断し、「母本人の意識記憶と、傍から見た"現実"に齟齬がある」と解釈してよいか、また「じつは、父が体調を崩してから(も)「不仲なころ」はあったということだろう」と解釈してよいかという問題

 ①については「鴻巣解釈検討」の項目で、鴻巣Evernote無視している「それから、/「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない? この二十年は病気という敵と一緒に戦っていて、関係が変わったとか」/と言ってみると、母ははっと息を呑み、「そう、その通りだ」と大きくうなずいた。」の記述から否定した。また、ここは母との会話であるから、母も「病気になる前」と「この二十年」は別だと、つまり「不仲だったころ」は「病気になる前」であるという〈わたし〉の前提を共有していると取らなければ非合理的である。無論、実は会話が噛み合っていないのだと読んでもよいが、その読みがテクストを豊かなものにするかよく考えた方がよい

 ②についても、母は「母ははっと息を呑み、「そう、その通りだ」と大きくうなずいた」ので、記憶が全く失われてしまっているとは考えにくい。言われれば思い出すのだ。また、「母本人の意識記憶と、傍から見た"現実"に齟齬がある」と仮定する(鴻巣は「思いました」としか書いておらず、そう判断する合理性説明していない)のであれば、父の棺の蓋を閉める際の「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」が介護中を/も指しているとすることは非合理的である。この仮定は、「夫を虐めた記憶」を含め、母のすべての記憶そもそも偽りかもしれないという、読みの未決定状態をもたらすからであるこの仮定のもとでは、「弱弱介護密室で」「虐/待した」を事実であると確定することは、〈母〉も含めた作中人物の誰にも、テクストを読む誰にもできない。よって、介護中の虐/待を作中世界で起きた出来事として捉えることは、合理性を欠く、評者の「主観的」な決定行為にすぎない

 

 鴻巣の読みがいかに非合理的であるかをここまで確認した。私は「非合理的である」ことを示したまでで、「不可能である」とは言っていない。また、「非合理的な読み」は「解釈」と呼ぶに値しないと考える。

 なぜ鴻巣の読みが合理的でないと示さねばならなかったかといえば、それが鴻巣の主張が成り立つための必要条件であることを、鴻巣自身が認めているかである

 鴻巣友季子の読みは合理的ではないと私は考える桜庭の代弁ではない。私個人の考えである。だが、私の考えは合理的であると考える。

 よって鴻巣自身の読みが合理的であるということを説明してから議論するよう提言したところ、このやりとりを最後鴻巣ブロックされた。

 鴻巣桜庭議論リアルタイムで、公開で、Twitterで行われており、何が自分の主張を正当化するかについてもツイート宣言している。この「応答」はTwitter上で行われているはずだが、私には確認することができない……わけがないんだからブロックなんてしない方が得だと思うんですけどね。

 私は、「介護中の虐/待を作中世界で起きた出来事として捉える」「評者の「主観的」な決定行為」は自由であると認める。

 しかし、それを個人の読みとしてではなく、作品の要約(としてどう見ても読める箇所)に断定で書くという行為は別の問題である

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