はてなキーワード: 「楽」とは
今まで当然のように享受してきた特権性が、実は空気イスだったことに今更気づいたが、簡単には適応できない。新しいコピー機使いこなせない人的なアレ。
「特権」なんか最初からなかった。フェミの妄想でしかなかった。
なかったところから無理やり奪い取られ苦しんでる。
仕事において主に男性が分担していたものは減ったが、その分、過去においてはいままですべて女に押し付けられていた家事や育児を新たに分担しなくてはならなくなった。慣れない家事や育児おつかれさまです。早く慣れましょう。
仕事において男性が負担してたものは全く減っていないが、過去において女性が分担していた家事や育児も押し付けられつつある。
モノの分かった責任者の頭数が足りない問題。責任を伴う社会的ポジションにいる女性の絶対数もまだ少ない。
男が楽になってるわけじゃない、と感じる理由には以下のものがあるのではないか、と愚察いたします。
要するに超資本主義の過激な進展における労働者の悲しみと、特権だと思ってたものが誰かの不利益に基づいたアンフェアなものだと強制的に気づかされたタイミングが同じだってのが、現代の男性が置かれた不幸だとは思う。
家に金を入れる取り決めになっているのでニートしてる場合じゃないんだけど、なし崩し的にニートになった。
就職できなかったのは、元々就職しようという意識がほとんどなかったのが一つ。就職したら今まで以上に自分のためだけに使える時間が減り、今も生きるのが辛いのにもっと辛くなると思っていた。そこまでして生きる意味が分からなかった。
そして就職活動を「会社の奴隷になる権利を得るための努力」としか認識できなかったのが一つ。
最後に、申し訳程度にやった就職活動が全て書類段階で失敗に終わり何もかもどうでもよくなったのが原因だった。
前置き終わり。
……一瞬で1ヶ月が過ぎた。
起きて、飯食って、ネットサーフィンして、趣味の曲作りやって、自分の無能さに自己嫌悪して、何もかもに嫌気が差して寝る。それが約30回繰り返される。
ずっと大学生の春休みの延長線上。締まりのない日々。楽だけど虚無。でも楽。これ以上無いくらい楽。「楽」ってだけで何にも代えがたい。でも楽なだけで何にも楽しくなかった。自分を満足させることもできなかったし、誰にも必要とされなかったから。それは今も昔も変わらないけど。
肝心のやるべきこと、就職活動は1秒もしなかった。
できなかった。
本当はするつもりだった。
貯金が尽きるまでには収入源を確保しなきゃと思いながら1秒たりともバイトの求人情報にすら触れなかった。
貯金があるうちはまだ大丈夫だろうという楽観的な気持ちもあったが、一番の原因は「自分が就職している未来を想像できなかった」から。自分が社会に必要とされる未来などあり得ない。だから何もしたくなかった。このままではダメだ、何かしなければと思いながら。
心の底では自分の人生を好転させようという気がない。好転させられるなどとは微塵も思ってすらいない。ただ上辺で「ニートを脱するのが“正しい”からニートを脱さねば」と思っているだけ。周りの人間たちは頑張ってと言ってくれるがもはや自分の人生などどうでもいい。この人生は失敗作になることが確定しているから。
たぶん貯金が減るにつれもっと辛くなっていくのだろう。でもさすがに貯金が無くなる頃には生命維持のために動くだろうと楽観視してる自分がいる。
とりあえず貯金が尽きたらフリーターになって、フリーター生活も辛くなったら死ねばいいやと思っている。
本当は音楽クリエイターにでもなってみたいから勉強はしているが、曲を上げても10再生がいいところなので無理か。やはり力こそ正義なんだと思う。私には力が無い。
仕事して金を稼ぐことと、家で家事育児をすることを対比してどっちが大変か…という話はネットでよくネタにされる。
私は男であるから、仕事するほうが大変だと思っているが、その幾つか理由の一つの派生が題目。
主婦業っていうのは、他人と関わらない、失敗しても誰にも文句を言われない気楽な作業なんだよ。
敢えて言うなら、夫と子にその資格があるわけだが、主婦にはその自覚はないでしょ。
夫が文句言ったところで「申し訳ないな」と反省する主婦は、この日記を読んだりはしてない。うるさい、ならお前がやれ、という開き直った根性の持ち主が読んでいるはず。
子は親の家事に対して正解が分からないから、文句なんか言いようないし、子にビクビクしながら家事しているのならはそれは親として別の問題がある。
幼児に対して死活問題で気楽なわけがない、と反論があるだろうが、幼児に対して問題が起きたとき、一番ダメージを負うのは主婦本人であり、結局「他人に・・・」という話の反論にはなってない。
一方で仕事というのは、どこまで行っても他人と関わらなければならない。
後でやろうと思っても上司、お客に文句を言われ、内容が気に食わないとやり直しをさせられ、そもそもやる仕事自体を他人に決められるという始末。
他人にサービスを行う対価として金を稼ぐのだから、それは当然の話し。だから仕事というのは大変なのだ。
さて、題目に戻ろう。
嫁姑問題というのは、嫁の家事に対して姑が口を出してくるのが一番の原因なんだろう?
今まで自分のペースで自分が決めた目標、過程を好きなようにやれたのに、それに姑という他人が口を出してくる。
一度働いたことのある人間が、本気で「家事のほうが仕事より大変」と思うわけがないと思っているが、バイトやパートしかやったことのない主婦は、絶対に反旗を翻せない姑と常に家事をしなければならないのが仕事だと思えば、その辛さが少しは分かるだろうか。
どうせ脱線気味にとんでも理論で反論してくる輩が湧くだろうから言っておくが、家事が絶対価値で「楽」だとは言っていない。仕事と比べた相対価値の話をしている。
なお私の母は9-17時の仕事をしながら家事をしていた。こういう仕事しながら家事をしている女性も多くいるのだろう。彼女らには尊敬の念を抱かざるを得ない。
私はONEPIECEが好きでした。
ONEPIECEを好きになり、USJや東京タワーに行ったりするようになり、グッズを買ったり、Twitterを通じて色んな友人ができました。
何か特化して生み出すことができない私でしたが、新しいコンテンツや商品にはしゃいだり、ONEPIECE関係なく旅行に行ったり、Skypeで遊んでました。
でもこの関係は、ONEPIECEを通じての関係で、友人達は皆、ONEPIECEが好きなんですよね。
前述の通り、私は白ひげが好きでした。
去年のお正月のことです。
作者の尾田さんのメッセージが、公式LINEの画像で送られて来ました。
あれを見た瞬間、私の中で確実に何かが終わりました。
尾田さんが、白ひげ海賊団を好きじゃないのではないか、という話は以前から友人の間でも話題になったことがありました。
エースというキャラクターは死ぬために作ったとか、隊長の名前も本編にすべて出さないとか。その他色々なことを加味して、そんな話が出ていました。
白ひげが死んだとき。
最初にエースが助かったと見せた翌週に命を失い、それだけでもショックでした。
そこへ、オヤジの死。
あのときの、衝撃。彼らがエースを助けて、また海へ出ると思ってたのに。
楽
辞書では、心身に苦痛などがなく、快く安らかなこと。また、そのさま
だそうですね。
去年はサンジyearでした。
決して、白ひげ海賊団に起こったことが、サンジyearに比べて心穏やかとは思えない。というか、比較する必要あった??
友人達は大好きです。
でも彼女ら彼らに、この理由で私はONEPIECEというコンテンツから抜けましたとは、言えない。
でもね。悔しくて。
グッズに総額100万以上は注ぎ込んだ。
大好きだった。
白ひげ海賊団が2年後壊滅していても受け入れようと思ってたけど。そういうレベルの話じゃなかった。
怖いのは、周りの誰も、あの言葉について発言しないこと。私のように、秘めてるだけかもしれない。
作者が全て
だけども、ある意味不幸じゃなくて、老いるまで起きて稼いで食って寝てできるようになる状況になれば勉強なんかしないでいい。日本の企業を蝕む病ではあるが。
一方、つらい状況にあるやつに解を与える仕事もある。それは本を書いたりセミナーを開くこと。
無論、顧客のつらい状況に合っていればそれは尊い仕事でしょう。
しかも、起業というのは、結局安定的に売上と利益が出てればいいのだけど、その道は一本ではない。また、社長の行動次第だから、教えてうまくいかないというのはザラ。
新しい商品をめがけて努力しても、大概はうまく行かない。修正すればいいのだが、なにより、普通は修正がまにあう前に金が尽きて起業は終了。
「知識」で言えば、それこそ商学部2回生で習う程度のもの。20歳ぐらいの商学部の真面目なオネーチャンなら、基礎的知識は持っている。それ以上は様々な事例に対するケース。
故に、肩書やら煽りばかり凄そうだが、相手にマッチしていない的はずれなセミナーもある。だが、そのセミナー自体が解だと思えば人は集まり、儲かる。
ある意味、品質を保証しないでいいという楽な商売だな。経営がらみの情報商売は。品質を保障しようがないというのもあるが。
そんな「楽」な商売でもやっぱり顧客候補になる奴がいないと始まらない。どんなやつかというと「起業しようと思ってるができなくて苦しんでるやつ」だ。
誰も起業をしようとしなければ、起業を支援するという情報商材屋は飯の食い上げだ。だから起業を煽る。
新興宗教を知っている。それはいかにもお前適当に言ってるだろうという不幸をあおって、その原因は先祖の誰それでオレが払ってやるから金を出せというもの。
確かにいろんな問題は時間が経てば解決する。だから、金をもらって時間稼ぎすれば解決して手柄になるなぁ。とは苦々しく思ってもどうしようもできないとは感じてる。
と言っても、幸せになれば新興宗教は用なしだから、次から次から適当な思いつき不幸を言ってくる。さらに周りも巻き込もうとするから性質が悪い。
手堅く楽に解決できる道を選ぼうよ。そして、「誰かに教えてもらおう」というのはやめろ。そいつが依存させようとしないという保障がドコにある。
幽☆遊☆白書の邪念樹みたいに幻覚を見せられて、一生食い物にされるだけだよ。
それより、今は検索というものがある。さらに書籍内容と検索がそこそこ対応するようになってるから、腹たつことがあれば、それで検索をかければ、マッチする本を見繕ってくれることもある。
人に頼らず。本に頼ろう。
真夏はそもそもチラー使っても冷えなくないですか?カウンターフローチラー使えば別だと思いますが。
いや、適切に管理されたチラーが良いのは重々承知なのですが、狭いアパートの風呂場でアレを振り回すのがめんどいという理由で、風呂場ドブ漬け方を推奨しています。今回の話は「楽」を追求しているので。
澱引きは個人的に必須だと感じています。瓶内二次発酵で炭酸を供給する自作ビールでは、澱をできるだけ瓶内に入れないことが味の決め手となります。逆に酸化の危険性については、澱引きの段階ではまだ微発酵が進むので、ほとんど心配がないというのが個人的所感です。実際、今まで作ったビールも4ヶ月-1年ぐらいの間はピーク時の味が維持できていましたので、酸化よりも澱のほうが味に与える影響はでかいと、個人的には結論づけています。ただ、シリンドロコニカル容器なら、そのままでもいいかなと思いますが。
先日、妹夫婦の家に遊びに行ったが、その子供(3歳)がうるさい。
声も大きければ、床も飛び跳ねるし、正直手に負えなかった。
大変だなあ、と思ったが、どうもフィンランドでは子供のこういう態度は注意させてやめさせる対象になるらしい。
曰く「大人も住んでるのだから、共存の術を教える必要がある」とのことだ
日本で保育園がうるさいと忌避されるのは壁や窓が薄いハードのせいだと思っていたが、
子供のしつけ方が住環境が過密でなかったころからアップデートされていないのも原因ではないか
というか子育てで「子供につきあう」ことが至上になっていると思う。
学ぶには手を動かすことが有効であり、とにかく手を動かすためにはとりあえず写経するのが手っ取り早い。教える側もただ写経しろというだけでいいし、教わる側も知識もない内から必死に考えたふりをする手間を減らせる。つまり、多くの学生・教師にとっては写経はとても効率的であり、写経の機会を奪うコピペはとりあえず絶対悪という事にしても問題がなかったのだ。
インプットからアウトプットにステージが移っている状況でコピペにアレルギーの如き反応を示すべきではない。
私は「学生気分」という言葉は嫌いだが、アウトプットする事を本業としている状況とインプットする事を本業としている状況でスタイルを全く切り替えられない人間は無能と言うしかない。
コピペのメリットがただ「楽」だけだと思っている人間はいよいよ持って無能どころか害悪である。
まず「早い」。
これは非常に重要だ。
1人の人間が1人分の仕事ができるはずの状況で、「拘りのスタイル」を発揮しすぎて1/2人前の仕事しかしないのならば、それは社会全体にとっての損失であろう。
選択範囲を間違えたり、元々の文章が間違えている事は確かにある。
確かにあるのだが、それらはコピペする時にカーソル周りをよく見ていれば防げる。
だが、コピペすればいい文章を手打ちしようものなら、元と入力先の両方の間で目を動かす必要がある。
そうすると一点を集中してみているときよりもミスが増えるのは間違いない。
チェックする事に集中してからパっとコピペするのと、ダラダラと文章を読みながらタイピングしているのとでは、ミスの発見精度に差が産まれるのは当然だろう。
だがそれらを「コピペしなければ起こらなかったミス」だと考えるべきではない。
なぜならそれらは「コピペで済ませたことで浮いたはずの時間の半分でもチェック作業に当てれば防げたはずのミス」だらけなのだから。
怠惰だからコピペで済ませたあとにチェックをせず、そうして生まれたミスの責任が自分にあると認められないからコピペのせいにするのである。
さあ、今一度君たちに問いたい。
ゲームはPS2までしかやってなくって、その後steamでレトロ風なインディーズゲームを100本くらいプレイしてるsteamerなおっさん。
インディーズゲームは無駄に引き伸ばさないから1作10時間未満で終わるのが多くていいね。steamゲームが難しいのは、難しさを楽しませるゲームデザインが進歩した成果であり、難しくはあっても理不尽でも面倒でも無駄に時間を消費するわけでもない。つまりゲームオーバーの持つネガティブな部分を削り取って、ゲームオーバーのもたらすポジティブな効果だけを抽出した結果が難易度に現れているわけ。そのへんはスマホゲーの方が詰められておらず、不要なストレスを与えられてしまう作品が多いと思う。
ちなみに、salt and sanctuaryの(イベント戦を除いた)最初のボスは戦い方に慣れてないこともあって、ゲーム全体を通じてもかなり苦労する方だよ。あと落としたソルトを取り戻すというダークソウル風のゲームデザインに組み込まれているので一概に否定はできないが、salt and sanctuaryの復帰システムは死にゲーの中ではかなり不親切。
実況動画が「楽」ってのは確かなんだけど、それを見るだけだと本来は得られたはずの新しいゲーム体験が得られないのが勿体無いと思ってしまう。自分もマイクラとかdon't starve系は性に合わないので実況動画見てしまうけど。
最近アメリカのとある州並の時給に上げろ!と議論されたり最低時給1500円にあげろというデモが行われたりと賃上げ闘争がやや活発になってるわよね。
でもねぇ…企業人事に携わった者として無資格無技能なやつをなんで1500円で雇わなきゃならんって思うわよ。
所詮大人になっても時給制バイトや非正規なんて学生時代に「楽」を選んだ奴なんですわ、その怠惰っぷりが大人になって返ってきてるんだわ。そんなやつをなぜ高時給で雇わなきゃならんのだよ。
私はねぇ、高校時代周りがタバコを吸いつつ放課後カラオケやゲームばっかしている奴と違ってとにかく勉強三昧だったんよ、高校二年生の頃からは部活終了後塾に通うし、もちろん土日も塾に通いつめたんよ。
高校の課題と塾の課題をやりこなすのはとにかく苦しかったわ。泣いたこともあったわ。でも学生時代に苦しんだおかげで今はそれなりに楽に生活できているわよ。少なくとも金銭面ではね。
時給1500円になれば企業はますます自動化をすすめるんよ、工場は海外へ、AIの時代が来ればなおさらだわ。
AIが爆発的に普及するのは10年単位はかかるだろうけどねぇ…まあその頃に最低時給1500円だとかなりの無資格無技能なバカは職にありつけないんじゃないの?
AIが普及すれば最低時給は500円に下げないと雇用は守れないと思うわよ。ちょっと下げ過ぎかしら、バカでも最低限度の生活は守ってやらなきゃならんしな。
学生時代に楽をしたバカは大人になって苦労する、それを今の高校生にはわかってもらいたいものだわね。
「勉強なんて社会に出たら役に立たないしぃ、だから勉強しないわぁ!」とかよく言われるけど確かに三角関数とかmolの計算なんて私の業界では全く使ったことはないけど。でも社会に出る途中(試験とか)にはバリバリ必要だわよ。
世の中の高校生諸君はモンストやグラブル、デレステみたいなスマホゲーばっかしたり、流行りのアイドルやバンドの追っかけばっかしてないで勉強もして苦しんでほしいものだわね。
息抜きは必要だけどそれがメインになっては駄目だわ。私の高校時代の息抜きはテストで高得点とった休みの日はゲーセンによく行ってたのを思い出すわ。でも月1くらいだったわね。
スマホゲーは本当人間をダメにするわよ、ギャンブル性とイベントで縛り付けて廃人にするっぽいわね。作っている奴らは高学歴、ハマるのは勉強できない低学歴バカよ。バカは所詮搾取される運命なんだわ!そうならないためにも学生時代は苦しむべきだわね。
四十代になるおれだが、二十代で聴いたフィッシュマンズ『空中キャンプ』はリアルタイムで聴いてこれは一生モノだと思った。
最近こんなサイトを見掛けたのだが、やはり今でも「名盤」として扱うヤツは多いようだ。
https://matome.naver.jp/odai/2145845659088093801
でも、嬉しいと言えば嬉しい反面、どこかしっくり来ないものを感じる。
大体、九十年代にバカ売れしてたのって『空中キャンプ』じゃないんだよ。
スピッツ『ハチミツ』とかミスチルの『深海』とかああいうのが売れてたんだよ。批評家はそれを聴いて騒いでたの。
当時のロック史調べてみたら分かるけど、ロキノンも含めて何処もかしこも当時のフィッシュマンズを表紙にしたりしてなかったの。
例外があるとすれば『スタジオボイス』くらいじゃないかな。それくらい当時の扱いは小さかったんだ。
まあそれはそれで、批評家が評価を改めて自分の審美眼のなさを恥じたってことで片づけても良いんだろうけどさ。
今の若い子がね、そんなに「バカ売れ」してたわけじゃない、当時でさえマニアックで匙を投げたヤツが多い『空中キャンプ』をね?
「これは聴かなきゃいけない」って無理して聴いてるのを見ると気の毒になるのよ。
「これが分からないようじゃ自分はロックを語る資格はない」みたいな思い込みに囚われてるヤツが可哀想なの。
「音」を「楽」しむと書いて「音楽」で、自分のフィーリングに合ったものを聴きゃそれで良い話でしょ?
今の世代の人間がなにを聴いているか分からないけれど、それも次第にクラシックになって行くんだからさ。
多分今の若い子はアジカンの『ソルファ』とか聴いてるんだろうし、アジカンも歴史に残るんだろうな。そんなもんなんだよ。
若い子は、当時でさえ殆ど理解されなかった『空中キャンプ』を無理して分かろうとする必要はないってことよ。
おれは『空中キャンプ』を心底愛するから批評家の補正に腹も立つ。でもそれ以上に「教養」で無理して聴く若い子、そしてそれを強いる自称「音楽通」に腹が立つの。
そんなヤツからは逃げた方が良いよ。そりゃ聴いてなきゃもったいないアルバムだと思うけどさ、ピンと来ないならその感性を信じたら良いんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20160701155649
単に何も出来ないくせに研究室に所属しようなんて思うからおこがましい。
大学に来るのが間違ってる。
勉強しようってやつらだった。
当然、まともに研究する気も無いもんだから、ちょっとでもやらせようとすればこじれる。
そしてブラック研究室だと騒ぐ。
研究室によってはそういうのが続くことがあって、それでその研究室自体がブラックだとか言われるがそうじゃない。
そういう「楽だ」とか言う噂が流れて行き着いたらブラックだった、というのであれば、
「真面目に研究しようとする人」にとっては楽というか、きちんと研究をさせてもらえて良い研究室なんだろう。
色々と教えてもらえるしやらせてもらえるし、研究を進めるのが「楽」。
ただ、そういった研究室に増田の様な馬鹿が入れば、無理やりやらされる、時間をとられる、だの、そもそも研究室に入った意味がわからないような事を叫び、
逆にこの増田が入った研究室なんかは、教授も最初から学生に対して諦めてもう何もしなくていいよ、さっさと出てけよ、アホが、と言うとこなんだろう。
彼氏が、今朝書いた日記が、やたらとバズったと嬉しそうに見せてきました。先週の私達の毎日のパッチワークみたいな日記だったのですが、なんだか、創作創作言われててちょっと可哀想なので、フォローさせてください。
まず、本人ヒモと言ってますが、ちょいちょいフリーで撮影の仕事してます。ただ、お小遣いレベルでしか稼いでなく、共有の生活費口座には私が入れているので、世間一般的にヒモと呼ばれてしまうのかもしれません。本人は楽しんで自分のことをヒモヒモ言ってますが、私は全然ヒモだと思ったこと無いですが、主夫だと思ったことも無いです。いつも話すと色々と賢いし、料理は外で食べるよりもずっと美味しいし、仕事の愚痴も聞いてくれるし、優しいし、ドヤ顔が小学生みたいで可愛い。ちょくちょく掃除が雑だったり、洗濯物を夜まで干しっぱなしにしてたりしますが、そういうのは私が気づいた時にやってます。別に、それで良い。もっと言うと彼が今みたいに料理や家事ができなくなっても、好きなことを毎日楽しそうにやってたらきっとずっと好きです。
ちょっと前までは自分より年上の仕事できる男性や、年下のスタイルのよい顔の良い男性なども付き合ったこともありましたが、私の仕事が超ハードワークなこともあり30超えてからの恋愛はどれも半年ももちませんでした。今の彼氏とは一緒に住み始めて、1年になりますが何よりも「楽」です。何を話しても引かないし、何を話してても楽しい。色々と重なって私が機嫌が悪い時も上手く放っておいてくれたりと、なんだか全部がしっくりくるんですよね。
結婚は、来年中くらいにできたら良いかなと思ってます。実家の両親も最初は彼が仕事の話を避けまくるので不安がってましたが、最近は実家に連れて行くとお父さんと一緒に釣りに行ったり、お母さんと一緒に台所に立ったりして楽しそうです。私は、彼とお母さんが一緒に作ってくれた手料理を実家で食べた時に、泣きそうなほど嬉しくて、この人を離しちゃダメなんだなとー実感しました。カツオを姉に渡してたの知りませんでしたが仲良いみたいで良かったです。
今は私が稼いで、ほとんど全てのお金払ってますが、おそらく仕事できない人じゃないと思うので、私が妊娠したりして「俺稼いでくるわ」とか言い始めたら全然働く気がします。でも、ナイーブな人なので、会社に入ってあんまりハードに働いて傷ついてほしくないないんですよね。時々入る仕事を楽しそうにやってるので、それを見れる事が一番だなと思ってます。
あと、好印象なコメントを沢山いただいたこと喜んでいるようです。ちょっと喜び過ぎでウザいですが、まあそれも可愛いかな(笑)私も自分たちの生活を友達とかに言い難かったので、羨ましく思ってもらえるのは驚きでした。私達みたいな生活したいカップルもいると思うので、少しでも後押しできたなら嬉しいです。彼氏が家に居てくれる生活楽しいですよ。週末はほぼ飲み会とか、休日出勤とか、仕事で朝帰りとかしてるのに私の生活に一度も怒らない彼はやっぱり凄い人なんだと思います(体調は心配してくれるけど)。
本人から、幾つか弁解してくれというので、最後にちょっとだけ。
>温かい日に、なま物を持ち歩くの良くない。
「氷入れた保冷バッグで今くらいの季節なら2時間くらいは全然大丈夫。本当はさくっと帰ろうかと思ったけど、美味しそうだったので食べて帰ることにした。美味しかったので後悔はしていない。」とのことです。
>行き先決めてないのに保冷バッグ持ち歩く?
彼氏の日課がほぼ「食材の買い物」なので、愛用の保冷のキャリーをいつもズルズルと引っ張ってます。本人曰く「突然買い物したくなっても楽だから」
「午後二時くらいまでに干せば夜にはだいたい乾くけどなー」だそうです。生乾き多い原因わかりました。ありがとうございます。
>時間の設定が甘い。
これは、おそらく違う日の話をくっつけたからだと思います。カツオ食べた日と、会社の近くまで迎えに来てくれた日、先週の別日です。
トゥタヤ可愛いですね。あと、BLじゃないですよ。列記とした30代中盤のおばさんです。
>私の心境をつづったコメント
俺(http://anond.hatelabo.jp/20160309093555)は元々(http://anond.hatelabo.jp/20160308000241)の増田とは別人だから、「楽な選択」と俺は言ってないんだけど、仮に言ったと仮定してもやっぱりわからん。
「非正規を選ばざるを得ない事情があったはずなのだからそれは当人にとって「楽」ではない」という意味で合ってるか?なんにせよ、元々の増田(http://anond.hatelabo.jp/20160308000241)の発言が「人間性を踏みにじっている」とみなされるのは、端的に言って「事情に対する配慮」が無いと考えられるから、ということで正しいか?
最近のラノベでも最近のアニメでも最近の漫画でもいいですが、この手の批判(?)をネット上ではよく目にします。
「最近のラノベはいじめられっ子の中高生が自己投影して楽しめるように初めから一切努力せず異世界とか行って無双するものしかない」みたいなのね。
1.フィクションに自己投影して楽しむのが悪いかのように言っている
全く悪くありません。フィクションの楽しみ方は人それぞれです。
全くいないとは言いませんし聞いたわけじゃないので完全に想像なんですが。理由は3に絡めて語ります。
3.フィクションに自己投影するのが「楽」で「弱い」楽しみ方だと思われている
これは1の「悪いとされる理由」にも関わるでしょう。
別に楽で弱くても全然悪くはないし、悪いと見做す態度こそ悪しきマッチョ主義だと思うのですが、そもそも「楽」というのに大きな誤りがあります。フィクションに自己投影して楽しむというのはなかなかできることではありません。
物語を描く上で「共感を得られるキャラクター作り」は極めて重要だと言われます。
たとえ現実離れしたキャラクターであっても、何かしら弱点を設定するとか、普通の人間にも通じる悩みを抱えているとか。
これは現実でもそうですが、人は他者を見るとき、相手が自分と重なる部分があると思うからこそ、「自分だったら」という感情が働き、相手の内面を想像しようとするのだと思います。
そういった意味では誰もが現実非現実を問わず他者に「自己投影」しているのでしょうが、一般に言われる「自己投影」は相手を自分の分身と捉えることだと思います。
しかし、そんなことがそう簡単にできるでしょうか。
「ラノベ主人公はオタク中高生が自己投影できるように無個性な『普通の高校生』に設定されている」とか、その逆に「自己投影して楽しめるように最初から最強で一度も負けない主人公しか受けない」とか言われます。
前者に関しては、「共感」しやすいように平凡な造形にしている面はあると思います。しかし、読者/視聴者が同一視できるほど彼らは無個性でしょうか。
後者のキリトや司波達也はもちろん、前者に分類されそうなキョンも折木奉太郎も阿良々木暦も高坂京介も、自分が見た限りはっきりと人間性を描写されています。
人間としてのディティールが細かくなればなるほど、当然に読者と「違う」部分は増えていくでしょう。彼らは自分なら言わないことを言い、しないことをします。明らかに彼らは自分じゃありません。
また、多くの作品では主人公はもちろんその仲間たち、敵に至ってもそれなりに共感できる部分を描かれています。作品世界で主人公だけが共感できる対象ではないのです。
こうした状態で自己投影ができるなら、それは(皮肉でなく)稀有な才能と言えると思います。
また、自己投影したとして安楽に無双やヒロインたちに愛される快楽が得られるかというと、これもそうとは思えません。
私は自己投影してプレイしたことのあるゲームがあります。艦これやデレマス(音ゲーじゃなく、最初の「モバマス」と呼ばれていた方)などで、あれらの作品ではPCの人間性がほとんど描かれていません。
プレイヤーが彼らを「自分の分身」として操り楽しむためだと思います。
キャラクターの中には提督やプロデューサー(=私)にとりわけ強い好意を向けてくる子がいます。その結果、私は幸せになれたかと言うと、そうでもないです。むしろ愛されることに変な罪悪感があるのです。
「俺なんかのことを愛さないでくれ」「俺はお前の仲間をよその事務所に売却したし、中破した状態で進撃してお前の仲間を轟沈させているんだ。そもそも鼻くそほじってアニメ見ながらプレイしてる」「俺に愛される資格なんかないんだ」
というような。
私がガチ勢で決してキャラクターを犠牲にしないプレイをしていたなら、女の子に愛されてもまだマシだったかも知れませんが。
(個人的に、自己投影して気楽に楽しめるゲームとはPCの人間性が描かれないのに加え、NPCがPCに対して一切人格面での好意を向けず、ゲーム中での成果についても過大に讃えたりしてこない作品だと思います)
つまり、自己投影というのは主人公のキャラを立てざるを得ない多くの小説や漫画、アニメといった作品では難しく、仮にできたとしても批判者が考えているような「楽して無双やハーレムの快楽を享受できる作品消費」ではないのです。
なんというか、「正しい楽しみ方なんてない」と言いましたけど、結局、大抵の人の楽しみ方ってそんなに多様なものではないと思うんですよね。個々の作品への好みはあるでしょうけど、オタク中高生が異世界でチーレムする作品を愛好する中高生も、筋肉もりもりマッチョマンな歴戦のオッサンが泥臭く戦う話を好む(自称も含む)オッサンも、多分同じような楽しみ方をしてますよ。前者が後者を楽しむことも、もちろんその逆も普通にあるだろうしね。
人間だから、好みが正反対の人間でも重なる部分があったり、すごく気の合う人間ともわかり合えない部分があったり、自己投影という鑑賞姿勢を批判する人はそういった認識が欠けてるんじゃないでしょうか。