はてなキーワード: 潜在的とは
うちの子は遺伝的父親(以下、Aとしよう)を全く覚えておらず、うちの妻もAとの接触は十数年間一度もなく、Aの両親から支払われていた養育費は再婚時に止めた。
なので我が家にとっては「Aなんて男は存在しない」っていう体で今まで平和に暮らしてる。
共同親権は既に離婚済みの夫婦でも適用できるらしいので、Aがそれを求めて申し立てを行うことも不可能ではなくなるだろう。
つまり、共同親権は我が家にとって特にメリットはなく、ほぼ心配ないとはいえリスクはある。
それでも俺は、共同親権が導入されることは正しいと考えてる。
自分の家庭の都合のために、「罪のない、親権を失った親」を犠牲にするのは間違っているからだ。
共同親権を推進する立場の運動家にはDV加害者が多いのかも知れない。
ただそいつらの罪は、「特にDVなどの非がないのに、配偶者と不仲になっただけで親権を失った親」には関係ないことだ。
彼らの中に「親権者として認められたい」ニーズがあるなら、それが仮に圧倒的少数派だったとしても、切り捨てることはできない。
共同親権が解禁されることで生じる新たな問題は、個別に対処していくしかない。DV加害者を見極めて親権を与えない仕組み、危険が生じたときに警察や司法が適切に介入する仕組みは必要だ。
「その仕組みを完璧に構築するのは難しいから、全ての別居親を潜在的DV加害者としてまとめて遮断しよう」という手法は許されない。
これは俺自身が、「シンママと結婚しようとする男なんて小児性愛者なんじゃないか」という偏見に苦しんだ経験に基づくものだ。
(リアルな知人にそんなことを言われたわけではない。ただネットでそれを公言するやつはとてつもなく多い)
シンママの交際相手が子供を虐待するニュースが出るたびに、「公的な審査を受けて認められなければシンママと結婚できないようにしろ」と主張するやつらが現れる。シンママとの交際を望む時点で、潜在的犯罪者として扱えという主張だ。
虐待は実父母によっても大量に行われているのに、親になるすべての人を疑うのではなく、「子供と血縁がないやつだけ疑え」というのだ。
自分と違う属性のやつが犯罪を犯したときだけ、その犯罪と属性を紐付ける。これが差別でなくてなんだというのだ。
そんなことを言うなら、シンママ自身による虐待だって発生率は高い。一度壊れた家庭は葛藤レベルが高く、人間関係の構築に失敗する例が多くなるのは仕方ないことで、それは再婚しようと再婚しなかろうと同じことだ。
この偏見に苦しんだことがあるから、俺は「すべての別居親をDV加害者と疑う」ことに反対する。
そうなれば自分のスタンスは「共同親権には賛成、だが適切な制度の整備と運用を求める」しかない。
それが自分にとって不利な方向への変化だとしても。
子どもの頃から胸が大きく、同性の同級生にからかわれたり、カップ数を聞かれたり、勝手に触られたり、写真を撮られたりしていた。そして同性がものすごく苦手になった。街ですれ違う同性にじろじろ見られるのは日常茶飯事だし、最近だと、服屋で試着していたら女性の店員にお胸が大きくていらっしゃいますね〜と言われたことが2回あった。顔面に向かって吐いてやろうかと思う。
男性はわたしの胸をじろじろと見たりはしない。裏ではあれこれ言ってるんだろうけどわたし本人に聞こえるところではいっさい言及しない。どう考えても男性のほうがまし。
わたしは女性として男女差別のない世界になってほしいと思っているけれど、男女差別をなくそうとしている女がよく言うシスターフッドなるもののよさを信じることはできない。わたしの胸を人前で大声でからかったり鷲掴みにしたりしてきた女たちの間にもシスターフッドはあったと思うから。というかそれこそがシスターフッドのひとつの側面だと思うから。陰湿な暴力性。
トランスジェンダー女性を差別する人が女性だけのスペースの重要性をよく説く。確かにそれは大事なものだし、わたしも男女混合の更衣室や浴場には入りたくないが、それは女性だけのスペースが安全だからではない。潜在的加害者の数が半分に減るから、それだけ。女性だけのスペース=安全と思い込んでいる女(いや、彼女たちにとっては実際に安全なのだろう)とわたしは絶対にわかりあえない。
女性は女性に対しては何も言っても何をやってもセクハラにならないと思っている。自分たちはいつだって純度100%の被害者だと思っている。ちがうから、本当に。
むかしTwitterで同性からの性被害についてツイートしたら、女に(プロフィールを見たらこの人もトランス差別主義者だった)「男から女への性暴力と、女から女への性暴力だったら、前者のほうが心に大きな傷を残すに決まっている」と引用ツイートで言われたけど、セカンドレイプという名の性暴力をしている自覚もないんだもんな。自分は純度100パーの被害者様だからな。こういう連中、全員地獄に堕ちたらいいと思うわ。
BIが導入されないのってみんながやりたくない、だけど社会に必要な仕事を押し付けられる奴隷が必要だからだよね
今の世の中は働かなくても生きていける人と、働かないと生きていけない人がいて、
働かないと生きていけない人の中にも、色々な仕事を選べる人がいれば、殆ど選択肢がない人がいる
殆ど選択肢がなくても、キツくて薄給な仕事しかなくても、自分の生命を維持するためには働かないといけない
こういう人にみんなで押し付けてるんだ
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ハームリダクションとは本エントリーとは無関係に薬物を摂取する予定の人、及び、摂取してしまった人が知識不足によって健康・社会・経済的な悪影響を最小限に留める為の情報(=ハームリダクション)の一編を提供します。
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本エントリーは潜在的に人命を救う可能性があります。不適切な内容という理由で非公開にされてはいけません。
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本エントリーはハームリダクションだけを目的としており、薬物の使用には断固反対しております。
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初めに伝えなければならないことはLSDを食べることによってあなたが死ぬことは絶対にありません。
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LSDの薬効によって死ぬことは不可能です。LSDの薬効によって死亡した事例は長い歴史と研究の中で一件たりとも存在しません。
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あなたがトリップ中に「死ぬ!」と思った時、それはLSDによって死ぬと思わされているだけで本当に死ぬことはありえません。これは事実です。このことを肝に銘じてください。
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その一方でLSDによる事故・自傷・不審行為・傷害が多く起こっていることも事実です。あなたとあなたの周りを守るために本エントリーはLSDのハームリダクション情報を提供します。
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・過去二週間以内に一回でも心療内科・精神科にて医者から処方された薬を服用した人
→LSDと飲み合わせが悪かった場合セロトニン症候群を発症する危険性があります。またLSDは様々な精神疾患の症状を悪化させる可能性があります(※1)。
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→LSDが引き金となり統合失調症が誘発される・早期発症する危険性があります。
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これら二つのうち一つでも当てはまる場合は絶対にLSDを口に含まないでください
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あなたの心理状態と環境によってLSDの体験は良いものにならないかもしれません。LSDを口に含む前に以下のことを確認してください。
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屋外をはじめとする”LSDに対して理解のない人間”が同じ空間にいる場合、LSDを摂取することは避けてください。
あなたが他人に迷惑をかけるとLSDの規制は早まります。ニュースになれば同じ界隈の人間からでさえ叩かれひんしゅくを買います。必ず、人知れず摂取してください。
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また人と一緒にLSDを入れる場合、その相手をあなたが信頼していない場合も口に含まないことが賢明でしょう。よく知らない人と一緒にやるとかえって不安感が強くなります。
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精神的に不安定な人が入れると過酷な体験になることが多いです。やめましょう。あなたが真に口に含むべきものはLSDではなく医者からの処方箋です。医者に行きましょう。
また失恋・失職など喪失を体験した直後は心に折り合いがつくまで入れるのは避けた方がよいでしょう。
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紙を食べます!
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もしあなたが環境と心理状態的に充分ではないにも関わらずその紙片を口に含もうとしているのであれば、あなたにとって最善の選択は今からでもその紙片を冷蔵庫に戻すことです。
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しかし、あなたの状況によってあなたがその紙片を口に含まなければならないことを私は一定の文脈で理解しています。極力、計画的に摂取してほしいと筆者は願っていますが口に含まなければならないあなたに最低限、留意しなければならないことを説明します。
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そして何度でも唱えなければならないことは「あなたは死なない」ということです。冒頭にも書きましたがLSDの薬効によって死亡することはできません。死ぬと思ったとき、それはLSDに死ぬと思わされているに過ぎません。あなたは死にません。
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Q.はじめてやります
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A.1枚を超える量を入れないでください。
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1枚を超える量は慣れている人にとっても過酷な体験になります。よくわからず2枚入れた人が路上で全裸になり発狂する。はよくある話です。もし心配な人がいたら0.5枚(75mcg)からスタートしましょう。私から言わせるとはじめての人は1枚もかなりハードです。
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Q.どのくらい続くの?
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A.完全にLSDが抜けるまでおよそ10時間かかります。丸一日潰れるものと考えてください。
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口に含んでから効果が現れ始めるまで30分~120分かかります(カムアップ)。
効果が最も現れる時間はピークに入ってから3時間~4時間続きます(ピーク)。
その後完全にLSDが抜け切るまで更に3時間~10時間かかります(カムダウン)。
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LSDはプロドラッグとされ効果の発動まで時間がかかります。なかなか効果が現れないからと追加でLSDを口に含むことは絶対にしないでください。
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Q.大麻吸っていい?
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A.大麻に関わらずあらゆるドラッグを一緒に入れてはいけません。
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LSDは単体で摂取することが基本です。アルコールやカフェインを含む他の物質と一緒に入れるとトリップが予測困難なものとなり良い体験にならなくなったり、思わぬ飲み合わせによって身体的危険性が高まります。
トリップ中に大麻を吸った途端バッドトリップに入ったはよく聞く話です。
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Q.帰ってこれますか?
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これは事実です。血中の分子は必ず抜けます。いつか必ず終わります。しかし一度入れた物質は代謝・排出されるまで抜くことはできません。LSDにリタイアはないのです。少ない量からはじめましょう。
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Q.死にそうです。
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A.死にません。
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再三伝えている通りLSDによって死亡することはありません。しかし万一身体的不調がありヤバくなった場合は救急車を呼んでください。幸いにもあなたが口に含んだものは合法のものです。あなたの命にはかえられませんのでいざという時は躊躇なく呼んでください。
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Q.またやりたいです。
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A.最低一週間は開けましょう。
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LSDをはじめとするサイケは頻繁にやるものではありませんよ。耐性は5日ほどでなくなるとされていますが通説では一週間~二週間をあけることが推奨されています。
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賃金価格スパイラルは過去にどれくらいの頻度で起きたのか、そしてその余波で何が起こったのか?
驚くべきことに、そのような出来事の後に賃金と物価がさらに持続的に加速したのはほんの少数だった。
新型コロナウイルス感染症による急性ショック後の回復が勢いを増す中、2021年のインフレ率は多くの国で約40年間見られなかった水準に上昇した。
労働市場の逼迫と賃金圧力の増大をもたらし、経済グループ全体で平均名目賃金(労働者1人当たり)が上昇し、失業率が低下した。
こうした最近の動向を受けて、賃金を通じたインフレによる第二次影響や潜在的な賃金価格スパイラルを懸念している。
インフレの上昇と労働市場の逼迫により、労働者がインフレに追いつく、あるいはインフレを上回る名目賃金の上昇を要求する可能性があると指摘している。
現在の労働市場の逼迫が今後数年間のインフレ圧力に大きく寄与する可能性が高いことを示唆しており、インフレ期待が固定されなくなった場合、その関連性はさらに強まる可能性がある。
これらの議論を総合すると、賃金と物価のインフレが互いに影響し合い、賃金と物価の両方が数四半期にわたって加速するスパイラルを引き起こす可能性がある点。
しかし、そのような状況は過去にどのくらい頻繁に起こったのか?また、そのような出来事の余波で何が起こったのか?
最近の研究論文で、1960 年代に遡る先進国間の過去のエピソードをまとめた経済横断データベースを作成することで、これらの疑問に取り組んでいる人々もいる。
賃金価格スパイラルを以下のメカニズムの結果として定義する者がいる。
このように、労働者と企業が賃金や価格をめぐって数回に分けて交渉するため、インフレショックが消えるには時間がかかる。
対照的に、賃金インフレの上昇が企業にとって新たなコストプッシュショックとなり、したがって近い将来インフレが加速する可能性に焦点を当てているようだ。
具体的には、賃金価格スパイラルを、連続する4四半期のうち少なくとも3四半期で消費者物価と名目賃金の加速が見られたエピソードとして定義。
期間0(賃金価格スパイラルを定義する基準が満たされる最初の期間) より前のすべてのエピソードでは、消費者物価インフレと名目賃金上昇率の両方が増加している。
もっと驚くべきことは、初期の動向は平均して、賃金と物価のさらなる持続的な加速には続かないということである。
実際、インフレ率と名目賃金の伸び率は平均して、賃金価格スパイラル後の四半期には安定する傾向があり、実質賃金の伸び率はほぼ変わらなかった。
したがって、物価と賃金の持続的な加速として定義される賃金価格スパイラルは、最近の歴史的記録の中で見つけるのは困難。
実際、上記の基準を使用して特定されたエピソードのうち、8四半期後にさらに加速したのはほんの一部。
場合によっては、インフレと賃金の伸びが一時的に上昇した後、再び低下するケースもあった。
さらに、いくつかのエピソードの後にはより極端な結果が続いた。
たとえば、米国の1973年第3四半期のエピソードでは、1970年代の最初のOPEC石油禁輸によって刺激され、価格インフレがさらに5四半期にわたって急上昇し、その後1975年に下落が始まった。
しかし、名目賃金の伸びは上がらず、実質賃金の伸びは低下した。
記述されたエピソードにおける賃金と価格の動態を検討する際に当然の疑問となるのは、均衡経済を特徴づける予想される関係からそれらの動態がどの程度乖離しているかということである。
賃金の動態をインフレ、労働市場のスラック、生産性の伸び傾向に関連づける賃金フィリップス曲線の枠組みを使ってこの疑問を探ることができる。
分解すると、賃金上昇率の上昇はインフレと労働市場の逼迫の両方によって引き起こされ、どちらかの要素が増加し、その後、エピソードの開始時を上回るレベルで安定している。
対照的に、他の構成要素の挙動は異なり、賃金・価格加速エピソードの開始時に急速に増加するが、その後は沈静化する。
平均して、ここで述べたエピソードでは、持続的なインフレの上昇と労働市場の逼迫から予想される賃金を上回る持続的な賃金の伸びは観察されていない。
現在の局面における重要な問題は、先進国経済が賃金と価格のスパイラルに陥りつつあるのかどうかである。
一部の国における最近の賃金価格上昇の顕著な特徴は、労働市場が引き締まる一方で実質賃金が低下していることである。
したがって、連続する4四半期のうち少なくとも3四半期が、
こうしたエピソードの後には、持続的な賃金価格スパイラルが続く傾向はなかった。
逆に、名目賃金の伸びが増加する一方で、インフレは低下する傾向があった。これにより実質賃金は回復した。
全体として、これらの同様のエピソードの後には、上記のより広範な一連のエピソードよりも高い賃金上昇率が続いたが、賃金の伸びは最終的には安定した。
実際、2年後の名目賃金の伸びは、インフレと労働引き締めの動きとほぼ一致している。
実質賃金が大幅に低下した今日と同様の状況を見ても、持続的な賃金価格の加速を見つけるのは難しい。
そうした場合、名目賃金は実質賃金の損失を部分的に回復するためにインフレに追いつく傾向があり、成長率は初期の加速が起こる前よりも高い水準で安定する傾向があった。
賃金上昇率は最終的にインフレと労働市場の逼迫と一致するようになった。
そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。
旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所や食べ物を入念にチェックする。
現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。
最近では、インバウンドで来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。
映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。
旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。
日常との差異の体験やよその世界とちょっとだけ繋がったりできたことの証明と自己顕示が欲しいのだ。
その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したことを証明するうえでとても重要。
このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、
現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。
さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、
東海道五十三次の時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。
日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。
ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。
そんな男性の立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。
それは、旅先で一時的に体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。
旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。
「おもいでぽろぽろ」というジブリの高畑勲監督の映画(1991)がある。
都会育ちのOL女性が田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、
この映画の場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、
いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。
アジア、アフリカ、中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。
「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば
海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。
また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップの意向が高いのに対し、女性は男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。
男性は女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、
だが!しかし、、、、
果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。
それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。
まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本は男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。
突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。
瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。
「あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」
当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、
ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟が必要だった。
ドラマ「おしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。
そこでは、さらにもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイで過酷な人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつで小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性の共感を呼んだ作品だった。
孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんのドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。
アウェイな世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。
「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性に文化的に育まれたものなのかもしれない。
昨今では、結婚を就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。
男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界を渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなものを男性社会そのものがもっていた。ふるさとの家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。
一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界。
「嫁ぐ」という習慣、因習、宿命から生まれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。
これはなかなかパラドックスだと思った。
翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイな世界に飛び込むという意味で
かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟が必要だということだ。
若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命が現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分の覚悟や能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。
希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイな世界で生きる宿命ならば、
いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚が深層心理にあるのではないかと妄想する。
一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というものが概念として存在していた時代(都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。
かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。
「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」
この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイな世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。
なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線を旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテンの寅さんとほぼ同じ世界観だ。
そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。
民俗学者の宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人を考察した文章のなかで、そうした旅人が
地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域の活性化に寄与する機能を果たしていたことを、
世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。
嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会でリーダーシップをとっていかなければならない男性の潜在的な意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。
かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。
男の旅というのは、ちまちましたもので火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからあまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルのマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。
しかし、この四半世紀、女性の社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性が模索する時代になった。
テレビドラマも、90年代以降、女性の社会進出を反映して、トレンディドラマに代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストランで食事する、みたいなシーンが増えた。
東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマの世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。
しかし、現実の女性の社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性の役割が押し付けられていたのが現実だ。その現実を90年代のドラマ「ショムニ」でよく表現されていたように思う。
しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。
中長期的には東京一極集中のトレンドは変わらないものの、それは不動産価格のトレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省が必要な人というのは減っているのではないか。首都圏の人は首都圏で世代を重ねるし、地方の人は地方で価値を見出し、仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方(ふるさと、ホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。
そうなると、都会の人間が地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。
その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性の理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。
一昨年のドラマ「ファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業をテーマに女性の自画像を模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。
「ファーストペンギン」のように地方移住をテーマにした作品は、アウェイな環境で女性のポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。
そんなことをおもった。そもそもの旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性の人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。
とりとめもないメモです。
なぜなら中国人は潜在的にアメリカでは敵対意識を持たれており日本人のほうがスムーズに声が通りやすいからだ。
そして日本人はなにも言わん奴らだと思われている。
だから日本が言ったとき、ちょっとアメリカはざわっとする…のを何度か見てきた。だから日本こそ声を上げるべきだ。
というのと別に実際問題としてオスカーは投票する人種の構成をここ近年変化させ、アジアの映画が入賞しやすくなっている。山崎監督チームやジブリのスタッフもいた。
そういう場で、あのような事態が起きた。
彼らにとって晴れの舞台のはずなのに目の前で行われるアジア人への差別的行為。
ミシェル・ヨーもキー・ホイ・クァンもアジア系の起用について一昨年から泣きながら声を上げていた二人だ。
彼らが何をしたと言うんだ。
お書きの通り
18禁コンテンツゆえ、少年ジャンプのように一般的に認知度の高いメジャー誌が存在しないことが最も大きな理由だと思う。
潜在的に人気があった(あるいは人気になるポテンシャルがある)としても公に語りづらいというのもその通り。ゆえに口コミで広がることもないし、社会現象にもなり得ない。メディアミックスもされない。
加えて、ジャンプ漫画に求められているのは「友情・努力・勝利」であり、魅力的な登場人物への憧れや感情移入であり、心躍るストーリー展開であり、人気があれば連載は長期に渡る。
思春期に他人の人生を擬似的に追体験し、ときに励まされ、勇気づけられ、作品やキャラクターへの思い入れは深くなる。
一方、エロ漫画は基本的に即物的なもので、射精までの極めてインスタントな性的興奮以外は要求されない。自慰行為のために何週間もキャラクターのセックス以前の関係性を追って気分を盛り上げたいなんて変わり者はまずいない。
いちご100%やi's、ToLOVEるに本格的な18禁性描写があったとして、少年ジャンプに掲載できなければやっぱり公に語ることができないコンテンツになってしまうし、そもそも違う作品になっちゃうよなあ。
もう分断を煽るのはやめませんか
現在混乱を招いている要因は、おそらく以下の二つ
AI利用に向けて改正されたとされる著作権法30条の4は AIならなんでも許されるというわけではない。以下のように条件がついている。
著作物は,次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には,その必要と認められる限度において,いずれの方法によるかを問わず,利用することができる。ただし,当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は,この限りでない。
この辺りの解釈について紛糾している様子。
同30条の 4 は平成30年当時、事業者や研究者によるAI利用を想定していた。現在では一般市民にAIが広く普及し状況が変わってきたことから、同条の適応範囲について再整理を図るという趣旨で公開されたのが「AIと著作権に関する考え方について(素案)」
そして素案に対するパブリックコメントを募集した、というのが現在の流れ。
たぶん、CLIPのこと。テキストと画像の翻訳を行う。犬の画像を見て「犬」と識別することができる。
ネット上のあらゆる画像とテキストを学習することで作られた。OpenAIによって公開。画像生成だけではなくいろんなところに使われている。
画像生成AIはテキストエンコーダ(CLIP)と画像生成器の組み合わせでできている。stable diffusion等は拡散モデルを使っている。
1. イラストを用意する
学習を繰り返しノイズを増やしていくと最後はただのノイズから画像を出力する 連想ゲーム絵師が誕生する。連想ゲーム絵師は連想しかできないので自分が描いたものが何かわからない。犬を描いてといっても車を描いてくる。なので CLIPが誘導したりダメ出ししたりする。
どこかのイラストサイトかデータベースを使っているはず。「著作権的に安全な〜」みたいな触れ込みのやつはどこかのデータベースを購入して使っているんだと思う。
Pixivの主張は別におかしくない。このあたりは「AIと著作権に関する考え方について(素案)p7」(エ)において解説されている。"robot.txt"への記述によりAI学習を行うクローラーのアクセスを制限しているにも関わらず、勝手に学習に使うことは「データベースの著作物の潜在的販路を阻害する行為」として著作権違反になる(Pixivが将来的に本当に販売するかどうかは置いておく)
追加学習(LoRA)のこと。
既存のモデルに数枚のイラストを追加学習させることで絵柄を模倣(ファインチューニング)する。
特定の絵師さんのイラストを勝手に使う者がいるようでトラブルになっている。
絵柄に著作権はない。学習の際に行われる複製が著作権侵害にあたるかどうかが争点になっている。
著作権法30条の4 より
この辺りは「AIと著作権に関する考え方について(素案)」及びパブコメの返答に現状の解釈が示されているので興味のある方はどうぞ。
(p6. 特定のクリエイターの著作物のみを用いてファインチューニングを行う場合〜を参照)
※ここははっきりとは断定していないので自分で読んだ方が良いと思う。
(私の読解:)
程度問題ぽい。よくある画風なら問題にならないけれどはっきりと特定絵師さんとわかる感じだとダメそうですね
(私の読解終わり)
別にプロフィールなんて「トイレから出たら手を洗ってください」でも「フォローする際には五体投地してください」でも好きに書いてよいだろう。
それが法律に記されているかどうかは関係ない。ただのお願いだ。
「AI学習禁止」と書くなと騒いでいる人は何を考えているのかよくわからん。
「AIと著作権に関する考え方について(素案)」にも再三出てくるがAI学習を技術的に回避することは禁止していない。30条の4は権利の制限であって、イラストを差し出せという強制ではない。
見ればわかりますが個人よりも一般企業による意見が多く、返答とあわせてとても読み応えのあるものです。
このファイルを読んで個人の頭の悪そうな意見だけ抜粋してくるのは非常に違和感があります。
どちらも法の規制以上に民意を無視した独自の規則を押し付ける方法ではありませんか。
Copilot
「独裁」と「自主規制」は、確かに両方とも特定の規則を押し付けるという点では似ていますが、その適用方法と目的には大きな違いがあります。
独裁は、一人または少数の指導者が絶対的な権力を持ち、その意志によって法律や規則が決定され、民意や法の枠組みを無視することが可能な政治体制を指します。独裁者はしばしば自己の利益や視点を優先し、異なる意見や反対派を弾圧する傾向があります。
一方、自主規制は、特定の業界や団体が自らの行動規範を設定し、その規範に従うことを約束するシステムを指します。自主規制は、法律が追いつかない新しい技術や問題に対応するため、または公共の利益を守るために行われます。自主規制は、その業界や団体のメンバーが自発的に参加し、通常は民主的なプロセスを通じて規則が決定されます。
したがって、独裁と自主規制は、規則の制定と適用の方法、目的、そしてそれがどの程度民主的であるかという点で、大きく異なります。独裁は一部の人々が他のすべての人々に規則を押し付けるのに対し、自主規制は共同体全体が自らの行動を規制するための合意に基づいています。自主規制は、その参加者が自発的に規則を受け入れ、それに従うことを約束するため、民意を無視するものではありません。それはむしろ、その共同体の価値観や目標を反映したものであるべきです。しかし、自主規制が不適切に行われると、それは確かに独裁的に見えるかもしれません。そのため、自主規制のプロセスは透明で公正であることが重要です。また、自主規制が法律や基本的な人権を侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。
ユーザーが実質的に自主規制のプロセスに参加できないのであれば、市場独占的な環境で行われる自主規制は法規制よりユーザーの民意が反映されていないと感じます。「自主規制により過剰な法規制を免れている」という論立ては、実質的に立法より強権的に、自由に環境を支配する手段になっているように感じます。
Copilot
あなたの意見は非常に重要で、自主規制の問題点を明確に示しています。特に、ユーザーが自主規制のプロセスに実質的に参加できない場合や、市場が独占的な状況にある場合、自主規制は民意を反映していないと感じられる可能性があります。
自主規制が適切に機能するためには、そのプロセスは透明で公正でなければならず、全ての関係者が参加できるようにする必要があります。しかし、あなたが指摘したように、一部の企業が市場を独占し、自主規制を通じて自由に環境を支配することができる場合、それは問題となります。このような状況では、自主規制は「過剰な法規制を免れる」手段というよりも、市場の支配手段となり得ます。
したがって、自主規制が公正で民主的なものであるためには、そのプロセスには適切なチェックとバランスが必要です。これには、独立した監視機関による監督や、法律による補完が含まれます。また、自主規制が市場の独占を許容または助長することなく、公共の利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論が必要です。
あなたの意見は、自主規制の問題点と改善のための重要な視点を提供しています。ありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。
Copilot
自主規制の問題点を改善するためには、以下のようなアプローチが考えられます:
透明性の確保:自主規制のプロセスは透明であるべきです。これにより、関係者は自主規制の決定過程を理解し、必要に応じてそれに影響を与えることができます。
公正な参加機会:全ての関係者が自主規制のプロセスに参加できるようにすることが重要です。これにより、自主規制が一部の強力な利害関係者によって支配されることを防ぐことができます。
独立した監視:自主規制のプロセスと結果は、独立した第三者によって監視されるべきです。これにより、自主規制が公正かつ効果的に行われていることを確認することができます。
法的補完:自主規制は、法律の補完として機能するべきです。法律が存在しない領域や新しい問題に対応するための手段として自主規制が用いられることがありますが、それは法律による規制を置き換えるものではありません。
教育と啓発:自主規制の目的とプロセスを理解するための教育と啓発活動が必要です。これにより、関係者は自主規制により適切に参加し、その結果を評価することができます。
これらのアプローチは、自主規制が公正で民主的なものであるための基本的なガイドラインを提供します。しかし、具体的な実施方法は、その業界や団体、そして対象となる問題によって異なる可能性があります。自主規制の成功は、そのプロセスが公正で透明であること、そして全ての関係者が適切に参加できることに大きく依存します。それはまた、自主規制が公共の利益を守るためにどのように設計され、実施されるかにも依存します。
「全ての規制は国民による民主的なプロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という極論の評価・問題点の指摘をしてください。
Copilot
「全ての規制は国民による民主的なプロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という見解は、法の優位性と民主主義の原則を強調しています。これは、法が公正で公平な社会を保証し、全ての市民がその作成に参加できるという考え方に基づいています。
柔軟性の欠如:法律はしばしば時間をかけて作成され、新しい技術や状況に迅速に対応することが難しいです。一方、自主規制はより迅速に適応し、新しい問題に対処することができます。
専門知識の不足:立法者は多くの場合、特定の業界や技術についての専門知識を持っていない可能性があります。自主規制は、その業界の専門家が規則を作成し、適用することを可能にします。
過剰な法規制のリスク:全ての規制を法律に依存させると、過剰な法規制のリスクがあります。これは、イノベーションを阻害し、経済的な負担を生じる可能性があります。
したがって、自主規制は、法律の補完として、または新しい問題に対応するための有効な手段となることがあります。
先の論は長期・慣習的な自主規制を批判したものであり、回答には「業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」と限定的に限り認めている文脈を見落としていると感じます。自主規制による即効性や専門性のメリットは認めますが、慣例化してしまっていることに害はありませんか。
Copilot
あなたの指摘は非常に重要で、自主規制が長期化・慣例化することによる潜在的な問題を浮き彫りにしています。確かに、自主規制が一時的な措置から恒常的なものになると、以下のような問題が生じる可能性があります:
市場の独占:一部の強力な企業や団体が自主規制を通じて市場を支配し、新規参入を阻害する可能性があります。これは競争を妨げ、消費者の選択肢を制限する可能性があります。
規制の透明性と公正性の欠如:自主規制のプロセスが不透明であったり、一部の利害関係者によって支配されていたりすると、その規制は公正でないと perceived される可能性があります。
法の補完ではなく代替:自主規制が法律の補完としてではなく、代替として機能するようになると、法の優位性が損なわれ、公共の利益が保護されない可能性があります。
したがって、自主規制が長期化・慣例化することには確かに潜在的な問題があります。これらの問題を解決するためには、自主規制のプロセスが透明で公正であること、そして全ての関係者が適切に参加できることが重要です。また、自主規制が法律や基本的な人権を侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。自主規制が市場の独占を許容または助長することなく、公共の利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論が必要です。あなたの意見は、自主規制の問題点と改善のための重要な視点を提供しています。ありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。
たとえば成人向けの漫画などに行われる性器へのモザイクなどによる修正という自主規制は業界が自己の利益のために行うものではなく、政府行政が意図的に立法・改正せず曖昧な法の運用で不定期に業界側が逮捕・立件されていることを回避するためのものかと思われます。法規制をわざとせず、防御的に自主規制を行うしかないという悪習について論じてください。
Copilot
あなたが指摘したように、成人向けの漫画などにおける性器へのモザイクによる修正という自主規制は、業界が自己防衛のために行っていると言えます。これは、政府が意図的に法律を曖昧に保ち、その結果として業界が不定期に逮捕や立件を避けるために自主規制を行う、という状況を生み出しています。
法の不確実性:法が曖昧であると、その適用は恣意的になり、法の公正性と予測可能性が損なわれます。これは、制作者や消費者にとって不確実性を生み出し、表現の自由を不必要に制限する可能性があります。
自主規制の過度な負担:業界が自己防衛のために自主規制を行うと、その負担は業界に不公平に負担される可能性があります。これは、特に小規模な制作者や新規参入者にとって、創造性やイノベーションを阻害する可能性があります。