はてなキーワード: 法律とは
法律が許してくれない
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
生成AIについて、特に詳しいわけではないからいろんな知見があると嬉しいと言うことが大前提なのだけど。
イラストに関する生成AIの批判が多いのは肌で感じるけれど、文章に関する生成AIの批判はそこまで盛り上がりがない気がするのはなぜなのだろうか。
文章もほとんどが人によって創作、制作されたものであって、同様に批判されてもおかしくないのだけれど、イラスト生成AI反対派は、文章に対するAI技術(翻訳等含む)は使わずにいるのだろうか。
そもそも著作物の定義に関しては、法律が規定しているものであり、それをどう改定していくかは、時代の流れとともに変わっていくものであるとは思うけれど、ベストなバランスを見極めるのは困難なのだろうなと思っている。
私自身は、生成AI自体に関しては批判的ではなく、単に過渡期だからこそ批判が多いのだと思っている。
写真技術が登場した時に、写実系の画家から反対運動が起こったと聞いたことがあるが、写実すると言う価値の絵画の需要はほぼ無くなったが、絵画自体は別の方向で発展を遂げたり画家が描くことに価値が出来たように、生成AIが普及したところで、今の創作物も別のところで発展や需要、価値が生まれるだけだと思う。(もちろん、同様に現在の価値感は残らない場合もある)
生成AIが普及したとしてと、アート・エンタメ系の場合はディレクションに重きが置かれるだけな話だと考えている。
全員がディレクターになるだけで、多分根本的な創作活動は何も変わりはしないのではないかと思う。
そんなスタンスである私は、なぜイラストを中心とした「一見、工数が多そうなもの」ばかりが批判され「一見、工数が少なそうなもの」は批判の的に上がらないのだろうか。
正直、理解ができていない。
「成人向けコンテンツ」と銘打っていても、そもそも日本ではわいせつ画像は法律で禁止されてるので。成人向けコンテンツがNGって規約があっても成人向けコンテンツ自体が存在しないんよ。
裁判官は人情のあるお手紙を書く人ではない。 法の原理に関する教科書をまずかき、その原理や定理に基づいて技術的に構成され技術的な裏付けをもった法律の諸規定
に対して、更なる技術的解釈を実施して判例という枠組みを作り、この規範を使うことにより、裁判を行い、法秩序を形成する任にあるのが裁判官であるから、裁判官はいわば、法のエキスパート
専門家、技術者であるとともに、実務家であるから、志村警察署のゴミが考えているようなものと法は別物である。板橋区管内であると、法については、カスの警察よりも、福祉行政、板橋区
の職員の方が、その内容について十分に知っている職員が多く、板橋警察署や志村警察署のような教養も技能もないクズが集まっている部署であると人気を得られる余地はない。
福祉行政や板橋区法規課の職員に、法のエキスパートが集結しているのに対して、なぜ、志村警察署だけが集中的に癌であるのかは分からないが、志村警察署には、巡査の戸田勇哉と熊谷永華
というがんの二大巨頭がある。
社会保険関係の質問はマジで皆親切でわかりやすく何人も丁寧に解説してくれる。しかも最初の回答つくまでのスピードが10分とかそこら。解説が詳しいので、投稿即発見即記述開始してるようにすら思える。
法律なんかは初手でイライラ感丸出しで説教してくるヤバいのが高確率で湧く(元信託銀行員の開業司法書士のジジイとかよく登場してウザイ)。
英語に関しては、全く間違ってる回答を専門家然としてする人とか、「調べればわかるはずです」とだけわざわざ回答してくる奴とか(これやられると、こいつのせいで「回答が付かなかったことによる自動再投稿」がなされなくなるからマジで嫌がらせでしかない)平気でいる。
社会保険関連ってスペシャリスト界隈にしてはまともな人、人格者多すぎじゃないか?と本当に驚かされる。
米国を参考に、製造業からソフトやサービスに産業移行を目指してきたけど、駄目だったのではないだろうか。
米国のように軍事力を背景に、米国外への法律が効力を持っていたり、ビジネス面での情報収集能力は日本にない。
ソフトやサービスが力を持ってきたといっても、それを支えているのは膨大なサーバーで、物量で勝負している。
他社企業が出してきたクラウドやライブラリの使い方を覚えることで精一杯でリソースが取られてしまっているという現状もある。
標準に合わせるといっても、グーグルのように次から次へと標準に追加していった場合についていくのがやっとという戦略にも乗ってしまっている。
他の業界だとセールスマンが宣伝だが、エンジニアも宣伝の片棒を担いでいる。
YouTube、Uber、アフィリエイトといった、金をばら撒けばそれなりに人が入ってくるわけだが、胴元が一番儲かるのは変わらない。
なにより家内制手工業に戻っていないだろうか
人手不足で自動化は、スマホやソフトで色々やっても物を移動できないので、機械の進歩が必要になってくる。
多くの人が既存のビジネスに対して、中間マージンがけしからんとネットやソフトで効率化出来るはずだと認識していると思うが、
個人の利便性は高まっているが、少し広い目で見ると売上向上に貢献しておらず、負担だけが増えていっている。
従業員の給料が高くなっていくにしたがって、メンテナーも雇えなくなった。
そして何より作った物の価格を上げられてない。BtoBはあるが、最終的には何処かに価格転嫁しなければならず、それはソフトやサービスではない。
ソフトエンジニアですら、ハードには数万円出しても、ソフトにそれだけのお金は払わない。
ゲームは単価高いが、ソフト部分というよりかは他の部分にお金を払っているだろう。
女が女であるせいで仕事上で不利になることについてはかなり法整備が進んで、あとは個々の会社がその法律をどこまで守るかってところまで話が進んでいる。
だとすれば次に考えるべきは男が働かされすぎているのを規制することではなかろうか。
生理も妊娠も出産もない男が、文字通り死ぬほど働かされていたら女が敵うはずない。女が男と同等に働くためには女が頑張るのではなく、男に頑張らせすぎているのを控えさせるべきだと思っている。
とはいえ男は男同士で張り合うのが好きなのか、頑張り過ぎる奴はどうやっても頑張り過ぎるんだけど、そこをスタンダードにしないという意思表示が必要だと思う。
会社の無能ほど家庭では良き妻良き夫をやれているという投稿が過去にあったが、会社ではほどほどに働き家庭のことに尽力する人間がスタンダードになるべきだ。
少し前までクッソド田舎だった関東平野の江戸成金共が、さも当然のように「皆これからは関東と同じ言葉を使おうね!だっぺとかだっちゃとか伝わらないやんけでごわすよろしいか~?」みたいな態度で無理やり押し付けてきてるだけじゃん。
こんなの日本人という大きな括りの中で行われたから分かりにくいだけの文化侵略の一種でしょ。
たとえば今度大統領になった人がネイティブ・アメリカンに「インディアン語は通じないから使わないでね♡」と押し付けるような法律を作ったら、それは全世界からフルボッコにされて色んな陣営からやってきたスナイパーに蜂の巣にされるだろ?
卑怯なる関東人共は戦後のドサクサとかを利用してこのレベルの民族浄化をGHQと結託しながら平然とやってのけたわけだよ。
今や地元の商店がレジで方言を使うだけで「突然強い言葉で怒鳴られた!なんて失礼な店だ!」とグーグルマップで☆1をつけられるわけですよ。
「日本語の喋れない奴は日本に来るな」を、本州の一部でずっと昔から使われているような言葉、祖父や祖母から教わった昔の人が普通に使っていたその地域の「標準語」を口にしただけでぶつけられるわけですね。
まるで日本全土が「関東人」の植民地であるかのような状態じゃないですか?
その地域の言葉も知らない連中がドカドカとやってきては、関東弁をまくしたて、それに関東弁で返してこなかったら「やーやーやーこの田舎者は標準語も喋れないとは不躾な。標準語を喋ることを気取っているとでも勘違いした意識の高い田舎っぺ大将じゃけえばいっちゃ」とコケにする、いやむしろ「コケにされたと勘違いして、勘違いしたままに無作法をただ返したただけと言い張るような態度で不機嫌になる」わけですよ。
関東弁による浸食はスッカリ広がって、いまや本当に関東弁が「標準語」になってしまっている。
海外にも「クイーンズイングリッシュを喋らぬものは英国人にあらぬ」といった文化があるのかまでは知らぬが、少なくとも日本においては「見ず知らずの人に関東弁以外の言葉をぶつけるのは失礼である」という価値観がスッカリ定着している。
我々はこれに恐ろしさを感じることが出来る最後の世代やも知れぬ。
身近にZ世代もおらぬ田舎者ゆえ若人のことはよく分からんが、今時の若者はYoutubeでまず言葉を学ぶというし、関東弁を関東弁として認識する間もなく標準語だと刷り込まれているのだろう。
ゾっとしないかね?
まるでジョージ・オーウェルの書く厭世小説のような現実が広がっていないか?
学校って金持ちになるためだけじゃないんだよね。基本的な読み書きや計算、科学の知識とか、歴史とか社会のルールとか色々学ぶ場所なんだよ。これって社会に出てからもめちゃくちゃ大事。教育は自分の能力を伸ばして、社会全体を良くするためのもんだよ。
確かに、学校に行かなくても成功する人はいる。でも、統計的には学校に通った人の方が平均収入は高いんだよね。教育は成功への一つの道で、みんなに平等にチャンスを与えるためのものだよ。
ガラの悪い人とつるんだり、法律破ったりして成功するのはリスキーだよ。短期的に利益を得ても、長期的には信用を失って法的なトラブルに巻き込まれるかもしれない。ちゃんとしたビジネスや社会活動は信頼と誠実さが基本なんだ。
学校は金銭的な利益だけじゃなくて、友達作ったり、趣味見つけたり、自己成長の場でもあるんだよ。広がる視野や知識は人生を豊かにしてくれる。
教育は社会の基盤を作るものなんだ。みんなが公平なスタートラインに立つために必要なんだよ。教育を受けることで色々な職業やキャリアの選択肢が広がるし、社会全体の安定と発展にもつながるんだ。
だから、学校教育はただの「奴隷を作る工場」なんかじゃなくて、個人と社会の発展を支える大事な制度なんだよね。教育をちゃんと理解して活用するのが大事だと思うよ。
結局、あれをやっても金持ちになれないわけで
実際、殆どの人は金持ちになれず一生ラットレースから抜け出せない労働者として終わる
俺は現代文と漢字の読みくらいしか勉強してないけど純資産一億円超えた
どちらかと言うと外の世界でガラの悪い人とつるんだり、倫理モラル法律に反する行為をした経験の方が役に立ってる
きくまこといけだのぶおがイチャイチャしてんの見てにっこりする
キクマコが誰かに吹き込まれたトンデモ経済学を振り回すのは自由だが、福島の処理水について発言するのはやめてほしい。
キクマコのようなバカ話には、3年前に答えた。「何をしたら」42万人が900人になったのか、具体的に言わないと、仮説は検証できない。
法律に「社会保障目的税だ」と書いてあるのに「社会保障が目的じゃない」と言い張るキクマコは、福島で放射線障害が出てないのに出たと言い張る放射脳と同じ。「古い脳」の刷り込みで事実が見えなくなる病気だ。
キクマコの反緊縮ツイートを見ると、私も経済学教育の敗北を感じるけどね。
これが「経済政策=財政・金融政策」と思い込んでいる素人。あれだけ景気対策のバラマキをやった安倍政権で、日本がゼロ成長になった原因をいまだに理解していない。「潜在成長率」とか「TFP」とかいう言葉をネットで検索して勉強しろ。
キクマコも定年退職したから、老人も負担する消費税をなくして、自分のもらう年金を増やしてほしいわけだ。その負担が将来世代からの借金であることは知らないふりをする。これが日本を腐らせているシルバー民主主義。
キクマコは一般会計しか知らない。社会保障特別会計の支出は140兆円で60兆円の赤字。来年から後期高齢者の医療費が激増する。財政支出を減らさないと、もう財政がもたないんだよ。