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はてなキーワード: 就職活動とは

2024-04-18

anond:20240418114405

自己肯定感」は、実態のないクソワードなんで出来るだけ使わないほうが良いと思うんだよな。

 

自己肯定感」が低いから、自分の悪いところを改善できませんでしたっていう奴に必要なのは合理性だし

自己肯定感」が低いから、毎日寝るのに時間がかかりますって言ってる大学生必要なのは、将来の不安払しょくできる就職先だし

自己肯定感」が低いから、友人関係トラブルになりやすいと思っている奴に必要なのはコミュニケーション能力だし

  

いちいち必要ものに対して迂遠なんだよな。

しかも、これを言ってる奴に解決策として与えられるのは、「自己肯定感」。誰かに無駄に褒められる体験とか? 

で、誰も褒めてくれないから、解決への取り組みを止めたりね。

そんなことより将来の不安払しょくのために、就職活動しろよっていう

2024-04-15

デジタル化が進んだおかげで人権を手に入れられている

デジタル化したせいで余計な作業が増えているという記事を読んだ。

https://blog.tinect.jp/?p=86085

自分80年代まれオッサン記事の著者よりも年配なのだが、これっぽっちも共感できなかった。と言うのも社会デジタル化が進んだ時代でなければ、まともな生活を送れていなかったであろうと断言出来るくらいデジタル技術に助けられているからだ。

子供の頃より発達障害の気があったのか、とにかく紙を使った事務作業的なことができなかった。手書き文字が汚すぎて第三者が読めない、学校で配布されるプリント類はまともに整理できないわ、授業の板書はただの走り書きになって見返しても意味不明になるわと、とにかく書類が扱えなかった。手帳を買ってもまともに記録できなくて予定管理ダメダメだった。

そんなわけで、高校までの授業態度を加味した学校の成績は壊滅的だったが、勉強自体はそこそこできたので大学進学はできた。大学生になると授業のレポート作成PCを使えるようになって生活が一変した。壊滅的だと思っていた事務能力が、PCのおかげで飛躍的に向上したのだ。

まず、まともに資料が作れるようになった。手書きノートと違って、誰でも美しい文字がかけて何度でも修正が効く。メモ帳テキスト形式文章を作っておけば、後から内容を検索して見返すことができる。PCのおかげで高校生まで苦手意識のあった資料作成が得意分野に変わったのだ。

次にデータ管理PC検索機能ソート機能には本当に助けられた。ファイル整理を一切しなくても、全文検索拡張子別に並べて日付ソートすれば目当ての資料が見つかるというのは最高すぎた。紙だとそうはいかないので大変だった。

自分場合

必要書類が見つからなくて棚をひっくり返す

数ヶ月後に別の書類必要になった時、前回の捜索でひっくり返したせいで資料がぐちゃぐちゃになって見つからさらにひっくり返して探しまくる

その次、別の書類必要となった時にはさらに棚が混沌としておりもはや発見困難…

というような悪循環を繰り返していたので、デジタル化によってようやくまともに資料管理ができるようになったのだ。

就職活動ときデジタル化に助けられた。そもそも手帳が使えない人だったので、PCからでも携帯からでも入力できるGoogleカレンダーがなければスケジュール管理不可能だった。履歴書だって手書きで作ると字が汚すぎて門前払い喰らっていたかもしれない。

学生の時点でこうなので、就職してからはなおさらである。紙ベース仕事する職場だったら、入社直後に社会不適合者のレッテルを貼られてしまい、干されてパワハラ受けて鬱で退職していたかもしれない。今の職場で15年以上働き続けて、いつしか管理職になり、今では部下を持ってそこそこ仕事が出来ているのはデジタル化のおかげとしか言いようがない。

仮に自分昭和平成初期に社外人になっていたかと思うとゾッとするので、デジタル化が進んだ時代に生きることができて本当に良かったと思っている。そんなわけで、この手の社会デジタル化の議論をする時は、効率の面だけでなくて発達障害の気のある人の救済になっているという側面についても、もう少し注目されても良いのではないかと思う。

anond:20240415182130

新自由主義流行ったというのは要するに小泉純一郎政権期のことだろう。

任期間は2001年2006年から氷河期世代1970年1982年まれ)が主に20代の頃である

では当時の年代別の支持率はどうだったか

https://www.crs.or.jp/backno/old/No569/5691.htm

20歳30歳代40歳50歳代60歳代
全期間42.544.844.247.556.7
田中更迭以前62.261.061.163.967.9
田中更迭以降37.539.038.441.852.3

20代けが特に小泉を支持していたとは思われない。むしろ若干低めである

ただし他の政権ではもっと低かったので、相対的小泉政権若者支持率が高かったとは言える。

若者政治に対する意識2001年7月参院選

https://www.mdr-j.co.jp/jisyu/seiji/index.html

若者政治に対する意識2「小泉内閣を支持しますか」(2002年2月

https://www.mdr-j.co.jp/jisyu/seiji2/index.html

若年者の就労に関するアンケート2004年6月

https://www.kkc.or.jp/data/question/00000034.pdf

29歳以下の意見感想

◆それが将来実を結ぼうと結ぶまいと、意思のあるフリーターには賛同いたします。何か目的があり、そのためにがんばっている今のフリーターは全く問題がないと思います。そうではなく、楽な道を選んだ結果のフリーターが増えるようならば、後々大きな社会問題としていろいろな方面顕在化してくるように考えます。確かに、近年老若問わず我慢」することに耐性がない人が増えているのは事実のように感じていまして、その大きな原因は個人的に(1)親の教育、(2)学校企業教育、(3)それを許容している社会環境制度にあると思っていますある意味、法で取り締まれる分野でなく、モラルで守られてきた範囲であるがため、余計に難しい課題のように感じるのですが。

◆今の会社正社員減少を進めることによって企業を建て直している。一方フリーターパート派遣社員等の流動的な労働力を歓迎している。現時点だけを見ればいいのかもしれないが、将来的には問題は大きいと思われる。新しい安定した雇用を生み出せたらと強く思う。

◆この春から新入社員として「働く」ことになりました。仕事があるだけマシという思いもありますが、入ってみて技術知識の面でまだまだな自分を突き付けられた思いです。日々の出来事に追われ、余裕のない自分がやっていけるのか、スキルを高め、役に立てるのか不安いっぱいのスタートです。大学時代自分としては一生懸命勉強していたつもりなのですが、仕事必要ものとの分野としてのギャップも感じます。昔、大学は出たけれどという言葉がありましたよね。時間に余裕のあるうちに、何が必要なのか情報を得ていれば、少しは違ったのかなと思う新入社員です。

◆若年のうちは気楽にフリーター生活でもやっていけるが、将来を考えると不安が大きい。

企業人件費を抑える為に、派遣を多く採用してしまい、そのため社員にならないフリーターが多くなってしまったりと悪循環ではあると思う。最近、がんばっても給料も上がらないし、評価もされないし、給料体系は学歴で決められてしまうので、社員としてのメリットがないと感じています

現在大学3年生で就職活動を行っているが、希望する企業はどこも募集人員が少なく、面接をする前の書類選考で落とされているところがほとんどで、紙面でしか判断されていないという

ことを悲しく感じる。やりたい仕事があるのに“できない”ということで、どんどんやる気がうせる。このまま希望している職業に就けなかったら、妥協して別の仕事を探す人もいるが、私はバイトパートという形でもやりたい仕事を選ぶと思う。しかしこの考えは親は反対で、何でもいいか就職しろと言う。現在もまだ進路は決まらない。

◆昨年就職活動を行い、この4月から社会人としてスタートを切りました。就職活動を始めるまでは、若年のフリーター増加や早期退職には否定的に考えており、本人の働くことに対する意識の低さ、忍耐力の無さが主な原因と思っていました。しか就職活動を通して、自分希望する会社入社できる学生は一握りという現状を目にし、学生意識を変えるだけでは問題解決しないと実感しました。

私自身、新卒入社した会社を1年で辞めており、今回のアンケートは興味深いです。私について述べれば、会社退職した理由はやはりがまんが足りなかったという事だと感じておりま

す。

◆私も小さい頃から、両親共働きの家庭で育ちました。そのためか、大学卒業後は働くのが当たり前だというように思っていました。やはり、親の姿を子供に見せる(コミュニケーション

ことが、とても大切だと思います

当時の感覚が窺い知れて面白かった。

当時の世論調査でも、中年層をリストラして若年世代雇用を創出するって政策の是非について世代別に聞かれたこともあった

ソースを出してくれ。

2024-04-08

さっき話の流れ石川優実を思い出し言及したら、ちょうどニュースになっていた

青識亜論とのは所詮個人間の争いでしかないと思っていたが、職場の偉い人が謝罪会見する事態になったのね

民事訴訟で勤め先の人が謝罪って珍しくない?

公務員から本名も勤め先もバレ済みなせい?

https://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20240408/8020020010.html

ヒールのある靴の着用に異議を唱える「#KuToo」を拡散させる運動を行った女性に対し、SNSでひぼう中傷する内容を投稿したとして徳島県職員減給懲戒処分を受けました。

処分を受けたのは県立海病院主任を務める37歳の男性職員です。

県によりますと、この職員道路整備課に勤務していた4年前の令和2年2月、旧ツイッターで、職場就職活動女性ヒールのある靴の着用を強制されることに異議を唱え、「#KuToo」をネット上で拡散させた俳優石川優実さんに対し、名誉毀損侮辱にあたる内容を投稿したということです。

職員は旧ツイッター上で、「青識亜論」というアカウント名で活動し、石川さんから損害賠償を求める訴えを起こされ、東京地方裁判所から慰謝料など33万円の支払いを命じる判決を言い渡され、去年12月、東京高等裁判所で1審の判決を受け入れることで、和解が成立したということです。

2024-04-06

自分の脳が、身体が、日々劣化していくのを感じる。

去年3月、自分内定無しのまま大学卒業一年就職浪人してようやく今年初めに内定をゲットし、4月から働き始めて一週間が経過した。

なんだか、ここ数年間で自分のあらゆる能力が凄まじいスピードで退化していくのを日々実感している。これは一体どういうことだ。

自分でこんなことを言うのもアレだが、小中学生時代は100点以外ほとんど取ったことがない上、さら夏休み自由研究では小1〜中3まで毎年、学内選抜で市や県の科学展覧会出展表彰されるなど非常に成績優秀だった。高校県内有数の進学校入学できた上、卒業するまでの三年間、中間期末試験では常に学年ベスト5に必ず入っていた。1位になったことも何度かある。

その後は有名私立大学指定校推薦入学したのだが、この頃から徐々に様子がおかしくなっていった。大学講義自分にとって興味深いものばかりで、毎日楽しく熱心に受講し、学内図書館毎日時間も入り浸って関連書籍を読み漁ったりと勉学に励んでいたにも関わらず、次第に学んだ内容が全く頭に入らなくなり(というか記憶できなくなり)、さらには講義を聞いても何を言っているのかサッパリ理解できなくなった。

文章力も極端に低下していき、レポート課題小論文定期試験記述問題などを書くたびに物凄く時間がかかる上に内容も支離滅裂意味不明ものばかりになってしまった。自分で後から読み返してみても、どれもこれも何が言いたいのか分からないようなグチャグチャでまとまりのない文章ばかり。そんなだから当然評価も低くつけられた。もともと自分文章を書いたりレポートを上手くまとめるのが得意な方だったのに。大学4年間、レポート評価試験結果も本当に悲惨だった。よくこれで留年せずに済んだな、というギリギリレベル

自分がこの数年間で実感した能力低下は、こういった学業面だけではない。

周囲の人と喋る時もまるで思考が停止したかのように言葉咄嗟に出てこない(他愛のない雑談ですら)、「うん」「そうだね」などの簡単な相槌すらもすぐに打てず、あはぁ、ふふ、などの辿々しい相槌とも言い難いような返事しかできなくなったり、ほんのちょっとした質問にもすぐに返答できなかったり、講義内で行われるグループディスカッションでも思考が停止し全く発言できない、そもそも何を話し合うのかも理解できないなど、コミュニケーション能力が著しく低下。さらには「おはよう」「こんにちは「ありがとう」すみません」など簡単挨拶すら咄嗟に出てこず、「ありがとうございます」と言うべき場面で「いただきました」だの「おはようです」など意味不明なことを言ってしまう。

自分子供の頃から社交的なタイプではなかったが、それでも対人関係で支障が出るようなことは今まで殆ど無かったのに。

就職活動でも面接時に全く言葉を発することができず、ようやく口を開いたと思えば質問された内容からかけ離れた支離滅裂言動になったりして、結局どこにも採用されず、内定無しのまま大学卒業となってしまった。それから約1年間の就職浪人の末、ようやく今年の初頭に内定を貰い4月から働き始めたが。

日常生活においても、何かやろうと思ってもすぐに忘れる、しょっちゅう物を落としたり無くしたりする、食事の時にお茶碗やラーメンの丼をひっくり返したり落としたりする、ごく簡単家事作業すらまともに出来ず家族に叱られる、会話相手言葉理解できない、何に対しても気力が湧かない、1日のほぼ大半を寝て過ごす、イライラすると衝動的に自分の顔や頭を殴りつける(そのせいで奥歯が欠けたこともある)、自宅の住所や電話番号を忘れる、外出時に突然笑いが止まらなくなる、30分おきに歯磨きをする、意味もなく家族電話をする、自分が今何をしているのか突然分からなくなる、など、ありとあらゆる面で異常な行動が出てしまう。

数年前の自分と比べても、明らかに知力や生活能力社会性、人格などあらゆる面で退化していると感じる。

一体何故こんなことになってしまったのか全く分からない。日に日に様々な能力が低下し、異常行動が増えているのを身に沁みて実感する。そろそろヤバい領域に達していると思う。

4月から新入社員として働き始めて一週間が経過したが、やはり失敗の連続。まず自己紹介の際は話す内容が全然まとまらず長々と話してしまい、ものすごく微妙空気になってしまった。

その後は新人研修がありグループディスカッションや共同作業をする時間があったのだが、ディスカッションの時は自分意見を全く言えなかったし(恥ずかしいから、緊張するから、とかではなく、そもそもディスカッションテーマ理解できなかった)、共同作業の時は提出用プリントにうっかり折り目をつけてしまったり、少し破ってしまったり、記入欄に間違えて違う内容を書いてしまったり、とにかく失敗の連続グループメンバーからも(この人さっきから何なの…)みたいな呆れている感じがジワジワ伝わってきて辛かった。

また研修が終わって部屋を片付けている時も、長机を運ぼうとして倒したり、ホワイトボードを運んでいる人に気づかずぶつかって転倒したり、会社から貸し出されていたボールペンをうっかり持って帰ってしまったりと、もう本当にどうしようもない。別にボーッとしたり気を抜いていたつもりは一切なく、むしろ自分無能だと分かっているので、入社後は全神経を集中させて仕事研修に全力で取り組もうと思って臨んでいた。でもダメだった。

こんな調子新社会人としての一週間が終わった。

正直、入社5日目にして既に社内に自分の居場所が無いような気がする。あまりにもやらかし過ぎてしまった。

もう本当に嫌だ。

何でこんなことになってしまったんだ。

ここに書いても仕方のないことだが、ストレスを吐き出す意味で。

2024-04-02

anond:20240402165907

失業保険就職活動していますという書類さえあればもらえるからなあ

から家事手伝いとか専業主婦になるつもりだけど、就職活動をしていると言う体だけほしくて面接とかある話だ。

ただ、生活保護の方は更に積極的な介入が入ってくるので話が違う。当たり前だけど。

特に働ける人が生活保護受けると、かなり積極的に介入される。

anond:20240402165545

その就職活動して決まらず、失業保険も切れ、失業保険でやっている再就職支援ができる期間が終わり、さらに一切貯金課金できる資産も無くなって住んでいる家も追い出されました、と言う所からスタートするのが生活保護な。

から、働けるが就職先がない、と言う人は、生活保護受給者向けの就労支援プログラムってのは職業訓練カウンセリングからはじまり、実際にはさらにその前、生活の立て直しから始まる。

何回か面接受けてりゃOKって、緩い失業保険じゃないんだから

anond:20240402152438

健康体で生活保護を受け続けるには、その50時間相当は就職活動をやらされるよ

就職氷河期サバイバーが当時を辛辣に語るよ

1976年まれ

バブル崩壊1991年から1993年らしいので、ちょうど高校生とき崩壊した形。

就職氷河期1993年から2005年らしいので、まさに就職活動を行う時期丸かぶりですね。

そんな自分からすると、当時の同級生はまじでクソみたいなやつしかいなかったよ。

偏差値低めの都内私立という受験戦争負け組しかいないような学校だったからほかよりも傾向が強めだと思うけど、でも、それっていわゆるボリュームゾーンでしょ。

とにかく世の中舐めきってて、労働なんてバカがやるものだと本気で思ってるような奴らばかりだった。

たいして勉強もせずに、その結果定員割れしそうな郊外大学に通って、当たり前のように就職に失敗して、実家ぐらしで楽そうなバイトばっかりして、語る夢ばかりデカくて。

本当にそんなのばっかり。

今考えればそんなのでうまくいくわけないのは当たり前だけど、当時はそういうやつらがうまくいく姿を嫌と言うほど見させられてきたからね。バブル期の先輩たちに。

からって仕方がないとは思わないけど。

土木とか、仕事選ばなければいくらでも稼げる仕事はあったのに、どうにもそういう仕事死ぬより辛いらしい。

肉体的にどうというより、そういう人間をしこたま見下していてそういう仕事をすること=死ぬことみたいな変なプライドがあった。

一度聞いてみたかったけど、就職氷河期世代人間で、こういった肉体労働に携わってみた人間がどれくらいいるんだろう。

そのうちどれくらいの人間が、ブラック労働ハラスメント理由に辞めた?

それって、そこで折れてしまうのが自分自身の弱さだったりしてない?

そりゃ金なんて稼げるわけないわな。

自分のいたところもブラック労働ハラスメントも当然のようにあったけど、自分より下にそんな思いをさせたくないからって上と戦いながらほとんどを改善したよ。

これがマッチョだと言われればそれまでだけど、指を加えて待ってれば誰かが助けてくれるものだとは絶対に思わなかった。

ただ、一つ思うのは、確かに数年前まで大学で遊び呆けてたようなやつらが大量に採用されている姿を見てきたわけだから自分もその通りに行くと信じてたんだろうということ。

それが突然そうではないという話になって、すぐに元通りになるだろうって思っているうちに手遅れになってしまったというのが、正直なところではないかな。

そういう意味では、政府当事者も、事態を楽観しすぎてたということはあると思うよ。

どうにかなるだろうって思ってしまったのは自分たちだから自己責任被害者意識が変なバランス存在していることもあって、なかなか声高には叫びづらいんじゃないかな。

自分から言わせれば完全に甘いけどね。

生殺与奪の権利を他人に委ねるなという感じ。

ここからは完全に蛇足だけど、自分にとって就職氷河期が全く持って他人事だった理由は、自分在日韓国人だったから。

当時、在日韓国人、いわゆる特別永住権の人間就職できるような大手企業はないと言われていた。(少なからず、親族就職できた人間はいなかった。)

そもそもスタートラインが違う。就職活動から氷河期が確定だった。

から、進学なんてとっくに諦めて、高校を出たら当たり前に働くものだと思っていた。

いわゆる3Kと言われる業界でがむしゃらに働いて、こいつらが大学で遊んでいる間にできるだけリードしてやろうと思った。

4年後に入ってきた新卒のほうが給料立場も上だったのは死ぬほどムカついたけど、数年後には全員辞めてて、やっぱりこいつらはダメなんだなって思った。

そいつらが言うには、君は数年早く働いてたからいいけど、らしい。

こちとらどんな思いで周りに頭下げて仕事教わってきたと思ってるんだか。

もちろん周りの在日韓国人にも、ニートみたいなやつは多い。

そういう奴らも基本は、他の人間と同じでどうにかなるだろうとしか考えてなくて、就職できなかった理由他人のせいにしてるやつらばっかりだった。

そう考えると、あれからこれだけの年数が経ってるのに、周りのせいにしてばかりで手に職の一つでもつけようとしない氷河期世代はやっぱりクソだと思うよ。

からでもプライドを捨てて何でも働けばいいのに。親が死んだらどうするつもりなのか。

全部が全部甘えだとは言わないけど、ここ一番の踏ん張りどころでケツを割ったのだとしたら、やっぱりそこは甘えだと思う。

それを受け入れて、税金無駄に使わせようとせず大人しく生きてください。

典型的JTCについて教えてください

こんにちは

わたしはこの春に大学3年生になったばかりのものです

就職活動にむけて先輩からJTCはだめらしいという話をききました

でもなにがだめなのかとか、どの会社がJTCなのかといった詳しいことは先輩もよくわかってないみたいでした

ここは高学歴高年齢高収入の方が集まるSNSだと聞きました

ここならJTCにくわしい人も多いと思いここで質問することにしました

この会社典型的なJTCだとか、自分会社はJTCだからこんな感じだとか、情報ください

会社名出せないとき業界をおしえてくだい

JTCだけどこんないいところもあるよという話でも大丈夫です

2024-03-31

anond:20240331200412

転職面接って新卒就職活動とはまるで別物やで

何が出来るか擦り合わせるだけや

2024-03-26

終活って就職活動の終わりなのか人生の終わりなのか区別できる単語にしてほしい。

anond:20240325231500

強迫症やな。自分も同じ病気からわかる。

髪や体を4時間近く洗って



これがよく分からない。髪が長いと洗うのも大変だし頭が重いし日常生活でも邪魔でしょ。

自分も3年くらい美容室に行けないときがあったけど、風呂場で自分で切ってたよ。YouTubeセルフカット動画を参考にして。

男性ならバリカンさえ買ってしまえば女性よりセルフカットは楽なはず。髪を伸ばすことに「こだわり」があるの?

自分は2年近く髪も切れておらず髪が胸の長さまで伸びて



あとさ、引きこもり家族とも碌に口をきかない関係ならコロナ感染リスクいかワクチンを打つ意味まりないと思う。

これから引きこもりをやめて就職活動を始めるからワクチン接種しておこうとか、そういう理由もなさそうだし。

行動のすべてがチグハグな印象。

接種の準備を割としたのに最後最後で徒労に終わった。

ワクチン接種とかコロナウイルス感染とかどうでも良くなった。ましてや自分人生も。

全てがどうでも良くなったことを今回のミスのせいにしてるけど、今回の件に関わらず、髪すら切らず仕事もせず中卒で引きこもってる時点でもう全てがどうでも良くなってるやん。精神科には通院してんの?

2024-03-24

ナンパ師ってなんなん?

十二年ナンパし続けてるという男のどや顔ツイートが流れてきたが、十二年ナンパし続けの何がドヤれるのか解らない。

見たらフォロワー多いし、男向けのナンパ講座とかやって食っているみたいだ。

十二年就職活動し続けてる人の就職講座みたいなもんじゃん。

何でこれが男にちやほやされてるのか意味がわからない。

こんなんだからモテに遠いのよ君ら。

2024-03-23

就活真実:1年で終わらない驚きの事実勝利への道

この内容は、あなたの考えを変えてしまうかもしれません。ぜひ、自分の目で確かめてください。

現在あなた就職活動に関して誤解をしている可能性があります

今ここでその誤解に気付いて、甘い幻想からさよならしましょう。

あなた普通に頑張っています。みんなと同じように努力し、部活受験活躍たかもしれません。高校受験大学進学も順調で、両親の支援も受けてきたかもしれません。

しかし、就職活動が目前に迫る中で、いくらかの不安がよぎるかもしれません。でも、大丈夫だと思っていませんか?

先輩たちの話を聞いていても、卒業までに何とか内定がもらえそうだし、最終的には就職できると思っていませんか?

でも、もしそのまま勘違いを続けると、あなた就職活動は満足な形で2ヶ月で終わることはありません。内定をもらい、入社手続きも滞りなく進むでしょう。

内定式や入社式に向けての準備も、幼い頃の遠足のような楽しい気分で過ごせるでしょう。

新しい社会人としてのワクワク感に胸を膨らませながら、新生活に臨むでしょう。

しかし、期待していた生活とは異なるかもしれません。理想とはほど遠い現実に直面するかもしれません。

そんな日々に疲れを感じることなく、逆に熱中してしまうかもしれません。

でも、待ってください。あなたは今、就職活動の誤解の中にいます。そんな生活は手に入れられません。

厳しいことを言いますが、それが現実です。1年間の就職活動を真面目に行っても、結果がついてくる保証はありません。

ですからあなた就職活動は1年で終わることはありません。その間に「第二新卒」というレッテルが貼られ、劣等感を感じるかもしれません。

もしあなたが賢ければ、留年して新卒として就職活動をするかもしれません。または、院に進学して有利な地位を得るかもしれません。しかし、そのような選択時間無駄です。

ただし、学生気分が長引き、20代の全盛期を浪費してしまうだけです。

その結果、結婚の機会も遠のいてしまうかもしれません。

ですので、早めに誤解を解きましょう。今年1年での就職活動が終わると考えるのは間違いです。むしろ妥協せずに行動しましょう。

私は、就職活動が1年で終わらなくてもいいと思っています。納得がいかなければ、来年もやりますだって、新しい社会人としての新生活妥協したくないのですから

そういう真剣意思が、あなたの目指す未来を実現させるのです。

からこそ、急いで終わらせようとか、どうせ就職できるだろうという考えは捨ててください。

そうでなければ、今までの努力無駄になってしまます時間無駄にさせたくないのですから

ですから、今すぐ「妥協しない就活」と書いてみてください。これがあなたの誤解を捨てる意思表明になります

しっかりと自分の中に刻んでください。そして、あなた未来への道を開いてください。

2024-03-22

いまの日本は真面目な人が報われた状態だと思う

子供の頃から真面目に学校に通って勉強して悪い道に進むこともなく

大学受験してそこそこ有名な大学に進学して遊びながらも真面目に学生生活を送って

就職活動では自己分析をして面接シミュレーションをして上場企業就職して

真面目に仕事して貯金して結婚して子供産んでマイホーム買って。

そんなことしてたらいつの間にか株価は最高値更新してて賃上げがあって。

今までの努力が報われたなーって気がするんだけどどうだろう。

もちろん親ガチャとか生活環境の違いや地の利もあるのは理解してるけど

やるべきことをちゃんとやって多くを望まなかった人が恩恵を得てる良い状態だと思う。

もうパターン化された"CS学生"羨ましすぎるんだよ,NAND回路でtetris,RustでRDBMS実装する,CPU自作OS自作コンパイラ自作TCP/IPプロトコル自作エミュレーター自作キーボード自作計算機プログラム構造解釈,長いこと大学いたけど,全然出来なかった やりたい

から修士2年で,今はまだ就活中だがそのうち終わるし,授業ももう無いしで,なんか純粋知的好奇心を満たすやつをやりたくなってきた

この一年で徐々に徐々に,回路触りたいとか,低レイヤやりたい欲求が再燃しつつあった

奨学金も借りて経済的に少し余裕ができたせいもある

本や部品を買うためにバイトを増やすと,肝心の活動に避ける時間がなくなってしまうし

もちろん,研究でもある種の好奇心は満たせるし,就活で停滞していたぶんを早く取り返したい気持ちもある

自分の受け止め方は,

研究

→ググっても出てこないことを調べて,ググったら出てくる情報にする,新規性客観的な正しさが重要

好奇心も満たされ,場合によっては就活アピールにもなる

進学しない人でも実績増やせば奨学金免除も狙える(大学院の話)

趣味ソフトウェア開発

車輪の再開発OK

でもまあ,一発ネタでもなんでもいいけど,解決したい課題とかテーマ必要な感じ,独自性があるといろいろと受けがよい

チーム開発したとか,身近な人に使ってもらったWebサービスとかだと,エンジニアでない人事担当者にも伝わりやすそう

自分場合就活でとてもいいアピールになっている

アルバイト

→金が儲かる,なんか社会の役に立つ(たぶん),なんか金儲けに役立つスキルが身に付く

上司や先輩から色々教われるのがよい

動機(金が儲かる,人の役に立つ)があるおかげで,もともとそんなに興味が無いようなことでも,調べて勉強したりするきっかけになって面白い

みたいな感じなんだけど,

ArduinoLEDをチカチカさせる,CPU作る,みたいなことはわかる人にはそれなりに評価されるのかもしれないが,短期的に対外的評価に繋がりにくいように思うし,すぐには自分生活をよくしないので,学生自分ですら後回しにしがちだったと気づいた

でもクラフト系(?)でしか満たせない何かがある

ポジティブな側面では知的好奇心だし,

ネガティブ意味ではよくわかっていないコンピュータシステムの上でいろいろやっている負い目とか,

コンプレックスだったり,インプットが足りていないままアウトプットに偏った活動をしている劣等感とかだろうか

就活就活向けの思考に疲れ始めているせいで,そうゆうコンピュータクラフト系に癒しを求めている部分もあると思う

自分のこれまでの活動をうまく利用して,有利に就活を進められる場を提供してくれたサポーターズなどのサービスイベント

自分を高く評価してくれる企業には大いに感謝もしているが,

品定めするような目線を受け続けているとアンチ金儲け主義のような意識が芽生えてくる

会社が金儲けのために使う道具として自分がどれだけ優れているかばかりアピールしていると,そうではない側面が盛んに自己主張をはじめる

就職活動念頭にあるので,自分経験をわかりやす就活で有利になるパッケージにしよう,みたいな考えにいつのまにか陥ってしまっていた

年代経済的な豊かさを手に入れ,どんどん人生の次のステージに進んでいくのを見ていて,焦りもあった

パンだけじゃ 生きていけねえ,し,

せめて高収入だったり,他人にすごいと思われるような職について,自分を慰めてやりたかったのかもしれない

あと一ヶ月もしたら,これまでの活動内定承諾という形で一旦精算されそうなので,

残りの時間研究と,別に新しい何かを生み出さないかもしれないただ好奇心を満たすための活動に使いたいと思い始めた

(面接では,一日も早く御社活躍できるような人材になれるように勉学に励みます,みたいな顔をしているが)

別に社会人になっても,休日に自室で一人で自作CPU半田付けしていてもいいし,多分やってると思うんだけど,

終わりが見え始めたら,周りに興味をもってくれそうな人がたくさんいる今の環境は尊く得難いものであると気づいてきた

そんなことを考えながら,いろいろググっていたらCPU自作手芸に例えたとても秀逸な投稿を見かけた

自分コンピュータ裁縫編み物も好きなのでとても共感した

裁縫編み物商業的にはほとんど機械化していて,実用品を手に入れる目的なら買った方がはるかに早く安く性能もいいが,

まさに手を動かして作る楽しさを味わうために取り組む趣味的な活動として残り続けている

自作CPUとかは短期的には対外的評価を得にくい活動かもしれないが,それ自体純粋自分好奇心を満たし,

達成感や充足感を与えてくれるので精神的な意味では「すぐに自分生活をよくしてくれる活動」と言えるかもしれない

ロシア語では趣味のことを「魂のためにやっていること」と表現するそうだが,まさにそういう癒しを求めているんだろう

2024-03-21

在野研究者として納得できている

在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ

「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代おっさん自分語り。

地方私立大学理系入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学文系学部に転学し、言語学を学んだ。

良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学就職は壊滅的に悪かった。同じ学部卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。

これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区マスコミ二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業から内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区企業を受けるという発想が無かったり、都市部学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。

就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。

閑話休題大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。

そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。

別の教員からは「国立大学学生私立大学学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値あなた研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。

ある日、大学院の師から研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。

大学院時代就職活動の結果、インフラ関係会社からと、その旧帝大事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料月並みでも図書館等の設備があって都市部アクセスやす後者を選んだ。学部時代経験で、地方より都市部の方が学問やすそうな気がしていた。

アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベル大学教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運からだ。私には、そこまでの熱意はなかった。

大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。

仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。

anond:20240321171225

原付処分しなきゃダメかもしれないけどスマホPC就職活動必要だしゲーミングPCみたいなもんでもない限り所持が認められると思うぞ

ここじゃなくてNPO電話相談してみれば?

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-16

もしかして定年後って前科ついても問題いか犯罪し放題?

就職関係ないし、海外旅行でもしない限り問題なくない?

前科がつく8つのデメリット

解雇懲戒されるおそれがある

就職活動で申告を求められる場合もがある

就くことのできない職業がある

離婚事由になり得る

ニュースインターネット上に残る場合がある

海外旅行等の際入国審査に影響がある国もある

検察庁警察に記録が残る

再犯後の刑事裁判で刑が重くなるおそれがある

https://keiji-pro.com/columns/264/

ほら、定年後は前科ついても無敵じゃん!

そりゃみんな犯罪ちゃうよね…

2024-03-11

vrchatを2年プレイしてお砂糖人間関係について思うこと

砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別位置なのか議論されることがありますしかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲渡ります。それでは、この微妙関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。

『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」

[補説] 2013年10月実施した「あなた言葉辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』

goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/

"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉表現されますが、その深さや距離感に違いがあります

互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分内面理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見自由に交換できる関係を指します。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的問題を共有することは少ないかもしれません。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます

「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定コンテンツゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティ所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。

私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋趣味を楽しむ相手としての友達です。

これが悪いというわけではありません。むしろインターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。

ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられますリアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人である恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。

それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人しかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全人間関係を築く上で全く適切ではありません。

それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います

奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます

人々が他人欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団非難することは、不寛容社会を反映しています完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています

カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たち他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準適用してしまっているのです。

しかし、人間完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。

自分距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います

人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たち完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っていますしかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります

嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています

まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。

人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います

ですが、現実はそう甘くはありません。

SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。

このような状況は、人間関係価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係問題が生じたとき解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要過程です。簡単関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。

私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的不快感問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバース時代においても変わらない人間関係本質であると言えるでしょう。

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