はてなキーワード: 作業服とは
俺が大学…工学部に行っていた頃、単位を埋めるためにとったある人文学系講義のレポート課題の一つに
「60億人に届く言葉を答えよ」
というものがあった。
どんな講義だったかとかその時なんて書いたかとかは一切忘れてしまったんだが、評価がBだったことを覚えている。そしてとくに記憶に留めることもなく、それを忘れ去ってしまった。
それから15年ぐらい経って、俺は風力発電の風車を点検する作業をしていて、北海道のだだっ広いが何もないところに建てられた風車を、マニュアル通りに点検する仕事をしていた。
同僚が隣で手を作業服にゴシゴシと擦り付けていた。これは彼の癖で、ゴシゴシ擦り付けるもんだから作業服がところどころ薄くなっている。俺はゴシゴシくんと彼を呼んでいた。
俺はなんとなくその同僚に「60億人に届く言葉って、なんだろうな」と話しかけた。
ゴシゴシくんはちょっと考えて、「さあ……」と答えると、またゴシゴシし始めた。
なんなんだろうな、と思いつつ家に帰ったが、寝たらどうでも良くなった。
そして数日後、仕事をしていると、ゴシゴシくんが「俺が昔受けた講義で……60億人に届く言葉を答えよっていうのがあって、なんとなく今思い出したんだよな。どう思う?」と言い出した。
結局根本的には「慣習的に『女性服はポケットは要らない』とされるからつけてない」だけだよね
まあ「今までとは違うものを自分が新しく作る」ことに抵抗がある人が大多数、ってのは分かる
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。でないとニトリの家具に囲まれて地方でうんこ製造するしかなくなる。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外、いわゆる多摩だって田舎だし、東京から離れた田舎だって同じ日本なんだから大して差はないだろ、という勘違い
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
ネットもAmazonもあるし、もともと休日に頻繁に外出するタイプじゃないから地方だろうと部屋の中でのQOLは都会と大差ない、という勘違い
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
田舎で成り上がる意味はない。田舎で成り上がったその先は、都会への移住。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
自分がパワハラをされていたと常に言っていたが別に大したことではなかったのかもしれない。乗り越えられなかっただけだ。
世の中にはもっとつらい思いをして働いている人もいるし、自分が受けたものも世間から見たら大したことではない。
労働内容も過重労働と言われるほどのものではないがサービス残業は当たり前の人を道具としてしか見ない会社に絶望をしてしまっただけだ。
トラックの誘導をミスして自分がぶつけたことにされた時、朝礼でその日行ってもいないのにトイレを流すこともできないのかと笑われた時
印刷したものがデータと同じかどうかを確認する追い出し仕事をさせられた時、納期に間に合わせるための残業を無駄呼ばわりしているのを聞いた時、
議事録をつける仕事でパソコンを与えられず仕事もできないのかと怒られた時、何度も自分の昼飯だけわざと注文されていない時、耳元で用事もないのに大声を出されたりする程度だ。
数えればたくさんあるがこれくらいのことは社会に出ているならたくさんあるのだろう。
中でも一番自分が辛かったことは退職届を出した後、3時間くらい常務にお前はできるやつだと思っているからまだ頑張れないか?と言われていた時だと思う。
自分は本当は期待されていてそれに応えられない情けない奴じゃないのかと帰り道の公園で何時間も泣いた。人生最悪の日だ。
普通に考えたら人手不足になるからなのだが、当時はそのようなことを考えることは出来なかった。
こういったことが段々エスカレートしていったのは、自分が工場長の残業代や有休をなかったことにしていることに対して上司に怒ってしまったからだと思うが、
これは社会人として間違っていても人間として間違っていたとは思わない。
しかし、触れなければいいのに変に正義感が強いせいで関わってしまい日々苦しんでいるので悪意に敏感なことは人生のマイナスだと思う。
それから最終出勤まで食堂で飯を食べれなくなり近くの川で泣きながら弁当を食べるようになった。
会社を辞めるころには体重が20キロ近く痩せ40キロになっていた。親は泣いていた。
最終日に営業部長に最後に菓子折りを持って行ったが目の前で捨てられた。しかし、ここにはもう来なくていいんだと
ボーナスがマイナスになって支給された作業服を駅に捨ててこれから明るい未来を描き出すぞと帰宅した。
しかし、実際は会社を辞めてからも楽にはなれず、就活も失敗し失業保険も貰わず引き籠ってしまった。
精神が弱ってるのに就活で出歩いていたら肺炎で入院したりもした。
そこから数年は友人が心配して連れ出してくれる時だけが自分の心に色がついていて他の時の記憶に感情の思い出が一切ない。
自分は7年無職をしているがその間就職活動はまばらでありながらもしていた。
働きたいと常に思っているが、またパワハラされないか非常に恐れている。
しかし、面接までたどり着くとこの求人票の内容は嘘なんじゃないか、またパワハラされるのではないかと不安になり
ブラック企業ではありませんよね?という最悪の質問をしてしまう。これでは受かるはずもない。
そうすると不安になり、就職活動ができなくなる。このループだ。
精神科に行って治療をするべきなのは明白だが、自分は健常者だと思っているプライドが許さない。
そうすると時間が経ち、後戻りできない社会不適合者の誕生する。
まずはアルバイトや派遣で働けというのもその通りだ。しかし、自分は出遅れているから早くまともな会社で働いて仕事の中でスキルアップをしたいと考えていた。
内向的社会不適合者は飲食や倉庫業で働けというのも定説だろう。だが、回転率の高い職場では人間扱いされないんじゃないかと一歩が踏み出せない。
当たり前だが働いている人は偉い。自分は最下層の無職のくせに選り好みしかしないカスだ。
2年の経理と毛の生えた簿記の知識だけでは雇ってくれる会社などない。
毎日求人を見ても将来ブラック企業の輪から逃れられないんじゃないかと絶望している。
年下の上司にだって不満はない。しかし、人間扱いはしてほしい。
ただそれだけのことが難しい。自分の能力不足だと思ってしまう。
動画配信なども心の底から楽しめず、ゲームをやろうとも思えない。
布団に入れば過去の自分の情けなさに泣いてしまうし、食欲不振で胃になにも入っていないのに嘔吐のモーションが出てしまう。
落選の封筒が届いたときに親が悲しそうな顔をするのは耐えられない。
死んだら悲しんでくれるだろうと思うと自殺もできない。
自分の性格は、いわゆる真面目で責任感が強くプライドだけは高いタイプだ。
他責思考になれれば楽だと思うが自分は自責思考になってしまう。
自分が他人に優しいのは、自分に優しくしてほしいだけの自己満足でしかない。
表面上は人には優しく真面目だから、こんなにいい人なのにと言われるが一番社会で通用しないタイプである。
男に大事なのは中途半端な能力より根拠のない自信や細かいことを気にしない勢い、失敗を恐れない強さだと思う。
自分は男社会で必要とされる気持ちがが欠落しており、よくできた弱者男性だなと泣きたくなる。
これを持たないで一度レールを外れてしまったら、もはや復帰不可能で空虚に生きるか死ぬしかないと考えてしまう。
ひろゆきみたいに生活保護を臆面もなく取ればいいって考えられたり、迷惑系youtuberのようにインモラルな行為で注目度を集めてアピールする度胸もない。
内向的でプライドが高い真面目だけが取り柄の男らしさの欠片もない精神病のアラサー男に現代日本は辛すぎる。
ただ希望が欲しい。
先週、32才になった。思うところがあって、過去の恋愛的なことを振り返ってみたい。
数年前だったか。はてな匿名ダイアリーが『弱者男性』の話題で盛り上がることがあっただろ。その時に気になってた。
それで、恋愛に興味がなかったあの頃と、恋愛をしてみた体験を綴ろうと思ったのだ。
今は一応、結婚したいと思える人ができた。けど、昔は紛れもなく弱者男性だった。
その頃のことを語りたい。最初に言っておくけど、失敗談だ。読んでる人が退屈にならないよう心がける。
(本文開始)
28才あたりまでは、まごうことなき弱者男性だった。恋愛的な意味での。一応、消防設備会社の正社員として働いていた。電気工事士とかの。安月給だが、生活できるだけの金は稼げる。月に一度は焼肉だって行ける。夜の店には行けないけど。
ただ、恋愛に興味がなかった。全くといっていいほど。子供の頃から……。童貞としての真正性を有していた。
女性と話すことはできた。挨拶でも雑談でも仕事でも、知らない人に話しかけることはできる。地蔵男子みたいなやつじゃなかった。
・女性から声をかけてもらえるのを待っている(悪い結果になるのが怖いから)
・プライドが高い。食事の誘いを断られただけで全存在を否定された気分になる
大体こんなものか。今思えば、一番目には当てはまっていたかもしれない。女性を食事に誘うと、相手が嫌な気分になるんじゃないかと思って誘うことができない。「傷つくのが嫌だ」という思いもおそらくあった。
当時の仕事内容は、消防設備そのものの点検だった。年収は350万程度。
内容はといえば、工場や文化ホールや体育館の奥まった所にある消防機器の配電盤を開けて、自動火災報知機がちゃんと鳴るかとか、誘導灯が切れてないかとか、消防計画がちゃんとしてるかとか、消火器が期限切れになってないかとか、何十項目かのチェックを重ねていって、クライアントに点検結果報告書を渡して、それが最終的に地区の消防組合に渡る。
あなたも見たことがあるかもしれない。作業服を着た人がオフィスの廊下を歩いていて、自撮り棒をもっと長くしたようなやつ(熱源付き)を持ってる。それを天井にある火災報知器に当てると、ジリリ!という音がして、火災報知器が正常に作動してることがわかる。
今思えば、情けない社会人だった。官公庁メインの案件を担当していて、防火対象物の点検結果報告書を役所に持って行った時に、よく若手公務員に小言を言われた。「日付は空欄って言ったでしょ?」「判定不備の一覧表作ってくれますか」「修繕の見積りが予算オーバーしてるんですけど何とかなりませんか」など、言われたい放題だった。
29になる年だった。女性社員が事務員として入ってきた。地元出身で、大学を出たばかりらしい。うちの会社は関東の田舎にある中小企業だった。大卒女子は珍しい存在である(N子とする)。
当時はすでにコロナ禍だった。N子はマスクを付けていても瞳が印象的だった。丸っこい感じだけど、視線が鋭い。茶色い瞳孔で突き刺してくるんだよな。でも、やっぱりまあるい感じの眼で、ギャップがある。
話をしてるとクールな印象だ。背筋が伸びている。冷たい香りは漂ってなくて、心の奥から人の善さがにじみ出てる。面と向かって話していると、ほんのりと気高く甘い、葉巻のケースの杉の香りのような雰囲気を感じる。そんな立ち姿だった。
笑った顔も素敵だ。マスク越しだから当然笑顔なんて見えないんだが、それでもワクワクした顔をしてるんだなっていうのが伝わってくる。
性格は言うまでもない。いい子だった。正直者で、嘘をつかない。いや、ひとつ嘘があったか。今ではもういい。
俺がやってる仕事の事務的内容(消防点検結果のチェック、工事の見積・請求関係、消防提出用報告書類の編綴とか)を手伝ってくれていたのだが、人柄がいい子だなってやっぱり思っていた。
「好き」だという感情は、この時はなかった。プラスの感情があっただけだった。心臓がどきどきするなんてことはない。廊下ですれ違う時に挨拶したり、「髪切ったね」→「前髪切ったんですよ」→「似合ってるね」→「ありがとうございます」といった何気ないやり取りとか、N子がこっそり休日出勤してた時(※無給)に事務所で暑そうにしてたのでエアコンを付けたりとか、そんな程度だった。
あの子を食事に誘いたくないなという思いと、やっぱり誘いたいという思いがぶつかっていた。それで、その年の夏だった。労働組合が一応あるんだが、新入社員を対象にバーベキューを催すことが決まった。自分は当時、組合で青年部長的な役をしていた。それで段取り役の1人になり、どういう風にバーベキューをするか思案していたところ、会社から車で35分ほどの長閑なエリアにある食肉卸を見つけた。ガレージの提供サービスがあり、何千円か払ったら焼肉用の食材を用意してくれるらしい。会社の近くのスーパーで売ってる肉より何割か安い。低予算でも皆がたくさん食べられて、よさそうだと感じた。
ひとつ問題があった。夏場にバーベキューとか、果たしてみんな来るのだろうか。特に女性。どう考えても臭くなる。そこは、もう1人の段取り役の男性が何とかしてくれた。自分の2つ年下で、女性と難なく会話ができるタイプのモテ男だ。息を吐くように女と自然な会話ができる。見た目もいい。スラっとしていてモデルみたいだ。
そいつ(T君としよう)が、ネットワークを使って新入社員だけでなく、ほかの世代の女子も集めてくれたのだ。彼は俺と違う部署だった。企画部だ。経営陣に近いところで仕事をしている。
実際の参加者…
新人5人、年次が5年目までの女性3人、組合幹部若干名、手伝い2人(〃)
という構成になった。3人増えているが、予算はまだ余裕があった。食肉卸を選んでよかった。1人あたりの料金が安すぎて量が心配だったが、当日は全員がんばっても食べきれないほどの肉・野菜・おにぎりを提供してくれた。炭火セットまで付いていた。
もし、スーパーマーケットで全部用意していたとしたら、1人頭で5000円以上はかかっただろう。
ガレージ内の簡易テーブルに座ってわいわいと歓談したり、肉を焼いたりしていたのだが、開始1時間ほど経った頃だった。労働組合の執行委員長が「みんなで自己紹介をしましょう。ここにいる全員で」と提案し、1人ずつガレージの端に立って自己紹介タイムが始まった。
自分の出番は後の方だった。執行委員長が「増田君~!」と名前を呼ぶと、緊張しつつも出て行って、1分くらいかけて自己紹介をした(個人情報なのでほとんど略。剣道やってたことと読書が趣味)。
それが終わって、炭取用のトングで熱した炭火を耕していると、N子がこちらのスペースに寄ってきてた。さっきまでは真ん中にあるテーブルで、ビールを飲みながらガールズトークしてた。
またとない機会だった。N子に話しかけてみようと思った。女子大生が着てそうな、上下ひと揃いで1万円以内な感じの装いだった。灰のロングスカートと、年季の入った青いチュニックを着てた(後に知ったが両方ブランドものだった)。マスクを付けていない姿は予想どおりだった。笑顔が素敵な子だった。
「お疲れ様です」
「元気ですか?」
「元気です!」
「肉おいしいね」
「もう食べられないです」
「御冗談を……」
「冗談じゃないです」
「もうなくなりましたよ」
「そっか。残念」
「(無理って言ったじゃん)え、取ってくれるの」
「はい」
・・・・・・
「N子さんは肉が好き? 野菜が好き?」
「どっちも好きです」
「区内だと、どのお店によく行く?」
「えーと」(※お好み焼き店と和風居酒屋とサイゼリヤを挙げた)
「N子さんはけっこう食べる人かな」
「よかったら今度、ご飯食べてみたい?」
「えっ、やったっ。連れて行ってくれるんですか?」(「ヤタッ」という発音だった)
「いいよ」
「ありがとうございます!」
それで、初秋に一緒にサイゼリヤに行って、その次の週は洋風の居酒屋に行った。その次は、一緒に紅葉のライトアップを見に行ったっけ。
その帰り際だった。自分は自家用車を持ってなくて、N子が乗ろうとしてる車の前で見送りをしてる時だった。よさそうな雰囲気になって、N子の肩に軽く手を回して、それで両腕で抱きしめた。N子がふふっと笑う声と、息遣いが首元に届いて……抱きしめ返してくれた。
俺は「愛してます」と言った。N子が抱かれたまま頷くと、髪とか頬が首筋をひっかくみたいになって、くすぐったかった。それから、「いつからですか~?」みたいなやり取りが続いた。
性行為をしたのは年末頃だった。いきなりホテルだった。最初は家でしたかったのだが、そこはまあチャレンジだと思って突撃した。
別に、特別なものは何もなかった。あー、肌が触れ合うってこんな感じなんだな、とぼんやり思った。事前にインターネットでたくさん勉強してたのもあって、40分ほどかけて最初のは終わった。あまり動かないセックスだった。タニシ同士が田んぼの中で生殖行為をしてるみたいな、ゆっくりとしたセックスだった。
最後に、ベッドの中で横向きにN子を抱きしめてる時、ホルモン的なやつが脳内から出ていた。人生で初めて味わう種の脳内麻薬だった。ビビビビ、と静かな高揚感が連続して襲ってくる。
食べ物でいったら、温泉卵が乗った肉そぼろ丼を一口ずつ味わってる時みたいな、そういうじんわりとした幸せを噛みしめていた。
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ごめん。今日はここまでだ。
終わりまで書けると思う。午前中を目標にする。
(続き)
>標準的な洋服は歴史的には軍装や作業服のカジュアル化であるという話と、普段着が全部モンベルになる現象と、スポカジというトレンドをむすびつけて1000字程度のエッセイを書いてください
ChatGPT
タイトル: 服装の変遷:軍装と作業服からモンベル、そしてスポカジへ
服装は、時代と文化によって常に変遷してきました。歴史的な視点から見れば、標準的な洋服の多くは、元々は軍装や作業服から派生したものと言えます。このような変遷を経て、近年では「スポカジ」というトレンドが登場し、新たな服装の方向性を示しています。また、普段着が全てモンベルのようなアウトドアブランドになるという未来像も浮かび上がってきました。これらの要素を通じて、服装の進化と文化的な背景について考察してみましょう。
歴史的に見ると、多くの洋服は軍装や作業服のデザインを元にしています。軍隊は戦術や機能性を重視した服装を開発し、その後これが民間に普及していきました。例えば、ボタンが多く使われるスタイルやポケットの配置は、兵士たちのニーズに合わせて考案されたものであり、その後の洋服デザインにも影響を与えました。
こうした歴史的な影響から進化して、現代では「スポカジ」が注目を集めています。スポカジとは、スポーツウェアとカジュアルウェアを組み合わせたスタイルのことを指し、快適さとスタイリッシュさを両立させるトレンドです。これは、現代社会がよりアクティブでダイナミックなライフスタイルを求めている影響を反映しています。人々は日常的な活動においても快適な服装を求め、それがスポーツウェアとカジュアルウェアの融合という形で表れているのです。
一方で、未来の服装についての展望として、「普段着がすべてモンベルのようなアウトドアブランドになる」という考えも興味深いです。これは、環境への配慮やアウトドア活動の重要性が高まる中で、機能性とデザインが融合した服装がますます需要を増す可能性を示しています。アウトドアブランドは、耐久性や保温性といった要素を重視しつつも、洗練されたデザインを取り入れることで、多くの人々に支持されています。
こうした服装の変遷やトレンドは、社会や文化の変化を反映しています。歴史的な軍装や作業服がカジュアルな服装へと変化したように、現代のスポカジも私たちの価値観やライフスタイルの変化を映し出しています。未来の服装についての展望も、環境問題やアクティブな生活への志向性が影響を与えています。
結論として、服装は歴史的な背景や社会的な要因によって大きく形作られてきました。軍装や作業服から派生したカジュアルな洋服、そして最近ではスポカジというトレンドが、それぞれの時代における価値観や需要を反映しています。これからも服装は変化し続けるでしょうが、その変遷を通じて私たちの文化や社会の移り変わりを読み解くことができることは間違いありません。
【追記あり】
しゃあねえ一肌脱ぐか。
引きこもり歴10年後に社会復帰して、現在正社員で貯金700万の中年独身オッサンだ。
俺の場合は長期の引きこもりのせいで限界まで自信無くなっていたので
バイト求人の電話かけるくらいなら自殺するほうが心理的抵抗感が少ないような極まりきった状況だった。
引きこもり始めて5年目にこりゃもう鬱だから働けないんだそうに違いないと精神科の門を叩くが、大したことなかったらしく軽い抗不安薬のみ処方される。
その後、抗不安薬パワーでバイトの面接に応募するも、退化した体に工場作業はキツすぎて一ヶ月経たずに止めた。
その後、逃避行動として資格の勉強を始め、業務独占資格を二つほど取った。これが後で生きてくる。
そしてネットで見たサポステに応募。カウンセリングとグループワークをしばらく続ける。
これは本当にありがたかった。
周りはみんな自分と同じダメ人間なので、数年ぶりに引け目のないコミュニケーションが取れる。
同居している親の話では、この頃から俺の目に生気が戻り始めたそうだ。
サポステは社会復帰を目指す場だが、自分から行動を起こさなければ
ダメ人間の集まりという居心地よすぎるぬるま湯にそのまま沈む恐れがある。
年齢的にも危機感を感じていたのとサポステ職員にケツを叩かれていたのもあって、もう一度バイトの応募に挑む。
ヒキニートがバイトに応募する際に躓く点として「応募先の電話番号までは押せるが、通話ボタンを押す指が固まって動かない」という、ヒキニート特有のどうしようもない症状がある。
社会復帰するぞバイトを始めるぞと決心してから、数ヶ月も半年もボタンを押せずに携帯電話とにらめっこし続けるという引きこもりのあるあるネタだ。
単純な話だ。
一切の容赦も慈悲の欠片もなく、軽々と通話ボタンを押してくれる。
最初の一歩を踏み出す勇気がないのなら、誰かに背中を押してもらえばいい。
そしてサポステ職員は背中を押すのが仕事だ。遠慮なく手伝ってもらおう。
そうして始まったアルバイト。
身体も本調子ではないのでそりゃあ辛かったが、峠を乗り越えればルーチンワークになる。
ここでまたサポステに戻るが、今回は僅かながら失業保険が出ている。
元の資格に関連したコースを選び、追加の資格を取り、資格が生きる業種の求人に応募した。
そして今に至るというわけだ。
趣味がゲームとネットくらいしかない子供部屋おじさんなので、貯金は勝手に溜まっていった。
100万ほど手元に残して、残りはインデックス投資に回している。
サポステはネットでもいろいろ言われている通りで、利用したらそのまま就職までオートで行けるような便利機関ではない。
そしてサポステにとっては利用者がバイトを始めた時点でゴールなので、その後の社員へのステップアップは自分で考えて動かなければならない。
しかしそれを差し引いても「ダメ人間同士で気兼ねないコミュニケーションが取れる」という一点だけで、利用する価値がある。
誰と話すこともない、長年の引きこもり生活で弱り切った声帯をリハビリすることができるからだ。
「アッ……アッ……」としか喋れない状況で、どこで誰に話し相手になってもらうというのだ。
今ならネトゲでボイチャするという手もあると思う。
そして資格。
たまたま逃避行動で取った資格が業務独占資格だったのが勝因だった。
だって、「何年も仕事をしないで基本情報技術者を取りました!この資格は私の能力が高い証明!」なんて胸を張ったところで、
IT業界で何年か働いている人の方が普通に評価高いのは分かり切ってるでしょ。
引きこもりが資格を取り始めると末期だなと言われる理由がこれ。
しかし業務独占資格は「この資格を持つ従業員がいなければ、この業務をしてはならない」という資格だ。これは需要がある。
業務独占資格の中には実務経験年数が定められてる資格もあるが、それが受験資格でなければ気にする必要はない。
「私を採用すれば〇年後にこの資格持ちになります」は大きなセールスポイントとなる。
アドバイスとしては、サポステに行け。声帯をリハビリしろ。バイト初めろ。職業訓練に行け。就職しろ。どっかで躓いて何もかも嫌になったら資格を取れ。
何年か越しのプランになると思う。
個々人の素質にもよるが、急がずに一歩ずつステップを踏んでいくのがいいだろう。
お前は、お前が思ってるほど絶望的な状況ではない。
問い合わせの電話でアッアッってなったとしても、向こうも慣れたもんだから。
応援してるぞ。
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【追記】
いや、バズり過ぎでは。
なんか俺が優秀な感じにされてるけど、取った資格は難関でも何でもないし
給料は一昔前に「年収〇〇〇万円時代を生き抜く」とか言われたレベルだぞ。
単に親元で、たまたま酒も女もやらなかったおかげで溜まってるというだけだ。
貯蓄額を出したのは、元ニートでもこれくらいはできるんだぞと勇気を与えたかったのと、あとは自慢。
だって、貯蓄の額なんてこんなところでしか言えないもん。許せ。
そして俺が自信満々なのは、引きこもり時代の後遺症で中二マインドが抜けないせいだ。
この世の大多数よりも人間的に上の存在であるという、根拠のない自信を持っている。
いい年こいて恥ずかしい持病だが、仕事をする上ではこの自信満々なスタンスが謎の信頼感を生むらしい。
なんか知らんうちに良い方向に働いてて驚くこともしばしば。
あと俺が取った資格は難関でも何でもない。
普通は入社してから働きながら勉強して取るような基礎的な資格だ。
ホッテントリに入るだけでもビクビクしてんだ。察してくれ。
そして、社会復帰を資格ありきで受け取られるのはちょっとマズい。それはちょっとやめてくれ。
俺達引きこもりは「やらない理由」を探すことにかけては達人なんだ。
現状を自己正当化する理由を四六時中考え続けて数年間の猛者だぞ。年季が違う。
俺の社会復帰が資格のおかげとなると、みんな大喜びで「じゃあ資格を取るまで就活しなくていいよね!」となってしまう。それはまずい。
実際のところ、職業訓練所を出ればそれだけで「口だけではない、最低限の技術が身についた者」であることを証明できる。
小さな会社では門外漢の素人よりも、職業訓練あがりの少しはわかってる奴の方が歓迎されることも多い。
そして、職業訓練所は就職斡旋機関だが、ニート更生機関ではない。
アッアッな状態で職業訓練所に入っても、おそらく就活でコケる。
それから職業訓練所で社員を目指すというのが俺のお勧めする社会復帰コースだ。
そして、一番大事なことを忘れてた。
これは完全に職歴なしで卒業後そのまま引きこもり生活送っているタイプのニートへのアドバイスだが、
俺たちは「引きこもりでパソコン大先生な自分にもできること」という考えで
パソコンを使った仕事に就こうと考えがちだが、一旦その考えは捨てて、視野を広げよう。
それなりに忙しく動いて体力は消耗するが、筋力勝負ではない。
俺たちにとっては、そんな仕事が狙い目だ。
それを受け入れる土壌も意外に広いということだ。
数か月を寝て過ごすよりはいい。
現場のオッチャンたちも、思ったほど怖くないぞ。
以上だ。
ヤバそうな流れだったので、急遽追記させてもらった。
資格を取るまで行動を後回しにするのは違うぞ。
並行で行けるから。並行で。
じゃあ、この時間で資格の勉強でもするか。と、そうなるなら良いと思う。
まず動こう。まず。
資格のことは横に置いて、まず行動をしよう。
締めの言葉は前と同じだ。
今よりちょっとだけ、前に進もう。
アマプラで無料の『世界を変えたテレビゲーム戦争』を観てたら、
No way. We are engineers. We don't know anything about manufacturing.
(とんでもない。僕たちはエンジニアであって、製造業のことなんて何も知らないんだから)
というセリフが出ててきた。
これは、アタリ設立前のノーラン・ブッシュネルが、『Pong』の成功を受けて仲間のエンジニアに
「(Pong を大量生産するため)製造業に乗り出そうよ」と提案したのにたいする返事なんだけど、
「頭脳労働であるエンジニアリングと、手作業としての製造業をハッキリ区別してるんだ」と思ってハッとした。
というのも、日本だとエンジニアは作業服を着て仕事してるイメージがあったから(特に60~80年代は)。
作業服は無意識レベルで「あなたは油汚れや工作機械の操作が想定される現場にいますよ」
というメッセージを伝達するから、そういう価値観・世界観なんですよね?きっと。
一方、英語のマニュファクチャーの「マニュ」は「手の」に由来するから、
雇用主の「手先」となって肉体労働をする工場労働者と(現代日本では社畜と言い換えて差し支えない)
机上で設計作業を行うエンジニアを区別したくなるのかもしれない。無意識的に…
【追記】
余談だけど、リドスコの映画『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』では、
本当に人手が足りないし、猫の手も借りたいぐらい人手不足になった結果、外国人を雇う事になった。
もう外国人を雇い続けて1年になるが、これが頗る評判が悪い。
仕事の漏れややり方に不備があるので指摘しても、カタコトの日本語で「ハイ、ワカリマシタ」とは返ってくるが何度言っても改善されない。
本社に早く日本人雇ってくれ仕事が回らんと伝えても改善されず。金がないんだろう。発注側も安い清掃会社を使いたいので、もうこのまま安い清掃会社の従業員として致命的なミスでもして、「少し値が張ってもまともな清掃会社を使おう」と思わせるのが俺か社会的役割なんじゃないか?とさえ思った。
またとある日、外国人が自分の入館証をトイレに誤って流したと言っていた。意味がわからん。流す前に気づくだろ普通。トイレじゃなくて誰かをビルに入れるために横に流したんじゃねえか?とさえ思った。
入館証トイレ流しの件と再発行の話がビル管理会社に届きこっぴどく怒られ、「従業員に反省文書かせてくれないか?再発されては困る」と言われた。俺も対策してえけどうっかりでトイレに流す意味がわからねえもん。一応現場では入館証をポケットに入れず常に首にかけて携帯するというルールを再度周知はした。当該のベトナム人も「ハイ、ワカリマシタ」といった。そしてオーナーの言う通りに反省文書かせた。ベトナム人の彼なりの計らいではあったんだろうが英語がびっちり並んだ反省文が返ってきた。律儀に書いてくれてありがとう。俺は英語が読めないので、そのまま管理会社に渡した。管理会社部長は「これはふざけてるのか?」とブチキレた。俺は上の空でこの仕事に別れを思った。
そんなこんなで数ヶ月前に、久々に日本人が入ってきた。中年の清掃経験がある男だ。挨拶もしっかりしてるし、現場の清掃員の七割が外国人なことに少し戸惑いはしていたが、俺は久々にホッとした。
しかし、勤務開始から3日後にビル利用者から「最近入った清掃の男が階段掃除しながらスカートの中を覗いてくる」とクレームが入った。俺は覗きの現場を見てはいないので、片方の意見だけを鵜呑みに新入り中年を咎めることが出来なかったので一先ず保留にした。そして翌日別の女性からクレームが入ったので、これは本物かもしれない懸念が出た。
昼休み前に「階段で清掃員にスカートの中を見られて不快だったというクレームか入った。新入り中年さんは本当に見て無いとは思うが、神経質なお客様もいて以前からこういうクレームがあったので(ちなみに過去に一度も無い)、階段の清掃中は極力仕事だけにフォーカスを当ててくださいね、なんかあったら遠慮なく私に相談してください。」と伝えた。
そうすると新入り中年さんは顔と禿げた頭を真っ赤にして「俺じゃねえよ!!!!!!」と怒鳴りだした。「おまえは見てないと思う」という仮置きしたのにこのブチギレ方は「あ、こいつは本物だわ」と確信した。
そのままロッカーから私服を取り出しそのまま外に出ていったので飯でも食べに行くのかなと思ったら駐車場から新入りの奇声音となにかものを壊す破壊音が聞こえたので急いで見に行ったら粉々になったマキタの掃除機と脱ぎ捨てられた作業服が転がっていた。新人中年は帰ってこなかった。入館証をトイレに流したベトナム人は「新人中年サン、チョトおかしいよ?」と困惑した表情で溢し、俺は本社から「従業員の教育が悪い」と叱責され、減給を言い渡され、仕事を辞める決心がついた。
俺の指導力も不足していたんだろう。新しく入ってくる人間がまともに仕事をしてくれない外国人かやばい日本人の二択で、彼らをまともな清掃員に育て上げる能力は俺には無かった。
もう俺は本社と何も話したくないし顔も見たくない精神状態に陥っていて、派遣先の入館証と作業着を本社に郵送し、事前に準備していた退職届を内容証明で送った。
本社からの連絡先は着信拒否にし、かかってくる謎の携帯番号も着拒にしてから1ヶ月ほどで解雇通知が送られてきた。離職票が届いてなかったので、本社の総務部に電話で「増田だけど離職票が来てない」と伝えると「人事部長から話があるそうなのでお待ち下さい」と言われたので「はい」とだけ伝えガチャ切りし、ハローワークに「退職した会社に催促しても離職票が送られてこない」と伝えた。
3週間ほどで離職票が届いた。
職歴はフリーターと清掃会社しかないし高卒だが、もう清掃には二度と戻りたくないし、なんなら別会社でも清掃関係者を見るのが嫌だし、ホームセンターでマキタ製品を見るだけでも吐き気がする。
精神科に行ったほうがいいのかもしれないが、客観的にみてまともじゃない精神状態でも受診しないことで「自分は精神的にまともかもしれない」一縷の望みの可能性に縋る事が出来、それが自分の中の精神安定を保つことが出来ている。
話が少し脱線したが、すべての清掃会社はこんな感じではないんだろうけど、給与もっと高くし競争率高めないとこの先もっと酷くなる気がする。
今は失業手当貰いながら無職中にJavascriptの入門書写経して「はぇ〜」って言いながら時間つぶしてる、職業訓練は過去に電気工事士取るのに使ったのでまた使ったらもっと職歴が汚れる。(2度も職業訓練に通ってる奴は使いたくないだろう)コンピュータって偉いな、指示が正しければ指示通り動くんだな、もう人間と接したくねえよ
朝起きたらこんな誤字脱字だらけの書きなぐったような文章がホッテントリいりしてびびった
親切心でアドバイスくれた方々どうもありがとう。全部に返事はする気力わかないけど、アドバイスくれた方々だけに所々補足。
JavaScriptはブラウザ上ですぐ動きが見えるので入門書買って遊んでただけで、IT系に転職したいとかそういうのはないです。適応障害でメンタル死んだSEの友人の話とか聞いていたのと、N予備校でGithubに触れた時に「ギャッ、英語」となったので、無責任に趣味として遊ぶ分には良いと思うけれども、これに社会的責任がついたら絶対病むと思います。仕事にしてる人すごい。手書きコードをエディタに写経するだけの仕事とかあったらやりたいけどきっとそんなものは無いでしょう。
清掃関係にも戻る予定はないですね、昔から自分の能力に劣り(精神的体力のなさや頭の回転の遅さ)を実感していて、門戸の広くてハードルの低い清掃業界に入ったのも自分の能力を見据えての選択でした。若い内に手に職つく別の業界に行くべきだと諸先輩方からは言われた事もあったのですが、新卒時代に圧倒的に同期より劣っていた飛んだ経験から考えて、仮に行っても多分やって行けなかったと思います。
ビルメンですが、近くでビルメンを見てきたN=1から言わせてもらうと普通に大変だと思います。便所の糞抜きはビルメンの仕事でしたし、ネットだと未経験が入りやすいみたいな話がありますが、実際は元電気屋とか元水道屋の元職人達が多いので、未経験で入ってきたっぽい人達が苦労してるのを見てきました。手先が不器用なので私には無理だなと思ってます。元職人達に支えられてる業界なので、未経験だらけで記録とりのルーチンはこなせても、設備トラブルによるイレギュラーには対応出来ず、現場によっては炎上(火災的な意味ではなく)してる防災センターもあるとかビルメンの人から聞いたことがあります。
電気工事士を取ったのですが、その時に手先の不器用さを痛感したのと、電気の知識が交流から理解できず止まっているので、適正はないですね。免許返納したほうがいいかもしれないです。家のスイッチ交換の役にはたちましたが。
清掃やってて何いってんだと思われるかもしれませんが、汚いところと暑い所が結構苦手で、トイレ掃除のたびに頭痛と胃のムカつきを感じていました。
こう書いてると働きたくない理由ばかり出てくるので、元々働きたくない社会不適合者なんだと思います。
割と好感な反応もあったのでむしろ驚きましたが、本当に仕事ができない無能です。私を知ってる人がこれを読んで、私のことを真面目だとか有能だとか書かれてるのを見たら全員が全員「はぁ……?」と渋い顔すると思います。思われてるほど良い人間じゃないのですみません。
とりあえず貯金も失業手当もあるし、当分はゆっくり過ごして、何も考えず静かに過ごそうと思います。
おわり
前編→https://anond.hatelabo.jp/20230613182451
土中に埋められたり海中に沈んでいたりする宝箱。天蓋が丸いがあれは宝箱の特徴ではなく、昔のトランク全ての特徴。
船や馬車で運ぶとき、トランクは室内ではなく馬車の上や甲板に置かれた。雨に塗れるので天蓋に水が溜まらないように丸く加工した。重ねる事を考えるようになったのは室内に入れる 鉄道旅行が流行してからで、その時天蓋は平たくなった。
ボンネットは車の部品の事ではなく、つばが無い帽子全般のこと。冬に被るニット帽もインディアンの羽根のやつもつばがなきゃ何でもボンネット。
最初期の車のエンジンフードは逆U字型の鉄板を上から被せる形式ですっぽりと「帽子を被せる」ものだった。google:image:Mercedes-Benz SSK engine
パソコンのHDDやメモリーを安く買える簡易梱包品と思われているが、大量注文の事である。対するリテールは小売りの事。
部品メーカーは末端消費者に部品を売らない。取引相手は法人だけであり、数か月先に100トレイ、総個数4000個などの単位でしか取引しない。単価も数量に応じて変化する。
一方PCユーザーはHDD増設等で部品単位で買いたいがメーカーを通すと猛烈な上乗せされ不要なサービスが付いてくる。修理増設の自由がない。
そこでオンラインや書類だけで取引してくれるオープンな海外メーカー相手にバルク(大量)注文して売り捌く問屋や小売店が現れた。
だがシーゲート社はこの流通経路で買った消費者も故障保証が受けられる国際ダイレクトRMAのサービスを始めた。バルク品の小売りが認められたのだ。
これに他社も追随するようになった。PCの世界では一般化しているが通常の流通から見たらかなり珍しい形式だ。
うぐいすパンとか山手線の色はうぐいす色、などの。抹茶色を差すが、抹茶色をしているのはメジロである。うぐいすは一般的な野鳥の茶色である。
最近のアパレル界では暗緑色を指すことが多いが、もともとチノパンの薄いベージュの色。軍服や作業服の乾いた土色を指していたが、軍服のオリーブドラブをも指すようになり混乱が始まった。
20年前のファッション誌には暗緑色をカーキという用法は無かったのだが、いつの間にか軍服関係の混乱が持ち込まれたようである。今ではアパレルでカーキと言えば殆どが緑系を指す。
GAPが昔「Gap - Khaki」ってキャンペーンをやってたよな、と思って検索してみると確かに1999年ではカーキは土色だった。
カーキの暗緑色化は世界的な現象のようだが、なぜこうなったのかは不明である。
ラブソングだと思って披露宴で謳ってしまう人がいるが、歌詞をよく見ろ。失恋の歌だ。歌ってはならぬ。
釵と書く。真ん中の棒が50cmくらいでつばにあたる部分が三つ又になってる武器だ。両手に片手持ちする。海外では忍者の武器と言ったらこれか苦無だ。
だがサイは琉球武術の武器だ。殺傷力も低い。本土の忍者が使う訳がないものだ。
この誤解の犯人はニンジャ・タートルズだ。これ以降の忍者ブームで誤解がブーストした。モタコンのミレーナもサイで相手バラバラにしたりしてるが、そんな事にはならない。
「あの娘にほの字」のような、何でも最後に「の字」「文字」を付ける姐さん言葉の一つでしゃくがしゃもじと言われていたが、独立した単語と認識されるに至った。
パープーパープーというちょっと間延びしたようなサイレン音が特徴的だが、これは元々はそういう音を狙って作ったのではない。
車のホーンは軽トラなど最低グレード以外は和音にするために高音と低音の電磁ホーンが二つ付いている。
この二つを交互に鳴らしていた。
タイプライターのリターンレバー操作時にチーンとなると思われているが、設定したマージンまであと5文字くらいで鳴る。
あとは単語の末尾か、5文字じゃ末尾が来ない長い単語の場合は分節でハイフネーションして改行せよというサイン。
タイプライターの音を入れるのが特徴的なルロイ・アンダーソンの曲「タイプライター」の演奏ではこういう理由でチーンの音を合わせるのが難しい。大抵は別のベルを用意してお茶を濁している。
エンダァは『ボディガード』主題歌、ホイットニー・ヒューストン『I Will Always Love You』であってタイタニックの主題歌はセリーヌ・ディオン『My Heart Will Go On」である。混同されやすい。
子供みたいな天使が笛を吹きながら降りてくるシーンが絵や映画などで見られる。愛の歌を奏でているような感じで。
しかし天使が笛吹いて降りてくるのは世界が終わって最後の審判が始まる時である。異教徒は全て地獄行きだ。笛も恐ろしい音のはずである。形からしてブブゼラやアメリカの機関車のようなけたたましい音だろう。
天使は中性/両性具有の青年か子供、上位天使は威厳のある青年の姿で描かれることがある。
しかしミカエルより上の上位天使は人の姿をしていない。もの凄い数の目玉がついた多数のリングに大量の翼が付いた姿、目玉に多数の翼が生えてその翼に目玉が大量についている姿、人や動物の顔が沢山ついた頭があり多数の翼があって高温で燃えている姿などだ。エゼキエル書にそう書かれている。
これはエゼキエルがキ印だった可能性が高いと言われているが神の国に入れなくなるのでこれ以上の評価はしない。
いずれにしても人の姿ではない。google:image:biblically accurate angels
おしゃれなボーカル入りアコースティック寄り電子音楽がシカゴ由来のハウスと呼ばれているが、シカゴのハウスはもっとハードなテクノ寄りの音だった。
ボーカルハウスはNYのパラダイスガラージ発のガラージュに由来する。だが今はガラージュというとダブステップの事を言うので、、
以上三つお届けした