はてなキーワード: 交流とは
昔のマシンのリメイクは郷愁を誘われて嬉しいですね。懐かしのマシンを現代風にアレンジするのは面白そうです。ミニ四駆世代の大人をターゲットにした戦略なのかもしれません。
SNSを活用したコンクールは、ミニ四駆コミュニティの交流の場として素晴らしいアイデアだと思います。自慢のマシンを披露し合ったり、アイデアを共有したりと、ユーザー同士の繋がりが生まれそうですね。
ローラー数の制限撤廃はビッグニュースですね!より自由度の高いカスタマイズが可能になり、マシンのバリエーションが広がりそうです。ローラーの配置を工夫することで、コーナリング性能が上がったり、新しい走行スタイルが生まれたりするかもしれません。
セッティングの幅が広がったことで、よりテクニカルなアプローチができるようになったのは嬉しい限りです。自分なりのベストセッティングを追求するのが、ミニ四駆の醍醐味の一つですからね。
ミニ四駆から離れていた私ですが、久々に手に取ってみたくなりました。カスタマイズを存分に楽しんで、理想のマシンを作り上げてみたいと思います。
アドバイスありがとうございます。ミニ四駆の奥深い世界に、再び足を踏み入れる良いきっかけになりました。
フェミニストの「ミラーリング」的なものがちゃんと出来てるのを見た事ない。
ってはてなーは良くいうけど
まず”ばかり”ってどっから出て来たのか。
『たわわ』みたいなアニメやマンガ”ばかり”になったらそりゃ嫌だ。
自分は『たわわ』みたいな漫画に興味ないからこの世に読める漫画がなくなっちゃうってことだけど、
『たわわ』の愛読者だってこの世の漫画が全部『たわわ』的な物になるのは嫌だろう。
なんで”ばかり”を加えちゃったのか。
そういうしょーもないズルやって気付かれないと思ってるとこがもうレベルが低すぎるし甘えだと思う。
あ、こいつすげーぬるいところでしか口喧嘩とかしたことないんだなとわかってしまう。
『たわわ』における巨乳ってのは女の身体の魅力的に見られる要素としてあるわけでしょ?
男の身体の魅力的に見られる要素じゃないと成り立たないじゃん。
女の性欲に沿って例えば「長身」とか「均整の取れた痩せマッチョボディ」とかになるでしょ?
要するにやたらプロポーションがいい美男が性的な目を向けられまくってて
でも当人はそれが恥ずかしくて「はうううう」みたいな赤面しまくってる
といった漫画になるわけでしょう。
というかそうやって魅力的な男を嬲るようなコンテンツなんてとっくに山ほどあるのでは?
女向けでもホモ向けでも。
その手のコンテンツに疎い自分でも例えば「抱かれたい男1位に脅されています。」とかいう脅迫によって性的関係を迫られる男の戸惑いやら恥じらいやら受容やらが性的興味によって描写されていくアニメが堂々と地上波で放送されてたことは思い出せるが
それらについて男があなたみたいに被害者ヅラしてオギャーオギャー泣いただろうか?
好きにやんなさいって話でしょ。
で、そういう男の身体の魅力的に見られる要素へ置換されるべき要素がなんで「チビ」と「ハゲ」になった?
あなたそれ単にあなたがキーーーッってなりながら悪口としていってるだけでしょ。
頑張って知的能力見せつけなきゃいけない場面で発作を見せつけてどうするの。
ある程度抽象的な思考力がないと不可能な作業じゃないだろうか。
だから知能が低いとか、発達障害(逆さバイバイしてしまうタイプの)があるとか、ものを良く知らないとかの人は出来ないわけで、
だいたい「適切な要素を抽出して別の立場に置換する」という作業は
頭悪いタイプの女が最も不得意とする感じの頭の使い方に見えるんだけど
得意なことで戦えばいいのに。
得意なことがあるのか知らんけども。
そもそもこういう頭の悪い連中、
政治的・社会的な声をあげるに際して自分の能力をどう見積もってるのだろうか?
「社会的議論について声を挙げまーす!提言しまーす!」とかよりずっと手前のハードルとして
身近な範囲の人間に頭脳で優越したような経験ってあるのだろうか?
周囲の成人から知恵や知能を頼りにされたことはどれぐらいあるのだろうか?
そういう経験すらないならたぶん、その人は大声を出す必要はないと思う。
この人は何かについての議論で人に一目置かせた経験とかあるのだろうか?到底あるように見えない。
せいぜいギャオギャオ泣き叫んで相手を閉口・退散させたような経験があるぐらいなんじゃないか。
むしろ日常において、知的能力の面で周りからちょっとバカにされる方の人間なのでは?
書いた文を読む限りは人並み以下の愚鈍な知能の持ち主に見える。利発な中学生と口喧嘩したら負けるでしょ。
そういう能力の人が政治思想とか社会思想とかをやる意味ってあるのだろうかということが気になる。
もちろん一票はあるし一票を投じるのは大事。
処理能力を持たないのに「ミラーリング」「性的搾取」のようなタームだけ振り回して思考してる振りをする必要があるのか。
当人も泣いたり不機嫌になったりして不幸だし、粗末なアウトプットを放流される社会や他者の側も迷惑だし。
それをする権利は当然あるけどそれをする意義が見当たらない。
cinefuk 多くの男性は不特定多数の異性(あるいは同性)から「性的に欲望されたい」願望があるから、見知らぬ異性の性暴力に怯える女性の不安を「ミラーリング」することはできないんだよね。
2024/05/07
その「言われたことに反論出来なくなったらとりあえず「性暴力ガー」と絶叫しておけば最悪引き分けまで行ける」みたいな謎の認識とソリューションをやめてほしい。
ここでは
って話をしたよね。
これに反論するんなら、
「いやこれこれこうだからチビハゲ漫画でミラーリングになってる!」とか
「女が脅迫レイプBLコンテンツを楽しんでるのはこういう理屈で正当であり
いやこっちの話と全く違う話をして
いつもその感じでやってるの?
www6 この手のやつ、いくら増田で大量生成しても既成事実化できないよ?スベってるよ
2024/05/07 リンク
nanamino そんな、文章を読み取る知能がない事をわざわざ自白せんでも…
2024/05/07 リンク
yzkuma 自分は、増田に知能に問題があると言われているフェミニスト当人なのだが、こんな文章を書かずにいられない人間を憐れむ程度の感情はある。こんなことを書かずにいられない人達が少なくなるといいよね。
2024/05/07
この
みたいな人達は明確に足りないのだろうし
こういう人達が議論風のポーズを作る活動に何の意味があるだろうか。
cript
"『たわわ』における巨乳ってのは女の身体の魅力的に見られる要素としてあるわけでしょ?" あぁ、なんかもうって感じ・・・。10代女性の巨乳好きなんだねぇ。これを公言するの恥ずかしく無いの?
2024/05/08
それすら読めない人がレスすることになんか意味あるの?本当に。
そして10代女性の巨乳が好きだとどう恥ずかしいかも説明できてない。
どうこれ。
悪口抜きに読むことも考えることも全くできない人でしょ?
知的に加点できるところが見当たらない。
自分がこれくらい頭悪かったら人生を食事と排泄だけにフォーカスする。
oka_mailer
女性が男性を性的搾取する様を描こうにも男女間で権力差があるために単純な反転が成り立たないのは当然の話。増田みたくミラーリングの不成立性を嘲笑するのは、男性特権の誇示であり、ミラーリングの意義でもある。
ええー。
「私達のおつむが足りないのも私達が失敗するのも男のせい」……ってコト!?
「フェミニストの頓珍漢な議論や無様な知能は実は女の被害者性を見せつけるためのトライだったのだ!」……トカ!?
すごいね無敵だ。
こういう処理してるから頭悪いんだなーってよくわかる。
だいたい「性的搾取」や「権力勾配」を全力で認めても、それに抗議する女の論陣がガバガバであることの釈明や正当化には出来ないと思うんだけど。
自分達の頭が悪いことも権力者のせいにして権力者の配慮を求めていくの?あなたの世界観を全て受け入れてもどうしようもない、泣く子供みたいな革命戦士だなと思う。まあ要するに足りないんだけど。
worris
ミラーリングや例え話は一部の特徴だけを抽出して類似点を指摘するものなのに、全体が完全一致していないと突っ込んで勝ち誇る人が出てしまうのは様式美だね。
2024/05/08
一部の一致でいいなら大変だ。
その辺の年金受給者集めて「あんたがたとバイデンは同じ老人である。つまりイスラエルによる虐殺への資金援助についてあなた方は責任を感じる必要がある!」とか言って日本人ジジババにガザの責任追及始めてもいいわけだ。
まあこれあんまり皮肉にならないというか、実際これくらいのクオリティの思考で生きてる知能の人ってたくさんいるよね。そりゃミラーリングどころか例え話も失敗するわけだ。
足りない人の解像度が少し上がったと思う。
hom_functor
反ワクの問題点が知能というより知能に問題点のある人が乗せられて暴れがちというのと同じ話では
2024/05/08
だよね。
ワクチンにリスクや問題性があると認めたとしても、反ワクの連中の有害無益な言動や抗議活動は「ワクチンの問題」ではなく「反ワクの知能の問題」と整理すべきでしょう。
それと同じことを感じる。この社会の問題点を認めても、それはそれとして頭悪い人の大声は要らないよねっていう。構造全く同じ。
rocoroco3310
知的障害だの発達障害だのを云々いってるブコメと増田は恥を知れ。身内に知的障害の子も発達障害の息子もいるが、どちらも誰かが悲しんでいたら一緒に泣いてくれるような子で、あんたらよりよほど健常だ
2024/05/08
こちらの身内にも知的障害者ぐらいいるわ。だからなんなの?彼の知能で社会的な議論に参加してたらやはり無益だと思う。彼はネットも使えないけど。
「知的障害者には人の心がない」とか「知能の低い動物は殺した方がいい」とか一度でも書いた?
「自分の能力がおいつかない議論に参加するのは無益」と書いたんだよね。どこ読んでんの?
ていうかあなたは本文を読んでないよね?
追記はともかく本文すら辛抱して読めないのにコメント書いたわけだ。
口ぶりからするとあなた自身は標準的な知能を備えてるつもりらしいけど、全然知的なパフォーマンスを出してないよね。本文すら読まずに身内障害者マウントか。おめでてーな。
あなたの身内の障害者はそうやってあなたの利便のために前に付き出していくあなたの矛で装備品なんだね。
yajicco
知能云々じゃなくて、単純に憎しみで目が曇ってるたけでは
2024/05/08
発想はわかるし自分も昔そう思ってたけどたぶん逆。
知的な能力足りない人含めて誰もが論客みたいな仕草しないと「社会」に参加してる実感を得られなくなったのがインターネット時代。
そういう人達の補助具は党派性。ガバガバタームをコレクションする進歩思想もどき、ユーチューブで拾った真実を駆使する保守思想もどき、両派にトッピングできる陰謀論なわけ。
思考する機能を備えてない脳でこういう党派のどれかに投じて知的にどうかしてる「議論」に時間使ってるわけ。
この人達に本当に必要だったのってご近所さんとの交流とか地元の祭りとか青年会婦人会だったんだと思うよ。
それはそれで嫌なことがあるから今のかたちになってるけど、類人猿的な脳に理解できるのはそっちなんだよ。
2年連続で同じクラスを受け持っているのだが、そのクラスの女子20人ほどの中に制服をスラックスにしている女子が1人いる。スカート姿も見たことがあるが、1年の9割程度はスラックスだ。
それは構わない。ジェンダー平等の時代だ。『女子はスカート』などと押しつける気はない。
別の子が友達から「○○ちゃんって私服はいつもパンツルックだよね。私服でスカート履いてるの見たことない」と言われているのを見たことがあるが、その○○ちゃんも制服はスカートだ。
スラックスの子が嫌われている・嫌われていないがぼっちで半無視状態ということはない。
女子にありがちなこととしていくつかのグループに分かれているが、このクラスはグループが違うとまるで会話しないようなクラス(そのようなクラスも持ったことがある)ではない。
グループを越えた交流も普通にある、全体として仲が良いクラスだ。
スラックスの子も所属しているグループがあるし、そのグループが他から孤立しているわけでもない。
既にスラックスの子というロールモデルがいて、「女子はスカート」という同調圧力がそれほどないクラスなのに、いまだにスラックスはその子1人だけ。
その理由は何なのだろうか。単に「両方買うと高い」なのかそれ以外なのか。よくわからない。
【三行で要約】
普段スラックスにしている女子は1人いるがそれ以外の子にスラックスが広まらない。
初めて増田を書く。
反応が来るかはわからないが、読んでくれる方がいれば、ありがとう。
余り詳しくは書かないが、端折ると、子供の頃から、家族(続柄や家族構成は伏せるが片親ではない)に何か言うと、「嫌なら出ていけ!」しか言われず、当然中高生が出ていけるはずもなく、実家にいること自体がストレスだったが、高校(高校に行かせてもらえているではないかという反論については、公立だし、現実的にその年で実家を出るのは無理だし、今時施設でも高校くらいは行かせるのだから、仮に高校すら行かせないのならば、施設以下の家庭ということで、施設に行っていたと思う。)卒業以降は家を出て、紆余曲折を経て、今は自力で生きており、成人以降のお金に関してはほとんど(基本的には自力だが些細なものも入れると厳密には0ではないため)自分で出してきた。
それだけでなく、下のきょうだいの学費(高校卒業以降の学校)等も負担して(これは自分の意志だが他の家族が頼りないのもある。返してもらう約束というかきょうだい本人の望みもあって借用書は作った。)、無事に就職・成人した。
実家には全く帰っていないわけではなく、一般的な頻度では帰っている部類に入るのかもしれない。
しかし、帰ってもストレスをためずに帰れたことがほぼないし、理由も住んでいたところが閉まるか、用事があるからがほとんどで、自分の意志で帰ったことは皆無だと思う。
一部の家族とは交流も連絡もしていたが、間違っても実家に帰ろうとは思わなかった。
不幸な自分自慢をする気は毛頭ないが、機能不全家族ではあると思う。
そのような最中、比較的連絡も取っていた家族(きょうだいではない。家族の中できょうだいだけは好き。)が、第三者に迷惑をかけるようなことをした。
正直自分は知らなかった上に、他の家族は知っていたのに対処していなかったのを知った。
とりあえずできることはしているし、本人の話も聞くつもりではいるし、正直自分が悪いとは思わないが、自分の人生はどこまでも彼らの尻拭いなのかもしれない。
そう言えば、出していないが、助けてくれという名のタカり(返す気のない貸してほしいですらなく無期限に援助してくれという意味だと思う。)もされた。
タカられた後に半狂乱になってしまい、すぐに帰って有耶無耶になった。
ちなみに、「嫌なら出ていけ!」と叫ぶのも、第三者に迷惑がかかることをしたのも、申し訳のなさの欠片もないくらい当然のような顔で援助を頼んできたのも、全員別の続柄だ。
陰キャ、友人なし、恋人なしの負の役満三重苦ではあるが、自分の食い扶持は自分で保ち、人様の迷惑にならないということはしてきた。
逆に言えば、仮にそのような存在がいても確実に負の影響を与えてしまうだろうし、正直いても意味がないと思ってしまうからなのもある。
血縁もない、仕事関係でもない人間との交流する意味もわからないし、他者は自分を癒やすために存在しているわけでもなく、その逆もしかりだからだ。
それこそ、友人や恋人が無意味ならば、「結婚」によって救われないのかという意見もありそうだが、もっと理解不能だ。
場合によっては余計に問題が増えそうだし、その「他者」と法的な契約を交わすのは、単純な交流よりも遥かに恐ろしい。
そして最終的に「結婚」は「子供のための制度」であるという本質にリフレインするのだが、そこは単純に自分の家族うんぬんはさしおいて、そこを逃げる場所にしたくないという思いがある。
少なくともそこを理解せずに逃げる場所としてしまうから、虐待というか毒親気質は連鎖しがちなのかなとも思う。
(ちなみに反出生主義者ではない。)
正直「なぜお金を払ってまで自分が…。」という気持ちもあるのと、具体的に何がどう救われるかもわからないからだ。
大切なのは現実的に起こった事柄に対するできる限りの対処とお金でしかないと思っているのもある。
自分の人生を他責で責任転嫁する気は毛頭ないが、親ガチャの本質は遺伝子や文化資本もそうだが、「自分のせいではないことでも悪い形で影響を受けることがある」「場合によってはその尻拭いもすることになる」だと思う。
出ていけと言ってきたくせに、将来彼らはそれを理由に自分に寄生してくるのではないかと。
身体的な虐待をされたわけでもない、扶養義務は果たされた、現時点では何も援助していない。
今のところ目に見える問題点はなく、人によっては自分が反抗期の延長に見えるのかもしれない。
反出生主義者ではないが、少なくとも子供に対して「自分たちが望んで作った」あるいは「自分たちの行為でできた」くらいはわかっていれば、少なくとも自分の家族のようにはならないと思う。
弱者男性、『愛されるための正しい努力をせずに周回遅れになった者が、ありもしない一発逆転のギャンブルばかりに手を出して自滅していく話』として読んでしまうので、彼が遭遇する状況を考えると同情出来ないんだよな。
社会的なヒエラルキーが厳格であり、時間に縛られ、さらに長寿であるという前提条件があるとしても、「女をあてがってほしい」という目標は非現実的。
彼が周囲とあまり交流がない中で生きているとすれば、彼が300年生きたとしても、たくさんの人々と話す機会が限られている。そのような状況では、愛情を育むことは困難。
自分の望みが「女を下方婚させること」と気づいたのは、内省的な成長の一部かもしれん。でも自己中心的な手段で「一発逆転してみんなを驚かせたい。見返したい」という願望を追求するなら、社会的に孤立して詐欺に遭いますよ。どんな社会だって。
そう言われて出してきたとしても、大体が遠く手の届かない位置にいる海外の大学教授などばかりで、多くの一般人にとっては、実質的に専門書の中で言葉によってしか存在しない、しかも間に翻訳者を挟んで語られる概念でしかない
現代人にとっての交流の場であるSNS上で、日本語を使っていて、しかもそれなりに気軽に絡みにいける立場で、その「まともなフェミニスト」とされるのが、一体どこの誰なのか、それを「本物のフェミニスト」さんたちは誰一人として答えてくれていない
現在、暴れ回っているフェミニストを名乗る連中が偽物扱いされるのであれば、その対となる存在が決して概念上の存在だけではないことを、フェミニストたちは証明しなければならない段階に来ている
それで、「まともなフェミニスト」というのは、一体どこの誰を差しての言葉なのだ?
この場合、自分の知り合いなどという、公の場で個人名を出すことのできないような存在を持ち出すのは意味がない
まずは、表舞台に立って活動している「まともなフェミニスト」を一覧にしてまとめ、その正当性を世間に認めさせるところからだろう
神にすら依り代となる人間の名前と存在が与えられているというのに、どこの誰かも分からない存在の伝聞を通じての説法なんて、人に届くわけがないだろう
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193039
この時期は多くのことを考えた。特に就職のことだ。第一志望の大学には入れなかった。だからこそ、今後の人生では逆転したいと思っていた。
就職四季報を読み耽ったし、就職活動の参考になるサイトは巡回したし、就職課の方々にもクソお世話になった(ワンピース的な意味で)。
リクナビとかあるじゃん。あれで友達とかにURL付きの回答ページを送って、送り主のことを回答してもらって、そしたら他人から見た自分自身の分析結果とか、どんな業界が向いてるとか、どんな価値観で仕事をしたいとか、いろいろわかるサービスがあった。そういうのをやってた。
当時は、LINEとかTwitterが一般的だった。ひと昔前の人って、LINEとかなかったんだろ? もしかして、全部メールとか郵便で就職活動をしてたんだろうか、一体どうやって? という疑問を感じていた。
本格的に就職活動が始まろうとしていた。自分は、1回生の頃から【TOEIC】の勉強に励んでいた。少しずつではあるけど実力を身に付けていた。勉強時間はそれほどでもないけど、ずっと続けていた。二年半。
受験にはお金がかかるし、実力を付けてから挑んでみようと考えていた。そしてついに、秋頃だったかな。受験料が少ないタイプの学内試験(※本番で実施済のテストを使い回すやつ)を受けることにした。
人生で初めてのTOEICは……うん、こんなもんかって感じだった。緊張していて、そこまで問題は解けなかったけど、ベストを尽くすことができた。
その結果は、なんと……(ドラムロール鳴る)……760点だった!! 当時の自分は、大喜びだった。狂喜乱舞だった。心の中でもリアルワールドでも小躍りをしていた。実際、佛教大学でのランキングは堂々の二位だった。一位は確か、文学部英米学科の人だったと思う。
これは、この結果は……紛れもない一流である!! おそらくきっと、この点数は、同志社だろうと立命館だろうと飛び抜けた点数だろう。京都大学でも通用するし、ましてや就職活動で通用しないはずがない。祇園や木屋町などの飲み屋街、東本願寺や渉成園とかの観光地で【外国人】とトークをしても通用するだけの英語力を、ついに、ついに身に付けたのだ!!
※そんなふうに考えた時期が俺にもありました。
そんなこんなで、就職活動が本格スタートした。俺は必死で、シューカツとやらに取り組んだよ。リクスー集団に交じってさ、学内の企業説明会とか、大阪城ホールでの合同説明会とか、東京までOB訪問に行ったこともあったっけ。とにかくマジだった。
あの頃の自分は飢えていた。なんの実力も実績も持っていないのが嫌だった。とにかく何か、ほかの人から見て、「あいつはスゴイ」となるものを最低一つはほしいと考えていた。
いつからか知ることになったのだが、この佛大というのは宗教系の比較的裕福な大学である。当時の週刊誌の大学職員給料ランキングでは、慶應や関西大学などの有名私大と肩を並べていた。キャッシュフロー的な意味で裕福な理由はいくつかあるが、そこまでは述べない(この日記の趣旨ではない)。
大学構内には、相応の見た目の講義棟(兼研究棟)が鎮座している。学生時代は「おしゃれ~でかい~」くらいの印象だったが、歴戦の社会人となった今ではわかる。あの1棟ものの巨大な建物は、建設工事だけで百億とかいってるかもしれない。同じ規模の大学で、あれを作れるところは少ないだろう。
あれは確か、3回生の終わり頃だったかな。本日の部活もさあ終わりだ、という時に、部長(※教員側の部活責任者)から声がかかった。ほかの3回生も一緒だった。「佛大の就職試験を受ける気はないか? 希望者がいたら優遇する」ということだった。
考えたのだけど、大学職員というのは、その大学がすんごく好きな人がなるものだと思った。当時は、民間企業への就職を視野に入れていた。優遇できる枠は1名ということで、ほかの同回生が手を挙げることになった。
まあ、年収であるとか、職務内容とかのバランスを考えると、「魅力的だ」とは正直思った。当方は、人生の方向転換が苦手なタイプである。この頃は、先輩やOB・OGを探して、就職活動に関する考え方や情報を集めていた。何でもいい、そういう生のデータがほしかった。
けど、嫌なことはやっぱり起きる。わざわざ日記に書いているのだから、当時の俺は相当ムカついたのだろう。
就職に関する情報を探してる中で、聞き込みのために学内アルバイトをすることがあった。それは講義の出席者からレポートを受け取って、受付番号を整理して、最後に整頓するようなアルバイトだった。1日勤務で六千円だった気がする。
二人一組で受付作業をするのだが、隣の組を見てると気分が悪くなった――と日記には書いてある。
その組は、男子と女子の組み合わせだったのだが、男子の方がやたらと女子の方にがっついている。レポート提出者がいない時に、割と雑談をしていた。
その中で、男子の方が「彼氏いる?」と聞いた後で、女子の方が「いる」と答えると、男子の態度が急に悪くなったのだ。それは仕事終わりまで続いた。
最後にレポートの仕分け確認をする時も、その男子は怒鳴りつけるようにして女子に当たっていた。俺はあまりにムカついたので、「ちょっと静かにやってもらえます?」と声をかけて、ようやく静かになった……。
と、記憶を思い返したけど、今の俺にそこまで思うことはない。「男の態度がひどいね。でも、オスってそんなもんじゃね?」くらいしか思わない。間近で見たらムカつくんだろうけど。注意とかするかもしれない。
当時は、実際どんな人間だったんだろう。俺って。記憶が薄らいでるとかいう次元ではない。消失している。全然わからない。
なんかさ、十年前の自分ってさ、もはや『他人』じゃないか。体の細胞でいうと、20回分は完全に入れ替わっている。もはや完全に他人である。
余談だが、佛教大学に通ってる女子には可愛い子が多いと、アルバイト先の立命館大学の人に言われることがよくあった。
根拠は全くないものの、社会に出た後の個人的感想では当たっていると感じる。福祉や教育に強い大学はそうなのだろうか?
就職活動に本気だった。この頃は、大手企業は今よりも早く内定を出していた(4月の1週目くらい?)。就職活動以外に教職課程のこともあったが、時間の隙間を縫って面接試験を受けに行った。まあ、書類選考でお祈りされることの方がずっと多かったけど。
うちの大学の卒業生で、すごい就職先に進んだ人っているのだろうか? 自分は高望みをしていないだろうか? そんなことが気になっていた。大手病に罹患していた可能性が極めて高い。
当時は社会学部で政策学を学んでいた。社会学だけじゃなくて、社会科学ならなんでも学べる学部だった。地域を盛り上げる系のゼミに入っていたのだけど、どんな先輩方がどんな進路に進んでいるか、正直気になるところだった。
ほかのゼミと交流する機会があった時に、同輩や先生方に聞いて回ったのだけど、凄い人というのはやっぱりいた。学生が六千人もいるのだから、レベルが高い人は一定数存在しているのだ。
社会学部の先輩(俺と同じ公共政策学科)の例だと、自分が入学する数年前に総合商社の内定を取った人がいたらしい。学業だけじゃなくて、外の世界に飛び出して活動していた人だと聞いた。とにかく忙しい人で、授業にはそこまで出席してなくて、水商売の仕事に明け暮れていたらしい。
単位はそれなりに取得して、教職課程最難関の講義(兼演習)ではチーム全員で百点満点を取って、大学同士の研究分科会では発表役になって、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って……とにかく活動的な人だったらしい。
学歴って、仕事の実力とは相関が薄いよな。多く見積もっても3割くらいだ。『誰もが嘘をついている』という本に書いてあったのだが、高偏差値の名門校に1点差で受かった人・落ちた人を追跡調査する社会実験があったらしい。結果的には、学歴と現在の地位に相関関係はないという結論だった。相関係数は0.1程度とあった。
アメリカ合衆国での話なので、日本だとどうなるかわからない。けど、自分も同意見である。どんな中学・高校・大学を出てるとか、そういうのは人生での成功にはほぼ関係ない。
どんな瞬間だって、自分が今どこにいて、何を目指していて、どんな努力をしているか。それが大事だ。学歴を振り返ってる暇があるなら、さっさとやることをやって次の先に進むのだ。
就職活動の話に戻るけど……就職活動の面接で問われる内容(志望動機、自己分析、自己アピール、就職活動の軸、ガクチカ)とかってさ。釈迦人になった今ではわかるんだけど、ぶっちゃけ茶番だよな。はてなブログだと、借金玉さんがそんなことを言ってた。部族の掟に近いものがあるってさ。
就活的なキャラの型枠を、リクルートその他の人材会社が用意したうえで、企業側が「茶番」に対して本気になれる人材(会社の方針を素直に受け入れて、貢献してくれる)を探してる。それだけだ。
若き大学生が当日記を読んでる可能性は低いけど、たったひとつだけ、ただひとつだけ、会社選びで言えることがあるとすれば……以前、どっかの増田日記に書いてあったのを参考にすると、こんなところだ。
「自分が入りたい会社というのは、自分が将来、どんなキャリアを描きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、どんな人間になりたいのか。そういうところから逆算して決めていく」
就職活動の軸というよりは、人生の軸という観点である。ちなみに軸、というのは「他人に関係なく、自分が正しいと思える考え方」という意味だ。
経済社会でバリバリ働きたいなら、そういう会社に行くべきだし、あなたが大事にしてる『たましいの仕事』があって、仕事は副業でやりたいなら暇そうな業界を選ぶべきだ。
将来、どんな人生を歩みたいのか? それさえ決まっていれば、業界や会社を決めることはできる。職種についてはナントモだが……敢えて言うと、保育所とか幼稚園とか小学校とか、それくらいの年頃に何が面白かったのか、が答えになるんじゃないか。その年代に心から楽しめたものは、大人になってからもきっと楽しい。
結局、その年の春の終わりに就職活動を終えて、内定をもらえたのは……京都市内にある電子機器メーカーだった。
大手企業を受けるのはやめた。大手病を克服したのだ。それで地元の会社一本に絞った。ここまで絞ると、受験できる会社の数は十社程度になった。自分の力をそんなに分散する必要もない。十分に集中できる。
当時は嬉しかったよ。両親に報告したら、父も母も衝撃を受けていた。うちの親って、自分の子どもを親戚の子と比べたがる嫌いがある。それはムカつくのだが、いい結果を報告できてよかった。
両親が、俺が出した実績をありがたがって聞いている。その実績を、電話などで親戚やご近所に知らせて調子に乗りまくっている。スタンダールの小説の『赤と黒』を思い出した。小説の中で、こんな感じの場面がなかったっけ? ブクマカで詳しい人がいたら教えてほしい。
両親よりも喜んでいたのは就職課の人だった。内定先を告げると、ご機嫌なビートで小躍りするようにして、ハッピーな感じでターンをキメていた。ずっと以前から、いろいろとお世話になっていた。喜んでもらえてよかった。
この年度の終わり頃、卒業間近だったか。大学が出してる何かの広報で、俺の就職先がデカデカと上の方に載っていた。トレーニングルームでそれを読んでいる時、隣にいた学生達も同じ広報の同じページを読んでいた。
「ん。どこどこ?」
「ほら、ここや。この会社」
「ああ、それマンコやろ」
「……」
「女の一般事務職だって。総合職ちゃうし。こんな掲載は詐欺に近い」
俺の怒りは有頂天に達していた。当時の日記には「有頂天」と書いてあったが、怒髪天と書きたかったのだと信じたい。
こういう連中はどこにでもいる。気にしたら負けである。増田の読者の人も、レベルが高い解釈と低い解釈があるとしたら、迷わず高い方を選ぼう。そっちの方が心身ともに健やかな人生を送ることができる。
次
法律がなければ、人を殺して金品を強奪するのは悪い事ではなく、何の良心の咎も自分は感じないだろうという人は、一般的な成長過程を辿り、親や友人との関係の中で他者との交流の喜びや信頼を経験したことのある人には通常いないでしょう。
さて、ゴールデンウィークですね。
皆さんは新しい環境に馴染めているでしょうか。はたまたあぶれてしまったでしょうか。
安心してください。人生は何度でもやり直し可能なローグライクの繰り返しです。
まず、一人の人間がオギャーとこの世に生み出されたとする
その時点で、というよりも受精した時点である程度の初期能力が決まる
STR 9
INT 10
DEX 8
CON 12
WIS 9
LUC 10
こんなもんでしょうか。
これらの数値は、モノと質によるがある程度は鍛錬によって底上げが可能。
例えば
INTは読書、会話。
CONは走る。
WISはパワハラを受ける。
LUCはゴミを拾う。身だしなみを整える。
ただ、ここの数値以外の、BAD TRAITSを持って生まれることもある。
身体欠損とか、五感の一部がないとか、昭和以前は…ここまでにしておこう。
最近では怒りっぽいとか、飽きっぽいとか、気に病みやすいとか、
そして現代、戦後から平成に至るまで人権、というものが非常に重視されてきた。
あからさまなBAD TRAITを持つもの、あまりにステータスが低い人間は
成人する前に原因不明のまま亡くなった。
種族全体、集落全体を考えれば致し方ない部分もあったかもしれない。
翻って現代、この日本語を理解できる人間として産まれてきたのなら
先人たちのお陰で、衣食住には困っていないはず。
もちろん、困っている人が一定数いることは理解していますがここでは取り扱いません。
どんなBAD TRAITSを持とうと、どれだけ低いSTRで産まれようと
成人まで生きていける社会。
否、生かされてしまう。という風に受け取る方もいるかもしれない。
自殺者が増えている、という切り口で、日本が悪い国だという方がいる。
さも、日本社会が、戦前・戦後と比べて不幸せな国になったかのように。
それも当然そのはず。
社会についていけないだろう、あるいはついていけなかった人間は、
けれど、あまねく救ったのなら、彼らが幸せな生活を送れるようにすること、
これはセットでなくてはならない。
もちろん、日本人として生きるのなら勤労、教育、納税、これらを行ったうえで、が大前提だ。
その中、ごく一部の、理由なく働きたくないでござる、という人間は放っておいていい。
ここまでが、大前提。
生まれ持った能力と特性。変えられようが無いこと。神様どうか。
わたしの目が悪いのも、ADHDでどうしても忘れ物をしてしまうのも変えようがない。
変えようがないけれども、眼鏡を掛けて、リマインダーを駆使して
それは全て先人たちの努力と試行錯誤のお陰だ。大いなる巨人の肩だ。
そしてそれらのハンディキャップは、現在進行形で見えなくなりつつある。
さてそうした時に、だ。
配られたカードが、それほど変わり映えしなくなった後、
一体なにが大事になるのだろう。
実家の太さか?生まれた国か、地域か?運か?学歴か?親か?国か?
いずれも違う。
自分の周囲にいる人間をどういう構成で固めるか、これに尽きる。
これはもう詰みかもしれない。
これはどうだろうか。それほど悪くないんじゃないか。
1人の人間が、社会的接触を保持している関係の人の数のことらしい。
150人くらいが、社会的交流が保たれる限界の数ということが有名な部分だろうが、
3~5人が最も親密な友人関係を築ける人数だというものもある。
あなたの年収は、自分の近しい周囲の5人の年収の平均値になる。
というものがある。
これが友人なのか、職場の友人なのかしれないが、
5人の平均値になるのだとして。
といったようにするか。
果敢にも、孫正義、イーロンマスク、ジャックマー、ウォーレンバフェット
とするのか。
おれは、幼少のころからインターネットの世界にのめりこんできた。
周囲に馴染む同年代がいなかったマセガキだからだ。要するにいじめられっ子だ。
一人っ子だった自分のデッキには、両親以外には1人親友がいるかいないかで、
親を周囲の四枚に加える必要は無かった。
月一回程度は気に掛けてくれたから。
高校でも大学でも、大体の場合は10以上年の離れた人間を入れていた。
年上の人間は優れているかは別にして、必ず別の視点を提供してくれるからだ。
一つ変わったのは今までいなかった年下が入り込んでいることくらいか。
ローグライクでいう選択肢、何か挑戦するものがあるかといえば、
仕事や子育てなど、人生のターニングポイント的なところになる。
攻略できる算段はないが、失敗したとしても納得がいく構成なのか。
子育てもそう。
どういう人となら、子育てという20年を超える一大事業を完遂できるのか。
お互いの両親の支援はどうか。
"こうしたら上手くいくかな"といって何かのツールでアシストするのか。
そこでベートーベンやヘレンケラーの伝記を読んで自分を奮い立たせられるのか。
そして上記で挙げたLUC、つまり運は何かと言えば、コネ・人脈の源泉だ。
自分にできる最大限の努力をしている姿を見れば、誰だってあなたを助ける。
決して腐らず、善い人であり続けろ。神様・仏様は見てくれる。俺も見る。
どの部活に入るのか。
どのサークルに入るのか。
どの会社に入るのか。
逆に何かを辞めてみるのか。逃げてみるのか。
もちろん、あなたも人"間"です。
あなたが人々に影響を与えることもできるのです。
グループを、目の前のマンモスをやっつけるよう鼓舞することもできるのです。
自信がない?
あなたのステータス、トレイツに応じた貢献の仕方がきっとあります。
さあ、春です。
巨人たちの肩に乗り、素晴らしい仲間たちと、どんなマンモスを倒していこうか。
わくわくしますね。皆さんの新しい門出に幸あれ。
私には子供がいるのだが、相互フォロー歴の長い友人の子供・子持ちへの愚痴が酷くて最近彼女のツイートを見ていられない。正直ブロックしたいが私も育児の愚痴をときどき呟くので同じことを彼女も思っているかもしれない。
その友人は何年か前に結婚し、いまはDINKsを選択している。それについて別に私はどうも思っていない…いや正直羨ましい。私(もその友人)も地方出身で周りからの子供つくれ圧がとても高かった。私も彼女も都市圏で就職をしたが、私は両親の「子供を作るのが自然」という価値観を内面化していたため、結局「自然に」結婚し結婚式も挙げ子供も作った。ただ仕事も好きなのでいまはフルタイムで働いている。結果、平日も休日も自由時間がほとんど無い。一方彼女は仕事をバリバリこなしながら平日にゲームをしたり趣味の話をしたり、ときどき落ち込んでは愚痴を呟いてフォロワーと交流していたり、とにかく私はその自由さがまぶしく、とても羨ましい。私には「結婚して子供を作らない」という選択はこわくてできなかった。でもその選択は間違いなくこれからの女性達を勇気づけるものだと思う。そんな彼女を尊敬していた。
ただ彼女もさすがに周りの子供つくれ圧はきついらしく、ときどき「子供ってそんなに必要?子供つくるのがそんなにえらいんか」といった素朴(風)な疑問や、子供のどこが嫌いで、自分はなぜ子育てに向いていないか、といったの事を呟いていた。そうそう外野から子供作れ作れ言われたら「なぜ子供が必要なのか」「なぜ自分はそういう選択をしたのか」という疑問を反芻するよな、女性への抑圧を考えたらそういう意見も絶対に必要だよな、と納得していた。
ただ以下のツイートはさすがにどうかと思ったので、直接言う勇気のない私はここで吐かせてもらおうと思う。
「子どもがいる人って仮にいなかったら腑抜けになっちゃうのかな ペースメーカーとか生活の張り合いみたいな側面もあるって言うけど」
→さすがに失礼wwwwwwwwww 子持ち全員生活の張り合いのために子供産むと思ってるん?????wwwwwwww 子持ちへの解像度低すぎやろwwwwwwwww そんな理解で子持ち批判してたん????????
よく聞く「子供のいない人生なんて考えられない!」というのはな、自分の生活における子供の侵食率が高すぎ&それが数年続いているので、子供がいなかったバージョンは不確定要素が多すぎてうまくイメージできないというだけや。子供最高!!って意味では決してないで。もちろん子供や子育てが生きがいの人もいるけどな、そういう人ってママ垢見てると少数派やで。いっぺんママ垢見てみ?夫と子供(と仕事)への愚痴と、子供可愛い~!と、自己嫌悪と、あとスリコとスタバとオタク趣味とホットクックの話が混在してるで。
てか子供がいなかったら別にその人生を歩むだけやで。仕事や趣味にもっと注力したかもしれないし、もともと腑抜けた人なら腑抜けた人生というだけやで。子供がいたら自分はこうなるて予測が正確にできる奴なんて誰もいないし、反対もまた然りやで。
そもそも子供がいる/いないて繋がっているんやで。いない状態からいる状態に色んな事情や選択があって変化したんやで。子供いない人全員腑抜けなら全員腑抜けになってしまうで。君は腑抜けやないでしょ。あと事情と言ったけど子持ち全員が子供大好き!育てる自信あります!って子供を大望して産むんじゃないやで。子供の有無は本人の意思以外にもたくさん事情があるやで。
まぁ何が言いたいかというと、子持ち/子無しで2分化して敵視するのはやめてくれよ。君が「女は子供を作るべき」と言われたくないように、子持ちは傲慢だよな、子供って自分に自信がないと無理だよねw、みたいな偏見をまき散らすのをやめてくれ。世の中には確かにヤバい親はいるが、大抵の親は周りに気を使いまくっている。仕事に穴を空けて本当に申し訳ないと思っている。電車で騒ぐ子供はうるさいと思っているし、それを躾けられないのは自分のせいなのかなぁと泣くほど悩んでいる。それは子供がいない時の感情を覚えているからである。子供を立派に育てる自信があるのではなく、とりあえず生んでしまったので成人までは付き添わないと、くらいの責任感だけ持っている。そして子供がいない人に対して悪意を持っていない。正直君の「子持ち」像は仮想敵だと思う。もう一度言うが一回ママ垢覗いた方が良い。子供産む前後で、生活リズムや価値観は少し変わるかもしれないけど、根っこの部分はたいして変わらない。こいつ親になって変わってしまったなと感じるなら、それはその人が何かを諦めた結果ってだけなんだよ。その過程をすっ飛ばして「子持ちは~」とくくって疎外しないでくれ。君だっていろいろ悩んだ結果DINKsを選択したんだろ。私はその選択を否定しないし何なら言及もしない。DINKs当事者でない私が肯定であれ否定であれ何かを言ったとしたらそれは暴力になり得るからだ。私は君をまだ友人だと思ってたんだけど君はそうじゃないのかな。そうじゃないんだろうな。私が「子持ち」だから。それか、君は自分が傷つけられた事に対しては敏感だけど、自分の言動には本当に無自覚だから気付いてもいないのかもしれないな。
ごめん、やっぱブロックするわ。
弱者男性を自称している人って総じて人から愛されるための正しい努力を怠ってきたくせに歳をとってからブーブー文句を言っているだけのようにしか見えないんだけど実際どう?
言うまでもなく人から好かれるためにはいろいろなことを学んで努力していかなければならない
そしてそれは小中高大の16年間でみんな学んでいることだよね?
・人との距離の取り方
・人を喜ばせるための会話
・人に嫌われないモノの言い方
こういうのは全部後天的に、主に学校の友達付き合いや恋人との交流の中で身につけていく
でも弱者男性って「周りの普通の人間はみんな先天的にこれら能力を体得していて、自分はそういう能力が備わっていないから差別されている」的な世界観でモノを語ってない?
いわゆる陽キャに分類される人だって、例えば小学校時代に変な誤解から女子に嫌われてキモ男認定を受けたり、中学時代に気恥ずかしい気取った格好をして周りからバカにされたり、高校時代に好きな女の子に対してセクハラまがいの迫り方をして嫌われたり、大学時代に恋人を蔑ろにして喧嘩をしたり、そういう経験を積みながら人間との関わり合い方を学んでいるでしょ
場合によってはクラスで浮いた存在になっていじめられたりハブられたりして、「どうやったら人に好かれるのか」を少しずつ理解していくよね?
弱者男性はこういう人付き合いの失敗から何かを学んだり自分の人への接し方を変えてみたりそういう努力をきちんとしたことはあるの?
もちろん、発達障害とか毒親とか色んな要因で人付き合いのやり方がわからなかったって弱者男性がいるのもわかるよ
でもそういう人は自分の疾患や自分の親を恨むべきであって世間を憎むのは違うよね?
ましてや「自分は差別を被っている!」なんて思うのは完全に間違った独りよがりの思い込みだよね?
単純に自分の社会性がゴミだから周りから嫌われがちってだけの話なんじゃないの?
弱者男性は口を開けばすぐ「女性優遇が!」「女が下方婚しないから!」とか言うけど、個人の問題と社会の問題は切り分けるべきだと思う
弱者男性が不幸なのって人から愛されるための正しい努力を怠ってきた結果であって、何も社会的な問題なんかなくない?
今からでも遅くないからカウンセリングを受けるとか発達障害の治療を受けてみるとか親と縁を切るとか、自分が人付き合いで失敗しまくってきた原因をきちんと精査していま自分にできることからコツコツ改善していきなよ
16年間怠けてきたその遅れを取り戻さないと一生不幸なままだと思うんだけど
周知の事実だろうが少子化問題に関しては別に日本固有の問題ではなくて、あらゆる先進国で発生している事象だ。
ここに関して、国が悪いだの、なんだのいう考えなしはここでは無視する。
まず医療技術の発達が、子どもが生き残る確率を上げたのは言うまでもない。
そしてリベラルな思想の醸成により、口減らしみたい行為は表立ってはできなくなった。
どのような才能や出自を持ってこの世に生まれ落ちたとしても、あまねく子どもたちは育てられるようになった。
これが一つ、今では誰もが知っているだろう現代の大きな問題の要因だ。
ハンセン病を始めとする病気由来のものもそうだし、生来的な障碍者差別もそう。
周囲や、若い人の反応は気にならなかったようで、それよりもむしろ親や親戚などの身内が、
地域社会から自分の存在を隠そうとしていたということに傷ついた、と語っていたのを思い出す。
よく現代病などとして、最近は花粉症が増えた、とか発達障害が増えた、などと言われて久しい。
これはもちろん、科学や医療が発達して色々なことが分かるようになった、ということもあるし
昔からそういう素質を持った人はゴロゴロしていたよ、という話もあるだろうが、
一番の理由は、子ガチャが出来なくなった、許されなくなったからだと思う。
で、今になってグレーゾーンだとか、ひまわり学級だとかが見直されつつあるわけだ。
もちろん、社会全体として生物学的な多様性を保つことは、種全体としてもリスクヘッジになっているだろうし
倫理的な側面からも、人間社会が豊かになったことの証左であると言える。
だが、個人としての本人の意思はいかほど尊重されているのだろうか。
自分もとある身体的ハンディと、重度のADHDを抱えていたものの、そこそこの努力と
周囲の助けもあり、大学も卒業し、サラリーマンを経て、親の敷いたレール、つまり家業を継いだ(祖業は廃業したが)
クソボンボン野郎、という声が聞こえないでもないが、幸福度で考えても全く釣り合わない、と思う。
ノブレス・オブリージュなど聞こえはいいが、結局は社会の奴隷かつ、労働者の奴隷でもあるのだ。
はたまた巷にいくらでも溢れている成功者の自伝本のように、努力が足りない、
などという世迷い言をいいたいわけではない。
この努力、というものを、子どもに押し付けたいか?ということだ。
これからますます、勤勉で、清潔感があって、思いやりがあって、物事の分別がつく、聖人君子が求められる。
厳しくなりすぎたからこそ…自ら世捨て人となる人が増えているのではないか。
トラックに轢かれて別の人生を、自ら子ガチャをやり直すような妄想が、蔓延しているのではないか。
で、この少子化問題に関わる議論として、責任負いたくない問題がある
さらには、経営者、責任者、政治家の責任重すぎやしないか問題。
今では部長が悪い、課長が悪い、OJTが悪い、親が悪い、環境が悪い、国が悪い等と
終わりのない他責思考と、昇進拒否や退職代行のような責任回避思考が蔓延している。
そんな責任を負うのなら、JTCで怒られない程度にお茶を濁すが如く耐える方がいいと。
ただ、それすらも今は…
だって社会と法律が、どうあっても子供を殺すな、きちんと責任をもって教育しろ、と言っているのだから。
だが、お前ひとりで育て上げろとも言っていない。
そもそも人ひとりで育て上げられるはずもない。犬猫を育てるのとはワケが違い過ぎる。
人間は社会性の動物であり、文字通り、社会の中で、人々と交流することで全てを身につける。
そうした側面を無視して、新自由主義的な、自らの力で全て何とかしないといけないような考え方に囚われちゃいないか。
ただ、オギャーと産まれてくるのは、ただの動物だ。チンパンジーだ。
産まれてずっと親と暮らすわけでもない。社会性をどこかで身につけなくてはならない。
そしてそれは、才能にもよる。マセガキもいれば、少々社会性の獲得が遅い人間もいる。
何より実際のローグライトゲームのようにリセットなど出来ないのだ。
何も持たず生まれて、何も持たずに土に還るのだ。そうした自然な循環をしようじゃないか。
だからこそ、基本的には子どものしたいようにさせるのが一番だ。
時には殴ってでも止めないといけないこともある。
刺し違えてでも、社会に迷惑をかけないように体を張って止める。
それはお前の役目だ。それは覚悟しておけ。その責任を社会にだけ負わせるな。
今は教師も、近所のカミナリ親父も、その役目を負ってはくれない。
そういう意味で、精神的な子育てのハードルは上がっているのは間違いない。
ただ、それが出来ないと思うのならよく考えて親になってほしい。
躾をされないで育ち、大人になってから鬱になるか、反社として生きるかの二択を迫るのか。
大人になってから躾を身につけさせるのは非常に難しいし、個人主義の現代にそのようなお人よしはいない。
社会に出てから虐められてみろ。怒られてみろ。言いたいこと分かるよな。
いじめられるわけでも、怒られるわけでもない。
子供のうちはいくらでも挑戦させろ、失敗させろ、身内で迷惑を掛けさせろ。
一つだけ伝えておきたいのは、別に世界も社会もあなたの敵ではないということ。
そして、今は未曽有の危機、第二次世界大戦前後以来の混迷期だということ。
もっと言えば、明治維新と第二次世界大戦を同時に経験しているくらいの、
大きな変化の渦中にいるということを、頭の中に入れておいて欲しい。
産業革命以来の、"働き方改革"(強制)と、年間数十万人の人口減の同時発生。
そんな場面で、日本人同士でいがみ合って、責任を押し付け合ってどうする。
別に指をくわえてみてたって構わない。
けど、お願いだから、これに対処しようとしている人たちの足を引っ張ることだけはしないでくれ。
別に賛同してくれなくたって、協力してくれなくたって、疎外したりはしないから。
あまねくご先祖様、これだけの天下泰平を築いたものの、戦後最大の危機が訪れております。
現代の日本を舞台に、主人公である若き女性・藤崎瞳(ひとみ)は、大手企業の社長令嬢として育てられた。彼女は贅沢な生活と名誉を享受しながらも、内なる孤独や欲求不満に苦しんでいた。
ある日、瞳は父親の経営する会社で働くことになり、そこで2人の侍女と出会う。侍女たちは瞳の世話をするために雇われていたが、彼女たちの美しさと艶やかな魅力に瞳は惹かれていく。
侍女たちとの接近によって、瞳は内なる欲望や禁断の快楽を知ることになる。彼女は侍女たちとの関係を深め、日々の生活の中で新たな刺激と愛を見出していく。
物語は、瞳と侍女たちの三角関係や愛の模索、そして社会の偏見や抑圧に直面しながら、彼女たちが自らの本当の幸福を見つけるための旅路を描く。瞳は自らの欲望や愛を追求し、侍女たちとの情熱的な関係の中で成長していく。
2人の侍女との交流を通じて、瞳は社会の枠を超えて本当の自由と幸福を見つけ、自らの運命を切り開いていく。彼女たちとの情熱的な愛と禁断の関係が、瞳の人生に新たな輝きを与えることになる。
自分は友達だと思ってた。もともとは元気な奴で、でも色々無理がたたって鬱になって、何度か連絡が途切れた遠方に住む友人。
気が合うと思ってたし、心から気が許せると私は思ってた。
お互い得意分野で役割分担して何冊か一緒に本を出した。相手が漫画で自分が小説で。フォロワーを比べればなんで私みたいなヤツとって思われてたと思う。でも昔から知ってるし気が合うからってお互い好きになったジャンルを布教し合って本を出した。そこからジャンル内でも色々合って無理がたたったのかまた連絡が途切れた、それが3年前。
本を出す時は大抵合同誌だったから通販の処理を得意な相手に任せて印刷所の入稿や支払い手続きは比較的手の空いていた私がして、利益は完全に折半にしていた。金銭勘定はきちんとしているという信頼関係があったから出来ていた。
だけどその精算は連絡が途切れた事により出来なかった分があった。病気のことも知っていたから連絡をしてもお金の話をする気にはなれなかった。体調を心配していたし、なにより友人にもし何かあったとしてもインターネット上での交流が殆どで、リアルでは数回しか会ったことしかない私には現実世界で何があっても知りようがない。だから根気強く間を開けながらメッセージを送り続けていた。
その時は本当に嬉しくて、生きていた事にただホッとした。それから三ヶ月ほどは前のようにただ普通に話して過ごした。
そこからの私はお金の事を言うに言えなかった。一対一なら気長く待てたかもしれない。けれどお金に関してもう一人関わっている人がいた。
出した本の中の一つに友人とは別にもう一人参加してもらったものがあった。それは合同誌で時間のない中参加してもらったこともあり印刷代を抜いた中から謝礼を払うつもりでいた。けれど連絡が取れなくなっていたことからその話も一旦ストップさせていた。連絡が取れてからもいつ言おうか迷っていた。疲れている友人に言ってもいいのか、どうしようか。それは言ってしまうと関係が変わってしまう事を恐れていたのかもしれない。
前置きが長くなったが結果を言えばお金の話をして連絡が取れなくなった。それが仕事の忙しさなのか、それとも体調なのか今となっては分からない。連絡が返ってこなくなって3ヶ月ほどは連絡先はそのままだったが一昨年の春には電話もSNSも全て消えた。金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったもので印刷代は薄給にはそこそこの金額だったので痛い勉強代だと割り切るしかなかった。
金は帰ってきて欲しいし前みたいに話したいってのは高望みだったのかな。友達は私のことどう思ってたんだろ。
ま、全部今更か。
なんでこの今更こんなものを残そうと思ったかと言えば、友人との楽しかった思い出と痛い勉強代を払った自分を何らかの形に残したかったからだ。未練がましさを吐き出すこところがない上吐き出す場所を間違えれば身バレしそうなためここに残します。未だに思い出に執着する自分をどうにかしたい。
1文字間違えたんだけど
KAMEN AMERIKA は、日本のパンクロックバンドで、独特のサウンドとエネルギッシュなライブパフォーマンスで知られています。バンドは 2011 年に結成され、東京を拠点に活動しています。 KAMEN AMERIKA のメンバーは次のとおりです。
ベーシストの Ryosuke Takahashi
KAMEN AMERIKA の音楽スタイルは、パンク、ハードコア、オルタナティブ ロックの影響を受けており、激しいリズム、キャッチーなリフ、感情的なボーカルを特徴としています。彼らの歌詞は通常、社会的問題、個人的な闘争、若者の不安を扱っています。
バンドは、日本のパンクロックシーンで注目を集め、国内外で熱心なファン層を獲得しました。彼らは、活気に満ちたライブパフォーマンスと、音楽を通じて彼らのメッセージを伝える情熱で知られています。
KAMEN AMERIKA は、いくつかの EP とアルバムをリリースしています。彼らの注目すべきリリースには次のものが含まれます。
2015 年のアルバム「From Here to Anywhere」
2018 年の EP「Resistance」
2020 年のアルバム「The New Normal」
バンドはまた、日本と海外の両方で広くツアーを行い、ライブパフォーマンスを通じて彼らの音楽を広めています。彼らは、パンクロックフェスティバルやイベントで定期的に演奏し、活気に満ちたライブ体験を提供しています。
KAMEN AMERIKA は、音楽を通じて社会的および個人的な問題を提起し、彼らのファンに力を与えることに取り組んでいます。彼らの歌詞は、社会的正義、平等、個人の強さなどのテーマを探求しています。バンドはまた、音楽コミュニティ内での連帯とサポートを提唱しています。
KAMEN AMERIKA の音楽は、Spotify、Apple Music、Bandcamp などの主要な音楽ストリーミングプラットフォームで入手できます。彼らのソーシャルメディアの存在感も強く、Facebook、Instagram、Twitter でフォロワーと交流しています。
KAMEN AMERIKA は、日本のパンクロックシーンに活気と独自性をもたらし続けているエキサイティングで情熱的なバンドです。彼らの激しい音楽、パワフルなライブパフォーマンス、社会的メッセージは、世界中のファンに響き続けています。
こんな嘘はどこから持ってくるんだろう
あらゆるルートの結論が「親密な1対1の人間関係の中にしか人間の救いはない」と語っているようで気持ちが悪い。
人間は他者と交流することによって社会を形成してはいるが、そこにある救いの形を1対1の恋愛関係に収束されてしまうのはどうも筋が悪いように思う。
こんなことを恋愛シミュレーションゲームに言うのがそもそも筋違いであるのだが、あの頃※1のオタク界におけるエロゲの勢力拡大は凄まじく全てのADVが自動的にエロゲの文脈に落とし込まれていった。
エロゲの文脈とはすなわち「主人公が、女の子と恋愛関係になり※2、その結果として主人公や女の子が抱えていた人生の宿題が解決する」というものだ。
人生におけるありとあらゆる問題は人間関係の結果として解決されるわけだ。
現実が相手ならそんなわけはないと言えるが、生憎あれらはゲームなので、そういう文脈なのだと言われたらもうぐうの音も出ない※3。
俺はCROSS†CHANNEL※4,5 が好きなんだが、あのゲームは泣きゲーに近い所はあるし、人間関係の中に人生の答を見出すが、それは1対1の関係の中に見出すわけじゃない。
アレは、世界と自分の関係について自分の中で答を落とし込んでいく過程として他者との交流、相互理解があるという物語だ※6。
俺だってさ、誰かが本気でお互いのことを考えてくれたら一人では解けない愛のパズルが解けてついでに人生も大体どうにかなるってファンタジーが嫌いなわけじゃないよ。
でもそれがこの世界におけるあらゆる感動的な物語の全てなんじゃないかってぐらいの勢いでそんな話ばかりされるのにはうんざりしてたんだ。
今はもうすっかり業界も下火になったし、力のあるライターが外に出ていったり、ソシャゲを作ってたり、そしてエロシーンを積まない業界でやってたり、トゥルーエンドが一般化したり、そういったことによって「エンディングの形はヒロインと結ばれることだけである※7」という考えは薄れてきているように思う。
そもそも「泣きゲー」というジャンル自体がかなり弱まってきて、人の気持ちを震わせる方法はいい感じのBGMを流しつつ声優に涙声演技させる事だけじゃないし、ガチで感動できるゲームは泣く以外にも笑ったり感心したりさせてくるから「泣き」に特化してるわけでもないなと界隈の空気が変わってきている気がするんだよな。
だからもう俺の「泣きゲー」アレルギーみたいなのも時代遅れになった。
時代遅れになった今だから言えるんだが※8、俺は「泣きゲー」と言われているものが好きじゃなかったよ。
さあ、これが俺のEDだ。
スチルを出してEDテーマを流そう※9。
※1 20年ぐらい前のエロゲ全盛期。KANONや月姫の時代。ネットでは皆エロゲをやっていて、未成年はPS2とかでエロゲをやっていた。きっと多くの親御さんが「この子もキモータになるのかしら」と心配していたことだろう。今はスマホで出来るので親にバレなくて安心。
※2 一部の鬼畜ゲーだと恋愛関係にはならずレイプしたり調教したりする関係になる。が、今回は泣きゲーの話なので省く。が、レイプとかする関係の泣きゲーだってあるにはある。が、今回はその話は省く。
※3 うぐぅに空目したかも知れないが、俺はちゃんと「もうぐうの音も」と書いている。お前の心が歪んでいるからそう見えるんだ。
※4 Google日本語入力が覚えてくれているおかげで「ダガー」で変換する必要がなくなったの楽ちんだね
※5 山田ロミオの名作エロゲ。全ての発達障害と障害者と自閉症とその他諸々がプレイするべき。ただし精神疾患を持っている人がやると危ないので辞めたほうがいい。
※6 そして物語の最後、それぞれのキャラクター達との間でそれぞれの形での1対1の関係が描かれ、それが受け手に「いろんな形でのつながり、いろんな他者の解釈があっていいのだ」と伝えてくれるわけだ。
ミキミキの解釈と霧の解釈が2つに割れて、それに対してお互いが「自分の内心は譲らない」「相手の内心を無理に変えさせる気はない」という形に自然に落ち着いている所が、救われるんだよな、他人の中にある自分の像にもまた多様性が許されていいっていうただそれだけの話なんだけどさ、現実の世界にいる奴らはいざそういう話になったら「そんなの当たり前だろ?」って顔するくせに実際には「いやいや、同じ情報を与えられてその人から得る印象なんて概ね1つに定まるんじゃないの?」みたいな風に平気で思い込んでたりするんだろうなってのが滲み出まくってるじゃん俺はアレが本当に辛くってさ、救われたんだよな、二人のそんな姿に。
※7 バッドエンドとして一人ものエンドがあるだろってツッコミもあるだろうが、アレはGAME OVERの1つでしかないだろ?
※8 俺はKYじゃないから、流行り物に水を差したくないってことだ。
※9 バッドエンドじゃないのかって?そうかも知れないな。結局、俺の物語は奇跡が起きなかったんだよ※10。
奇跡が起きて全員が助かる話