はてなキーワード: プレイとは
なんか配偶者の趣味関係をいじると炎上する気配があるけど真剣に悩んでいる。
登山はフィギアやゲームみたいに勝手にどうこう出来る類のモンでもないから困る。
旦那が数年前から運動不足を理由に登山を始めたら見事にハマってしまった。
最初は高尾山やら私でも知ってる低難易度の山を楽しんでたんだよ。
そこまでは良かったんだがなんかハマり方が異常でどんどん違う山を目指すようになった。
長期の休みが取れればどこかしらの山へ行くし家にいる時もずっと登山youtube見てるか神々の山嶺見返してる。
神々の山嶺に関しては紙の漫画と外でも読めるよう電子書籍でも購入してる。
別に独身なら楽しそうでいいねで済む話だが、旦那は妻と子供二人がいるパパでもあるんだよ。
まず長期休みの時にこちらの予定無視で登山ぶち込むの本当に迷惑。
次は富山のどこだかの難易度が高い山に挑戦するらしく色々情報集めてるみたい。
なんかもう登山する楽しさってよりもどれだけ難易度高い山を攻略するかみたいなゲーム脳になってる気がする。
スーパーマリオの1-1をずっと楽しくプレイ出来る人なんていないもんね。
今死なれたら困るんだよな。
VRChatでフレンドの話を聞いてVR演劇に興味を持ち、VR演劇のYoutube配信アーカイブを少し見てみた。
あらかじめ言えば、全編見るには耐えられず、飛び飛びで表現を確認しただけである。
ちなみに、実際にVR演劇をVRで1度だけ見たことがあり、それは全編見た。
私自身の演劇の関わりを話すと、学生時代は演劇が好きで、多いときは年間60本程度観劇し、自分で舞台を演出したことも何度かある。
最近は全く関わっていないけれど。
それで、VR演劇を見てみた率直な感想をいうと、現状ではVRで演劇の良さを表現できているとは思えなかった。
まず、個人的な考えとして、VRにも関わらずプロセニアムアーチの中でやる芝居はナンセンスだと思う。
正直言って、今の技術ではアバターにどんな細かい演技をさせたところで、リアルな人間から出るオーラに比べて、アバターから伝わるものは100分の1も満たないと思う。演技自体に魅力を感じない。
にも関わらず、VRという空間にもかかわらず舞台と客席をわざわざ分けて見れる部分を限定することは、あまりにもリアルに比べて不利な条件で戦いすぎていると思う。
勝てる要素がないどころか、演劇の魅力を一切表現できず、下手なお人形遊びを見せられているようにしか思えない。
お人形遊び感を更に増しているのが、アバターの統一感なさである。
アバターを統一感を持たせるのは大変だということはもちろんわかっているが、美少女とおじさんのアバターのテイストが違いすぎて、違うおもちゃの人形を使っている感がすごい。
前述のとおり、細かい演技も表現できないから、余計におもちゃ感。
それをカバーできる演技力もないから(当然で、一流のプロでも難しいと思う)、見るに耐えない。
そんな悪条件のなかでわざわざプロセニアムアーチの中で勝負する意味はどこにあるのだろうか。
やるだけ無駄。演劇の魅力を伝えるどころか、ただでさえ受け入れられていない演劇をよりつまらないものとして発信しているように思える。
その打開策として、最初は劇場のワールドだけど、開始すると劇場が壊れて、舞台セットが現れるといった演出を行っているのもあった。
プロセニアムアーチの破壊としての演出自体には、VRならではの表現方法としてなるほどとはおもったけれど、どうやら客席自体は固定で、観客は結局固定した位置から見ることしかできないみたいであり、プロセニアムアーチ自体は破壊しても、本質的な第四の壁の破壊にはならず、結局は同じことやっているなと思ってしまった。
第四の壁の破壊を目指したものとして、体験型VR演劇と銘を打った作品があり、これはなかなか挑戦的だとは思う。
観客自体がワールドを移動しながら、また物語としての役割を与えられて、役者から行動を促されながらストーリーが進んでいく。
これはVRだからこそ作りやすい作品ではあると思うし、VRならではの演劇を目指そうという気概は感じられた。
ただし、こういった体験型コンテンツというのは、現在はリアルでも相当アプローチをかけられている分野で、ネットコンテンツが全盛な今、リアルの生き残る可能性として大きく取り扱われているものだと思う。
単なる体験型として見ると、インターネットコンテンツとしては挑戦的かもしれないけど、やはりリアルコンテンツと勝負するとどうしても分が悪い。
もう一歩踏み込んだ演出がなければ、これも正直VRならではなものとも思えない。
VRでリアルに勝てる可能性のある分野はリアルでは再現できないほどの視覚表現を駆使することだと思うが、これは映像アーティストが本腰入れたらできるものであり、VR演劇を行うような団体でそれを駆使するのは、まだ厳しいと思う。VR演劇のほとんどは無料で、参加者の自己表現の範囲内だから、予算のかかることは難しいだろう。
映像アーティスト志望の人がVR演劇に可能性を見出してくれるような魅力を表現できれば、そういった道もできてくると思う。
現状でいえば、VR演劇は実際の演劇の何段も劣る環境下で、同じ舞台で勝負している印象があり、これでは勝負にならないどころか、演劇の魅力がほとんど伝わっていないなと思う。
もっとVRならではの視点での演出や構造を表現してくれれば、VR演劇の可能性を感じることができるのだけれど。
個人的には、VRならではの演劇演出というのは一つ思いついているものもある。
演劇ならではの良さを、更にVRで伸ばす事ができるという視点があると思う。
そんなに特異な演出ではないから、すでに誰かがやっていると思うし、もしかしたらうまくいっていないのかもしれない。
これについては、もう少しちゃんとVR演劇を見て、有効性が確信できたら書いて見るかも。
ちゃんと傾向がみえてきたら、VR演劇論的なものもできてくるんだろうね。
VRならではという意味では、まだまだ課題はたくさんあると思ってはいるけれど、私がVRChatを始めたばかりの2年前に見たVR演劇はVRとはまた違った視点で可能性を感じたことがある。
その演劇自体は、舞台上で行われる普通の舞台で、第四の壁を破壊する行為として、キャストが観客に語りかける演出があった。
それ自体はリアルな演劇のアプローチと一切変わらないものであったが、観客の反応が違った。
そのキャストが観客に語りかけるシーンは、登場人物の少女が競売にかけられるといった内容で、キャストが観客に対して「◯◯円からです。オークションスタートです」みたいなセリフ?(うろ覚え)を言って、観客を競売の参加者に見立てて問いかけた。
これがリアルならば、ほとんどの場合は観客は反応せず、あたかも観客が競売しているかのようにキャストが装い、劇を進行させることが多いと思う。もしくは観客に仕込みをいれるかだ。
でも、VRChatは違った。
観客が突然ロールプレイを始め「いくらだ!」「この娘ならこれくらいの価値はあるはずだ」みたいな声を上げ、演技をし始めた。
多分仕込みではなく、自然発生的に観客がキャストになったのだ。(仕込みだったら申し訳ないけど)
VRChatを行っている人がロールプレイをして遊んでいる人が多いからこそ、発生した事象だと思う。
また、それを行うことが許される空気がVRChatにはあるのだと思う。
いくらロールプレイに慣れている人でも、リアルの舞台で振られて、観客席からそのようなことができる人は少ないと思う。そして多分リアルだとその行為自体を嫌がる観客も少なからずいるだろう。
私はここに、新たな第四の壁の破壊の可能性を感じることができた。
これ自体はVRじゃなくてもできることであるが、ロールプレイという訓練をされた観客、また観客がロールプレイをして許されるという空気感。
これはリアルではなかなかできなかった文化の形成ができているということで、リアルよりもVRが進んでいるものだと思う。
これは反応がなければ白けるだけのリスクある演出だけれど、きっと演出側は観客がロールプレイをしてくれるという信頼の元行ったものだと思うから。
とにかくこれにはすごく感動した。
ライブのコールアンドレスポンスのような観客との一体感を演劇で出せるとは。
この舞台と観客の一体感というのは、ライブだからこそできるものだ。
そして、ライブ感というのはリアルに比べてVRではいろんな要素の欠落から、劣ってしまう部分がある。
けれど、観客側のアプローチによって、そのライブ感は現実にも勝る可能性を秘めていることがわかった。
演劇における観客との双方向コミュニケーションは、常に課題として挑戦されている分野で、それを解決できるなにかを感じ取れた。
今はまだ厳しいVR演劇というコンテンツだけれど、VRならではの演出と双方向コミュニケーションで、リアルを超えるような演劇体験ができるようになったらいいなと思う。
ただ、VRChatはすこしずつ流行ってきており、一般的なコンテンツとなってくると、参加者自体も一般化し、こういった要素は薄まってくるのかもしれないという危惧もあるけれど。
辛辣な感想にはなってしまったけれど、私がみた作品のクオリティが低いだけな可能性ももちろんあるので、良いVR演劇があれば教えてほしいところ。
余談だけど、VRのピアノの演奏イベントにいってきて、音楽はVRでもかなり楽しめるなと思った。
演劇の俳優は単純に技術の低い人が多いというのも大きな要素なんだとおもう。
演技は定量的な技術の積み重ねで表現するのが難しい分野なので。
音楽はある程度定量的な技術の積み重ねで行ける部分があるからこそ、定性的な表現の域に達している人も多いのだろうという印象はある。
演技も定量的に技術力がつけばいいのだけど、いろんな演技法があってもそうなっていないのが現状だと思う。
まあ、役者自体が他のジャンルに比べて、勉強不足ということも大いにあるのだけど。
いろんなディルド持ってたり友達とレズプレイしたりハプバーに行ったりってなんか男以上に多様な性欲処理してるのが気になるが。
そもそも増田から告白したとかもともと彼氏好みの女じゃないんじゃない?そりゃー彼氏のチンコもたたねえよな。
そんなら彼氏が悪いわけでもないんだから、たまに彼氏がやる気になったときぐらいペッとマンコにツバつけてさあ来いと前戯なしで迎えてやりなよ。
俺名前考えるの苦手でいろんなゲームでデフォルトでつけられるいいかげんな名前でプレイしてるんだけど、ゲーム自体はかなり長時間やることになるんで妙な愛着でちゃうんだよな。
私から告白したし、行為も最初10回くらい、全部私から誘っていた。
付き合い始めてから一年くらいして、定期的に彼氏の家に泊まるようになったが、一緒に寝るごとに私はムラムラして濡れまくり、向こうもゴソゴソ触ってくるのでコッチは準備万端!って感じになっては「疲れてるから挿入はごめん」って断られることが三回に二回くらい。
それでもたまには出来るし、その頃は前戯もすごく丁寧で、今までの相手で一番気持ちよかった。相手に余裕がある時だったら週に2回も3回もしていた。
ただ断られる度に、あるいは、誘いをかけても分からないふりで無視されるたび、心がすり減っていった。
で、そのまままた一年位が過ぎてから、目に見えてオッケーの頻度が落ちた。私は泊まりに行った彼氏の家で、彼氏がお風呂に入ってる隙にこっそりオナニーをしたりして過ごした。
期待しても無駄だ、この人は私ほど意欲がないんだ、って言い聞かせすぎたせいか、三年目の中盤から、しようと誘われて始めても全然濡れなくなった。四年目の今は、キスしても胸をまさぐられてもカラカラで、「昔はあんなにすぐ濡れてたのに…濡れなくなっちゃったね…」としょんぼり言われる。
それが心苦しくて、最近はする時いつも、ちゃんと濡れてるかが心配で、彼氏がゴムを取りに立ってる間に中の濡れ方確認したり、足りてなかったら慌ててクリ触って濡らそうとしたりしている。中折れが怖くて緊張して余計できない悪循環ってこんな感じだと思う。
今となっては、私からは一切誘わず向こうが誘えばするはするけど、なかなか濡れない。
そんな感じなせいか向こうの前戯も手短になってきて、ほんとに入れてほしくてじゃなくて「フェラし続けるの疲れたからもう挿入して終わりにしたい」っていう気持ちで「そろそろ入れて?」って言ってる。
甘えられすぎて、子供みたいに見えちゃってるから。ドキドキする相手じゃない。私は結構なマゾだと思うけど、彼氏にはdom的な役割を期待されているしそう振る舞っている。面倒見のいいお母さん、たまに叱って管理して、でも基本は甘やかす、みたいな。そういうのには全然性的に興奮できない。
あとは、行為とかじゃなくて普通に、ベッドの上でスマホとかしてると、局部を触られたりするから。今日なら5回くらい、下だけで。それが続くと「この人に触られることは日常なんだ」と思って、興奮のスイッチじゃなくなっていくのが分かる。
別に私の性欲が消えたわけじゃない。
むしろ昔から強過ぎる方だから、最近は半ばセフレみたいな女友達とたまにあってレズプレイをしたり、ハプバーに行って男女問わずしたりしている。
彼女ら彼らに恋愛感情は一切ないし、双方合意の上での「オナニーの延長」だと思っている。
もちろんオナニーにも積極的で、いろんなディルドを買って、常に気持ちいいオナニーを探求してるし、オカズもたくさん揃えてる。
そして、そういう「彼氏意外とのエロい行為」では、もうびっくりするほど濡れる。
ネットのエロ広告を見てムラっとして、好きなエロ漫画をちょっと読んだりするだけでビショビショになってる。
なんだかなぁと思う。
濡れないから、当然、彼氏とのセックスは気持ちよくない。昔はあんなに気持ちよかった、という思い出を反芻しながら無理やり気持ちを高めて抱かれている。
私は今のように、本当の性欲は彼氏以外で発散して、彼氏とは彼氏のペースに合わせて、愛情の確認としてやっていければいいかなと思っている。本音を言うなら、あまり積極的にしたいとは思わないけど、なにかの記念日とかにゆっくりするなら嬉しいと思う。
だけどふと、彼氏に触られながら「昔はこのくらいですぐ濡れてたのにね…寂しいなぁ」と言われると、思う。
私が漫画読んでる時にいきなりスジなぞらないでよ、スマホ片手に手慰みで乳首いじらないでよ、自分が興奮した時だけ「フェラしてくれない?」って始めようとするのやめてよ、「何回も求めたけど断られて、期待するのやめちゃった」って告白したこと覚えてるなら、濡れない私が悪いみたいな言い方やめてよ。
今度、伝えてみようかな。でもそれもめんどくさいな、と思う程度には、私はこの問題に冷めてしまっている。
ご清聴ありがとうございました。
Youtubeで動画観てて、変化球って言うほど曲がらないんだなって思った。打席に立てば大分曲がって感じるのかも分からんけど、傍から見るとプロ野球でもほんのりと曲がってるような曲がってないような……って感じ。
もっと卓球みたいにギュンギュン曲がるもんだと思ってた。卓球も10年くらい前にプラ玉になってナーフされてたような気がするけど。
セルロイドの危険性がどうのという建前はありつつ、なんか回転よりスマッシュの応酬の方が見応えあるから的な事も言われてた気がする。
興行的だな〜って思った。
まあ縛りプレイがスポーツの本質だし、その縛りを目的に応じて都合良く変えられる柔軟さは強みなのかもしれんけど。
でもその目的が、ルールの存在がもたらす戦術や駆け引き妙味から、観客側の見応えにスライドしていくのもなんかな〜って感じがする。
まあガチを勝ちを狙いに行くあまり絵面が地味になったりセコい感じの戦術が主流になったりするのと、大味なプレイも見られて見応えはあるけど薄々プロレスめいた部分への自覚を抱きながら見るのとじゃどっちが良いんだろうって話で、セントラルとパシフィックの棲み分けでよく言われてそうなアレがある。
https://anond.hatelabo.jp/20240730192839
やがて、カスタマーサポートに情報提供が入りはじめた。「ガチャで出てくるカードが複製されている」「ヤフオクなどで売られている」という内容だった。
以前からあるにはあった。この時期になって急に増えてきた。これまでは「そのような事実は把握していません」という内容を返してたけど、本格的に調査しないといけない段階に入っていた。
あまり詳しく書くことはできないけど、当時の調査結果を掻い摘んで述べる。
・ネット掲示板やオークションを見たところ、何らかの手段での複製が可能と判断
・カードに個別IDを付番していないため、細かい追跡作業はできない
※本物・偽物の区別はできる。人力になるけど……
複製されたカードの所有権が誰にあるか、そもそもガチャが景表法として問題がないかなど、前例のない中から弊社の見解を表明しないといけない。
業界全体の問題と言ってもいいところにまで発展してた。これまでは消費者庁がグレーゾーンとして見逃してくれていた(今思えば、対応が面倒だったのだろう)。この問題が明らかになったことで、ソシャゲの課金物について、業界レベルでの対応が必要になった。
当時の私に、そんな法的見解の案を作れるはずもない。また、ベンチャー企業である弊社にそんな知見がある人はおらず……みんな、時間が経つとともに問題がなかったかのように振る舞いはじめた。半ば諦めていた。若き日の私に対処できることはなく、有事に備えてネット掲示板を読み漁るだけだった。あとはカスタマーサポートとか。
カードが複製できるというのは、ネット掲示板の参加者には公然の事実となっているようで、複製方法について真剣に議論している様子があった。中にはヒントを出してる人もいた。
翌年になっても、複製問題は続いた。相変わらず問い合わせは来るし、ネットオークションでは不審なレアカードが多数売られている。
こちら(運営側)では、RMT(リアルマネートレード)をしているアカウント自体はわかる。SSRとコモンカードを交換してるトレードを調べればいい。でも、ユーザーの処分については話が別だ。そうしようと思えば、複製カードであることを証明する必要がある(RMT自体は日本の法律が禁じてない)。
やろうと思えば、できたと思う。複製について、カードの元情報のプロパティを見れば、いずれかの情報が本物=偽物になっている。ただ、人力での作業がどうしても入るので、現実として不可能に近かった。
この複製問題について、弊社の対処が追い付かなかった最大の原因は、対応方針が上の方でまとまっていなかったからだ……と、アラサーになった今ではわかる。社内の誰もが経験したことのない事態で、年長組でも30代くらいだ。まともに対応ができたとしたら神企業である。
そんな折にも、次のコンプガチャが始まっていた。社内では危険だという声が上がっていたけど、もうすでに企画済だった。すべて完成していた。やるしかない。利益を失うことになる。
みんな、心の底ではわかってた。このままだと大変な事態を招くことを。それでも、このままでもどうにかなる道はあるんじゃないかって、ほかのメンバーも、上の人間も考えてたんだと思う。
これがドン・キホーテの夢なんだって言い出した人はいなかった。みんな風車小屋は怖かったけど、見えない力に駆り立てられて、失敗の恐怖を感じながら目をつぶって突き進んでいた。
あなたも、仕事がキツすぎて危険な状態になると、そういう心持ちになることはないだろうか。組織的にそんな状態になってた。
ある日、複製方法がわかった。ネット掲示板に複製方法を上げてくれた人がいた。やり方が簡単すぎて信じてくれない人もいるだろう、それほど簡単だった。小学生でも思い付くレベルの。
炎上した。ひどかった。見事な炎上だった。ネット掲示板では、1時間以内に1000レスがついて次のスレッドに移行していた。
こうなるとは思ってなかった。炎上はしないと思っていた。複製方法がわかったとしても、「あーそういう方法ね。運営に情報提供しなくきゃ~」くらいだと思ってた。現実逃避だった。
翌日には、もっと悲惨なことになった。スポーツ新聞も週刊誌も大手新聞社も、今回の事件を紙面に載せた。この可能性だって考えてなかった。たかだかソーシャルゲームの一事件を取り上げる新聞なんてないだろう、と弊社は呑気に構えていた。
この日から、私は電話当番になった。取引先や、名も知らぬ人間や、マスコミその他いろんな人達からの問い合わせに答えることになった。心ない言葉でボコボコにされた。上司に代わろうとすると、「お前が答えろ!!」と返される。
それだけじゃなくて、チームリーダー層が役員会に報告を上げるための資料作りも命じられた。毎日深夜帰りになって、ホームに電車がくると飛び込みたくなったり、自動車が走っていると、ハンドル操作を誤って私を轢いてくれないかな、そしたら会社に行かなくていいのに……と思うようになっていた。
全力で対応に走ったものの、弊社にできることは限られていた。あまりに経験が不足していた。できることといえば、コモン弁護士への相談と、収益を失わない程度に幣タイトルを継続させることだった(※トレード機能をしばらく制限)。
あとは、法律論をベースにしてどういう対応をしていくか……私が知っているのはここまでだ。当時のオフィスは確かに狭かったけど、若手社員が手に入る情報はこの程度のものだった。
どういう議論があって、最終的にあの対応になったのかはわからない。十分な対応だったかといえば、そうともいえるし、そうでないともいえる。報道されている範囲で説明する。
・複製及びRMTに関わったアカウントは(真っ黒に限り)永久凍結
カードを複製した人への損害賠償請求は行わなかった。電子データであるカードに金銭的価値があると認めたことになるから。
個人が勝手に富くじ(ガチャ)を作って売ったら捕まる。ソシャゲのガチャにその要素があったと認めることになってしまう。
※今は「ソシャゲのガチャは景品表示法の景品に該当しない」となっている。当時は消費者庁が見解を表明してなくて、慎重な対応が必要だった。
今だから言うけど、カード複製は反社組織がやっていたように思う。最初は素人が見つけただけで、それが広がっていったのかなって。
多くのソシャゲにある通常の1回300円などのガチャが違反でないのは、『ソーシャルカードゲーム』を利用するための取引物だから。あくまで利用者は、ソシャゲというサービスに対してお金を支払う。ガチャ自体は仕掛けにすぎない。
でも、特定のカード(景品)を手に入れるためにコンプガチャを回さないといけないとなると、グレーゾーンからクロに変わる。絵合わせ、という違法行為。それが消費者庁の見解だった。
騒動後に発表されたソシャゲアニメも、ひどい叩かれようだった。Youtubeでもニコニコ動画でも、「コンプガチャ推進クソアニメ」というコメントが多数あった。本当はニコ動で配信予定だったのに、時流に従ってやめざるを得なくなった。地上波放送されたのは救いだった。
その年の瀬に会社を辞めたいと思った。一方で、そんなに早くやめたら転職で不利になるんじゃ? という不安もあって、あと1年、長くても2年だけ働くことにした。そのあたりの時期がくる頃には、転職先を見つけて退職した。
理由としては、自分が反社会的なことをしてると思ったから。消費者(プレイヤー)から、とにかくお金をもらうことばかりを考えている会社で働いてる気がしたから。
……今は、やっぱりゲーム業界にいる。ゲームプランナーの端くれとして家庭用のタイトルを作ってる。大きい会社とかじゃない。中くらいのところである。
実際、アップルやグーグルで配信しているソシャゲの一部は反社組織(の企業舎弟)が作っている。内容は純然たるギャンブルでも、ガワだけを美少女ゲームにしていることが極めて多い。
あの当時(2012頃)は、自分でも法律とか勉強して、どうやったら今の事態を解決できるか、そしてその後は、利用者がお金の苦労をせずにゲームを楽しめる方法を自分なりに考えていた。
そして、導き出した。
有料ガチャをやめればいい。
当たり前のことだった。月額料金制にして、ガチャで出るのはおまけカードだけにして、魅力的なカードについては参加者同士によるゲーム内通貨での入札にすればいい。回復アイテムや便利アイテムなど、いわゆる時短グッズは普通に現金で売ればいいと思う。
そんなゲームが、かつてあった。私が最初に担当した穴掘りゲームだ。岩を砕いて地面を掘り進めるだけの、ボタン一つでできる単純なゲームだった。奥が深かった。
参加者同士で交流できる掲示板があって、宝を発掘して集めたポイントを貯めてアバターと交換できた。みんな楽しくプレイしていたっけ。
ここまで付き合ってくれてありがとう。
これからも、ゲームを作る側の1人として、いい作品を残せたらと思う。
この子は、カードトレード掲示板の管理人だった。10万人以上の登録がある掲示板の。高校生の女の子1人で開設スタートして、最後まで1人で管理していた。掲示板を作った目的を参加者に共有して、利用規約を制定して、参加者からの苦情にも対応していた。経営力のある子だった。利用者トラブルの仲裁をしているのを何度も見させてもらいました。ゲームを好きになってくれてありがとうね。
カード情報まとめクラブの人。全てのカード情報を集めるという目的の団体があって、ある参加者がいた。その人は、数学理論を使ってゲーム攻略の最適化や、コンプガチャの期待値を研究していた。私も興味深く読ませてもらったし、騒動当時も上への報告の一部に使わせてもらった。確か、プロフィールには京都大学を卒業して帝人に勤めているとあった(※今はアカウントが残ってない)。ほかの運営スタッフの人も、幣タイトルに情熱や思い入れのある人ばかりだった。感謝している。
カードの複製について最初に情報提供してくれた利用者の人。ネット掲示板を見ていれば、いつか犯人が尻尾を出すとのアドバイスをいただいた。おそらく若い人かなと思う。幣タイトルが好きだからこそ、こういうメッセージをくれたんだと思う。本当にありがとうございました。
「一つのゲームを集中してプレイ出来ないようなゲームを作る会社はアホ」←コレが真実ですよね。まあこれも真実からは遠いんですけど。
まあ実際の所、今の時代に「俺のゲーム以外やるんじゃねえ!おらおらデイリーとレイドで毎日3時間遊んで土日祝は10時間張り付き推奨や!」とやったらそのゲームは死ぬんですけどね。
限られたパイの奪いあいで一点突破を狙うのは失敗の元だっていうデータがあるらしいんですよ。
どっかのインタビューで偉い人が言ってました。
他のゲームと共存できるような仕組み作りを業界全体で進めていて、つまりは「ブルアカとFGOとメギドとゼンゼロをやりつつ、土日はエペとLoLをやるけどライブがある週はお休みしよう」ってユーザーに合わせていく時代なんですわ。
この仕組みのメリットはゲーム側も高い更新頻度を求められる度合いが低く、限定ガチャ付きの新コンテンツを時間をかけて作ってから投下していけばユーザーがいい感じにお金を払ってくれてコスパがいいことなんですよね。
一点集中型の場合はとにかくバランス調整に時間のかかるエンドコンテンツを必死に増改築していきながらも、コストの割には実入りが少ないという欠点があったわけですよ。
あとは各国で進むガチャ天井制限によって「アラブの富豪みたいなプレイヤーにめっちゃ金を使わせる」ってスタイルに限界が来たのもありますね。
業界の流れとして「サブゲーム上等で細く長くお付き合いしていただくようなゲーム作り」が基本無料の世界における主流なんですわ。
でもはてなみたいな老害コミュニティはそれが分かってない人が多いから「ゲームを一度にいくつもやるとか集中力が分散されて楽しめないぞ?」って的はずれなことを言うんですよね。
これ今のソシャゲ事情を知ってる人からすると「えっ?じゃああなたは毎週一つのドラマの同じ回を毎日2回ぐらい見るんですか?10個のドラマを1回ずつではなく?」ぐらいの頓珍漢発言なんですわ。
一部のマニアはともかくとして、一般的にはダラダラといくつものゲームをやるのが基本なんですよね。
なんかもう最近は連続ログインボーナスみたいのも廃れて、ログインでさえ1日おきってプレイヤーでも暮らしてけるようなゲームが増えてきてるんですわ。
とりま気になったゲームは雑に初めてチマチマ進めて、飽きたら一度放置して昔放置したゲームに戻ってみたいな動きが普通の時代なんですね。
コンシューマーにおいてもDLCが増えてきて「とりあえず発売と同時に本編クリア、放置してDLCが来たらまたプレイ」みたいなのが普通ですよね?
ひたすらプレイし続けてDLCが出る頃には飽きてて皆が盛り上がっているのを「え?まだあのゲームやってるの?ずっとやってたの?」みたいに言ってるやつがおかしいんですわ。
一度離れて復帰するのが今の普通だし、ソシャゲも毎日ログインとかはしないで適当な距離で遊ぶのが普通。
小学校のとき、先生に知能に障害がある子のうちに遊びに行かされた。
彼は脇目もふらずにポケモンをやっていて、正直、「こいつでもポケモンとかわかるんだなあ」と思った。
三十分ほど彼のプレイを見ていて、とても悲しい事に気が付いた。
彼がそのゲームでやっているのは、最初の草むらでコラッタやポッポを倒す、
ただそれだけだった。彼のピカチュウのLvは50を越えていた。
彼は永遠、たいあたりでコラッタを倒し続けた。とても楽しそうだった。
先に進めてやろうと思いゲームボーイに手を伸ばしたら凄い剣幕で怒鳴られた。
なんて怒鳴られたか聞き取れなかったけれど、とにかく怒鳴られた。
それを見て彼の母親が「ごめんなさいね、○○ちゃんはポケモン大好きのよ」と僕に謝った。
僕はそれ以来、ゲームをやらなくなった。以前のようにゲームにのめり込めなくなってしまったのだ。
コントローラーを握るとやるせなくなった。友達の家に行ってもみんながやるのを見ているだけだった。
その間、僕はゲームに興じる友達の背中だけを見るように努めた。本当にむなしかった。
その内に、僕はゲームを憎むようにさえなった。
それは真夜中に僕を目覚めさせた。
僕はソフトを彼に全部あげて、本体は捨ててしまおうと思ったが、兄に怒られそれすらできなかった。
何者にもなれないことを心に刻みつつ感想を述べる。
ファーストインプレッション → anond:20240706134049
付け心地に関して。
デュアルループバンド+スポーツ用のヘッドバンド、かつライトシールを外すやり方で何とかなっている。
参考:https://twitter.com/AmadeusSVX/status/1759828575820419233
ライトシールを外しても操作に問題はない。軽くなるし、蒸れないし、顔面に跡が付くこともない。
ただ、ヘッドバンドで吊り下げている形になるので、首を振ったり上下を向いたりするとぶらぶら揺れてしまう。
完全にフィットさせたい場合はやはりライトシールを使ったほうがよい(まあ磁石でハメるだけなので付け外しは手間ではない)。
もう一本のスポーツ用ヘッドバンドを補助的に使うことでフィット感が増したりはするが。
自分にぴったり合う枕とかと同じで、永遠に試行錯誤が終わらない気がする。
前回も書いたが、Vision Proを仕事用に使うだけなら、現時点で何も問題がない。
平日はいつもVision ProをMacBookに繋いで使っている。
ただ、あんまり画面が大きいと、首を動かさなきゃいけないから疲れるんだな、という気付きはあった。
同じ理由で、TwitterやYouTubeのウィンドウを左右に浮かべておくのも、そんなにマルチタスクにならない。
visionOS 2で実装されるというウルトラワイドモードも早く試してみたいところであるが。
個人的にいま最も望んでいるのはtoruneアプリのVision Pro対応である。
Vision Pro専用アプリを開発しなくとも、iPad版アプリをVision Pro向けに配信してくれるだけでいいのだが。
あ、でもこれはvisionOSにiPadミラーリング機能が入れば解決するかもしれないな。
ブラウザ上で観られるとはいえ、再生ボタンとかシークバーとかの小さい部品をクリックするのにストレスがある。
映画やドラマも観てみたいのだが、もともとあまり習慣がないこともあって、いまはサブスクとかにも入ってないので、ちょっとハードルがある。
まあ後々の楽しみにとっておこう。
PS5をVision Proでリモートプレイするには「MirrorPlay」というアプリを使う。
Vision Pro専用アプリではなく、iPadアプリをVision Pro対応したものなので、機能的には最低限という感じである。
また、そもそもリモートプレイの最高解像度が1080pなので、Vision Proでも大画面でプレイというわけにはいかない。
Vision ProをMacに接続した上で、Mac上でリモートプレイをする、という方法のほうが接続は安定するらしいが、そちらは試していないのでパス。
PS Remote PlayアプリをVision Proに完全対応させて高解像度化、さらに欲を言えばPS VRにも対応してくれないものかと思っているが、さすがに無理だろうな…。
他にVision Proでゲームをする手段としてクラウドゲーミングに活路を見出してみた。
Xboxのコントローラーも買った。Bluetoothで普通にVision Proと接続できる。
なので利用の前提となる「ホーム画面に追加」という操作ができないのだが、そこは「Nexus+」というアプリを使えばクリアできる。
それでプレイ自体は問題なくできるようになるものの、やはり最大解像度が1080pなので、画質はそこそこでしかない。
また、こちらの回線は安定しているので向こうのサーバーの問題だと思うが、時間帯によってはカクつきが酷いこともある。
まだまだクラウドゲーミングではコンソールを置き換えるには至らないな、という感想だ。
とはいえVision Proで気軽にゲームをする手段として有用であることは間違いない。
実は、SafariのWebXR関連のオプションをオンにすれば、ブラウザ上でVR動画を観ることができる。
YouTubeのVR動画は対応していないようだが、PornhubのVR動画は観ることができた。
というわけでVision Proは決してアダルト不毛の地ではない。
とはいえコンテンツ不足ではあるのでDMMがVision Proに対応してくれたらいいのだが。
いずれも微妙に不満が残っていて「ここがこうなってくれたら使えるのに…」という口惜しさがある。
とはいえソフトウェアの問題であることが多いので、今後のアップデートで改善されてほしい。
toruneの開発担当の人は「このアプリを Apple Vision Pro で配信可能にする」にチェックを入れてください。頼みます。
前の会社を辞めて、今月でちょうど十年になる。いい機会だから振り返ってみたい。若かりし日のことを。
この振り返りの日記が、ソーシャルゲーム業界や、ゲーム開発者への理解を深めるきっかけになれば幸いだ。
大学を出て、新卒で入ったのがその会社(以下D社とする)だった。私が入社した頃がちょうど、D社が経済社会の中で一番ノッてくる時期だった。
出身大学は、準MARCH的な目立たないところである。D社の入社試験を受けてみようと思ったのは、なんとなくだった。
リクルートは仕事に全振りしてる人が多そう、旅行業界はインドアの自分にはちょっと、メーカーは父が苦労していたのを見ている、飲食業界が地獄なのは身に染みて知っている、という具合に就職マップの本を見て絞っていった。そして、残ったのがゲーム・エンタメ・ITの世界だった。
在学中にD社のサービスを体験していて、悪くないなと思っていた。面接試験は自然体が大事で、「自分の想いを素直に話して、それで落ちたのだとしたらお互いにwinwin」だと思っていた。
それで、淫キャラである自分が受かるかどうかは不安だったけど、D社とK社のふたつから内定をもらった。自分の魅力をアピールできたと思う。
私は採用パンフレットに載っているキラキラした人ではなかったけど、嬉しかった。一週間ほど悩んで、D社のオファーを受けた。
ソーシャルゲームを開発する部署への配属だった。開発といっても、実際のプログラミングといった手を動かす仕事は委託先がやってくれる。主には企画開発がメインだった。
ソーシャルゲーム、という言葉はまだ一般的じゃなかった。言われ始めた頃だったかな。いろんな会社がDeNA(怪盗ロワイヤル)に続けと、雨後の筍のように湧いていた。
新入社員の頃は、どうだったかな? 研修はあまりなかったと思う。今だったら半年はやりそうだ。ベンチャー企業らしく、良くも悪くも飾らないシンプルな研修だった。
配属当初も、ゲーム開発をがっつりやるわけではない。座学だったり、職場や協力会社の見学だった。会議や打合せの端っこに混ぜてもらって、「増田さん、とりあえず意見を笑」みたいに振られることもあった。できるだけ率直に思ったことを言っていた。レベルは低かったと思う。
デバッグはよくやった。専用の画面でゲームをするのだが、開発段階なので不具合が多数ある。すると、エンジニアの人がババッとコードが入った画面を開いて、適宜修正を検討する。当然私にはできなかった。今ならコードを読むことはできる。
Q&Aの仕事もやらされた。今でいうCS部門(カスタマーサポート)である。「やらされた」というと受け身だけど、本来はほかの部署の仕事だった。社内アルバイトのようなもの。ベンチャーなので、そのあたりの垣根は低い。
文章を作る力は、わりかし評価されていた。中学生や高校生と思しき人が、よくわからない問い合わせメールを送ってくることがあったけど、粘り強く取り組んで、一件一件解決していった。速度は遅かったけど……チームリーダーに褒めてもらえた。
意外な学びもあった。実際のCSのやり取りで中学生かな? と思っていたら、40代ほどのおじさんおばさんだったりすることがよくあった。ゲームアカウント名は、どう考えても子どもが名付けそうな名前(卍侍候extreme卍 みたいな...「はべらいそうろう」が読めなかった笑)だったけど、自分の世界が狭くて気付かなかった。こういう体験は今でも大事にしてる。
社会人一年目は、ひたすら下働きをして学びを深めていった。年度の最後の方では、担当ゲームをひとつ持たせてもらえた。開発チームの末端だったけど嬉しかった。
二年目は……といっても、二年目で当日記(に書く内容)は終わりだ。一言いっておきたい。
すごく、キツイ記憶を思い出そうとしている。二年目の終わり頃は、朝によく吐いていたし、会社に行きたくなかったし、おそらく消費者庁に提出する反省文の原案を作らないといけなかったし、ほかのチームメンバーも死にそうな顔だったし、毎日とんでもない量の苦情の電話やメールがあって辛かった。
電車で通勤してたんだけど、夜に電車がホームに入ってくるのを見ると、「飛び込んでみようかな」と思ったりした。体が勝手に飛び込んでくれたらなぁ、とも思った。
その年の4月時点で、所属チームが開発していたのは地味なゲームだった。
ほかの同業他社が出してるソシャゲは、日の目が当たるキャラ性の主体がメインでゲーム世界を形作っていた(海賊とかドラゴンとか)。対してこちらは、ドリルで地面に穴を掘り続けるゲームだった。それで宝を集める。圧倒的地味。しかし奥深いゲームで、かくいう自分もどハマリしていた。
私の仕事はルーティンが多かった。ゲームシステムの保守である。一般社会でいうと、道路を管理するための特殊車両がウインウインウイン……と低速で走っていて、アスファルト舗装の亀裂を見つけてると思う。ああいう地味な仕事だ。
みんなが楽しくゲームできるように、バグが生じていないか点検したり、ユーザーからの質問に答えたりする。
その穴掘りゲームだけど、突如終了がきまった。うちの会社がイケイケ(死語)になり始めた時期であり、収益性の低い穴掘りゲームは終了のようだった。老舗タイトルだったからか、名前だけは残された。
私は、ガワだけを変えたそのソシャゲ風カードゲーム(以下、『幣タイトル』とする。今のゲームに例えると、「グランブルーファンタジー」や「Fate/Grand Order」をもっとシンプルにした感じ~)のチームへと異動になった。
多忙な日々だった。アクティブユーザー数は前のゲームの10倍近かった。最終的には20倍ほどになる。
穴掘りゲームと比べたら射幸性が高い。みんなよくガチャを回してくれたし、ダンジョンも進んでくれたし、回復アイテムを買ってくれたし、協力プレイで敵モンスターを叩くのにも意欲的だった。
ゲームを楽しんでいる感が伝わってきた。業務量はものすごかったけど、あの頃は楽しかった。社会の役に立っている実感があった。ただ若かっただけかもしれないけど。
秋に入っても、幣タイトルの人気はうなぎのぼりだった。既存の人気ゲームを追い越して、世間に知られるゲームになっていた。自分もリリースからちょっとの間だけどプレイしていた。醍醐味は協力プレイだ。電車の中でできる気軽さがいい。
ただ、お金がかかるのが難点だった。そのゲームには、特定のカードを【ガチャによって】○枚集めると強力なキャラクターカードが手に入る仕組みになっていた。しかし、○枚の中にはすぐに手に入るものもあれば、そうでないものもある。
ちょっとだけ確率の話をする。例えば、10%の確率で手に入るコンプ対象カードが5枚あったとする。最初の1枚目のカードの入手確率は50%だけど、最後の1枚になってからを考えると10%になる。実際には、一番難しいカード群の排出率は2~3%だった。プレイヤーは厳しい戦いを強いられる。
電子上のガチャというのは、コンビニのくじ引きとは違って箱の中味が無限だ。この場合、ちょっと前提が変わってくる。箱の中に100枚のくじ(当たり×1)がある場合だと、100回引くまでに必ず当たりが出る。でも、プログラム上のガチャだと、1回以上当たりを引ける確率は約63%だ。
※箱のくじと違って当たりを2つ以上引ける可能性もある。電子上のガチャはハイリスク・ハイリターンということだ。なお、コンプガチャだと当たりを2つ引いても意味はない。強力カードを手に入れるためのフラグなので。
実際のコンプガチャでは、一番難しい入手率2~3%のカードを引けた時には、ほかのカードも揃っている可能性が高いためだろうか~~期待値は約10~15万円ほどで推移していた。
コンプガチャというのは、「影響力の武器」などの名著に書いてあるコミットメントという心理的手法になる。とにかく、まず最初にやってもらうということだ。
この仕組みを考えたのが誰かは知らない。「自分が考えました」と主張する人間が、当時の開発チームのリーダーや、他部署の先輩・上司や役員クラスまで含めて、少なくとも5名はいた。誰が最初の考案者かは本当にわからない。
あの頃は、「うちの会社は儲かってる。CMもこんなにやってる。やった、すごい!!」。それくらいしか思ってなかった。今では思う。当時の自分達がやっていたのは、暗号資産投資と本質は一緒だった。
つまり、純然たる賭博(ギャンブル)であるものを別の何かで覆い隠している。ビットコインの場合は『未来の技術』であり、幣タイトルの場合は『ソーシャルカードゲーム』になる。
会社の飲み会は、いつも大騒ぎだった。自分達は新興ゲーム業界のリーディングカンパニーであり、このまま規模を拡大して、伝統的なゲームメーカーとも肩を並べて、いずれは任天堂を追い越して……といった未来を、和風洋風エスニック、いろんなお店がある都内某エリアの飲み屋で深夜まで語り明かしていた。
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同じくらいの文字数です。
後半
年数が経った原神には手を出しづらい人間を対象にしてそうなフォロワー作品(鳴潮)とか、
原神のビジュアルは好みだけどゲーム形式が苦手な人が対象のスタレやゼンゼロみたいな同会社作品なんだから、同時にプレイしたら大体の人は同じような感想になりそう
39歳にもなって、そんなどうでも良い事で悩むより楽しいこと有りますよ。
隣の夫婦に「あの人大人のおもちゃ使って夜な夜なスケベなことしてる」と思われるのが嫌なんですか?
そんな事気になる?
以前から思うことがあるのだが、
生きるのが下手な人っていうのは、あまりにも1つ1つの出来事を真摯に受け止めすぎるきらいがあるんじゃないかと思っている。
昨今、道具を使った一人プレイなんて皆やっているだろうと思う。
隣の夫婦も「あらあらまぁまぁ、こんなもの使って・・・」なんて思っていないんじゃないだろうか。
「あちゃー、これはお隣さんだなぁ・・・見てしまって申し訳ない」くらいなもんで、それを使う事自体が恥ずかしい事であるなんて思ってないんじゃないかな。
ちょっとした失敗や、ちょっとしたやらかしってのは、人間誰しもあるし、見えないところでびっくりするほど起こってるし、
みんなそれを「やっちゃったねー」程度に済ませて、次に進んでいると思うんだよね。
そういえば過去に空港で手荷物検査に引っかかって、どれだろうねー?って職員さんとカバンをガサゴソ漁ってたら、前日彼女と使ったおバイブが出てきて、これ?って聞いたら
職員さんが真顔で「違うっすね」って言われて、めちゃめちゃ恥ずかしかったけど、たぶん次の日には忘れてたってのを今書きながら思い出した。
やはりどうあっても原作を未読・未視聴・未プレイをわざわざ公言する二次創作作者は意味がわからない
https://anond.hatelabo.jp/20220523032059#
全然知識もこだわりも愛ないし関連商品も買って無いけどアイドルグループ○○の△△オタ・ファンです
全然知識もこだわりも愛ないし関連商品も買って無いけどクラッシク・jazzオタ・ファンです
全然知識もこだわりも愛ないし1台も買っていないけど車オタ・ファンです
全然知識もこだわりも愛ないし1台も買っていないけど自転車オタ・ファンです
全然知識もこだわりも愛ないし服買わないけど服オタ・ファンです
全然知識もこだわり愛もないしジーンズ買わないけどジーンズオタ・ファンです
上記のように、知識もこだわりも愛ない・関連商品買わない人がオタクやファンを名乗ったら、
他のジャンルでは『バカ扱い』『かわいそうな人扱い』されるので覚えておこうね?
そもそも生きづらいさん本人だって、コミュニケーションのハンデキャップが重篤でなければ、話題についていけないことを自覚して輪に加わらないでしょ
けれどアニメ・マンガ・ゲームだけは何故か違って "知識もこだわりも求められない" "商品の購入も求められない"
それどころか、作品のファンでないことを公言してファンアート作ることさえ許される雰囲気