元々子供があまり好きではないので、家族だから可愛がらなければならないと思って親戚の集まりで会った時は面倒を見る。
この前、親戚でふと、死んだ親族にまた会いたいね、という話になった。
私は過去に犬を飼っていた。
その犬は亡くなってから4年経っている。
従兄弟が「犬にもまた会いたい?」と私に対して聞いてきた。
その質問には頷いた。
もちろん会えるものなら会いたいが現実的に死んだものは生き返らない。
従兄弟の母にあたる叔母は、「子供の純粋な疑問だね〜」と微笑ましく(?)こちらを見守っていた。
「今から1年間一緒に居られるその犬と、10年間一緒に居られるその犬どちらがいい?」と。
仮に生き返ったとして1年一緒に居られるのと10年一緒に居られるのどっちがいい?という質問。
まず生き返らないんだから愚問に過ぎない。
生き返らないと分かっていても、私はあの犬を愛しているんだから10年に決まってる。
死というこちらが無力なものに対して、仮定の話をする時点で間違っているし不快だった。
その話を続けたくなくて、質問には答えなかったら明らかに私が何か言わないと進まない状態になり、愚問だね。とだけ絞り出した。
その場で泣くには犬の死から時間が経っていたし、席を立ったら他のみんなを不快にさせてしまうし心配をかける。
何も出来なかった。
まず子供よりも犬が好きな私はとにかくその発言をした従兄弟が憎いと思った。
そして、死というものに対する捉え方が違いすぎて恐ろしいとも思った。その質問を止めなかったおばも。
親族といえど他人である、というのは分かってはいるがもうしばらく会いたくないと思った。従兄弟が成熟するまで。
でも日にちが経った今は、10歳ならまだ死に関する話題のデリケートさや、自分の発言が人に与える影響を分かっていなくても仕方がないのかと思う。
本人は絶対その発言をしたことを忘れてるし、その時その瞬間に私が嫌な気持ちになったという行動をなにか起こさなかった時点で、できることはもう何も無い。
許せなくても。
低レベルすぎる質問と同じ目線に立って怒る必要ない 生き返った犬との1年と新しい犬との10年比べられたとかならわかるが