ボーカル「影響・・・そうね。ミュージシャンっていうか、映像だけどね、これ言っちゃっていいのかな?」
~「?」
~「えっ」
ベース「あの映像見てね。ああ、ここまで出しちゃう奴いるんだ、クルイ(狂い)」
ドラム「そうそう。一緒じゃん、俺らの内側とって。じゃあ表現しなきゃうそつきでしょ」
~「・・!」
ヴォーカル「たまたまなんすよ、同時期に皆映像見てて、クラッシュしちゃったんだな」
ドラム「そしたらたまたま交差点で4人出くわしてね、あ、こいつ、見たなって」
ベース「じゃあ組む?みたいな」
趣味を楽しむためにはエネルギーが不可欠だ。物理学的に言うと、これは熱力学の基本法則に根ざしている。
熱力学第二法則を思い出してほしい。孤立系のエントロピーは常に増大する。この法則は、宇宙が無秩序に向かうことを示している。
趣味という活動は、ある種の秩序を生み出す行為だ。例えば、僕が模型を組み立てるとき、バラバラのパーツを整然と配置する。これによってエントロピーが減少するわけだ。
だが、エントロピーを減少させるためには、外部からエネルギーを投入しなければならない。つまり、趣味を楽しむにはエネルギーが必要なのだ。
さらに、趣味を楽しむためには脳や筋肉も動かさなければならない。脳内のニューロンは電気信号を生成するためにATPを消費し、筋肉は収縮のためにATPを分解する。
これらのプロセスは、化学エネルギーを運動エネルギーや電気エネルギーに変換するものだ。
結局、趣味を楽しむためにはエネルギーを消費することが必然だ。これは物理学の基本法則から導かれる明白な事実だ。
もし誰かがエネルギーを使わずに趣味を楽しめると言ったら、それは単なる幻想か、量子力学的な異常現象の可能性を示唆しているかもしれない。
Fラン大学とは、定員割れしているような私立大学のことである。
しかし筆者は、今の時代だからこそFラン大学は、社会的に非常に意義が大きいと考える。
筆者は公立高校で教諭をしているが、どうにも限界を感じることが多い。
それは中学や高校といった日本の中等教育におけるリソースの少なさである。
彼と飲んだ時、高校でもっとちゃんと文章の書き方を教えてほしいと言われた。
彼は1クラス10人ほどの文章執筆の授業を受け持ち、学生に毎回文章を書かせ、それを添削し、さらに個別に改善点をフィードバックしているらしい。
最初はまったく書けなかった学生も、しっかりと指導すれば、それなりの日本語が書けるようになる。
ちゃんと教えれば出来るようになるのだから、こういうことは高校までで教えてほしい。
そうしたら大学では、もっと高度な、高等教育機関にふさわしい授業ができる。
私は反論した。
高校は1クラス40人である。しかも一人の教員が毎日、朝から夕方まで授業しないといけない。
40人に文章を書かせたとして、それを丹念に添削し改善点を指摘するだけの時間的余裕がまずない。
1学年6クラスあれば、計240人の文章を読まないといけない。
授業のほかにも部活もあるし、まずリソースとして、大学のようなきめ細かい指導は無理なのだ。
教師と学生の比率、ST比も全然違うし、さらには教員の質も大学と高校で全く異なる。
あなたの大学は、学費に見合った教育をしているから、学生の文章力を伸ばすことが可能なのだ。
日本の中等教育では、せいぜい筆記試験の対策しか教えられない。
それはもう仕方ない。
私がそう言うと、友人は、そんなものですかねー、と返事した。
URLさえわかっていればインターネットアーカイブでワンチャンあるだろ
さすがに具体例ゼロで頭に入ってくる分量じゃない
生え抜き社員がチャラついたノーコードやってるのはそういう生存戦略選んだだけで、それが理にかなってるからそうしてる。増田はバックエンド書けるマンとして生き残るしかないやろ。
文章が読めないのか?お前のことだろ。
買えるけど高い