「出産が嫌とか
子ども嫌いとか言わんほうがいいぞ」
って、
なんで男に言われなきゃいけないの
私は出産や妊娠することが気持ち悪いと言う感覚が幼い頃からある。
でも子どもは好き。
ひどいと動悸や無意識に耳を塞いでる。
問われた時に『私は子どもは欲しくないです』と
答えているだけ
保育士資格持ってるけど子ども嫌い。子どもに関わる仕事してるけど嫌い。仕事だからニコニコしてるだけ☺️周りの心から子ども好きな人は尊敬する。汚いしうるさいし話通じないし面白くないしほっといたら死ぬし。
自分も子どもだっただろって言う人いるけど、それ関係ないやろ、、育ててもらって感謝はしてるし育ててる人には敬意をもってますよ。
子ども嫌いな人…もしくは男は不要だけど、子どもは欲しい… まるで正反対…てか、どっちも理解できないわ。 むしろ、男いらないで、どーやって子ども産むの? そんなつぶやきしてる女性いたけど、こんな人が子ども産まないで欲しいわ
サイドブレーキかけたまま走ったり
これは良くないな。車壊れるで。
でも増田の言う事も分かるで。
俺は今MT乗ってるけど、しばらくAT乗ってたら乗り方忘れるもんな。
先日、男友達がカルバンクラインのパンツを買ったという話を聞いた。よくInstagramで見かける、ゴム部分を見せて履くあのスタイルだ。ブランド物だし流行に乗っているとは思うけれど、正直、変な格好だと思う。人前でパンツを見せる行為が流行するというのは、どうしても奇妙だと感じる。他にも似たような流行がある。
例えばここ数年、街中で女の子がお腹を見せる服をよく見かける。男の自分が視線を向けることが、どこか加害的に思えてしまい、少し戸惑う。最近、性を露出するスタイルがトレンドになっていることに違和感を覚える。
一方で、ジェンダーレスという言葉も流行しているが、禁欲的になるどころか、むしろ自分のパーソナルな部分を露出し、より強い刺激を求める動きがあるように思える。禁欲的な時代が進む中で、そのギャップを利用して魅力を引き出そうとする試みが見受けられる。
こうしたスタイルがInstagramで流行しているのをよく目にするので、僕はインスタントファッションと呼んでいる。手軽に取り入れられる直接的な刺激が流行として定着し、それが個性として表現されるが、どこか奇妙な印象が拭えない。過度な刺激が溢れるこの時代、その風潮が、逆説的に現代を象徴しているのかもしれない。
「論破」しているのは北村氏だけど、心情的に共感できるのは明らかに須藤氏だな。
一つ一つの作品に思い入れのある映画マニアが、通説だとしても映画史研究の一般論的な枠組みでまとめられたら、それに違和感や抵抗感を覚えるのは当然のことで、もう少し一つ一つの映画の個性や独自性を尊重してほしいと思うのだろう。
それに対して北村氏は「私は映画史研究に基づく通説や一般論しか話してません」の一点張りで、そもそもの通説や一般論の妥当性については一言も触れない。確かに須藤氏の議論には粗が多く、そこをついて見事に「論破」はしているけど、ひろゆきと同様の誠実ではない論法という印象は否めない。
須藤氏は映画の知識でマウントをとっているというが、北村氏も映画史研究でマウントをとっている。マウント合戦についてはお互い様だろう。
そして指摘している人もいるが、不当な絡まれ方をしたとは言え、知識の専門家である大学教員のインフルエンサーが非専門家の素人(非インフルエンサー)をタコ殴りにしていいと思っているとしたら、プロのボクサーが素人から一発殴られたらボコボコにして返していい、というレベルでヤバいと思う。
フェミニズムが恐怖を引き起こすのも無理はない、
フェミニストとして生きるということは、その言動で他人の喜びを奪い、うんざりさせる存在になることかもしれない。それでも闘おう、ともに。あなたの存在と身体で。現代フェミニズムの最前線で注目される書き手が、自身の経験と魅力的な言葉の数々で呼びかける、連帯への挨拶。巻末にフェミニストとして生きるための10の道具解説と、マニフェストを収録。
子どもを産み育てるのは偉いし、産み育てなくても偉い。
働いていたら偉いし、働いていなくても家事をしているなら偉い。
なんなら生きているだけでも、偉いでいいと思う。
何かが偉い時、それ以外、それ以下、それ以上が偉くないことにはならない…と思いたい。