2024年06月26日の日記

2024-06-26

anond:20240626094624

人生の初めから女として暮らして、10代の時に10代のファッションをして、20代の時に20代ファッションをして、30代になった人と、30代で初めて女として暮らし出す人は違う。まず積み重ねがないから、どういう格好が自分に似合うのか、どんな風にメイクをすればいいのか、どうしたら年相応になるのかがわからない。小学生魔法でいきなり30代にされて、30代相応の格好を求められても、うまくできないようなもの。それに、「若い頃はあんな格好ができた」というのが、「自分にはあんな格好ができた頃がなかったし、今しないと一生できない」になるのも大きい。放っておけば数年で慣れてきて落ち着くと思う。

もし私が誰かにレイプされたり殺されたりしたら夫が犯人をきっちり殺してくれるという信頼がある。もちろん私も逆の立場になったら全力で殺す。夫と違って私は非力で完遂できなさそうなのが歯がゆい

anond:20240626213053

めぞん一刻には昭和のエモさが凝縮されている。

あいうのは、一度きりしか書けないんだろう。

連載していたビックコミックスピリッツ

いわしげ孝がぼっけもんを書いていた時代

プロ出身者がカスなんじゃない!

二十歳を超えてセンター試験の点数を自慢してるやつがカスなんだ!

自分の書く文章が好き。

自分の書く文章が好き。

別に小説を書いているわけでもライターとして働いているわけでもないただの素人なんだけどね。

自分が書く文章は、自分が書くだけあって自分好みの文体なのかもしれない。ひょっとして世の中の物書きの人たちもこんな気持ちなのかな?

あらためて自分文章の何が好きか考えてみる。うまく特徴が言えるわけでもないんだけど、筆に任せて一呼吸で書き上げた文章には、なんとも言えない自分けが知っている勢いと艶がある。

記憶力がよくないから、一気に書いてしまわないと伝えたいことが端っこからどんどん消えてなくなっちゃうんだよね。だから集中していられるほんの数分で書き上げられる文章には、勢いが反映されるのかも。

得意げに語ってしまって恥ずかしいのだけど、特に何処か公に文章を発表したこともない。そんな予定も(なにより文才も!)全くないけれど、時々ネットサービスに書く創作文章はたまにバズったりと評判が良くて、実は結構しかったりする。

自分が好きだないいなと思っていることが、他の人にも魅力として伝わっているなら最高だよね。

まあ文章というよりも、トピックに反応してくれてるというのもあるんだろうけどね。

そんなわけで、これからもひっそりと、だけどできる限り文章を書き続けられると嬉しいな。

anond:20240626085338

2018年東海道新幹線車内殺傷事件で、電車内で突然ナタで女を切りつけた通り魔男を、中年男性が止めようとして殺されたときに、ネット男達が、女を助けて殺された方を「女に発情正義マン」と揶揄してバッシングしまくり、切りつけられたけど助かった女にもお膣様とか何で助けに来た男を助けなかったとバッシングしまくっていたのを思い出した。

中国ネット民も日本ネット民と似たようなレベルなんだな。

この増田みたいな感じに、線路に落ちた日本人を助けようとして亡くなられた韓国人バッシングとか翻訳して海外拡散されてたのかな嫌だな…。

ナイジェリアにも独身男性がいるらしい

独身男を「まったく尊敬に値しない役立たずの犬」に例えてからかう古い歌

anond:20240626212632

Tシャツの首周りがヨレてるとか

服がよれ気味とか

Tシャツ着てて体型がだらしないのが丸わかりとか乳首うっすら見えるとか

ズボン履いてるけどすね毛多すぎるとか

髪の毛整髪料つけすぎてテカテカしてるとか

靴下擦り減ってるとか

歯が黄色いとか

爪の先にゴミ複数あるとか

眉毛ボサボサとか

 

これらがあると清潔感ないなと思われがち

会いたくて会いたくて食う寝る〜

「ReCoda」というOPタイトルだけでも最後の展開は分かってたと思うんだけど・・・

なんで今さらこんな騒ぎに。

Codaっていうのは「最終楽章」を意味する言葉だ。

ReCodaはそれにかかっていて、「最終楽章を繰り返す」という意味タイトルになる。

これには2つの意味がある。

1つ目、吹奏楽部にとっての最終楽章である3年目

これを繰り返すということなのだから実力主義vs人望主義」の戦いを繰り返すことになるのは明白だ。

劇中でも何度もその姿は描かれていた。

その中で「最後実力主義が勝つ」ということも、既に譜面記載されているわけだ。

この時点で最後に何が起こるのかはもう分かっていたじゃないか

2つ目、響けユーフォニアムにとっての最終楽章である3年目

これは原作に対するアニメ意味している。

最後物語をもう一度繰り返すということだ。

だけどここで注目して欲しい歌詞がある。

「同じ音楽は二度と奏でられない」である

リピートダ・カーポといった繰り返しの含まれ音楽を聞いてみれば分かるが、同じ譜面を二度なぞるとしても、その奏で方は一回目とは少し変わってくる。

全く同じ音を2回出すわけじゃない。

音楽解釈に沿った形で、少しだけ違う音を奏でることになる。

原作最終楽章において「突然覚醒した久美子は実力において突然ライバル凌駕する」という音楽を奏でることで「実力主義勝利として、久美子が勝利する」を響かせた。

でもアニメはそうじゃない。

アニメ最終楽章は始まった段階から既に別の音楽を奏でていた。

実力主義最後には勝つ」という譜面はそのままに、別の音楽を奏でようとしていた。

原作を読んでいた視聴者からしたらそんなのはもう分かりきっていただろ?

そういう人間の中には「同じ音楽は二度と奏でられない」の歌詞を聞いた瞬間にすべてを察した人もいるだろう。

驚くべきは、この全くの伝わってなさだ。

ヒントどころか答よりも更に先、解説のものが頭から示されていたのに、気づかなかった人間がこんなにも多いのか。

創作活動っていうのは大変だな。

こんなにも伝わらない、響かないものなんだなあ。

anond:20240626212758

からなんでそんなに好戦的言い回しなんだよw 誰の影響を受けてそういう人格形成に至ったか知らんが、本当に印象悪いなあ。

じゃあ逆に聞いてみよう。俺は増田読んで「最後社会問題にかこつけてるけど、まあ後付けのポジショントークひとつだな」という感想を持った。

この感想が決めつけ的であり、それがまず気に食わないということね?

ここまではいいですか?

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