人生の初めから女として暮らして、10代の時に10代のファッションをして、20代の時に20代のファッションをして、30代になった人と、30代で初めて女として暮らし出す人は違う。まず積み重ねがないから、どういう格好が自分に似合うのか、どんな風にメイクをすればいいのか、どうしたら年相応になるのかがわからない。小学生が魔法でいきなり30代にされて、30代相応の格好を求められても、うまくできないようなもの。それに、「若い頃はあんな格好ができた」というのが、「自分にはあんな格好ができた頃がなかったし、今しないと一生できない」になるのも大きい。放っておけば数年で慣れてきて落ち着くと思う。
ワイは自分の顔が好きやで。
別に小説を書いているわけでもライターとして働いているわけでもないただの素人なんだけどね。
自分が書く文章は、自分が書くだけあって自分好みの文体なのかもしれない。ひょっとして世の中の物書きの人たちもこんな気持ちなのかな?
あらためて自分の文章の何が好きか考えてみる。うまく特徴が言えるわけでもないんだけど、筆に任せて一呼吸で書き上げた文章には、なんとも言えない自分だけが知っている勢いと艶がある。
記憶力がよくないから、一気に書いてしまわないと伝えたいことが端っこからどんどん消えてなくなっちゃうんだよね。だから集中していられるほんの数分で書き上げられる文章には、勢いが反映されるのかも。
得意げに語ってしまって恥ずかしいのだけど、特に何処か公に文章を発表したこともない。そんな予定も(なにより文才も!)全くないけれど、時々ネットのサービスに書く創作文章はたまにバズったりと評判が良くて、実は結構嬉しかったりする。
自分が好きだないいなと思っていることが、他の人にも魅力として伝わっているなら最高だよね。
こいつ競技プログラミングやってるよwwww😂
2018年東海道新幹線車内殺傷事件で、電車内で突然ナタで女を切りつけた通り魔男を、中年男性が止めようとして殺されたときに、ネット男達が、女を助けて殺された方を「女に発情正義マン」と揶揄してバッシングしまくり、切りつけられたけど助かった女にもお膣様とか何で助けに来た男を助けなかったとバッシングしまくっていたのを思い出した。
この増田みたいな感じに、線路に落ちた日本人を助けようとして亡くなられた韓国人バッシングとか翻訳して海外で拡散されてたのかな嫌だな…。
Tシャツの首周りがヨレてるとか
服がよれ気味とか
Tシャツ着てて体型がだらしないのが丸わかりとか乳首うっすら見えるとか
半ズボン履いてるけどすね毛多すぎるとか
髪の毛整髪料つけすぎてテカテカしてるとか
靴下擦り減ってるとか
歯が黄色いとか
眉毛ボサボサとか
これらがあると清潔感ないなと思われがち
会いたくて会いたくて食う寝る〜
なんで今さらこんな騒ぎに。
ReCodaはそれにかかっていて、「最終楽章を繰り返す」という意味のタイトルになる。
これを繰り返すということなのだから「実力主義vs人望主義」の戦いを繰り返すことになるのは明白だ。
劇中でも何度もその姿は描かれていた。
その中で「最後は実力主義が勝つ」ということも、既に譜面に記載されているわけだ。
この時点で最後に何が起こるのかはもう分かっていたじゃないか。
だけどここで注目して欲しい歌詞がある。
リピートやダ・カーポといった繰り返しの含まれた音楽を聞いてみれば分かるが、同じ譜面を二度なぞるとしても、その奏で方は一回目とは少し変わってくる。
全く同じ音を2回出すわけじゃない。
原作は最終楽章において「突然覚醒した久美子は実力において突然ライバルを凌駕する」という音楽を奏でることで「実力主義の勝利として、久美子が勝利する」を響かせた。
でもアニメはそうじゃない。
アニメの最終楽章は始まった段階から既に別の音楽を奏でていた。
「実力主義が最後には勝つ」という譜面はそのままに、別の音楽を奏でようとしていた。
原作を読んでいた視聴者からしたらそんなのはもう分かりきっていただろ?
そういう人間の中には「同じ音楽は二度と奏でられない」の歌詞を聞いた瞬間にすべてを察した人もいるだろう。
驚くべきは、この全くの伝わってなさだ。
ヒントどころか答よりも更に先、解説そのものが頭から示されていたのに、気づかなかった人間がこんなにも多いのか。
創作活動っていうのは大変だな。
こんなにも伝わらない、響かないものなんだなあ。
作れらぁっ!
だからなんでそんなに好戦的な言い回しなんだよw 誰の影響を受けてそういう人格形成に至ったか知らんが、本当に印象悪いなあ。
じゃあ逆に聞いてみよう。俺は増田読んで「最後社会問題にかこつけてるけど、まあ後付けのポジショントークのひとつだな」という感想を持った。
この感想が決めつけ的であり、それがまず気に食わないということね?
ここまではいいですか?
歯並びとか…