まず秘匿する、共感を得させる、笑い話に昇華させるというパターンに分けられる。
こんなにも苦しみに溢れている社会で
自転車を漕ぎ続けなければ倒れてしまうように、我々の生活は常にエネルギーを必要としている。更に、エネルギーを消費すれば老廃物が出る。
フケであり、抜け落ちた髪であり、取り払われない砂塵である。
取り敢えず、人はその老廃物が蓄積されていない状態を秩序的である、と定義した。
人は半身が生き半身が死んでいるような物だと私は考えている。死んだ細胞は常に体の何処かに付随している。例として爪があげられる。
捨て切れない痛みの記憶なり過去の恋愛歴もそうだ。常に新しい自分では居られない。
親の資産という要素は重要だが、何れにしても生命維持活動を行わなければならない。
富や名声程度で生きづらさは軽減されなかった。それらは喪われた時に人を疎遠にさせた。
幸福を何と定義するかによって、人々は苦しめられる事にもなる。
生きる為に走れば走る程違う景色が見える。見えた景色の中の物を手に入れられれば幸福なのであれば、人の欲は際限がなく、また満たされない無限のブラックホールのような存在ともなる。
幸福な誰かがいる時、自分も幸福に気付こう、招こうとするバイアスがかかる。