不健全な自己愛は、健全な自己愛の展開を阻まれたり踏みにじられたりした経験を通じて、
思春期青年期のある局面で均衡を欠くほど高い自己愛性を顕わにするという形成過程を持つのが普通なので、
自身でプライドの使い方って書いてる通り、なにか思い当たることはあるのでしょうか?
ただ、下記のエントリーに、『心理的安全性の確保』って付けたのセンスあるって思った
知的障害を伴う自閉症の人の言語習得・コミュニケーションの向上を見ていると、
何を言っても大丈夫、向上すると家族が喜んでくれて、自分もより楽しくなるってのが大前提にあるよなって見てて思った
でも、家族関係に問題がなく高等教育受けてようが苦手な人は苦手だし、家族にも教育にも恵まれてなくても得意な人は得意だし、
やはり単純にこれだけすればいいはないのだろうね