勝手に語り継げばいいけど10万人以上死んだ東京大空襲はほぼ忘却されてて、なんか原爆だけ
スペシャルに扱われるの毎度不可解で共感しなくなってきた。これは最近のsns上における弱者被害者棍棒振り回す傾向に対する嫌悪の影響受けてるので自分自身は悪くないです。でもって世界の共通認識に従えば原爆は戦争を終わらせた福音。悪いのは日本の軍事・政治指導者であって原爆が悪いのではない。勘違いしないように。
この理論は全くもって日本で理解されず、先の戦争は「日本人誰も悪くないもん」で済ませてきた日本人の帰結であって今更原爆被害でピーピー騒いでるのマジでかなりウザくなってきた。
もしこの映画は発禁にすべきという運動があったらそれは表現の自由を侵していると立ち上がるべきだが、
「この映画でアメリカ人が原爆を肯定的に扱っていてマジでくそ」とか「所詮アメリカ人はこんなもん」みたいなのはただの批判なので現時点では何もすることがない
ネット上での批判が増えていることに気づきましたか?あるテーマが取り上げられ、一斉に批判が始まる。でも、ここで問いかけてみたい。その批判の本質は何なのでしょう?
本来、批判は誤りを指摘し、改善を促す手段となるべきです。しかし、感情に任せ、他者を攻撃し、自分の立場を高めるために批判が用いられることがあります。
このような状況は、人々に絶望感をもたらすかもしれません。なぜなら、言葉遣いや批判の表現はその人の価値観を映し出すからです。だからこそ、我々は真剣に議論が行われているのか、自問自答するべきです。
確かに、絶望感は否応なく湧き上がるものです。しかし、その絶望感から一歩踏み出し、社会的な問題について真剣に考えることが求められます。それこそが、我々一人一人、そして社会全体の理解と進歩につながるのです。
批判の行為を通して、我々は何を学び、どのように考えるべきなのでしょうか。それは一つの問いとして、あなたに投げかけてみたい。ぜひ、意見を聞かせてほしいです。
代表が専門職の概念を理解していないみたいで、営業とかデザイナーにソフトウェアエンジニアの仕事をやらせている事を知った時(当然何も進んでいないどころかコードが酷いことになっていた。)
搾り取られるだけ財産あるのうらやましい
ひでき、かんれき!
LINE着てた気がするんだけど1週間くらい返事してなかった
羨ましいだろ正直になれよ