キャラクター表現の延長として存在する特殊能力をキャラクターの成長に合わせて段階的に強化することで、心理的な変化を戦闘能力を用いて表現するバトル漫画文脈の一つの到達点なのでは?
個人的にマジで凄えって思うのは味方キャラクターサイドにおける最高の成長状態としてここが上限として設定されている所。
バトル漫画ってドンドンインフレしていくからなにかパワーアップしても「でもこれより上があるんでしょ?」になるんだよね。
これ潔すぎて凄いんだけど。
それで何が起きるかっていうと、強いキャラが卍解出したときの強さが凄いことになってる。
そのキャラの最大出力がそこで一気に開放されるからオーバーキル気味にさえなる。
それを使わなければいけないっていう状況の緊迫感が「あのキャラが卍解した」というだけで伝わる。
んでもって卍解の強さがそのままそのキャラの全体での強さになる。
言ってしまえば卍解出して負けたらそこまでのキャラだったことになってしまうという諸刃の剣。
それまで偉そうに言ってた奴が卍解で負けたらもう悲しいことになる。
「卍解を使う」「卍解はまだ使わない(使えない)」ということがかなりの情報量を持つ。
「記号化されたバトル漫画的演出そのものを更に記号化して漫画の中でキーワード化した記号」という構造になってるということ。
卍解と同じことをしてる作品はいくらでもあるんだけど、それをキーワード化して作中で多くのキャラクターが共有して扱う概念にしたのが凄い。
卍解を使う使わないで味方サイドのギアのレベルは簡略化されているから「コイツなんかパワーアップしたけどこれって作中でどれぐらいのレベルなんだ?作中全体で今何段階目ぐらい?」という疑問を考えなくてよくなってる。
読者は卍解使ったらそこが最高到達点だって理解すればいいし、そこにはキャラクターの「核となるテーマ」が描かれているから、そのキャラが本当にどういうキャラなのかはそこで確定する。
バトル漫画的演出として卍解は本当に出来が良すぎると思うんだよな。
なんかサラっとジャンプ漫画でジャンプ的なことやってるなーと皆が流している気がするんだけど。
これを読む人はスタートアップやベンチャー、その辺の人達だろう。
僕は5年間、スタートアップという戦場でサービス開発をしてきた。
結果は何も出ずに、お金が尽きて「何でもやってきた人」になって終わった。
そして今まさに仕事を探しているところだ。
「なんでもやってきた」というの文字の如く何でもであり、エンジニアっぽいことからCS、総務、経営などなんでもだ。
頑張ってきたけど何も成果が無い。
お金もサービスのトラクションも無かったから、ほぼ全て独学で頑張っていた。
でも、世の中そんなに甘くない。
上手くいってるスタートアップのほとんどは、何かしらの職種で経験を積んだ人が多い。
なんの知識も経験もない「初心者」がスタートアップという少数精鋭で上手くいくことは本当に稀だ。
こんなことを言うと「言い訳」となるし「なぜスタートアップに行ったんだよ」と言われるかもしれない。
でも本当にその通りだ。
人生捧げて頑張れば上手くいくはずと思っていた。
ただ、現実はそんなに甘くはなく勉強してる暇なんてなく、投資家から責められるだけの毎日だった。
僕は途中でなんども辞めるか悩んだ。
ただ、ここまで頑張ったから何処かで成果を出せると信じていた。
でもそんなことはなく終わった。
Twitterで100日後に潰れるスタートアップの連載が始まり胸が痛くなった。
途中で去っていくメンバーは正しかったと思うし、僕ももう少し早い段階で能力不足を認め、どこかに転職をすれば良かったと思う。
精神も肉体も壊れた。
この先僕はどうしようかな。
よく行くスーパーの惣菜コーナーは、休日の夕方~夜の時間帯はかなり混雑する。
そんな中、くすんだ幼稚園バッグを斜め掛けした女の子が一人でおにぎりコーナーを見てた。年齢は年長~小学校1年くらい。お母さんは離れたところにいるのかな?くらいに思ってた。
そしたらその子は目の前のおにぎりを掴んでバッグに入れ、そのまま走り去ってしまった。まさか目の前で子どもが万引きするとは思わなかったので何もできず、呆然としてしまった。
こういう時子供を捕まえるべきなの?というか親はどうしてるんだろう、子供に「万引きしてこい」とか言ってるの?だとしたら万引きで捕まったことが親にバレたらもっと酷い目に遭う?そんな家庭がごく身近に存在してることが怖い。
殺人の罰>強姦の罰 と考えれば何もおかしくない。中絶は母親が我が子を殺す犯罪ということだ。
殺人の被害者になる人間の定義を、受精卵からにするか、心臓が鼓動し始めた胎児からとするか、それとも出生からとするかが一番の論点。
強姦された十歳少女が出産を強要されるとか、強姦され中絶したほうが強姦犯より罪がずっと重いとか、宗教右派怖すぎるよなあれ。