この組み合わせしか認めない!
みたいなの何が面白いんだろう?
そもそも「ぼ喜多」って名前なのに「喜多→ぼ」ばかり語られているのが、眠っている「ぼ→喜多」の鉱脈の可能性を感じさせるよね。
基本誰もが「ぼっちヘタレ受け」で想定しているからこそ、ソレ以外の全てがリバとしての側面を持つわけだけど、それを全て否定したら夢が広がらないと思う。
つーか「喜多→ぼ」にしたって喜多がなに考えているのか分からなすぎて面白いっていうか。
そもそも喜多のスタートラインが「バンドは家族なので、山田の娘になりたかった」だからね。
意味わかんない電波ユンユンだけど、これ今でも思ってるなら「ぼっちは突然出来た義理の妹・姉」と喜多が解釈してるパターンもある。
「義理の妹に良い所を見せる」「義理の姉に甘える」「ぼっちは私の母になってくれるかも知れない女性」とかどんな電波な解釈でもやらせられる。
つーかそもそも喜多がガチレズなのかただの電波なノーマルなのかさえ無限のグラデだから「原作を尊重」を守った上でいくらでも何でもさせられる。
まあ基本的にはガチレズの喜多にほぼレイプされてぼっちが目覚めるの形だけど、どっちもただの友人関係から同時に目覚めるもありだよね。
つーかぼっちがノンケなのかさえ情報ないんでこっちも勝手にレズに出来るわけで、そこからぼっち攻めの可能性が産まれるわけですよね。
この無限大の可能性そのものを楽しむことこそが二次創作の楽しさだと思うんだが、なんで一部の人は答を決めたがるのかねえ。
お前に作者の気持ちが分かるのかよ、つーか作者でさえ考えてなかったらどうなんだ。
そもそも作品の中の設定だってキン肉マンみたいに勝手にねじ曲がるから今正しい解釈がずっと正しいわけじゃないし。
なんでもありだろ。
ぼっちが実は男で胸はコスプレ用の小道具だったとかでも別にいいんだぜ好きな設定を用意すればよ。
ぼざろ時空ではバンドマンをしているとチンコや触手や長乳首が生えてくるとかでも別にいいんだぜ好きにすればよ。
無限を楽しめよ。
楽しいぞ。
百合に造詣がないのだけど、挿れるものがない場合の受け攻めって積極性とかで決めるの?
犯されてる感のある方が受け
ガンプラは自由だ!
< ぼ → にじ ↑ 喜多