その前には今の60代70代が
https://www.gender.go.jp/kaigi/danjo_kaigi/gijiroku/ka13-g.html
「6 高齢者等が安心し て暮らせる条件の整備」の平成16年度予算案の欄をごらんいただきますと、 先ほどの9兆9千億円のうち8兆3千億円がここで占められているということがわかります。 更にその内訳を申し上げますと、 [(1)高齢者が安心して暮らせる介護体制の構築」中の介護保険の国庫負担分が約1兆7,920億円、 「(2)高齢期の所得保障」中の国民年金及び厚生年 金保険の国庫負担分が約5兆8,250億円で太宗を占めています。 それぞれ約2千億円、対前年度で増額となっておりますが、いずれも高齢化の進展に伴う対象者数の増加による 自然増であると聞いております。
だってよ。
今話題になってる、間違った時に「嘘ついた」というやつ。
俺はあれが大嫌いだ。
間違いは嘘ではない。
当時俺は機械系の工業高校に通っていたが、そこで教鞭を執る教師の中にこれを頻繁にいう教師がいた。
彼は当時でも還暦近かったので、若い頃から使ってたとすると半世紀以上歴史のある表現なのかも知れない。
彼が嘘ついたと言うと生徒は、嘘ではないですよねと訂正したり、ただ冷笑した。
周りの生徒からは誤った言葉を使い続ける面白おじさんという評価だった。
生徒同士の雑談であの教師の話が出ると、大抵「嘘ついたの人」という認識が全学年共通であった事が確認できるほどだった。
俺はそんな彼の、誤りに固執し、訂正されても嘲笑われようとも変えないパッシブな頑固さに強い嫌悪感を持った。
彼らは、親からも兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然にセックス意識を学ぶことはできないとして、
ポルノと実生活
一部の人々は、セックスがどのようなものかを理解するためにポルノに目を向けます。
ただし、ポルノで描写されているセックスは自然でも本物でもないため、混乱や欲求不満を引き起こす可能性があることを理解することが非常に重要です。
例:
24歳の自閉症スペクトラムのゲイリー
ある日ゲイリーが年上のいとこのリックと遊んでいた時、リックはどんな仕事がしたいのかと聞いてきました。ゲイリーはネットで見た動画を思い出します。
その中には、ピザの配達人が女性の家に食べ物を届け、女性と性行為をするという内容のものがありました。
ゲイリーは「ピザの配達人になりたい」と答え、その理由をポルノビデオの描写を交えて説明しました。
リックは最初は笑っていましたが、ゲイリーが本気で言っていることに気づくと、気まずそうにゲイリーを見つめました。
ゲイリーは、彼のいとこがポルノビデオが偽物であったことを明示的に彼に説明するまで、何が間違っているかを何が悪いのかを理解していませんでした。
それ以来、ゲイリーはポルノビデオで発生するシナリオは偽物であることが多いと想定し、他のリソースからセックスについてもっと学ぶべきだと判断しました。
[OCR]SEX ED. FOR SELF-ADVOCATES:
二日前くらいに同じ内容のエントリを適当に書き散らしたけど、結論めいたものが出てこなかったんだけど、ちょっとだけ反応があったのでもう一回書いてみる。
いちおう結論ぽいのは出てくると思う。
まずロボットアニメにおけるロボットってなんなん?っていうと、これは例えばスポーツ漫画でいえば競技になる。
スラムダンクならバスケットボールだし弱虫ペダルならロードレースだ。スポーツじゃないけどゆるキャンならキャンプでもいい。
それで、このスポーツ漫画における競技は物語でどういう役割を果たすか?というとキャラとキャラを繋げる仕掛け、媒介になる。
スラムダンクなら流川と桜木花道で、ゆるキャンならしまりんとなでしこというキャラを繋げる役割がある。
普通は現実では人間は、嫌いな人間、合わない人間とは積極的コミュニケーションをしない。気の合った仲間と遊ぶものなんだけど、漫画や小説ではそれは面白くない。
性格の合わない人間、水と油のようなキャラたちが交流したりぶつかり合ったり、そして理解しあえたりあるいは決別してしまうこともある そういうものが見たい。
スラムダンクでバスケットボールがなかったら桜木花道はただのヤンキーのままで冴えないままで終わっていただろう。
バスケがあったから流川は桜木というライバルに出会えて、刺激されてバスケットボールに対する姿勢をもっと真摯なものした。
キャンプという共通の趣味があったからなでしことしまりんは友達になって、しまりんは、なでしこを通じて世界を広げていった。
ここで「スポーツ漫画の競技の理由は分かったけど、じゃあロボットなんて出さずに既存のスポーツとかでよくない?」という疑問が出てくるんだと思う。
ここでは作家の描きたいものが「スポーツで勝ちたい!」とか「アウトドアを楽しみを伝えたい」とかならそれでいいんだけど、もっと複雑で表現の難しいものになることがある。
たとえば世界に対する考え方とか政治とか生き方とか。ようはガンダムで扱われるような要素。
最初に「スポーツ漫画の競技はキャラとキャラを繋げる媒介」と書いたけど、じゃあ、ロボットアニメのロボットはキャラと何を結びつけるのか?というのは、まずは考え方、生き方、政治、つまり「世界」になる。
そして考え方や生き方の違うキャラ同士のぶつかり合いを表現するのに「ロボットで戦う」という絵的なインパクトが必要になる。
この絵のチカラというのは重要で、たとえばベルセルクっていうファンタジー戦記があるけど、あれは色々壮大なストーリーはあるけど本筋を雑に言うと「ガッツとグリフィスのキャスカをめぐる恋愛ストーリー」だ。
でも三浦健太郎の画力で片手と片目を失ってまだモンスターと戦うガッツの姿がないと「ガッツのキャスカに対する思い」や「グリフィスに対する愛憎」という情念を描き切れないんだと思う。
さらにもう一つ、ロボットが主人公を結びつけるものがあって、それが「女の子」になる。ようはヒロイン。
ロボットアニメのストーリーって主人公がいて、それを繋げるロボットが居て、半分は世界に関する物語があって、残りのもう半分は主人公とヒロインに関する物語のふたつでできてる。
どのロボットアニメでも物語のなかの「世界」と「女の子」の価値は同じで、それくらい女の子というのは重要な要素になる。
なんでロボットがつなげるのがヒロインなのか?というと、まず「ロボット」というのは「人の形をしているけど人ではない」ものだ。
年頃の男のにとって、同世代の女の子というのは謎な存在だ。ついこないだまで同じ「子供」だったはずがいつのまにか体つきが変わって、考え方もなんだか大人びた感じがする不思議な存在だ。
自分たちと同じ「子供」ではない。大人のように完成されている「人間」でもない。女の子は一日ごとにどんどん変わっていく。
男の子にとって女の子は「人間のようで人間でない」存在で、そういう意味でロボットのようなものなのだ。
ロボットアニメは主人公の男の子がロボットにはじめて乗るところから始まる。同時に、ヒロインの女の子との出会いが始まりでもある。
ボーイミーツガールというお話の型があるように、男の子が女の子に出会うことは、それだけで一つの物語が生まれるほど衝撃的な体験になる。
男の子にとって、女の子はそれくらい未知の存在で、知らない世界そのもの。ロボットのような理解できないもので、同時に魅力の存在なんである。
ここで、女性からすると、なんでそんなロボットを通じて男の子と女の子を繋げる必要がある?と思われると思う。「男の子と女の子の話を書きたいなら単純に恋愛を描けばいいじゃないか」と。
そこは悲しい話でエロの話だ。年頃の男の子はエロ抜きに女の子を見ることができないのだ。
少年向けの漫画や小説に純粋な恋愛作品がないのはそれである。あっても"恋愛要素のある探偵もの"みたいなおまけになる。
あるいはラブコメみたいに「主人公には意中のヒロインがいる。主人公はモテるけど、ほかのヒロイン候補のエッチな誘惑を跳ねのけてヒロインと結ばれる」というものになる。
男の子は恋愛するのにエロをどうするか?というのは避けられない問題なのだ。
そこでロボットを通じて女の子と分かり合うという仕掛けが出てくる。男の子とヒロインの間にロボットが立ってくれることで、ようやく男の子は繊細な感情や機微、言葉のやりとりができるようになる。
たとえばエヴァではシンジが「なぜエヴァに乗るのか?」という問いをアスカとレイから出されて、同時にシンジも二人に向けてなぜ乗るのか?という対話が発生する。
バスケがあるから性格的に合わない桜木と流川が一緒に試合に出たり練習したりするように、「ロボットが居る世界」があるから男の子はエロ抜きに女の子と向き合えるのだ。
とりあえずここまでのことをまとめると「ロボットアニメのロボットは作家の描きたいことを描くための必要な舞台装置」「男の子とヒロインの恋愛を描くための媒介」とかそういうのになる。
と、書いてきたけど、この内容を全部のロボットアニメに当てはめることはできない。あたりまえだけど。
水星の魔女はガンダムが作中でどう扱われるのかよくわからないし。
そもそも「日本のロボットアニメ」のようなものって海外では無いのだ。
アメリカでパワーレンジャーとかパシフィックリムとか、あるいはベイマックスとかアイアンジャイアントとかあるけど、アメリカのロボットって日本とは違うし、そもそもウケがあまりよくない。
海外ならティーンの恋愛は普通にドラマでササッと描いちゃう。アニメのスパイダーマンバースでマイルスとグウェンがしっとりとした大人ぽい恋の駆け引きみたいなやりとりをしてて「やっぱ恋愛先進国のアメリカは違うなあ」って思った。
日本みたいに奥ゆかしくて恥ずかしがり屋の国民性に恋愛は難しいのだと思う。
あとはとにかく男だから男の視点でしか書けなかった。「女の子だって男の子が不思議な生き物に見える」とか「女の子だってロボットが好き」とかあると思うけどさすがに回収は無理だった。
直接示されていないことを推論するのが苦手でなおかつ行動と興味の範囲が極端に狭く、
まだ生きるつもりかよ😲
まず最初に、この増田では「表現の自由戦士」という表現を使っている
これは、「自らが定義している意味での「表現規制」を他者に対して行いながら、他者を「表現規制者」と批判し、自らを「表現の自由を守る者」だと自称している者を揶揄する言葉」として使っている
そのため、この増田では漫画・アニメ・ゲーム表現の自由を守る為に活動している真っ当な(主張に矛盾がない)人たちのことについては語っていない
表現の自由戦士「ほら見ろ!萌え絵ポスターは憲法的にも法律的にも問題ないんだ!だからお気持ちによる表現規制をやめろ!」
いやだから「憲法解釈論では大阪駅萌え絵ポスターは問題無し」って言ってるだろ
自分のお気持ちを害する意見に対して「表現規制をやめろ!!」と怒ってる表現の自由戦士が、「法律的には無問題」というのを武器にしてるの、ブーメランぶっ刺さってるの気付いてないんだろうか?
「法律的には問題ない」んだろ?それくらいは理解してるんだよな?
大阪萌え絵ポスターなんて、憲法的にも、法律的にも、更には「大企業が掲示してOKと判断して掲示している」という社会的意味でも「規制されてない」じゃねえか
なら表現の自由戦士が普段あれだけ声高に言ってる「萌え絵が表現規制されてる!」「表現を燃やされてる!」というのは何なのか?という話になるんだが
この根拠なき被害妄想こそ「お気持ち批判」であり、「お気持ち批判」こそ表現の自由戦士言う所の「表現規制」だろ
「「大阪萌え絵ポスターが公共の場に相応しくない」という意見そのものが表現規制なんです!」と、大げさに泣き叫ぶのは良いが、
それは「社会的影響を法的根拠を持った権力と同等に捉える」という点で「大阪萌え絵ポスターの掲示が許可されることそのものが女性差別なんです!」と言うフェミニストの意見と同レベルどころか、更に「社会的影響を大きく見積もっている」ことになる
なぜか?「大阪萌え絵ポスターが公共の場に相応しくない」という意見は、大量の批判に晒され、発言者に対する粘着アンチまで湧き、広告を出稿した企業にも無視され、弁護士にも批判を受けた
一方、大阪萌え絵ポスターの掲示が許可されることそのものは、(インターネットに出てくるものでは)批判の数より擁護の数の方が圧倒的に多く、大企業がその出稿を許し、弁護士にも問題ないと言うお墨付きを貰っている
主語が具体的だと先入観を持ってしまうだろうから記号で書いてやるな
「Aは、大量の批判に晒され、発言者に対する粘着アンチまで湧き、広告を出稿した企業にも無視され、弁護士にも批判を受けた」
「Bは、(インターネットに出てくるものでは)批判の数より擁護の数の方が圧倒的に多く、大企業がその出稿を許し、弁護士にも問題ないと言うお墨付きを貰っている」
それでは、「Aは、権力があるんです!」「Bは、権力があるんです!」、どちらがより現実に近いことを言っているでしょうか?
この事実からしても表現の自由戦士はフェミニストよりも更に批判対象の社会的影響を大きく見積もっていると言える
しかし、表現の自由戦士は「社会的影響を根拠にした批判」を常日頃「表現規制」(≒実際の法的な表現規制)と主張しているよな?