2022-09-28

簡単ホロコースト否定論とその反論の紹介(2):誤りを許さな

前回の投稿anond:20220921211202が五個のブクマと一個のツイート確認したので、私は一応支持があるのだなと真に受ける(=勘違いする)ことにしたニヤリ

 

さて、修正主義者ホロコースト否定する方法の一つに、「誤りを断じてさない」方法ともいうべきものがある。そのうちの一つの例が「蒸気説」だ。

ホロコースト否認論:トレブリンカは蒸気で殺された?|蜻蛉|note

 

噴飯物の「蒸気=ウソ」主張

1943年10月8日ニューヨークタイムズに以下のようのタイトル記事が載った。

「200万人のナチスによる殺人事件告発された」

内容は、トレブリン絶滅収容所についてのもので、短い記事の中でそのユダヤ人絶滅方法記載したものであるが、その記事の中に以下のような記載があった。

「小部屋が満たされると、それらは閉鎖され、密封される。蒸気が開口部から強制的に吹き込まれ犠牲者の窒息が始まる。最初は泣き声が聞こえるが、徐々に収まり、15分後にはすべてが静寂に包まれる。処刑は終わった」

修正主義者が目をつけたのがこの「蒸気」だった。現在ではトレブリンカではエンジンガソリン)の排ガスを使った一酸化炭素ガスによるガス処刑が行われたとされている。しかし、修正主義者たちはそんな「修正」は認めなかった。

曰く、「蒸気で処刑? 馬鹿馬鹿しい、そんな処刑方法があるわけがない。最初から嘘だったんだ」なんだとか。

 

この記事ネタ元は、当時ドイツ占領下だったポーランド地下組織イギリス亡命政府(というか亡命していたポーランド組織)に送った情報の中にある報告だった。トレブリン絶滅収容所に送られて脱走した2名の報告が元々の情報源だった。その名を、アブラハム・クルゼピッキとヤコブラビノヴィッチと言う。彼らはポーランド地下組織などにその情報を伝えて、リンゲブルム・アーカイブと呼ばれる地下組織(オネグシャベス)が残した文書集などに記録保管され、それらは戦後ワルシャワ廃墟から掘り起こされた。

 

日本修正主義者たちがそこまで調べた気配はない。最初にこれを日本に伝えたのは西岡昌紀のようであるが、西岡全然調べていない(西岡は単に欧米修正主義説を鵜呑みにしているだけである)。

 

実際には、ワルシャワに伝えられた時点で、彼らは色々な人に情報を話していて、その中で「ガスだったかもしれない」程度のことは述べていることが記録されている。つまりは、彼らはトレブリンカでガス室を見たものの、見ただけでは用いられた方法がなんなのか分からなかっただけなのだ。例えば、その狭いガス室ユダヤ人たちは裸の状態で目一杯詰め込まれるので、その体温の暑さでガス室内が蒸し風呂状態になって、殺害後にドアが開けられた瞬間、その熱気が漏れて蒸気が見えた、それをそのように誤解しただけなのかもしれない。ともあれその程度の誤解であろうと推測するのはかなり簡単な筈なのだが、修正主義者はそれをしない。

 

他にもこれに類する殺害方法に関する誤報はいくつかあり、出所のよく分からないものや、おそらくそ地域で発生した噂に過ぎないものなど、それらについても修正主義者たちは初期に出てきた誤報ネタにして、ホロコーストは結局は嘘から始まっているかの如くに主張するのであるしかし、修正主義者たちは初期の情報の中にも既に「毒ガスを用いてユダヤ人殺害していた」とする情報複数あったことを無視している。例えば有名なアンネ・フランク日記にすら、噂話としてガス処刑の話は登場している。ナチスドイツユダヤ人絶滅を極秘理に行い、ヒトラー命令書すら残さなかったくらいなのであるから、正確な情報戦時中に取得するのは困難を極めたが、それでも地下組織や脱走者の活躍により、戦時中から漏れ伝わってはいたのである

アウシュヴィッツの様々な議論(24):脱走者ヴェッツラーとヴルバ、そしてアウシュヴィッツ・レポート。|蜻蛉|note

 

アウシュヴィッツ収容所所長ルドルフ・ヘス証言矛盾

アウシュヴィッツ収容所所長は歴代で3人いるが、その中で最も長く、そして最初から務めたのがルドルフ・ヘスで、最大のユダヤ人絶滅が行われた1944年5月7月も所長を務めた。彼は戦後逃亡したが、1946年3月イギリス憲兵隊によって逮捕され、1947年4月16日アウシュヴィッツ収容所にて絞首刑に処せられた。彼は、ニュルンベルク裁判国家保安本部長官だったカルテン・ブルンナーの弁護側被告として証言(弁護にほとんど関係なくユダヤ人絶滅の詳細を語った)したり、死ぬまでの間にかなり長い自叙伝を書いたりもした。その自叙伝は今でも普通に日本書店で買える。もちろんユダヤ人絶滅の詳細について詳しく書かれている。

 

従って、修正主義者はなんとしてもこのヘスの証言断じて認めるわけにいかない。そこで、修正主義者はヘスの証言否定方法として二つの方法選択した。一つは、ルドルフ・ヘス連合国拷問を受けて自白強要されていた、というものである連合国、というか逮捕した英国軍に暴行を受けていたのは事実であり、ヘスが鼻血を出している写真なんかも存在する。そもそも暴行を受けたこ自体自分自叙伝に書いている。その同じ自叙伝虐殺の詳細も書いているのだから暴行が本当で虐殺話は嘘――になるわけがない。ヘスはあのアウシュヴィッツ収容所の所長だったのだから、厳しい取り調べがあってもなんの不自然もない。しかも、厳しい取り調べは最初英軍勾留中だけの話であり、ニュルンベルク以降、ポーランドに引き渡されて死刑になるまで、厳しい取り調べを受けたという記録は存在しない。さら修正主義者1980年台初頭に出版された『死の軍団』なる本に、ヘス逮捕時の詳しい内容が書かれていたことを発見し、「やはりヘスは拷問を受けていた!」と主張したのだが、修正主義者があまりにこればっかり主張するので、私はわざわざ『死の軍団』を海外から取り寄せて、読んでみた。詳しい内容は以下にある。

ルドルフ・ヘスの自白強要説の原典、『死の軍団』再び。/Rupert Butler, Legions of Death|蜻蛉|note

これを見せてもまだネット修正主義者は「紛れもなくヘスへの嘘の自白強要証拠じゃないか」とほざくのであるが、そもそもがこれ、ジャーナリストの書いた伝聞情報なので、修正主義者ならば証拠にできないもののはずである案の定、どうやら著者は解釈を一部誤っていることがわかった。仮にそうだとしても、嘘の自白強要については何も書かれていないので、証拠にならない。

 

さてもう一つのヘスの証言否定方法は、証言の中に矛盾・誤りがあるとするものである。詳細は書かないが、明らかにその指摘は単にヘスの記憶の誤りに由来するものしかない。実際、自叙伝をよく読むと、修正主義者が指摘する箇所のその内容以上に、ヘスの記述時系列的な矛盾が甚だしく、どう理解すればいいのか解釈に困るほどの部分もあった。ところが、トータルで証言全体を判断し、さらに他の人物証言、あるいはその他の文書資料などあらゆる証拠から総合的に判断すれば、ヘスの記述の全体については大きな矛盾はないことがわかる。主要な主張の部分では完全に一致するからである修正主義者は以上のような「証拠全体からトータルな判断解釈」なる考え方を全く受け付けない。修正主義者にとっては「誤りがある」はそれだけで嘘の証拠になるからである。私には、記憶混同・混乱等による証言の誤りがありうる可能性を認めない修正主義者の考えが理解できない。

 

その他の様々な証言への「異議あり!」

ユダヤ人絶滅証言証拠は膨大である。単に「ガス殺がありました」のような表層的なものだけではない。例えば、アウシュヴィッツ囚人であったあるポーランド人は、ユダヤ人絶滅管理していた政治部で働いていて、ユダヤ人絶滅の記録を「特別処置」なる用語書類に記録していたことなどまで語っている。しかし、修正主義者にとってはそんな細かい証言であっても全部嘘にしなければならないので、例えば戦後ポーランド法廷でなされた証言であるならば、ソ連支配下共産圏ポーランド裁判など信用できない!などと一括して否定する修正主義者もいる。

ポーランドの戦争犯罪証言記録サイトに見る殺人ガスの証言証拠|蜻蛉|note

よく使用される主要な証言者については、その証言内の矛盾を指摘する。確かに解釈しにくい証言を行なっている証言者は複数いて、ミクロス・ニーシュリという囚人医師は一台しかなかったはずの火葬場内のエレベーターを4台もあったと証言していたりする。同じく囚人医師のジギムント・ベンデルガス室内の高さが1.5mしかないなどと証言していたりする。その他、確かにそうした理解しにくい証言存在し、修正主義者はヘスの証言同様「誤りがある=嘘」として処理している。修正主義者は、その反対に証言内にどんなに正しい部分があっても、全部無視する。

 

以上のように、修正主義者は誤りを絶対に許さないのである

 

読みたい人がいたら:アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作(AUSCHWITZ: Technique and operation of the gas chambers Jean-Claude Pressac)

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