アレ、わたしだいきらい。
わかるよ、よーく笑ってきた人は笑いジワはいちばんクッキリでてくるだろうし、
いつも怒ってばかりだったらマユだって目立だってだんだんつり上がってきて、それが表情にでてくる。
そういう感じでしょ。
もちろん、生き様って言うのはあるていどその人の見てくれに出てくるとは思う。
大会にでるような筋肉マッチョが毎日ダラダラとお菓子食べている生活をしていないだろうと予測できるのと同じで、
でも、わたしはすごくイヤ。
先日読んだ書籍で、「クレームを起こす人の顔は大抵わかるから、やさしくて温和そうな人に不運を与える」みたいなことを書いていて、(接客に関係したエピソードを紹介する書籍で、クレームを起こさなさそうな人を見極めてその人から席順の優先度を下げる、クレームを起こす人はクレームになりづらい席を選ぶみたいな話だった)すごく不快になってそこから読むのをやめた。全方面に失礼すぎる話じゃないか。
そして、私はこれを読んで、自分はきっとクレームを起こす側だとこの人に判断されるんだろうなと思ったら、涙が出てくるほど悲しくなったのだ。
私はずっと、顔がこわい、いじわるそうな顔、顔がクール……などと言われて生きてきた。
「クール」は主に知り合い友人で、「こわい」「いじわるそう」は主に肉親とかだ。
じゃあ実際に性格が怖いのかと言えば、そりゃあ確かに怖い部分もあると思う。ええ年した社会人ですからね。厳しいときもありますわ。
でも、人にいじわるなんかしたことなんて、妹以外に(笑)覚えがない。
落とし物をしたら必ず届けるし、誰かが落としているシーンを見かけたら走っておいかけてでもわたしにいく。
子ども2人つれてベビーカーを階段であがろうとしているお母さんを見かけたときはベビーカーもってあげたし、
なんていうか、そういうのを自然とできるタチではあると思うんだ。それを見た友人知人はよく褒めてくれたりするし。
ちなみに妹は「おねえちゃんはやさしいよ!顔はちょっとこわいけど!」と言う。おい。
「だから自分はいい人なんだよ!」と主張する気はもちろんないし、いい人だとも思わないけれど、
でも、だからって、「顔がこわい、だから性格も怖いのだろう」と思われるシーンがあり得るかもしれないというのは受け入れられない。
すごくイヤだ。
「あなたって顔怖いよね」何気なく言ってる言葉かもしれないけど、ものすごく傷付く。
好きでこの顔に生まれたわけじゃない。
プリクラ期を経てあるていど笑えるようになったけれど、恋人や家族からは「引きつった笑い」と言われて悲しい。
みんなそう思ってるんだろうか。
たまに笑ったと思ったら、声だけ笑ってると言われる。うるせえうるせえ。
でも、社交性はそれなりにあるようで、
「友だちが多いね」というのは職場の人や恋人、家族などに言われることは多い。
もし私が、本当に心から怖い人なら、そんな状況にはならないだろう。いやなるのだろうか。
だから、あんまり顔の怖さは性格と比例しないと思って生きているが、書籍の1エピソードで心が悲しくなるほどには気にしてしまう。
いい人だと思われたいわけではない。でも、「顔が怖いから性格もあれだろう」と判断されるときがあるというのは本当にイヤだ。悲しい。
明日起きたら、やさしい顔になっていたらいいのに。
良い人に見られたすぎて心がねじくれ曲がって増田なんかに愚痴言いに来るような奴だからそんな顔なんだよ