下衆の勘ぐり。
ここ数年、世界を席巻している感染症に係るトピックはSNSから馬鹿とクズを面白いほど炙り出した。
医療に関わるデマが至る所から無限に湧き出し、それを鵜呑みにした間抜けが誠意ある医療者のアカウントを攻撃する。
どうして人はここまで醜くなれるのだろうか、と心から思う。
なぜ、YouTubeやらTwitterやらで見かけた出どころ不明の情報が真理であると思うのだろうか。
少し考えれば分かりそうなことであるが、彼らはこれがわからない。
情報源の取捨選択ができない者は総じて正しい情報源を見たとしてもそれを読み取ることができない。
愚かであるのなら、賢い人の決定に従うか、自らの愚かさを改めるかの二者択一だ。
そのどちらもせず、努力する賢者や聖人に噛みつき、己の愚鈍を認めることもできない。
そのくせに困ったときは媚びへつらい、保護されるべき弱者ヅラで、他者の苦痛を顧みない。
若さからくる未熟ならまだ許し甲斐があるが、このようなげに悍ましきジジイやババアがこの世界には掃いて捨てるほどいるのである。
薄々その存在は分かってはいたことだが、昨今の感染症騒ぎは彼らの存在を浮き彫りにした。
まさに下衆の勘ぐりだ。
愚かな者は賢い人の粗を探し、自らの不完全さと比べればあまりに瑣末なその綻びを得意げに指さしては悦にいる。
私は恐ろしい。
こんな人々を救うために、私は医療者になったのだろうか。
優しい人を害する悪意ある人の姿をした何かを助けるために、私は血反吐を吐く思いで勉強して大学を出たのだろうか。
人の醜さに触れるたび、私は毎回恐怖する。
世の中が良くなっていかないわけだ。