明治から大正にかけて、東京近郊の人たちが食べていたのが、米三分に麦かヒエ・アワ・大根などを七分ほど入れたカテメシです。
これを五分五分にした家があると「あの家は贅沢だ」と言われました。
江戸時代には、吉宗時代の記録に「穀物の姿は見えず葉物ばかり」という粥を食していたという記録があります。
コメが余っていたなど、全くの妄説です。
詳しく知りたければ、『食生活の歴史』(講談社学術文庫)をご参照ください。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1479373009
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