入った後のことを考えて遠慮してるってことかな
なぁなぁ、じぶん、コイツになんかされたん?
うーん、ワイちゃんがアホやとおもうのは、車内で扉を背にして寄りかかっとるヤツやねぇ
…押しくら饅頭の満員電車はしゃーないけど、通路も吊革もぜんぜん空いとるのに、カッコつけて背中を預けとるキミら、もしなんかの拍子にいきなり扉が開いたら、その体幹(笑)とやらで身体ささえられるんか??
増田って「レオン」に出てくる途中までしゃしゃってるけどラストで突き放すオッサンみたいだね。
というか人間はだいたいそうか。
自分の後ろめたさを誤魔化すために、他人に施すふりをするけど、その他人を全部引き受ける覚悟はないから途中で逃げる。
どうせなら最初から何もしないのが、誰にとっても幸せなんだろうけど、それじゃ増田が救われないから、ヒトを出汁に自分を救いにかかるんだよね。
「女として終わってる」などと躊躇なく赤の他人に言える奴
道徳観念が無くて「人として終わってる奴」の市場価値は考えるまでもなくゼロだよ・・・
速攻で言い返されるブーメランを投げる、メタ認知の低さはなんなの
ひょっとしてセルフネグレクトなのか
△△△<教えてあげないよ! ジャン♪
元増田です。一点、ちゃんと訂正(と追加的な説明)および指摘しておきたいことを話します。
いくらかコメントを頂いた中でBhuller et. al. (2013)は「インターネットと性犯罪の関係を見ただけで、ポルノグラフィと性犯罪の関係を見ているわけじゃないだろう」というコメントがありました。これについて少し説明します。
まず一点謝罪と訂正からです。私はBhuller et. al. (2013) のAbsractの最後の文章”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.” を引用したうえで、「つまりインターネットによって性犯罪は増加したことが示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう」と訳しましたが、指摘もらった通り、Possiblyをおそらくと訳すのは間違っていました。Possiblyは恐らくよりもっと蓋然性の低い”もしかしたら”という訳のほうが適切だったように思います。この論文はインターネットと性犯罪の影響をメインに扱っているもので、ポルノグラフィの影響はあくまで示唆的なものに留まるわけですね。
ではこれが何故、私の論旨に影響しないのか、という点に進みます。端的に言えば、Kendall (2007)も全く同じ限界(Limitation)を抱えているからです。Kendall (2007)は分析において、あくまでインターネットの普及と性犯罪の関連を扱っています。Kendall は本文で"Nevertheless, it must be admitted that from this analysis one cannot fully distinguish between the effect of pornography and that of other content available online"、つまりこの分析では(インターネット上)のポルノグラフィの影響と、その他のインターネットコンテンツの影響を識別することはできない、と述べているわけです。この二つの論文は同じ論点とその示唆を持っています。この二つの論文が同じ限界に直面している以上、Bhullerらの論文がKendallの論文に比べてirrelevantとはいえないと私は考えます。
私は特に査読至上主義者ではありません。トップジャーナルに掲載された論文が辛辣に批判されされた例はたくさんあります。私自身、そのような論文に瑕疵を見つけたこともあります。ただ蓋然性の観点から、15年未査読である論文と、トップジャーナルに掲載された論文の信ぴょう性を同等に扱うことはできないと主張しています。この二つにおいて前者より信ぴょう性がある(+重要である)ものとすることは、経済学研究の価値規範を逆さまにしない限り、ありえないことです。
客の回転率よくしなきゃ大人数を診ることもできんし定時で上がることもできんやろがい