某カエルの人の漫画で、カエルがボンボンだの云々については、エッセイ漫画の性質上、そんな感想抱いても当然だなと。
エッセイ漫画の事実と嘘のまぜかたの副作用がよく出ている。これは良くもあり悪くも。
前提
漫画のキャラのカエルは作者の投影を暗示するので、未来は約束されている。
結果漫画家になる、は一貫した伏線であり、すべての作劇は未来をわかった上での日常であり、それ単体では意味を持たない。
虚実について
未来は暗示されているので、キャラのカエルは作者本人と思わせるが、当たり前だが漫画なので本人の実際の行動とは限らないし、ウケ狙いのために実際の生活上の複雑なところはことごとく省略される。
省略により、キャラの読み取り方が変わる。
やっかいなことに、日記漫画書いていたから、さらに強く、カエルキャラが本人と同一であると。
くどくど書いたけど、これはエッセイ漫画面倒くさいなって言いたいのと、カエルキャラは本人ではないと解釈すればカエルは運のいいボンボンだなと解釈して、それを感想として堂々と言ってもいいのよね
学生としてのカエルは、実際の作者本人がどうだがは別にして、ずっと漫画とかアニメとかお絵描きの娯楽しかせず、それ以外の学問はやらない。好きなことだけやっていて将来のことはまるで考えないですんできたと解釈しても成り立つ。エッセイ漫画上のキャラとしてそうデザインたから。
結論が無いな
エッセイ漫画とか自叙伝的漫画って感想書きにくいよな 前に別の漫画で「主人公の性格がウンコだし、次から次にご都合主義的展開が飛び出してきて全然ノレない」って感想書いたらそ...