端的にいうと見栄えがいいよね。
量=気持ちというわけでもないけど、鶴1羽よりたくさんのほうが圧はあるよね。
協力したっていう形に表しやすいよね。クラス全体で何房かつくると、みんなで作ったっていう成果がわかりやすいよね。
あとは、持ち運びしやすいよね。1クラスで3房程度作ったとして、移動に支障はないよね。
何かしてあげたいよね。願いに力があるかはわからないけど、支えたいとは思うよね。
というわけで、作る行為自体は肯定している。問題はそれを、送る場合だ。
極論にいうと、相手がOKなら、外野が何を言おうと送っていい。
ただ、今まさに被災している人にそれを聞くことや、一方的に送り付けることを避けるっていうのは想像力を働かしたら容易にわかるよね。
また、善意は断りづらいから、了承したというのも念頭に置いておいたほうがいいよね。
どうしても連絡したい場合は、過去からどういった事例があったかを確認して、外郭団体の支部なんかにメールなどで話を聞いてもらうんがいいんじゃないかね。
これが、面倒くさいと思うならそもそもするべきしゃないよね。
個人的には支援をしている団体が、支援物資・支援金を募っているのであれば、1羽一緒にわたすだけで十分じゃないんかね。
全部「相手は本当は嫌なのに断りづらかっただけだ」と思い込んで叩くなら、
相手がOKならいいけど、それを聞くべきじゃないし、どうしても送りたいなら、相手の業務に支障がないようにメールで団体に交渉して、支援品とごく少量をおくればいいんじゃね?って書いてるよね。
極論いうなら相手が相手がOKなら、外野が何を言おうと送っていい。って書いているよね。根回しして、いいっていってんならいいんだよ。
たとえば学校関係者とか子供なんかさ、戦争とか災害に対して何もできない無能でいいじゃん。 無能がわざわざ「無能でも何かできる」みたいな自信つけなくていいよ。 もうめんどくさ...