男だが、個人の感覚では例の広告は不快だから止めてほしいと軽く思った程度。
ただ、それを批判するハフポストの記事にヤバさを感じたから消極的にオタク側に立ってた。
何でヤバいと思ったかと言うと江川氏の指摘もあるけど、そもそもあの記事からは実際の被害を防ごう、被害者を守ろうというより
国連の威信と被害者を利用して嫌いなアニオタを攻撃するために理論武装しているような意図を感じ取ったから。
そういう意図でなければ「外の世界の目を意識して」なんて言葉出ないだろ。「辛い思いをする人の存在に気付いて」とかになるだろ。
オタクでない自分にも「オタクは気持ち悪いんだよー。ほらー皆に恥ずかしい目で見られてるねー。」と伝わったよ。被害者そっちのけ。
そもそも性被害者に限らず、心を病んで脱落したひきこもり、生活保護を申請できずにいる困窮者など世間の目を気にして
踏み出せずに苦しみ続けている弱者が多くいる今の世で「外の世界の目を意識して」ってなんだよ…。しかもタイトルで…。
「一人で死ね」より陰湿で無神経な、最低な流れ弾だと思ったのだけど自分だけかな。
昔に友人と一人の引きこもりの知人を社会復帰させようと毎週のように遊んだり説得したり続けたことがあったけど、3年くらいかかったよ。
それはそうとして、ハフポストのせいで見るに堪えない流れになっているだけで、広告の問題自体は擁護派、
批判派双方が納得する形で落としどころを見出してクローズできるように思うんだよね。
痴漢の裁判の記事でもあったけど、認知の差が大きな問題と思う。
それを埋めるには教育のような施策もあるけど、まずは違う価値観の世界を受け入れるだけの余裕を作ることが大事と思う。
今のご時世では難しいけど…。
被害者を発生させたくない、救いたいという思いがあるなら何かを知っているか、いないかの違いで
マウント取ったり勝ち負けに拘るのやめて補い合うような流れにしない?