2022-03-22

学術書文章曖昧学問が成立してる不思議さ。

性欲の説明

両性の性器をめぐる機能とその活動の中で生じる快感を指すと考えられる

「指す」が受けるものについて二通りに解釈できる

・両性の性器をめぐる機能で生じる快感+両性の性器をめぐる機能活動の中で生じる快感(快感快感、二種の快感)

・両性の性器をめぐる機能+両性の性器をめぐる機能活動の中で生じる快感(機能快感)

「~快感を指す」ではなく「~快感『と』を指す」と書いてあれば後者に定まるのに、固い言い回しとして毛嫌いしたいか、余計に悪文になっていると思う

結局どっちの解釈が正しいのかもやもやする

あと、某気象学の教科書では飽和水蒸気圧は水面に対するものより水滴に対するものの方が表面張力の影響で高いと言っているのだが、そのすぐ後で水滴が平衡であるときの水滴の大きさと過飽和度の関係というグラフが出て来るんだけど、その過飽和度の算出の基準にしてる飽和水蒸気圧は水面と水滴どっちのものなんだっていうね。

拡散過程の式にも過飽和度が出て来るがこれについてもどっちのものを使ってるのか書いてない。

そんな感じのあいまい表現って学問界隈でも無自覚にそこらじゅうで使われてると思うんだ。

なかにあいまい表現あいまいだと気づきもせず、しかも著者の言わんとすることと反する解釈理解してしまったり、その理解に基づく論文も前提の誤りに気づかれずに受容されたりとか…。

伝言ゲームのように曲解曲解を生むわけよ。もしかすると曲解に基づく理論現在正しいとされる理論なかに既に潜んでるかも…。

そうはいっても見かけ上は学問って成り立ってるよね。そうじゃなかったら今頃工業化学世界事故が頻発してるだろうし。どうして伝達のあいまいさに関することがインシデントとして顕在化しないのか気になるわ。

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