2022-02-16

「跳ぶ前に見る」の可能化がネットゴミにした

ここ1年ほどで、インターネットにおけるテキスト動画マーケティングについて、それぞれ全く別に学ぶ機会を得た。そのどちらも大筋では同じであった。

まず、 検索数が多く、ライバルが強力ではないキーワードを選定する。
次に、そのキーワードを適度に含むコンテンツを作る。

 

これがインターネットをクソにしているのだな、と思った。特にGoogleにおけるキーワード選定に対しては、Google自身キーワードプランナーとして(時として有料で)提供してさえいる。If something is free, you're the product. であるなあと思った。

いわゆる「(今日起きた炎上事件)の(人名)の正体は?彼氏は?調べてみました!その結果……なんと……見つかりませんでした!」というブログはその代表であるが、それよりもっとまともな顔をして「オウンドメディア」なんて呼ばれているものも、デイトレードと中期投資の違いくらしかない。

かつて、コンテンツをめぐる状況はそうではなかったはずだ。確かに流行に乗る」という概念はあった。しかしそれは遙かに移ろいやすもので、決して月間35000検索で重み付けされたトータルスコアは89/100であるからこの流行に乗ろう、というものではなかった。

あるいは流行流行であって、「台東区 家賃 見積もり」が流行たことは未だかつて一度もなかっただろう。しかし、今ではこのワード検索すれば5件の広告が表示され、その下には「東京都台東区ってどんな街?家賃相場はいくらぐらい?」(本当に原文ママタイトル)というブログ記事風のサイトが待ち構えている。

台東区家賃見積もりでさえそうなのだから、我々の行う検索は全て先回りされている。そういえばサジェストや関連キーワードというものが登場したときは、大きなお世話、あるいは気持ち悪いと感じたことを思い出した。先回りは言葉の節々にまで及んでいる。なぜか「台東区 家賃 見積もり」と「台東区 家賃 相場」では検索ボリュームが10倍以上異なる場合があり(このケースが実際そうであるかは知らない)、マーケティングを行う際には間違いなく精査されている。

 

キーワードを選定したらそのキーワードを含んだコンテンツ外注でもよいのでともかく生成する。その際に重視されるのは、そのコンテンツが実際に価値がある(「情報量」という用語スラング的な使用法を思い出してもよい)ことではなく、検索エンジンがそれを見てどう思うかである。そのために、見だしタイトルキーワードを含まねばならず、また本文や説明文においては適度な分量のキーワードの繰り返しが求められる。

そうして作られたコンテンツが、実際に価値があることはまず、ない。「コンテンツを作る」作業の大半は、コンテンツの中身が他のサイトの寄せ集めを、検索エンジンにそれ(コピペ)とは気づかれないように「コンテンツを歪める」作業ありさえする。

 

昔はこうではなかった。というか、15年前でさえそうではなかったと思う。あの頃の検索エンジンは今に比べて遙かにゴミであった。しかし今は検索エンジンが進化した代わりに、コンテンツゴミになった。かつて「見る前に跳べ」という言葉世界のほぼ全てに当てはまった。今は、跳ぶ前にコスト計算上司承認必要とされる。そこに「独自研究」の余地はない。あるいは、「インターネット上にない情報書物から持ち込む」という手間さえ惜しまれる。その結果としてこんにち存在するのは、「キーワードプランナー提案するキーワードのために歪めてコピペした記事を、キーワードプランナー提案するキーワードのために歪めてコピペした記事を、……」の果てしなき連続によって生み出されるゴミの山である

 

この状況に対して、私が出来ることは何もない。あるいは私は私のエゴのためにその状況を助長しさえするだろう。かつてを懐かしむ人間としての私に出来るのは、ゴミの生成過程コピペではないコンテンツとして、この検索性ほぼゼロネットの片隅に放つことぐらいしかない。

 

 

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