30代になって、どうしても後悔してることがふたつある。
小学2年から視力検査で引っかかっていて、眼鏡も作ってはいた。
でも、当時私の学年には眼鏡の子はひとりもいなくて、学校でも片手程度。更に3年になって転校してきた子が眼鏡だったとき、男子が「メガネザル」と激しくからかっているのを見て、私の眼鏡はランドセルの底に封印された。
とはいえ、生活に困らない程度の視力……な訳ではなく、中学時代は先生の手の動きで板書がわかるという謎技術を取得し、吹奏楽部では楽譜も完全暗記でコンクールに臨んでいた。
そんなこんなで眼鏡を使い始めたのは高校生になってから、それも授業と部活中のみ。
眼鏡をかけて外出したとき、近所の景色すら新鮮で、見えていなかったものの多さにショックを受けたのを覚えている。
ふたつめは、英語。
当時私のまわりは、英語の発音が上手いと褒められる前に「外国人かよw」みたいなからかいをうけるところだった。
すごく上手い子がいたんだけど、その子がそう言われてるのを見て、発音を真似することは恥ずかしいことと思ってしまった。
結果、成績はそこそこ良いものの単語を覚えたりスラスラ英語を読むことが苦手になった。
外国人教師の授業やペア音読なんてもってのほか。人前で発音するのが恥ずかしい、そしてどんどん下手になる、の負の連鎖。
当時恐れずに英語を勉強していたらいまもっと字幕番組を楽しめていたのかもしれない。
ふたつとも、周囲の雰囲気に負けて「これは恥ずかしいことだ」と自分で決めつけてしまったことが原因なんだよね。
もっと周りを気にせず生きてこられたらよかったなと思う。