結局いっしょだよ。最初はいいんだ。おっちゃんねるでやれで。それで済む。でもおっちゃんねるがメジャーになると革命家の理想と志は忘れられて大衆のエゴに飲み込まれることとなる。そしてそのとき言われるのが「他でやれ」。チゲエヨ、ここが他の場所だったんだよ!!おめえらが勝手にあとからやってきてここは俺達の土地だから俺たちの掟に従え気に入らなければここから出ていけ、そういうんだよ。お前らは。ずっとそれの繰り返しだ。今日も明日もあさっても、ずっとずっと。
『かもめ食堂』とか『れんげ荘』とかみたいな女だけでユルく助け合うという生き方にはちょっと憧れを懐かなくはないけど、永劫自分には関係ない生き方だなとおもう。
が、近所の古い公営住宅(長屋タイプ)に暮らすお婆さん達が似たような暮らしをしているのを見たので、まるで全く実現不可能な話ではないのだな(自分には無理そうだが)と、少し悲しい気持ちになる。
何の話をしているのかがよくわからないけれど。
当時の熱狂を想像できない程度の知性の人間がその物事を冷静に評価することって出来るんだろうか?
単に後世のフィルターという色眼鏡でもって古いものに点数をつけるのを評価というのであればその通りなのかもしれないが。
彼のことを勉強しないといけないし
そこまで彼のほうへと自ら足を運んで至近な状態になってからこそ、
そうじゃなくても古いロックスターである彼と我々現代人の距離は広がる一方で
そのポジションでもって彼を知ったような気になって評価してもしょうがないじゃないか。
古い物事を批評するときには対象をしっかりと勉強して時代を想像して
対象を十分に好きになる。
そのあとであらためて冷静な客観的視線を持ち込んでこそ評価できるのではないだろうか?
じゃないと当時は革新的だったが今となっては大したことがないという結論しか出ない。
それはプレスリーのことであっても他のことであったとしても。
発達障害でなくとも知らないで生きてる人は多いと思うよ。
大会をとにかく盛り上げようとする事を至上命題とする事自体は構わないと思う。
でもそれは「笑いの真剣勝負」という事からはどんどん外れていってしまっている事にはもっと自覚的になった方がいい。
真剣勝負だったら生放送で一笑いも起こらず完全に滑ってしまう組があってもそれを是としなければならない。
当日の観客は明らかに「ムーンウォークが始まっただけで爆笑してしまう」ある意味お笑い上級者ばかりだった。
事務所の先輩サンドウィッチマンの、ランジャタイが放送事故にならない為の関係各所への根回しはほぼ完璧だった。
周囲終わってるハンデあるのに真面目に頑張ってるね偉い
ただ、周囲が終わっててかつ自分の視野が狭いパターンの場合、さっさと視野広げたほうがいい
なんでみんな自殺せずに楽しそうに生きているのか疑問に思った方がいい
私は発達障害を持つ40代なのだが、この歳にもなって常識的に知っているべきことを知らなさすぎて
周囲とのギャップをたびたび感じている。
学校での成績は良かったので、学校で教えてくれるようなことは知っているのだが
それ以外の日常の中で学んでいくことをとにかく知らない。
以下、私がどんなことを知らないのか、知識を持たないのかを列挙してみる。
好きな芸能人は誰?とか聞かれても、ほとんど誰も知らないので答えに窮してしまう。
テレビを通じて知るような芸能人や俳優、スポーツ選手なんかはトータルで10人ぐらいしか知らないと思う。
ビートたけしぐらいは辛うじて分かるが、それ以下の知名度の人はまったく分からないという有様。
政治家は総理経験者と住んでる地域の候補者ぐらいは分かる。YoutuberだのVtuberだのはもう異世界。
基本的に人のことに興味がないので、どこかで見かけても右から左に抜けて記憶に残っていないと思う。
人の名前が分からないというのは身の回りの人間にも適用される。
学生の頃はずっと同じクラスだったのに最後まで名前を覚えなかった人がいた。
今の職場でも、仕事で直接関わっている人の名前はさすがに覚えているが
直接関わっていなければ同じ部署であっても名前が分からない人が多い。
親戚関係も同じで、幼い頃から家族ぐるみで付き合いがあったにも関わらず
名前を覚えていない人が多く、そもそも親戚に誰がいるのかロクに把握していない。
とにかく人の名前を覚えるのは非常に苦手だ。軽い相貌失認もあるので顔が分からないことも多い。
これまでの人生の中では、この人誰だっけと思いつつも話を合わせるスキルを磨いてなんとか凌いできた。
それ以外の作品はどれだけ有名でもほとんどまったく分からない。
鬼滅の刃やエヴァ、ドラクエ、スタジオジブリクラスでも分からない。
「趣味はなんですか?」「漫画とかは少し読みますね」「鬼滅の刃って面白いですよね」「(鬼滅の刃は知らない…)」
みたいなことになる。
興味の範囲がすごく限定的で、世間の流行にはまったく無頓着なので
趣味が同じ人であっても話しが合わない。
そのくせごく一部の作品については20年来のファンでwikiの編集者をやるほど詳しかったりする。
もうまったく分からない。
世間の流行の音楽というものは幼少期から現在に至るまでまったく分からない。
そもそも音楽が流れていると音楽に集中力を持っていかれてしまうので、何かしながら音楽を聴くのが苦手だ。
音楽が流れていると脳内で耳コピやコード進行の分析を始めてしまって、他の作業がそっちのけになってしまう。
なので音楽自体は得意なのに音楽を聴くのは苦手という変な状況にある。
流行の音楽は好みが合わなかったり若い人向けの音楽に付いていけなかったりというのもあるが、
そもそも聴くこと自体が苦手で、昔から流行の音楽にはまったく付いていけなかった。
流行に左右されないクラシックピアノとかなら、音楽を聴くことだけに集中できる環境なら心地よく聴ける。
カローラとかなんとかとか言われても、それがどこのメーカーなのか、高いのか安いのか、どういう層が乗るのか、どんな形なのか、いつの時代なのかとかまったく分からない。
車の不要な都内に住んでいるせいもあるが。ちなみにペーパードライバーだ。
実家は地方で車社会の中にあるので、この辺の問題は実家に帰った時に強く感じる。
たまに車種の名前で会話されても、それって車なの?と思ってしまう。
最近強く感じるのはこれだ。
20代で結婚して、30代で子供を持ってマンションを買って、みたいな常識的なプランをほとんど知らずに生きてきた。
結婚や子供に関しては、どうせ発達障害を持つ自分にまともな結婚はできないし、結婚したいとも思わないのだが
老後に向けた資産形成という点では将来的なリスクが大きい生き方をしていると最近になって分かってきた。
興味の範囲が限定的で興味のあること以外には無頓着な生き方をしていると、こういう問題も出てくるのだ。
流行の音楽なんて分からなくてもいいが、こればかりは老後にホームレス化するという生存問題に直接つながってくる。