「他の誰かの為になれば」というので、無料で公開して誰かが使うという、キラキラした思想に多くの人が希望を持った。
だが、実際はそれほど長く持たなかったのではないだろうか。
オープンソース開発に関しては、企業で使われるような大規模な物だと寄付で回らない。
オープンソースをクラウドで使えるようにしただけで利益を生んでいるのに、オープンソースの開発者にお金が回ってこない。
オープンソース開発者の心情も理解できるし、企業側のそれだったら営利プラン作れってのも理解できる。
公開しておけば世界中の誰かが直してくれる、という都合の良いことは結局長続きしなかった。
無料で公開しているのを、別の言語圏で有料で販売されるというのも普通になった。
雑誌だと売れるためには、本体部分が良くないと売れないので、そこに注力してればよかった。
今の広告モデルは、広告をどれだけ見せるか、誤クリックさせるか、といった本体部分以外に注力する。
そして広告はアクセス数だけでカウントされるので、広告を出した商品がどれくらい売れるかは二の次だ。
短い記事を量産するようになり、時間のかかる取材なんてのは優先度が下がった。
落とし所の無い過激な言動を載せればアクセス数だけは稼げるようになった。
無料だったり、広告費で補填だったり、本来どれくらいのコストがかかっているのか見えにくくなった。
アクセス数だけ稼げればいいので、陰謀、フェイクニュースなんでもありだ。
Dappiの書き込みは無料で閲覧できる一方で新聞は有料