2021-11-30

石焼き芋

 石焼き芋を25年ぶりくらいに買った。食べたのが25年ぶりではなく、

買ったのが25年ぶりである。25年はだいたいの話で、正確ではない。

気持ちとしてはそのくらいだということである

 購入した石焼き芋は、流行りの蜜がたっぷりな、やわらかいタイプのものであった。

昔はこのようなタイプのものは無かった。

 食べてみるととても甘く、まさにデザートといった味わい。自然デザートというのが気持ちがいい。

石焼き芋が好きだ。ライフで200円だった。

 

 好物といってもよい石焼き芋だが、食べると心がざわつく。買うのはもっと気分が悪い。

 石焼き芋とは私にとって、貧困象徴からである

 石焼き芋販売を告げるアナウンス。幼きころ、その声は、それはそれは気持ちを高ぶらせた。

 あの、石に焼けて堅くなった、皮の周りの実。堅く甘いあの部分が食べたい。特に食べたい。

 

 共働きの親は石焼き芋にいないことが多かった。自分で買うお金はない。お金があったとしても、

自分石焼き芋屋を買っていいという発想が、子どもの時分にはなかった。

 それでもたまには母親がいる。母親のいる際に石焼き芋が来る機会もある。母親石焼き芋は好きな方で、

たまに弟と三人、寒空の下、家を出て石焼き芋屋に向かったものだ。

石焼き芋を買いに行くときのうれしい気持ち。そんな気持ち大人になってから抱くことはない。

 ただしかし、石焼き芋我が家にとって高い品であった。

 

 母親は500円分の石焼き芋をくださいと店主に告げる。

 500円で買えるのは小さな2本だけ

 それを3人で分ける

 500円しか買えない

 500円分しか買えない大人だったのだ

 たくさん食べたかった

 一人でたくさん食べたいのではなく、家族みんなでたくさん食べたかったのだ

 少ない量だと、自分が食べれば他の人の食べる分が減る。

 もっと多くの芋が必要だった

    

 いまでは、スーパーで200円で大きな石焼き芋が買える。

 

 いまでは、仮に2万円の石焼き芋だって買える

 飲み屋で10万円使ったって生活には困らない

 弟の結婚祝いにたくさんの祝い金を出すこともできる

 子どものころの悔しい思いが昇華されて今の状況を作り上げたともいえる

 ただ、子どものころの思いは何も消えない。今できるからよいということでは全くない。

 それどころか、そんなこともできない親に対する、なんとも言えない気持ちが湧いてくる

 石焼き芋なんて買うもんじゃあない

 嫌な気持ちが起きてくる

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