太郎乙も漢語・英語・蘭語を使えたので、幕府の洋学校教授や外国奉行などを歴任した。
1869年(明治2年)、イギリスのヴィクトリア女王の次男であるエディンバラ公アルフレッドの来日が決まったとき、
各藩から英語が出来る人物が呼ばれて接待係に任じられたが、静岡藩からは太郎乙が選ばれた。
その折、薩摩藩の軍楽隊を指導するために来日していた軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンから、
「歓迎の式典では国歌を流さなければならないが日本の国歌は何か」との問い合わせがあった。
接待係たちは国歌などというものを聞いたことがなかったので、どうすべきか政府上層部に問い合わせたところ、
「その程度のことでいちいち問い合わせてくるな、そういう問題を何とかするためにおまえらを呼んだんだろ」
そのときに太郎乙が「もう古歌のなかから適当に選定すればいいんじゃね」と、
徳川将軍家が毎年の正月に行っていた「おさざれ石の儀式」で歌う、
という古歌を推薦した。
これが採用されて、そこにフェントンが作曲したメロディが付けられた。
つまり乙骨太郎乙は国歌「君が代」の生みの親と言っても過言ではないのである。
ただし諸説あり。
左右に人が座ったのでめちゃくちゃホッとしてる
終わったと思ったら終わりだぞ
実は理由もハッキリしてるんだぜ。
酒飲むと泣きじょうごや怒りじょうごになるじゃない。あれはアルコールによって脳の前頭葉がマヒするので、感情が抑制されずストレートに出てくるということ。友と酒を飲むと楽しいのも理由が同じだし。
いっくらでも出てきててワロタ
結果としては1つの銘柄の利益が全体の利益の半分を占めているような状況になっている。
この"当たり"を引けてなかったら今の利益の半分しか出せてなかったんだなと思うと、まだまだだなぁと思う。
ぶっちゃけ何も考えずにSP500買っておくのがほんと楽でいいと思うよ。
わかる人いる?
漫画だと文字を追えなくても絵で内容が理解できるから、いい感じに感情が増幅される。
悲しいシーンはより悲しく、楽しいシーンはより楽しく、面白いシーンはハチャメチャにおもろい!!!!誰かと一緒に飲んでるくらいおもろい!!!!
周りから見たら怪しいやつだったと思うんだけど...
今の職場に入って、毎日冷たくされたりしながら半月以上たちました。
私自身を否定するかのような態度をとられる事も多く、休日に毎日泣いていました。
しかし、
糸が切れたように、すべてがどうでも良くなってしまいました。
職場の誰とも目を合わせたくもなく、話したくもないです。
会社がどうなろうが、私がどう評価されようが嫌われようが、もうどうでもいいです。
会話はしたくないですが、仕事上必要最低限はしている自分が不思議で
怒鳴られようが、なじられようが、何故か今は怖くありません。
死ぬくらいなら、逃げたと言われても、無責任と言われてもいいと思います。
引き継ぎに1ヶ月以上かかっても、今なら乗り越えられそうです。
最低でも、最悪でも良いです。
もう誰に何を言われても、どうでもいいです。