確認の意図がよくわからないですけど、確かに全くそんな話はしてないですね。
それはどこまでいっても個人の経験の内のことであってそこから個人の内面に沸き上がった価値観を普遍化してまったく別の表現をしてる人にあたり散らすようなことになってるから
「お気持ち」とか言われてるわけじゃん。
「公共の場で男性が女性を性的に扱うことが当然視されることで多くの女性が被害を被ってきた歴史的経緯がある」って話をしてるつもりです。個人の経験というよりは、社会全体として経験した事実のつもりで書いてますし、それ以外の解釈はあり得ないと思いますけど。
加害者側が「まったく別の表現」と言いたくなる気持ちまでは理解しますけど、私に言わせれば構図は全く変わってないです。そして「同じ表現か、違う表現か」を決めるのはあなたではないです。
一貫して被害者側の感情への配慮の必要性があるのは当たり前という話をしてるので、まさに「お気持ち」の話です。「お気持ち」といって揶揄できると思う気が知れないです。
いきなりというか、この話題については最初からそういう批判がなされてるものだと思ってましたけど。
その加害性に気付こうよ。
被害者側の感情に配慮せよって主張が加害とは…とてもやわな主張に思えますけど。何か傷つきました?それも「お気持ち」ですか?