人と会う時、相手が何を求めているか?をフル回転させて、やっと人並みになる。
気が利かないっていうのは、ある程度パターン化されるため、例えば「お客が来たらスリッパを並べる」みたいに、自分の中でマニュアル化してしまえばある程度はカバーできる。
しかしそれは結局「〇〇の時は、××する」というパターンを1つ1つ乗せているだけだ。
物事の本質はそこではない。相手の気持ちになって相手が快く過ごせるような思考回路を持つことだ。
この間も、飲食店で私が奥のソファーに座ってるのにも関わらず、椅子席の相手の鞄をソファー側に置く提案をするのを忘れてしまった。
(もしくは荷物用のカゴをもらう)
些細なことだと思う人もいるだろうし、そう思ってくれる人は大変ありがたいのだが、こういう気遣いができないという事は多分言動にも表れていて、時に人を怒らせてしまうのだろうと実感している。
しかも、私自身は相手に気を遣われなくても全く気にならない、というかほとんど気づかない。
勿論、「〇〇するよ」というようなわかりやすい気遣いをされれば、気を使ってもらってるな、と思うのだが…
洗濯するとき、さりげなく裏返っていた洗濯物を元に戻してもらっても、気が付けないといった感じだ。
もちろん裏返りのままで何も思わない。裏返っていたら何も考えずに戻して着るだけなのだ。
洗濯物の中はあくまで例だが、私は生きていく中で本当に沢山の気遣いをされているはずだ。
そういったことに気づけないというのは、相手から貰っているものをないものとして扱ってしまうということだ。
それはとてもまずいことだと思う。
気遣いができないって言うのは、要するに「相手の気持ちがわかってない」ってことだと思う。
女性の場合は、女性というのはかくも心が広いもので…直接言われたことはないのだが、男性の場合は、言い合いをしたときに「怒らせるのが上手い」とまで言われたこともある。
理屈っぽいとも言われたことがあるので、おそらくそのあたりも関係している。
私は、相手を怒らせないために、相手に気持ちよく過ごしてもらうために、常に考える必要がある。
失敗があれば改善、失敗があれば改善、という形で騙し騙しやってきたが、コロナ禍で人と関わらないこともあって、また気遣い能力が落ちてきている。
難しい。日々勉強。
人と話すことは好きなのに、疲れてしまう。
だらしがない性格なのもいけない。掃除が行き届いてなくても、気づけない。
なんとか頑張ろう。本とかいくつか、読んでみよう。