一般的な社会生活において、衝動と行動が直結することは稀です。我慢できないことや我慢が苦手な人も存在するにせよ、社会の一般常識には衝動的な行動を悪と定義する価値観があるため、成員には理性などでブレーキをかける圧力が働くからです。
対して(現時点で著名な全ての)SNSは、衝動のまま行動することを推奨するデザインになっています。ここでいうデザインとはUIのことではなく、広告収入を基盤とするビジネスモデルのことです。
魅力的な広告出稿先でなければ経営が成り立たないので、『利用者の投稿はより多く・より過激で・人目を引く方が望ましい』という価値観が運営側には生じます。
つまり衝動の抑制は、社会常識的には望ましいにも関わらず、経営企業にとっては明確なデメリットです。衝動と行動を直結させるとまでは言えませんが、その間をブロックする理性や常識のブレーキを踏んで欲しくないという本音は確実に存在しています。
社会常識の価値観は、SNSにおける投稿を例外と定めてはいません。そして社会の成員に『衝動を抑え込む必要はないよ』と囁くことは一般的に反社会的な誘惑です。
SNSによい側面が無いとは言っていません。ただ上述の反社会的側面は、広告収入に頼る全てのSNSに共通する要素だと指摘しています。
広告収入をベースとするSNSはどれも共通して反社会的誘惑を内包しています。よって利用者はそれを認識して自衛すべきです。
例えば、ある投稿が名誉毀損や業務妨害として訴えられ民法または刑法上の責に問われたとして、投稿者が『SNSの構造がこういう投稿をさせたのだ』などと弁明しても無意味です。投稿のリスクは投稿者が負い、投稿の利用権は運営会社にあることを同意して利用しているのですから、運営会社は責任を取りません。それどころか、問題の投稿が集める耳目もPVやUAの数字(出稿者や広告代理店にアピールする『実績』)に合算するでしょう。