差別反対を掲げる差別主義者が、「私の発言は差別じゃない!その理由はこうこうこうでフンダララだから!」みたいな発言をしたり、しれっと削除して無視してるのを見るたびに、本当に「品がない」と思ってしまう。
差別反対を掲げる人間が、人間は差別するものなので「差別したい人」少なくとも辞めて、「差別したくない人」になりましょうね、っていう考えに至ってないわけがないと思いたいんだが、どうやら反差別には「私は差別しない高潔な人間!(だから私の発言が差別なわけがない)(だから差別発言なんて存在しないけどお前らがうるさいから消した)」を自称する奴のほうが多いっぽい。本当に品がない。
当然ながら、人は差別する生き物だから、私の差別は真っ当なもの、みたいな奴は根本から品がない。んで、こういう奴らに対して声高に「反差別こそ差別主義者!」みたいな喧伝をするやつも品がない。
「品がない」、万能すぎる。万能すぎるが、品がない以上に的確な言葉が思いつかん。語彙力の衰えを感じる年頃になってしまったので、これ以上のものが思いつかんというのが正直なところだ。
同じことばを繰り返すのも「品がない」ので、どうにか品の良い罵倒と軽蔑をしたいところだが、行き着く先は京都になってしまう。これは京都差別だ。差別に自覚的だからOK、なんてルールもないので、これは品がないとかじゃなくて地域差別。これを「差別ではない」とか言い始めたら品がない反差別モドキのカス。
やっぱ「品がない」は万能すぎる。しばらく禁止ワードにしたい。結論に「品がない」が来たら、一回休んでからもう一度考え直すようにしたい。
日本人が一番嫌いな非難はみっともない、だと聞いたが違うのか
勇気がない、意気地なし はどうかな? 「ゴチャゴチャ言ってるけど、要するに自分がしてる差別を直視する勇気がないだけでしょう?」 「自分が差別してる可能性に目をつぶる意気地...
恥ずかしい、だろ 恥の文化だし
「生理的に無理」には負けるんだよね