この手の話を見ると、ロバート秋山やドランクドラゴン塚地のオタクいじり系のネタを思い出す。
他にも大量にあると思う。
これ見た当時はとにかく自分達オタクのことを言われているのだと思って不安になった。
もちろん自分はここまでのあくの強いオタクではないんだけど、彼らがデフォルメしつつ切り出している変なオタクのエッセンスの一部は多分自分の中に流れているものであるという実感があるというか、ほんの少しだけ身に覚えがあるようなところがあり、それを責められているようで嫌だった。
世の中の人が変だと笑う要素を自分も持っているのだと突きつけられるような感じというか。
こういうのって、自分がいじられるカテゴリに該当しないと多分不快感を理解できないのではないかという気がする。
例えば、志村けんの変なおじさんとかひとみ婆さんとかを見ても自分は何とも思わなかったし普通に笑って楽しんでいたけど、自分がちょっと変かもしれないと思って不安になってるおじさんとか耳が遠くなってきて不安になってる老婆からしたら、ひょっとしたら不快な表現である可能性があるな、ということに気付いたというか。
そしてそれに気づいたからこそ、自分に該当しなくてもなんとなくそれを見て不快感を覚える視聴者を想像してしまってこういうネタでうまく笑えなくなった感じがある。
でも彼らもいじる対象に悪意があってこういうことをしているわけではないと思うから、糾弾するのも違うと思うし、なんだかとても難しいね。