2021-05-31

効率の良い生活を追い求めたら生きている意味がわからなくなった

現代は、効率の良い生活がもてはやされてる気がする。

コスパの良い生活、と言い換えても良いかもしれない。

短い時間で、できるだけ高い結果を得る。無駄なことはしない。

そんなことをもてはやす本やネットが溢れている。

私も御多分に漏れコスパ教に入信していた。

ルンバを買い、乾燥機付き洗濯機を買い、食洗機を買い。

就職先もほぼ定時で帰れて給料がそこそこ良くて、負荷が少なそうなところを選んで。

そんな生活をしていたら、コロナ禍がきた。

友達とも会えず、旅行にも行けず、出かけることもできず。

平日でも18時には家にいて、休日は誰とも合わない。

残業休日出勤もなく、家事機械勝手にやってくれる。

完全に暇を持て余してしまった。

趣味は広く浅くで、何か熱中しているものもない。

楽器創作活動みたいな時間のかかる趣味もできない。

持ち帰るほどの仕事もない。

そんな生活を続けていたら、何のために生きているかからなくなった。

絶望するほどの何かはないけど、わざわざ生きている意味もわからなくなった。

元来生きている意味なんてないことはわかっているが、

暇な時間ありすぎると「生きている意味」を無意味に考えてしま時間が増える。

もっと負荷は高くてもやりがいのある仕事とか、

好きで好きでたまらないものがある人は、

好きなだけ効率を追い求めたら良いと思う。その、打ち込みたいことに打ち込むために。

でも、特に何もない自分効率を追い求めたら、

何もない自分が浮き彫りになってしまった。

死にたいわけじゃないけど、生きている意味もわからない。

新しい絶望様式だ。

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