三十代になって記憶力が衰えてきた。十代の頃は一読すれば興味深い個所は大体覚えていられたものだが、ここ数年はその都度付箋を貼り、あとでメモを取らないと記憶できない。それどころか、数か月前にメモした内容さえ見返さないと思い出せない始末だ。「趯倒淨瓶」みたいに難しい漢字を使うものなども覚えられない。
そうして知識を増やすことが好きなものだから、忘却に対しては幾分神経質なところがある。せっかく本を読んだのだから、その知識を手放すまいと欲深く握りしめる。だから夜の自由時間の多くを書物からの抜粋づくりにあてているし、彼女とのデートのたびに鑑賞した絵画や食べたスイーツ、会話の内容を緑色のペンでページいっぱいに書き記している。緑にしたのに特に意味はない。緑が好きなだけだ。仕事関係は黒、読書については赤、友人との予定は青にあてている。
手書きで文章を書くのは楽しいのだが、これほど好きな相手のことなのに、どうしてすべてを記憶に残せないのかが、不思議で不安で寂しい。例えば先週はバラとデルフィニウムとカンパニュラの花を見たのだけれども、この花の名前だってしばらくしたら忘れてしまうだろう。
僕が数か月前のデートのことを口に出したり、彼女の好みを反映したプレゼントを贈ったりして、「そんなことまで覚えててくれたんだ、うれしい」と彼女が言うたびに、自分はまた神経質に彼女の好きな花やお菓子に執着し、書き留めようとするのだろう。