この感覚というか、必要性がわからない。
それは単純に言えば、物じゃないからあげられないじゃんということ。(そもそも、勝利の所有権は誰にあるんだ?)
「君のことを想って頑張れた。だから勝利できたんだ」的な言い回しの方が適切な気がする。
あと、論文の献辞(この論文を○○に捧げる)もわからない。
こっちはまだ物質的なので、所有する感覚は持てるのだが、○○=学会関係者ならまだしも、家族に論文を捧げたところでまさに「猫に小判」だろう。
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