彼女の「ねえこの動画面白よー」という声。リビングに行ってスマホを覗き込む。
画面中央には水の張られたバケツがありその縁に木の板がまるで飛び込み台のようにかけてある。動画が再生されると、画面の端からネズミが現れて板の上をバケツに向かってとことこ歩いていく。端あたりに到達したその瞬間、ネズミがまるでハンマーで弾かれたようにバケツに落ちた。水の中でもがく。
「面白くない? 木の端っこに電極があって、そこに突っ込んでいっちゃうの」
笑顔で語る彼女。その間にもまるでベルトコンベアーに乗せられたかのように次々とネズミが板の上を歩き、電気ショックを受け、バケツに落ちた。バケツの中はあっという間に溺れまいともがくネズミだらけになった。
僕は気分が悪くなった。そんな映像は見たくなかった。「そういうのは気分が悪くなるので見せないで」と、普段の僕からは考えられないであろう冷たさをできるだけ演出して、言った。
彼女は相当しょげたらしく、その夜は「ごめんなさい」と謝ってきた。今にも泣きそうな声であった。
その映像を見せられた時、頭から冷静さみたいなものが無くなっていた。一つ重大な要素を見落としていた。
彼女は害獣駆除業者で事務の仕事をしている。聞くところによると日々現場の報告書を処理しているらしく、罠にかかって死んだネズミの写真とかを見るようだ。その話を聞いて僕とか、僕の両親(彼女とはお互いの親と食事もする位の仲だ)は「えっきつくないそれ?」と心配したのだが、彼女は全然へいきーというので特に気にしないでいた。
実は、彼女は相当のストレスを抱えているかもしれない。彼女はあまり友達が多い方ではなく、僕と彼女の親くらいしか話し相手が居ない。その数少ない話し相手である僕に「気分が悪い」と言われるような仕事をするという気分は、どうなんだろう。そこまで考えられなかったのは軽率だと思った。その点については謝るべきだと思った。
しかしどうだろうか。「ごめん、気分が悪いと言ったが、君の仕事を否定するつもりはないんだ。ごめんよ」と言えばいいのか。その映像を見るのは気分が悪いが、その映像にあったことを仕事として行うのことは気分が悪くないという主張は何か矛盾している気がした。僕が一番主張すべきことは、そこに矛盾が発生しないことを示す論理だと思った。その考えに至った時点で「君の仕事を否定するつもりはないんだ」という言葉が嫌に白々しく感じるようになり、僕は眠ってしまった。
このやりとりがあったのは日曜日で、まったく休日にこんな不快な思いをして月曜を迎え、金曜日まで働かないといけないなんて最悪の気分だと思った。しかし、翌日月曜日の夜にはこの出来事の気分の悪さはほとんど忘れていた。自分でも不思議だったし、都合が良すぎるかもしれないと思った。火曜日には完全に忘れてしまい、金曜日まで無難に仕事を終えることができた。
「ネズミって、仲間が罠にかかっていても助けないの。危険信号とか出さないの。よっぽどバカなんだね。知性とかないのかも」
昆虫は罠にかかったら危険信号を出して仲間に伝えるとかどうとかをさも重大な発見であるかのように話した。やはり気分が悪かった。僕はそういうのは気分が悪いからやめてくれと伝えた上で「仕事が辛いなら辞めてもいいと思う」と言った。別に辛くない、となんともなしに彼女は答えた。
彼女が仕事を辞めてしまえばいいと思った。何か、別の不可抗力的な事情で。例えば、クビになったとか、嫌いな上司が居るとか。害獣駆除とは関係のない理由で辞めてしまえば物事が単純になって楽になると思った。
ネズミが電気ショックで死ぬ瞬間を思うと心が痛んだ。彼女も別にそれで心が踊ることはないと思う。なくて欲しい。ネズミがバカな生き物だと思うことで仕事をストレスなく進められるのであればそれでもいい。けれどネズミは昆虫と比べてバカであるとか、電気ショックを受ける動画を面白いとかいう価値観は共感できないし、共感を求めないで欲しかった。
でも例えば、僕の家にネズミが大量発生したらどうするだろうか。間違いなく業者を呼ぶと思う。
彼女の価値観が、間違っていて欲しかった。けれどそれは僕の願望で、エゴに過ぎない。でもエゴだから、とか価値観の違いだから、と言って見て見ぬ振りをするのは彼女に対して不誠実だと感じる。いっそこのことを全て素直に話してしまえば良いのかもしれない。だがそれは口にした瞬間に白々しく、不潔なものになる気がして何も言えないでいる。
ネズミの動画は色々パターンがあってピタゴラスイッチみたいで面白いんよ ネズミが電極踏んでパタンと倒れるやつや電極踏んでタップダンスみたいに地面についていられないから走り...