2021-04-15

スポーツ界にはドーピングがつきもの

社会人になってから数年、仕事スポーツ関係取材をしてる。

もともとスポーツを見るのは好きなので、楽しく働いている。

取材対象の中にはオリンピアン東京2020を目指してる選手もいて、ここ1年はそういう人たちに会うたびに延期についての思いを聞いてきた。

絶対開催してほしい」とか楽観的なことを口にする人はひとりもいなくて、みんな揃って「五輪があると思ってやるしかない」と言う。

率直な、本心から言葉だと思う。

我々もオリンピックの有無で仕事スケジュールが大幅に変わるので、気持ちは同じ。

いつしか、同僚や上司とも合言葉のように交わしていた。

「あると思ってやるしかない」。

中止になるかもしれない。でも、きっと開催されると祈りながら、できることをやっていくしかない。

何百回も呪文のように聞いて、言って、自分の中に刷り込んできた。覚悟はしているつもりだった。

でもこの言葉ドーピングだ。思考停止というドーピングだ。

「あると思ってやるしかない」。だからあるかないか、ということは考えない。「あると思って」やるのだから

覚悟を決めているようでいて、その実、”中止”という想定されるべき未来直視できていなかったのだと思う。

からと言って、不確実な1年後へのモチベーションを維持するには、そう考えるしかなかったのも事実だ。

それに、どこかで期待もしていた。

夏が近づけば状況は好転するんじゃないか

新型コロナウイルスは、感染力が高いだけで、致死率は低い。

そのうち指定感染症の等級も下げられて、楽観的なムードができて、オリンピックはぬるっと開催されるはずだと。

観客数は絞られるかもしれない。無観客もあり得る。

だけど、大きな反対はされずに、選手たちの勇姿はむしろかに歓迎されるんじゃないかと。

思い描いてしまっていた未来は遠い。大阪感染者数は、過去最高を更新してもなお増える一方だ。

指定感染症の等級を下げよと言う声もあまり聞こえなくなってきた。

慣れきった群衆と巨大な恐怖とが、水と油のように混ざり合うことなく取り残されている。

裏腹に、オリンピックは日に日に近づいている。聖火リレーは全国を回り、代表選手が続々と決まっている。

”最悪”を覚悟したつもりで、大量のドーピングを使ってなんとか乗り切ってきたスポーツ界は、間違いなく、着実に期待を高めてしまっている。

から中止に、本当になりうるんだろうか。もし、本当に中止になってしまったら。

私の心は間違いなく折れる。これまでずっと頑張ってきたあの仕事たちの意味はなんだったのか。

仕方ないね、じゃあ次、と切り替えるには、あまり選手たちに感情移入しすぎてしまった。

部署でそのまま働き続けられる気もしない。

まあ、私個人は異動してしまえばいいだけの話だし、異動できなくて仕事に身が入らないままでも、たぶんクビにはならない。

でも外野の私ですらこれなのに、アスリートたちはどうなるんだろう。

東京を目指すことで成長できたという選手がいた。東京があったから続けられたという選手がいた。

ほとんどのアスリート不安を抱えているセカンドキャリアも、メダルを獲れば一気に幅が広がる。

他国開催とは懸ける思いも、人生に与える影響も、桁違いの一世一代大会

それが一夜にして手からこぼれ落ちたら。

”中止”というどうしようもない事実を前に、ドーピング効果が切れてしまったら。

コロナ禍後の日本に、活気あふれるスポーツ界は残っているんだろうか。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん