例の処理水問題で思い出したんだけどさ
あれ、海洋放出に反対する側も「自分が忌避するかどうか」はごまかしてるのが、実に小ズルいよね
自分はそこの部分こそ大事だと思うんだけど、みんな己の立場は全然口にしてくれない
「俺はともかく世間の誰かが避けるからやめろ」と、そういう主張に終始している
まあ原因はシンプルだ
政権叩きのためなら風評被害でも何でも持ち出すが、しかし自分がそこに加担してる感じだけは絶対出したくない
「ヤバそうだから俺は避けるね」と言えば、どっかの元芸能人みたいに、それはそれで叩かれるからだ
確かに風評被害が出るか出ないかで言えば、まあ全く出ないとは言い切れないかもしれない
しかし、こうした論法をどっかの先生は、このように呼んだはずだ
「太宰メソッド」と
賛成するにせよ反対するにせよ同じで、世間がどうこうではなく、自分がどう考えどう行動するか
そこをはっきりするべきだ
「もし流したら俺は福島の水産物なんか二度と買わない! あることないこと騒ぎまくって売り上げを落とすのに貢献してやる!! だからやめろ!!!」と、堂々とそう言うべきだ
そうしないのなら「科学的根拠もないのに必要以上に怖がっている」と、きちんと切り捨てるべきなのだ
そこの評価を巧妙に放り投げつつ、棍棒としては都合よく使ってやろうという、このどうしようもないセコさ
俺はそういう態度が一番気に入らねえわけだ
やめるのが嫌なら嫌でもいい
でもそれなら「太宰メソッド」なんて、もう二度と口にするんじゃねえぞ