すぐに終わると思ってた。
まさかこんなにコロナが長々居座るとは思ってなかったからいまはその頃なの図太さにただただびっくりしてる。
さて、今日はこのコロナが始まる少し前から私がすごく嫌いだったことがあって、最近いよいよそれが無視できない域に達してきたので書きたくて、愚痴を吐き散らかしたくて筆を取った。
オリンピックのゴタゴタの時、
そして、今このコロナ渦の中で、
欲しがりません、勝つまでは。
なんて標語を口走る人もいて。
まあそんな標語がちょっぴり当てはまってる洒落にならない世の中だから仕方ないのかもしれないけど、
それでも私はこの傾向に全力でNOを叫びたい。
戦争ではないのだ。
でもそれは単に言葉遊びに過ぎない。
この世の中に様々な「戦争」の定義があるとしても、インパールが起きた戦争。
竹槍で米軍との本土決戦を覚悟した戦争と今のコロナは絶対に違う。
すでにゲームチェンジャーのワクチンが控えている間の時間稼ぎや素手で戦うとは言わない。
「不謹慎」
という言葉が大嫌いな私でも、
なんで「竹槍」だの「インパール」だのこのコロナの騒動を太平洋戦争と重ね合わせることに嫌悪感を持つのかと言うと、やはり1人の人間としてそれを「不謹慎」と思うからだ。
このコロナと太平洋戦争時を重ね合わせてる人の中に絶対に太平洋戦争を経験した人はいない筈だ。
その上で、現政権や政策のあり方を批判するがために、軽率に太平洋戦争時の事件や用語を使って無理やり今を太平洋戦争時に当て込んでしまうのはどう考えても不謹慎以外の何者でもないし、
死んで行った人や、
その時代を生きてきた人たちに失礼だと思うし、
何より今を戦っている日本人に失礼だろう。
無謀にオリンピックをやること
こう言うことを批判したいのであれば、
太平洋戦争時のスローガンや用語や事件名を当てはめて人に不快な印象を与えるのではなく、
その方がこちらの主張もわかりやすいし多くの人の理解を得られるだろう。
が、なぜそうしないのかといえば、
別にこう言う言葉を使って批判や非難を繰り返す人たちはたぶんそれ自体が目的化していて、
仲間内で一緒になって何かを叩くという「怒り」が楽しくて仕方がないのだろう。
そしてそれを自覚もできていない。
だから、そんな娯楽の「怒り」の中で繰り返される言葉遊びにそんな簡単にインパールだの竹槍だの戦時中の言葉を入れ込むのは「不謹慎だ」と言いたいし、
あの歴史は簡単にあなたたちの言葉遊びのおもちゃに使っていいほど日本人にとって軽々しいものではないと、たまたま日本人に生まれてきた私は思うのだ。
おっ「国防婦人会」やね
怒りを娯楽だと思ってる時点で論外 漫画喫茶で一年暮らしてみれば
すぐに終わると思ってた。 まさかこんなにコロナが長々居座るとは思ってなかったからいまはその頃なの図太さにただただびっくりしてる。 なんだよ、その「すぐ終わる」って。 ト...