弱者男性論盛り上がりすぎてて面白いので当事者独自研究発表する。
私の弱者性は実家がヒョロヒョロで親が毒なことくらい。恋愛弱者といえばまあ恋愛弱者。愛を知らずにすくすくと体は健康に育ったキモいモンスターだよ。普通に愛されてみたい、っていう欲はあるよ。その普通ってなんだよ、ってのは全くわからないんだが。
弱者男性問題、このへんにメインの問題がありそうで、何が救いになるのか本人にすらわからんのよ。眼が悪ければ眼鏡をかければいい。育ちが悪いなら頑張って矯正だ(21のときに頑張ったから箸がまともに持てるようになったよ!褒めて!!!!!一人称が私なのも育ちの悪さを隠そうとして矯正した結果なのよ!!!でも根本的に口が悪い!助けて!!!)。顔がキモいのはしゃーない。どうしてもっていうなら整形だ。今は、有名な弱者性ならなんとかカバーできる環境がある。
じゃあ、毒親育ちで歪んじまった私のメンタルは何が救いになるんだ?わからんのよ。本人にすら何が救いになるかわからんので、手近な「モテなさ」「金のなさ」「キモさ」「育ちの悪さ」とかを原因として弱者性を訴えるんだろうな。わからんから救われなさを叫ぶか、黙って悶々としてるか、私のように割り切って世の中クソやなーって思ってるしかない。
で、私って弱者なんだろうか。今挙げた手近な弱者性全部持ってるけど、それが解決したところで私が胸張って幸せに生きてけるかっていうと、疑問符が付く。特に「幸せに」の部分。今はもうとっくに実家から離れてて、離れた当時は「生きるのってこんな楽だったんだ」って思ったよ。でもやっぱ人生は辛い。心が不安定になるたびに実家への恨み辛みが無限に出てくる。それが弱者性なのか?
そもそもなんで自分を弱者と定義付けたいんだ?生きづらさをざっくり分かって欲しいという欲求だろうか。確かに分かって欲しいなぁ。頑張ったんだねヨシヨシしてもらいたい欲求はある。これが愛なのか。愛されたいなぁ。
というわけで、私の欲求は「がんばったのでヨシヨシしてもらいたい」です。ガキのころから褒められた回数なんて、読書感想文で先生に褒められたのと、お土産の日本酒が大当たりだったときの友人と、美容師に「いい眼鏡してますね!」って言われたのと、増田で野菜くずの活用方法書いたときにはてなーから褒めてもらったのと、会社の人に「食材無駄にしないの凄いね!」って言われたくらいで、たぶん5回です。2回が野菜くず。クズにも使いみちはある、いわんや私をや。ほめて。
大変ですね、つらかったですね